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心のたねを言の葉として

水俣とMINAMATA                                       関川宗英

2021-11-30 16:57:01 | 映画

水俣とMINAMATA                                       関川宗英




1 アイリーン・美緒子・スミスを称える       

 

 「人類はあいもかわらずプラトンの洞窟でぐずぐずしており、昔ながらの習慣で、ひたすら真理の幻影を楽しんでいる。」

 という言葉でスーザン・ソンタグの『写真論』(近藤耕人訳)は始まる。

 2004年12月、71歳で他界したスーザン・ソンタグは、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争などに反対する発言を続け、アメリカでもっとも論争を呼ぶリベラル派知識人と称された批評家だ。

 イラク戦争さなかの2004年5月、イラクのアブグレイブ刑務所で、米兵がイラク人収容者を虐待していたことが、ニューヨーカー誌に写真つきで掲載され、世界を驚かせた。

 裸のイラク人たちが人間ピラミッドをつくらされ、その傍らで、にやけて笑う男女の米兵が写っている醜悪な写真だ。

 このアブグレイブの写真に憤ったソンタグは、これらの写真こそが、ブッシュ政権が進めたイラク戦争の本質を鋭くあらわしていると訴え、「他者の拷問への眼差(まなざ)し」を発表した。このような事件は、アメリカの覇権主義的な心性、アメリカそのものの暴力性、残忍性を表象していると手厳しい言葉でイラク戦争を批判した。

 



 そんなスーザン・ソンタグが、「入浴する智子と母」の写真発表をめぐる騒動を知ったら、何というだろうか。きっと、再び発表することを決めたアイリーン・美緒子・スミスを称えるに違いない。




2 「入浴する智子と母」の写真

 2021年9月、日本でようやくジョニー・デップの映画『MINAMATA』が公開となった。ドラマ仕立てのハリウッド映画、時間軸の矛盾や過剰な人物描写など批判もあるようだが、水俣病の恐ろしさを伝えようとする力作だった。何よりも忘れかけていた「水俣」が、世界の多くの人々の目に触れることの意義は大きい。

 水俣市が映画の後援を辞退したが、それも水俣の怨恨の深さを露わにすることに役立った。2013年、当時首相だった安倍晋三は「水銀に関する水俣条約外交会議」の開会式に寄せたビデオメッセージで、「水銀による被害と、その克服を経た我々」と発言し、患者たちの批判を浴びた。

 いつも無神経な政治家たちの発言が、水俣の患者たちの気持ちを逆なでしてきた。映画『MINAMATA』は、水俣病の怨嗟を思い起こさせてくれる。

 

 映画『MINAMATA』では、「入浴する智子と母」の写真が登場する。

 この写真は、「水俣のピエタ」とも言われているユージン・スミスの代表作だ。胎児性患者の上村智子さんはお風呂が好きだったという。そんな智子さんが母親に抱かれて入浴するシーンを撮ったものだ。

 写真は、水俣病を象徴するものとして世界的にも有名な一枚となっている。各国の美術館でも購入され、日本の教科書にも載っている。しかし、被写体となった上村智子さんの両親は、「智子を休ませたい」、「この写真を公開しないで欲しい」と写真の非公開を申し出る。

 そのあたりの事情を、アイリーン・美緒子・スミスは、朝日新聞のインタビューで次のように語っている。

 

 「智子を休ませてほしい」とご両親から要望がありました。96年に開かれた『水俣・東京展』などの水俣病問題の展覧会や、新聞やテレビの報道で、あの写真がたびたび使われていました。ご両親は近所や周囲から「あれだけ報道されるとお金がもうかるでしょう」などと事実と異なる、心ない言葉を聞かされ、耐えがたい思いをしたそうです。

 申し出を聞き、写真が智子ちゃんやご家族の意思に反して発行され続けてはならないと考えました。すぐにでも苦しみをやわらげるには、写真をもう公開しないと約束することが、そのとき唯一取れる道だと思ったのです。(「MINAMATA あの一枚」2021/10/16 朝日新聞)

 

 智子さんの写真は水俣病を追及する集会などのポスターにも使われたが、そのポスターが地面に落ち、道行く人に踏まれていることもあったそうだ。

 智子さんの母親は1983年のNHKの番組で語っている。

 

 水俣病の苦しさをみんなに見てもらおうと思って撮っていただきました。写真を見たら、だれでも水俣病の苦しさちゅうもんが見てもらえるとじゃなかですか。

 

 水俣病を世界に知ってもらう、そのために娘のこの写真を使用することは、親として勇気の伴う重い決断だっただろう。そして、娘のこの写真が世界に拡散され続けることは、またこの上ない苦痛を積み重ねることだっただろう。写真の非公開を決めたときのことは、さらに詳しく、アイリーン・美緒子・スミスは自身のホームページで公開している。

 

ユージンは、「自分は写真家として二つの責任がある」といつも言っていました。一つは被写体に対する責任、もう一つは写真を見る人々に対しての責任です。その二つの責任を果たせば、必然的に編集者・出版界に対する責任が果たされると言っていたのです。ユージンは "integrity" (精錬潔白であること)とそれを守るための頑固さをもっとも大切にしていました。

ユージンが主張するこの信念とその伝統を尊重するために、私は著作権者として、「入浴する智子と母」の写真を今後発行しないと決断したのです。そして、この決断は沢山の検討を重ねた上、慎重に、愛情を込めて行いました。

(「アイリーン・アーカイブ」http://www.aileenarchive.or.jp/aileenarchive_jp/aboutus/interview.html

 

 著作権者であるアイリーンが写真の非公開を決めたのは、1998年のことだ。智子さんの入浴の写真が公開された1972年から、四半世紀後にあたる。

 そして写真の非公開から、さらに四半世紀後の2021年、「入浴する智子と母」が映画『MINAMATA』に登場する。写真集『MINAMATA』(新装版)も再発行された。「入浴する智子と母」の写真は再び公開されたのだ。





3 アイリーン・美緒子・スミスの苦悩

 

 「入浴する智子と母」の写真は、なぜ再び公開されることになったのか。そのいきさつをアイリーン・美緒子・スミスは、前掲の朝日新聞のインタビューで次のように語っている。

 

 脚本には入浴場面の再現が盛り込まれましたが、私は「写真は出せない」と答えていました。98年の約束があるからです。しかし完成直前の2019年11月、監督から「やはり実物の写真を出した方がいいと思う」とのメールを受け取りました。私は、映画を見ないと判断できないと答え、ロンドンへ行きました。試写を見た結果、写真の実物を映画に出すべきだと決断し、使用を許諾しました。ご両親には事後承諾となりました。昨年、水俣で完成した映画を見てもらいました。

 約束を守らなかったことになるのは承知しています。ご両親には申し訳ないと思っています。傲慢と思われても当然です。私には映画の内容はコントロールできません。だからこそ映画で実物を見せるのが大切だと思いました。「この映画に実物の写真がなかったら、再現映像だけが現実であるかのように世界に広まり、一生後悔する」と考えたのです。

 写真集は絶版になっていましたが、フィクションである映画の再現場面が実物の写真に取って代わってはいけない。実在した患者さんを写したユージンの作品を世界に見てもらわなければ、と思いました。ご両親と会い、写真集を再出版したいとお願いする手紙を渡したところ、「写真集はいっぺん出版されたものだから」と、ご了承の電話をいただきました。

 智子ちゃんの尊厳と、ユージンが残された人生のすべてを絞りだして撮影した作品を、どちらもおろそかにせず大切にする方法を見出すことが、私が直面している課題です。(「MINAMATA あの一枚」2021/10/16 朝日新聞)

 

 『魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣』がこの9月、映画の公開に合わせて出版された。著者は、『女帝 小池百合子』で今年、第52回大宅賞を受賞した石井妙子である。

 石井妙子はアイリーン・美緒子・スミスと個人的な付き合いもあるようだが、この「入浴する智子と母」の写真の再公開について、次のように語っている。

 

1975年に出版した写真集の再版(新装版)なので、1998年に約束した「新たな展示、出版」には当たらないと考え、上村好男さんは「過去に出版しているものだから」と許可なさったそうですが、やはり娘の入浴写真が掲載され世間の目にさらされることに親としては「痛み」があるとおっしゃっていました。

今回、映画と写真集では"封印"が解かれたわけですが、そのように決断した理由、また今後、どうしていくつもりなのか。アイリーンさんに私も尋ねましたが、まだ、ご自身の考えをまとめられない様子でした。

多くの人が観るハリウッド映画を通じて本物のユージンの作品を観客に観て欲しいという気持ちと、上村さんとの約束の間でアイリーンさんは本当に苦悩したんだと思います。アイリーンさんは近く、考えを文書でご自身のホームぺージに発表したいと言っています。写真は誰のものなのか。被写体の意向をどこまで汲むべきなのか。被写体の「痛み」を無視していいのか。

これはとても重い問題で、表現者は自分自身の問題として受け止めるべきですし、表現者だけでなく、アイリーンさんの立場、上村さんの立場、それぞれに思いを馳せ、皆で考えていくきっかけにしたい。そういった気持ちから、私はこの問題に本書で触れました。

(「「水俣病の少女が入浴する写真」をめぐる、写真家と被写体親子の「知られざる葛藤」なぜ写真は"封印"されたのか」  https://gendai.ismedia.jp/articles/-/87864?imp=0

 

 石井妙子のこのインタビューが「現代ビジネス」のサイトに掲載されたのは、2021年10月1日である。朝日新聞のアイリーンのインタビュー発表は、それから2週間後の10月16日のことだ。

 智子さんの家族との約束を一方的に反故にしたこと、写真の再公開を事後承諾としたことは、非難されるしかない。

 しかし、傲慢といわれることも十分わかっていながら、なぜ写真の再公開に踏み切ったのか。

 アイリーン・美緒子・スミスは、智子さんの尊厳とユージン・スミスの表現、どちらもおそろかにせず大切にする方法を見つけ出すことが私の直面している課題だと述べているが、この言葉でアイリーンは思いの全てを語り尽くせたのだろうか。

 石井妙子も書いているように、アイリーンはいまだに、自分の考えをまとめ切れていないのかもしれない。

 

 智子さんの尊厳を奪ったのは誰なのか。

 写真は誰のものなのか。

 表現することとは、誰のためのものなのか。





4 美しい写真

 

 胎児性患者の智子さんは、胎盤を通して、母親から有害な水銀を受け取った。

 母親の良子さんには深刻な水俣病の症状は出なかった。

 親の体にたまった水銀を、胎児だった智子さんが吸い取ってくれた。

 だから、両親は智子さんを「宝子(たからご)」とよび、大事に育てたという。

 

 智子さんは自らの力で、体を動かすことができない。

 床ずれを起こすので、親は夜中も交代で智子さんを抱っこする。

 智子さんは自分で食べることができない。家族の助けで、何時間もかけて食事する。

 そうやって智子さんは、赤ん坊の時から大事に育てられ、大きくなった。

 

 

 智子さんは生涯、言葉を発することはなかったというが、成人を祝う晴れ着の彼女は満面の笑顔だ。

 父親に抱かれて、うれしそうな晴れ着姿の智子さん。

 成人式のこの写真は、桑原史成の撮影による。

 

 成人の祝いをしてからまもなく、智子さんは亡くなった。1977年のことだ。

 

 その1977年、環境庁長官だった石原慎太郎は、公務で熊本県へ赴き、水俣病の患者施設を視察した。患者に抗議文を手渡されたその夜、会見で「これ(抗議文)を書いたのはIQが低い人たちでしょう」と発言。さらには「補償金が目当ての“偽”患者もいる」との暴言を吐き、患者らの前で土下座して謝罪する事態となった。

 

 父親の上村好男さんは、智子さんを抱いて傍聴に行ったとき、「智子さんの無惨さに目を奪われる」「進行に支障をきたす」とのことで「退廷をさせられる」ということがあったそうだ。

 

 裁判では原告の勝訴が続いた。そして、チッソから賠償金が出るようになると、患者たちの亀裂はさらに深まる。

 患者が激発した水俣湾岸の3集落の調査を続け、昨年、「水俣病の民衆史」を出版しました。ざっと300世帯のうち認定されたのは176世帯の331人。低く見積もっても50億円以上の補償金が落ちた計算になります。水俣では人間の評価は住まいで決まる。みんな裸電球一つの掘っ立て小屋に住んでいたから、多くの患者が競って家を建てシャンデリアを付け、ダイヤモンドの宝飾品を買う。そうなると人間が変わります。

 1次産業と工場が支えだったのが、漁業は壊滅、農業は落ち目、工場の雇用は細々。貧しくても助け合ってきた村はなくなった。水俣病のせいで村が潰れたわけじゃない。補償金で潰れたんです。 (「村は補償金で破滅した 岡本達明さん(民衆史研究者、元チッソ第一組合委員長)」

   2016/5/27 朝日新聞  https://ujikenorio.hatenablog.com/entry/20160819/p1)

 

 「銭は1銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に、水銀母液ば飲んでもらおう。」と言った人がいる。

 和解か、裁判闘争か。水俣の被害者たちは、いくつにも分裂した。

 

 智子さんの写真が話題になって、「お金もうかるでしょう」と言った人がいる。

 お金は生きていくのに、なくてはならない大切なものだ。

 そこにつけこんで、弱者と弱者がののしり合う、内輪もめの構図を作り上げようとする人たちがいる。

 水俣病認定の基準を厳しくし、申請者たちを分断する。




 2020年5月末の数字だが、水俣病に公式に認定された患者は、2,283 名(熊本県 1,790 名 鹿児島県 493 名)、死亡者はそのうちの 1,963 名(熊本県 1,550 名、鹿児島県413 名)である。

 しかし、1956 年 5 月1日、水俣病の公式確認の日以前に同じような症状でたくさんの人が亡くなっているそうだ。実際の正確な人数は分からない。

 一方、認定患者ではないが、何らかのメチル水銀被害を受け、救済対象者として認められた被害者が 67,545 名いる。1995年の「政治的解決」、2009年の「救済法」により、一時金が配布されている。

 しかし救済法でもその対象からはじかれた人は1万人以上いる。国が申請期限を設けたこと、救済対象者を地域や年代で線引きしたことなどが批判され、訴訟継続の一因となっている。

 また、救済法は住民の健康調査を定めているが、2021年現在、政府は一度も実施していない。



 2021年11月27日、熊本地裁で水俣病認定訴訟が結審した。水俣病被害者互助会の男女7人が熊本、鹿児島両県に水俣病の患者認定を求めた訴訟だ。来年3月に判決が出る。

 



 水俣病は終わっていない。

 水俣病の救済を一切受けないまま死んでしまった人たち、認定されずに60年以上も苦しみ続けている人たちがいる。

 水俣病に侵された人々を分断し、解決を先延ばしにし、最終的に切り捨てるような国のやりかたは、暴力である。

 思えば、311の原爆事故も、黒い雨訴訟も、みんな同じだ。因果関係を認めない、検査をしっかりやらない、裁判を長びかせる、被害を訴える者は高齢化し、死んでいく。

 そんな国の暴力にいかに立ち向かうか、はるか遠くを仰ぎ見ようとするとき、石牟礼道子の祈りの文章が思いだされる。

 

 人間の罪に祈る

 本来、日本人は、草にも樹木にも魚にも魂があると思っていた。私の周りの人たちは、そう思っています。人間だけが特別ではないと。水俣の漁師さんたちは、万物に魂があると思っています。信仰というか、帰依している。水俣の患者さんなんか、毎日祈らずには生きていけない。そうせずには魂が生きていけないと、声をつまらせておっしゃいます。何に対して祈られますか、とお尋ねすると、人間の罪に対して祈るとおっしゃる。わが身の罪に対して毎日祈ると。あの方々、心身ともに苦悩の中におられて壮絶な苦闘をしておられるのですけれども、これはもうチッソの罪とか政府の罪とか、市民たちが意地悪するから市民たちの罪だとか、おっしゃらない。人間の罪、わが身の罪に対して祈るっておっしゃるのは、人間たちの罪を、今自分たちが引き受けていると、お思いになるんでしょう。私は、神や仏を考え出した人はすごいと思いますが、今この、人類史の終わりに来て、この末世に現れる菩薩というのは、それは水俣の患者さんたちで、あの苦しみを得て、菩薩に成り代わって現れ給うたんではないかと思うんです。迂闊に神という言葉は使いたくないのですが、やはり神に近い人々が人類の苦悩を背負って、我が身に引き受けて、そして祈るとおっしゃっているんじゃないかしらと。

(「今際の眼」 石牟礼道子




 「入浴する智子と母」の写真は祈りだと思う。

 理不尽な暴力を前にして、打ちひしがれた気持ちに襲われるとき、「入浴する智子と母」の写真が、あたたかな光を放っているような気がする。

 私たちの誰にとっても大切なものは、平穏な日常だ。

 「入浴する智子と母」の写真には、智子さんを大切に育てた家族の、その愛情があふれている。

 その美しい写真は、今もあたたかな光を放っている。





5 プラトンの洞窟

 

 スーザン・ソンタグは『写真論』で書いている。

 

 写真はひとつの文法であり、さらに大事なことは、見ることの倫理であるということだ。

(中略)

 写真映像の基本的な知識は、「そこに表面がある。さて、その向こうにはなにがあるのか、現実がこういうふうに見えるとすれば、その現実はどんなものであるはずかを考えよ、あるいは感じ直観せよ」といってみることである。自分ではなにも説明できない写真は、推論、思索、空想へのつきることのない誘いである。

(スーザン・ソンタグ 『写真論』 近藤耕人訳)

 

 イラク戦争を批判したスーザン・ソンタグだったが、すでに体は白血病に犯されており、彼女に適合する骨髄がなければ、一年半の命だと医者から宣告されていたという。

 ソンタグの息子デービッド・リーフは、イラク戦争を批判した「他者の拷問への眼差し」について、「あの原稿は、母の遺言のようなものでした」と言っている。

 911後、アメリカの世論が愛国主義に燃え、自由な言論が封殺されそうになったなかで、それにひるまず、ことの本質を指摘しようとし続けたスーザン・ソンタグ。

 スーザン・ソンタグのイラク戦争批判は、一枚の写真から始まった。

 イラクのアブグレイブ刑務所で、米兵がイラク人収容者を虐待していた写真。ニューヨーカー誌に暴露された写真から、ソンタグはアメリカ批判を展開、「他者の拷問への眼差し」を発表する。

 「一枚の写真は、一千語に値する」

 

 一枚の写真から何を読み取るか。

 いつも問われているのは、私たち自身なのだ。

 相も変わらずプラトンの洞窟にいる私たちに、優れた表現はさまざまなことを教えてくれる。

 

 アイリーン・美緒子・スミスが「入浴する智子と母」の写真を再び公開したこと、表現者としての勇気を、私は称える。





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