それまで見向きもしなかったフィルムに触れ、それまで知りもしなかった映画作家名について友人たちと議論を重ねたのは何よりも蓮實批評の煽動によるものだった
私たちがシネフィルのバイブルとして若き日に読んだ批評のほとんどは、その書き手として蓮實重彦という固有名を持っていたことは明らかだ。そのすべてを買い求めることはなかったが、「映画芸術」、「マリ=クレール」、「ブルータス」そして、何よりも今はなき「話の特集」や「映画批評」に掲載されたこの固有名を持つ批評を書店の店頭で読み続けた体験は、シネフィルであるなら、多くの人びとと共有できるものだろう。だから、その蓮實重彦の責任編集と銘打った「リュミエール」の発刊(1985年9月)は、私たちにとって大きな事件だった。「世界で一番美しい映画雑誌ができました」という蓮實重彦自身の声を今でも私は覚えている。「七三年の世代」、「ハリウッド五〇年代」、「トリュフォーとヌーヴェルヴァーグ」、「日本映画の黄金時代」、「映画大国イタリア」など実に魅力的な特集がこの雑誌を飾り、全一四冊の「リュミエール」は四年半をまっとうして、長い休刊の時期に入った。七〇年代の中盤から蓮實重彦に親しんだ私たちは、それを通じて多くのフィルムと映画作家を「発見」したのは事実だ。それまで見向きもしなかったフィルムに触れ、それまで知りもしなかった映画作家名について友人たちと議論を重ねたのは何よりも蓮實批評の煽動によるものだった。
『映画が生まれる瞬間』(梅本洋一 勁草書房 1998年)
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