28日の河北新報に載った、無明社出版代表の安部甲さんの「図書館に見る地域格差」という記事をご紹介します。
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「合併しない宣言」で知られる福島県矢祭町で手作り図書館が話題になっている。
(中略)
行政とボランティアによるこの試みに心からエールを送りながらも、一抹の不安がないわけでもない。
実は秋田でも十年ほど前、同じような試みがあったからだ。ある若者グループが村に図書館をつくろうと全国に本の寄贈を呼びかけた。たちどころに三十万冊を超える本が集まったが、図書館ができたわけではない。それどころか、村には「本という名のごみ無料引き受け所になった」と言い出す人まで出て、集まった本の処理に関する複雑な問題は、いまだ残されたままである。図書館は本が集まればできるわけではない。整理分類、収納管理の継続的な仕事がどれほど大変なことか、若者たちはそこまで考えはいなかったようだ。
(中略)
「出版ニュース」(2006年10月中旬号)に、「本を捨てるな!”共同保存図書館・多摩”のこころみ」という興味深い記事が載っている。東京・多摩地区の市町村立図書館では毎年六十二万冊の本を破棄している、というのだ(いまでは八十万冊を超えている)購入した本と引き換えに同量の本を破棄せざるを得ないのはスペースがないからだ。こうして破棄される本のなかから利用者に必要な本を共同保存する仕組みを作れないか、と和光大学教授で編集者の津野海太郎氏は呼びかけている。
同じ日本のなかで、一方は三億円の予算を組み町に図書館をつくるため本の寄贈を呼びかけ、他方で全国の公立図書館から毎年何百冊もの蔵書が捨てられている。この二つの地域間にある深い溝こそ、図書館問題を考えるカギが隠されていないだろうか。
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私も、矢祭町の図書館の事を本好きには大変嬉しい記事として取り上げましたが、この記事を読んで「図書館の持つ役割と運営」について考えさせられました。以前、どこかの小さい駅の待合室に、町民有志が持ち寄った本で小さい文庫が出来た記事を読んだ事があります。本も、ささやかな量であれば問題は無いのでしょうけれども、何十万冊という量は深刻な問題を引き起こすのですね。そして捨てられていく本たちを思うと、胸が痛くなります。一刻も早い行政の取り組みを期待します。
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「合併しない宣言」で知られる福島県矢祭町で手作り図書館が話題になっている。
(中略)
行政とボランティアによるこの試みに心からエールを送りながらも、一抹の不安がないわけでもない。
実は秋田でも十年ほど前、同じような試みがあったからだ。ある若者グループが村に図書館をつくろうと全国に本の寄贈を呼びかけた。たちどころに三十万冊を超える本が集まったが、図書館ができたわけではない。それどころか、村には「本という名のごみ無料引き受け所になった」と言い出す人まで出て、集まった本の処理に関する複雑な問題は、いまだ残されたままである。図書館は本が集まればできるわけではない。整理分類、収納管理の継続的な仕事がどれほど大変なことか、若者たちはそこまで考えはいなかったようだ。
(中略)
「出版ニュース」(2006年10月中旬号)に、「本を捨てるな!”共同保存図書館・多摩”のこころみ」という興味深い記事が載っている。東京・多摩地区の市町村立図書館では毎年六十二万冊の本を破棄している、というのだ(いまでは八十万冊を超えている)購入した本と引き換えに同量の本を破棄せざるを得ないのはスペースがないからだ。こうして破棄される本のなかから利用者に必要な本を共同保存する仕組みを作れないか、と和光大学教授で編集者の津野海太郎氏は呼びかけている。
同じ日本のなかで、一方は三億円の予算を組み町に図書館をつくるため本の寄贈を呼びかけ、他方で全国の公立図書館から毎年何百冊もの蔵書が捨てられている。この二つの地域間にある深い溝こそ、図書館問題を考えるカギが隠されていないだろうか。
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私も、矢祭町の図書館の事を本好きには大変嬉しい記事として取り上げましたが、この記事を読んで「図書館の持つ役割と運営」について考えさせられました。以前、どこかの小さい駅の待合室に、町民有志が持ち寄った本で小さい文庫が出来た記事を読んだ事があります。本も、ささやかな量であれば問題は無いのでしょうけれども、何十万冊という量は深刻な問題を引き起こすのですね。そして捨てられていく本たちを思うと、胸が痛くなります。一刻も早い行政の取り組みを期待します。