悪意の人にはなかなかであわないが、いずれの人も強力である
世の中にはすごい人が、人を蹴落としながら笑って生きている。
この日本の民族には少ないと思うが、私はほんの何人か関わったことがある。
人をつぶしても自分が生きればいいという人たちである。
私は圧倒的なストレスを受けた。
周囲もそうであった。
本人は全く平然といきている。
一人は引揚者であった(全ての引揚者がそうではない)
一人は高卒で大企業に入った人(全ても高卒者がそうではない)
やくざの偉い方の人のような冷徹さはあるが、思慮分別?は彼程もなく、
もっと下等な生き物であるように思える。
自分一人が生きればよい。
自分一人、慎ましやかには生きない、上り詰めようという上昇志向のみに支配されている。
手塚治虫の漫画「人間昆虫記」はまさにそれを描いている。
やわらかなものを守るために戦うことの出来る人
私は昔、学生の頃、九州を貧乏旅行して放浪したことがある。
既にもう寂れ切った炭坑町に行き着いた。
そこで貧乏そのものだった人たちの生活、事故、いろいろかかれたもの、聞き語りにであう。
非常に貧乏な炭坑、落盤は日常茶飯事。
食い詰めた農家の長男以外の子が流れ着く。
日本の産業の基礎を裸で構内に入り手で石炭を掘って支え他人たち。
殺伐としたものというより、心で支え合う暖かさに満ちあふれていたような気がした。
落盤でなくなった遺体を掘り起こすと、ぼろ布団ではなく、客布団に寝かせるという。
そこには明日生きるか、という思いがあったろうし、
死者への限りないご苦労様が存在するように思えた。
私のさまよう心に灯がともった。
そうありたい、そういう風に尊厳をもった貧乏人でいたいと思った。
私の青春の旅の結論はそんな精神世界の出会いであった。
そうありたいと思ってきた。
悪意を生きるものの対極な気がした。
連なるものを愛する人々、特殊な社会であったかもしれないが、労働争議も生きるための本当に必死の闘いであったのかもしれなかった。
やわらかなままの子どもたち
幼児を前に、友達のいる楽しさをたくさん知ってもらいたいと思う。
また、幼児のまま大きくなった若者の多さにも危惧を感じてしまう。
戦わない若者がもの凄くいっぱいいる。
逃げもしない、闘いもしない若者がいっぱい苦しんでいる。
悪意の人のいいかもだ。
戦後民主教育の成果かもしれないが、少し心配。
私のように玉砕覚悟で殴り込むばかはもういないのかもしれない。
でもおもう
人を変えようなんておごったことを考えてはいけない。
でも、やわらかな優しさだけが人を変えると思う。
北風と太陽のように。
青春時代大好きだったニールヤングも(ちょっとなまった感じですが心に響くものばかり)
Only love can break your heartとうたう。
私の大好きな斎藤和義も小さな心の痛みから目をそらさない。
そういうのって、人って素晴らしいと心から思う。
大上段過ぎたけど
いろんなことがあって、こんなに大きく考えて生きていこうと思っているのです。
昔、霊視家の女性がテレビで
「こうこうこんな人がいて、みえます、ひどい悪意で殺されて、成仏できずにいます」
なんて古い建物を見て言うのを見たことがある。
数百年もさまよう憎しみが見えるって怖い。
悪意は忘れてしまうのが一番、時間じゃない。
優しさに触れて、戦って忘れるんだと思う。
亡霊のように感じるまで、叩いてしまうことかもしれない。
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世の中にはすごい人が、人を蹴落としながら笑って生きている。
この日本の民族には少ないと思うが、私はほんの何人か関わったことがある。
人をつぶしても自分が生きればいいという人たちである。
私は圧倒的なストレスを受けた。
周囲もそうであった。
本人は全く平然といきている。
一人は引揚者であった(全ての引揚者がそうではない)
一人は高卒で大企業に入った人(全ても高卒者がそうではない)
やくざの偉い方の人のような冷徹さはあるが、思慮分別?は彼程もなく、
もっと下等な生き物であるように思える。
自分一人が生きればよい。
自分一人、慎ましやかには生きない、上り詰めようという上昇志向のみに支配されている。
手塚治虫の漫画「人間昆虫記」はまさにそれを描いている。
やわらかなものを守るために戦うことの出来る人
私は昔、学生の頃、九州を貧乏旅行して放浪したことがある。
既にもう寂れ切った炭坑町に行き着いた。
そこで貧乏そのものだった人たちの生活、事故、いろいろかかれたもの、聞き語りにであう。
非常に貧乏な炭坑、落盤は日常茶飯事。
食い詰めた農家の長男以外の子が流れ着く。
日本の産業の基礎を裸で構内に入り手で石炭を掘って支え他人たち。
殺伐としたものというより、心で支え合う暖かさに満ちあふれていたような気がした。
落盤でなくなった遺体を掘り起こすと、ぼろ布団ではなく、客布団に寝かせるという。
そこには明日生きるか、という思いがあったろうし、
死者への限りないご苦労様が存在するように思えた。
私のさまよう心に灯がともった。
そうありたい、そういう風に尊厳をもった貧乏人でいたいと思った。
私の青春の旅の結論はそんな精神世界の出会いであった。
そうありたいと思ってきた。
悪意を生きるものの対極な気がした。
連なるものを愛する人々、特殊な社会であったかもしれないが、労働争議も生きるための本当に必死の闘いであったのかもしれなかった。
やわらかなままの子どもたち
幼児を前に、友達のいる楽しさをたくさん知ってもらいたいと思う。
また、幼児のまま大きくなった若者の多さにも危惧を感じてしまう。
戦わない若者がもの凄くいっぱいいる。
逃げもしない、闘いもしない若者がいっぱい苦しんでいる。
悪意の人のいいかもだ。
戦後民主教育の成果かもしれないが、少し心配。
私のように玉砕覚悟で殴り込むばかはもういないのかもしれない。
でもおもう
人を変えようなんておごったことを考えてはいけない。
でも、やわらかな優しさだけが人を変えると思う。
北風と太陽のように。
青春時代大好きだったニールヤングも(ちょっとなまった感じですが心に響くものばかり)
Only love can break your heartとうたう。
私の大好きな斎藤和義も小さな心の痛みから目をそらさない。
そういうのって、人って素晴らしいと心から思う。
大上段過ぎたけど
いろんなことがあって、こんなに大きく考えて生きていこうと思っているのです。
昔、霊視家の女性がテレビで
「こうこうこんな人がいて、みえます、ひどい悪意で殺されて、成仏できずにいます」
なんて古い建物を見て言うのを見たことがある。
数百年もさまよう憎しみが見えるって怖い。
悪意は忘れてしまうのが一番、時間じゃない。
優しさに触れて、戦って忘れるんだと思う。
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