chuo1976

心のたねを言の葉として

ガジュマルの教え

2020-06-20 05:34:23 | 文学

 ガジュマルの種は鳥の糞とともに運ばれる。ある日、偶然にとある樹の上にぼとりと糞が落ちたとしよう。やれやれ。ガジュマルはその樹の枝の上で「ちょいとお邪魔しますよ」と発芽するのである。ガジュマルは居候しながら生長し、地面に向かって気根という細いヒゲのよう根を伸ばし始める。気根は何本も何本も出てきて、一心不乱に地表を目指す。そして、地面に着いたとたん、ものすごい勢いで栄養分を吸い上げ、急成長するのだ。気根が地面にたどり着いた瞬間から、居候は殺し屋に豹変する。さらに気根の数を増やし、分岐し、交差させ、ついには宿主の幹を網目状に取り囲んでしまうのである。そのころには樹冠も宿主よりも大きくなり、どんどん葉を茂らせて光合成を行う。
 宿主の樹の方はいい迷惑である。日が当たらないし、ぎゅうぎゅう幹を絞めつけられて水分を吸い上げることもできない。あわれ宿主はついに枯死してしまう。かくして、ガジュマルは空洞で網の目の幹をもった姿となって生き残るのである。(本書「ガジュマルの教え」より)

 

『癒しの森  ひかりのあめふるしま屋久島』

田口ランディ 1997年

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かたつむり殻を覗けばをりにけり   

2020-06-19 05:34:39 | 俳句

かたつむり殻を覗けばをりにけり          陽美保子

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「文学は何の役に立つのか?」

2020-06-18 05:32:15 | 文学

「役に立つかが問われる時に実は、最も意識されているのは、コスト意識ではないでしょうか。昨今言われているほとんどの問題はこれなんではないか。つまり、時間的なコストと財政的なコストに関して、対費用効果的に見合うものかどうかということが、「役に立つ」という言葉が発せられる時の根本にあります。
 僕自身は、格差社会論の中で気になっていることがありまして、「新自由主義以降」とこの研究集会のテーマにも掲げられていますが、ゼロ年代の格差社会論と10年代――東日本大震災以降と言っていいかもしれません――のそれとに、変質があったと感じています。
 ゼロ年代の格差社会論では、「勝ち組―負け組」という言葉が用いられるようになりました。この言葉は僕の記憶では、最初は新自由主義的な改革の中で、企業に対して用いられていました。個人も貯蓄をしているだけじゃなくて、できるだけ投資にお金を回しましょうと喧伝される中で、バブル崩壊後、株をどこに会社に投資したらよいのかについて、雑誌等が「勝ち組企業―負け組企業」という特集をしきりにしていた。
 ところが、いつの頃からか、その二分法が人間にまで拡張されて、「あいつは勝ち組、あいつは負け組」と言われるようになりました。そのことを内面化してしまった人物による犯罪――例えば秋葉原の無差別通り魔事件のようなもの――も起こりました。『決壊』という僕の小説は、その予言のように受け止められましたが。その時は、まさに新自由主義的な雰囲気の中で、よく言われたのが、片山さつき的な、「努力している人が報われないのはおかしい」ということでした。勝ち組と言われている人たちは努力をしていて頑張っているのだから金持ちになっていいじゃないか、という勝ち組擁護論が強かったと思います。貧困に陥っている人は努力が足りないとか、いろいろ言われましたが、要するに「自己責任」として放っておかれており、その意味では、「消極的な、冷たい否定論」が貧困状態にある人たちに向けられていたと思うんです。
 ところが3・11以降は――3・11の際には一種の絆ブームがあって、国民的な一体感が強く主張され、ナショナリズムも昂揚し、それから財政問題について、ゼロ年代よりも皆がはるかに意識的になり、国の借金問題がしばしば議論に上るようになりました。
 人が皆、予算の使い道に非常に意識的になっていって、社会の中の貧しい人たちに対して「あんな奴らに金を使うべきじゃない」とバッシングするようになりました。予算を何に使うべきかという話の中で、使われるべき対象と、使われるべきでない対象とを選別する意識があらゆるところで見えてきました。貧しい人たちは、ゼロ年代の初めまでは自己責任の中で無視され、放置されていたのが、10年代になると、社会保障費で国に財政的に迷惑をかけていると批判され、ある意味で「熱い、積極的な否定論」になっていきました。それは新自由主義というよりは全体主義的な風潮で、とにかく、選別する、セレクトするという意識が非常に強くなっていきました。
 しかも、それがあらゆる問題に関して厳密に適用されているかというとそうではなく、戦闘機など山のように買っても、税金の使い道としておかしいというバッシングの声はあまり上がらず、医療費や社会保障費に関して税金が使われる際に、ものすごく些細な問題に皆ががみがみ入って盛りあがる傾向があります。こうしてコスト意識が一人の人間に適用される中で、例えばやまゆり園の殺人事件のように、一種の優生思想のようなものがそれに力を得て、「障碍者などを社会の中で生かしておくということに意味がない」という発想をもつ人まで出てきてしまいます。」


平野啓一郎「文学は何の役に立つのか?」(『中央公論』2020年4月号、pp.136-137.)

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水の音の記憶

2020-06-17 05:14:19 | 文学

『癒しの森  ひかりのあめふるしま屋久島』

田口ランディ 1997年


 そうだ。人間の身体には音がある。その音を、母親の腹の中にいる間じゅう、ずっと聞いているんだ。肉体はひとつの宇宙だ。ざあざあと力強い滝のように流れ落ちる大動脈。石走るせせらぎのような大静脈。そして、今、お前が聞いた太鼓のドラムのような心臓の鼓動。それらの音が、こうして水音を聞いていると蘇ってくる。いのちのリズムだ。(本書「水の音の記憶」より)

 

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「太陽」        西脇順三郎

2020-06-16 05:39:12 | 文学

「太陽」        西脇順三郎


 
カルモヂインの田舎は大理石の産地で
其処で私は夏をすごしたことがあった
ヒバリもいないし 蛇も出ない
ただ青いスモモの藪から太陽が出て
またスモモの藪へ沈む
少年は小川でドルフィンを捉えて笑った


(『Ambarvalia』より)

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この空になにもない鳥の円周率

2020-06-15 05:13:26 | 俳句

この空になにもない鳥の円周率       さいとうこう

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蔦茂る風がすべってゆくほどに

2020-06-15 05:07:29 | 俳句

蔦茂る風がすべってゆくほどに       千倉由穂

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ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅨ「不屈の男たち」を見る聴く、    『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2020/6/14

2020-06-14 06:15:54 | 映画

ⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅩⅨ「不屈の男たち」を見る聴く、    『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2020/6/14


  ロデオ、スターだった主人公、既に若くは無くて、故郷に戻るのだ、自然、田園、風景、懐かしい屋敷、床下の銃、今もって、隠されていた、そこに今の屋敷の持ち主の老人が、果たして、この地で、如何に、そこに現れた若いカップル、美貌の妻、主人公は直ぐに惹かれて仕舞っていないか、夫の男はロデオに興味が、なかなか筋も良い、妻と二人は、地道に働いて、己たちの土地が欲しいのだと、しっかり者の妻、だが、その土地を買う金が想うように溜まらない、何処か、一攫千金の夢を見ている夫、主人公こそ、これまで、自由に、気ままに、競技に参加して、賞金で生き延びて着た、スターとして皆から慕われ、金と女と酒と博打と、その日その日の気楽な暮らし、果たして、気楽か、いつも、怪我と死の恐怖、忘れんが為の酒、女、しかし、夫は、金に心が動いたか、現代人いうものは何処か、いつも、こんな危ういロマンに捕らわれて、一攫千金、妻は溜まらずに、止めるのだが、夫は土地を買うためなのだと、このままでは何時までも土地が持てないと、主人公は、夫の指南役、賞金の半分を手に為る約束、妻からすれば、夫は結局、主人公に利用されたのではとの思い、妻の言葉も聴かず、主人公と共にロデオ競技に向かう夫に、結局、ついていくしかない妻、競技から遠く離れて、旅に出た主人公、今また競技に向かって、やって来たロデオの競技場、出場する者たちの溜まり場、キャンピングカー、主人公の昔なじみの老人、足を引きずって、大きな怪我をしたのだ、その娘、組織のボスの男、その愛人のショーの女、夫を競技に送り出す妻たち、何処か荒っぽい世界、男たちはトランプ博打、カップルの妻はショーの女のキャンピングカーに、語らう二人、何も知らない、初めての妻に取っては、優しい相談相手、ショーの女は外に、そこに主人公、彼はこれまで散々色事にも手を染めてきた、現れた主人公とシャワーの為に残った妻、そこにボス、愛人の前に主人公が居るのに嫉妬、愛人に語りかけようと奥に、愛人では無かった、主人公に嵌められた、笑みで去って行くボス、覗かれて叫びの妻、こんな荒っぽい世界に、妻はついていけるか、競技の初日、夫は、多様な競技に参加、なかなかの成績、こぶの在る牛に乗る一番の荒っぽい競技、初めてでは無理と聞かされても、夫は参加してしまう、それでも、乗りこなして、早速賞金、大金が手に入った、これには夫ばかりではなくて、妻も笑みで迎えて、しっかり約束の金は主人公に、笑みの主人公、賞金を手にした者がおごるのが決まり、夫は皆と酒場に、かくて、競技の旅が、怪我の傷のある男、惨い顔、その日の競技で失敗して死、嘆きのその妻、誰もが、何時こんな運命に、不安な妻、早く帰りたい、が、夫は、死した男のキャンピングカーを買って、一向に辞める気など無い、何とか、土地を買う金が貯まるまでと、我慢する妻、離れて見詰める主人公の視線、夫は、今や、スター街道まっしぐら、女たちもついてくる、賞金、酒、女、心配な妻、主人公は、こんな場を、間を待っていたのでは、二人を連れ出して、こんな怪しい世界に連れ込んで、当然に夫は酒と女と博打の世界に、残された妻、何とかものに出来る、今や、傲慢夫、嫉妬とも、怒りとも、溜まらず着飾って酒場に出掛ける妻、美しいのだ、見詰める主人公、妻は、何とか夫を止めたい、納めたい、しっかり貯めてきた金、土地も買える、既に土地を買う事に決めた、手配もしているのだ、聞き入れない夫、間に入る主人公、詰る夫、何も出来ないで、俺の賞金で食っている癖にと、主人公は殴り着ける、皆は白けて去って行く、主人公と妻、あんな夫は捨てて、二人で新しい始まりをと、主人公はそれを狙っていたのでは、だが、この妻は、これまでの女と違う、こんな危うい世界で暮らす女では無い、恋した男と、地道に生きる女、愛するが故に、この女は、この世界に連れ込めない、次なる競技会、主人公は自ら参加するのだ、誰もが止めるのだが、暫く競技に出ても居ないのに無理だと、主人公の覚悟に、誰も止められない、いよいよ出走、見事にこなして、流石は歴戦の勇士、誰もが見詰める中、こぶ牛、落下、牛に襲われて、助け出されるのだが、駆け寄る妻と夫、主人公は外に連れ出され、競技は淡々と、続くのだ、怪我人が出ようが、死人が出ようが、競技会に終わりはない、主人公は、夫に、身をもって示したのだ、スターでも、何時かは終わるのだと、映画後半の、主人公のアップ、画面から歪み飛び出さんばかりのアップ、女のアップ、夫のアップ、切り返し、映画が、壊れそう、切り返し繋ぎが、危うい、ショットの破れ、繋ぎの破れ、アップの揺らぎ、いや、はみだし、主人公の死、理解する妻、理解する夫、夫のエントリーの呼び出し、だが、夫は妻と共に、帰るのだと、競技場の出口のゲートを出ていく二人、怪我の老人と娘も、二人に問いかける、一緒の土地で働かせてくれと、受け入れる夫婦、レイの、飛び出す、若者、無謀な若者、身勝手な、おろかしい空回りの若者、此処では、主人公が身をもって、最後まで、かくて、見せ付けられた者たちは、戻っていく、戻るのだ、帰るのだ、始まりに、土地に、だが、ビジネスは、ショーは、資本主義は、何時だって、危うい暴走に誘い続ける、競技会場、女たちの観覧席、不安、喜び、そして、移動し止まることのない生活をするキャンピングカーの世界、酒場、女、博打、音楽、リズム、狂気、乱痴気騒ぎ、一方に地道と云う名の権力、お説教、お題目、そればかりで、生きていけるか、どっちが正しいのでは無い、この両者を、狭間を生きるしかないのが、現代なのだ、私たちなのだ、資本主義を生きるとはこの事なのだ、安全地帯は何処にもない、

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走り梅雨ちりめんじゃこがはねまわる                            

2020-06-13 05:25:34 | 俳句

走り梅雨ちりめんじゃこがはねまわる
                           坪内稔典

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夏至の日の水平線のかなたかな                            

2020-06-12 04:58:38 | 俳句

夏至の日の水平線のかなたかな
                           陽美保子

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札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf