無念さ、生きられなさ、人類の小さな声 ノーベル文学賞にハン・ガンさん 寄稿・斎藤真理子
この世の最も残酷な場所から響いてくる、あまりに親しみに満ちた声。血の通った、そして血を流しつづけている人類の小さな声。
ハン・ガンの小説にはそれが充満している。
「歴史的トラウマに立ち向かい、人間の命のはかなさをあらわにした強烈な詩的散文」
授賞理由のこの部分を読んだとき、とても韓国らしいと思った。「歴史」と「詩」は、韓国文学のキーワードだからだ。いや、韓国自体のと言ってもいいのかもしれない(さらに言うなら朝鮮半島全体がそうかもしれない)。
日本による植民地支配、南北分断、朝鮮戦争、そして軍事独裁政権による人権弾圧。韓国の現代史は満身創痍である。その中で長い間、詩人の想像力は武器であり、希望だった。ハン・ガンももともとは詩人で、デビューしたのも小説より詩が先である。
詩的散文とはどういうことだろうか。それは単に、語彙や表現が詩のようだということではない。生と死の境界、夢と現実の境界を突破する、繊細にして強靱な文体が評価されたのだ。
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ハン・ガンを世界的に有名にした『菜食主義者』は、社会に蔓延する暴力の一切に耐えられなくなり、食べることを拒否する女性を幻想的に描いたものだ。その後、光州民主化運動(光州事件)を扱う『少年が来る』や、済州島4・3事件を扱う『別れを告げない』など、歴史の傷跡を描く大作が生まれた。ハン・ガンの作品の中で、個人の傷と歴史の傷は不可分で、相互が分かちがたく渾然となったさまがありありと描かれる。
「私たちに過ちがあるとすれば、初めから欠陥だらけで生まれてきたことだけなのに。一寸先も見えないように設計されて生まれてきたことだけなのに」(「明るくなる前に」『回復する人間』所収)。これはハン・ガンの短編小説の中で、母との関係に悩む女性に対して発せられた言葉だ。一人ひとりの人間も、世界も、欠陥だらけで、一寸先も見えないことでは同じである。
大事なのは、韓国においては長らく、追悼すら禁じられた時代があったことだ。光州民主化運動も済州島4・3事件も、追悼集会はおろか公に言及することもできず、映画や小説への作品化など、民主化前は絶対に不可能だった。無念の死、不条理な死は蓄積され、癒えない傷は癒えないまま、風化することすら許されなかった。
作家は決して国籍や出生地に縛られない。しかし現代のさまざまな「生きられなさ」を追ってきた作家が、生まれた土地に蓄積された無念の死、封じられた声へ接近したのは必然だったろう。それを韓国一国でなく人類の経験として書ききったところに、今回の授賞意義があると思う。ハン・ガンの仕事の核は、これほど悲惨なことがあったと知らせることではない。最大の危機のときもこのようにして人の尊厳は存在しうるのだと示すことである。
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各地で戦争が激化し、毎日遺体が運ばれてくるのに何を祝うのかとハン・ガンは言い、記者会見を固辞したそうだ。ガザのジェノサイドは、今すぐにでもやめられるはずのものである。光州事件も済州島4・3事件もそうだったはずだ(4・3事件が起きた1948年は、パレスチナでナクバが起きた年でもある)。無念さが、今日も現在進行形で反復されている。
ハン・ガンの意思表明に同意する人は多いだろう。と同時に、アジア人女性初の受賞を喜ぶ私たちの気持ちを作家が受け止めてくれていることも、間違いない。だから、おめでとうを言った後、それぞれのやり方で、この世の最も残酷な場所へ心を寄せたいと思う。静かに本を読みながら。
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さいとう・まりこ 翻訳家 1960年、新潟市生まれ。『すべての、白いものたちの』『別れを告げない』といったハン・ガンさんの作品をはじめ、韓国文学を多数翻訳。著書に『韓国文学の中心にあるもの』。
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