風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

野田知佑 『のんびり行こうぜ』 2

2007-02-02 20:38:16 | 

 自然が好きだ、という人と同じく、街や人工のものが好きだ、という人もいるのである。
 アウトドアなんて遊びの一つに過ぎない。カヌーなんか漕げなくとも、魚釣りが嫌いでも、それはその人の人格とはあまり関係がない。それは単に趣味の問題だ。
 こう書くのは、最近、アウトドアと子供の教育、人格形成を結びつけたがる傾向があって、それを馬鹿馬鹿しく思っているからである。
 この前、一人の母親が嫌がる息子を無理にぼくの所に連れて来たことがある。男の子は中学一年生で、野外に連れ出してもボンヤリしているだけで困る、何とか他の子供のように遊べるようにしたい、と彼女はいった。
 確かにその子は釣りをさせても一匹も釣れなかったし、カヌーを漕がせると五分もしないうちに飽きて漕ぐのを止めてしまう、といった具合だった。その子はそんなことに全然興味がないのである。それでいて、一人に放っておくと、本を熱心に読んだり、日記を書いたりして結構充実しているのだった。頭の良い、知的な子なのだ。
 ぼくは親馬鹿を絵にしたような気の毒な婦人にいった。
 「アウトドアができないからって少しも悪いことはないじゃないですか。あの子はそれに向いてないだけです。本が好きなようだから、本をどっさり与えてみたらいいと思いますよ。彼は良い学者になるかもしれない」
 「でも少しは人なみにアウトドアができなくっちゃ」
 「ぼくの友人の中にアウトドアなんか少しもできなくても立派な男が大勢いますよ。逆にアウトドアのプロで愚劣な人間もいます。そう心配することはないじゃありませんか。あの子は正常です。第一、あの子が外で遊んでばかりいて、ぼくのようになったらどうします。そうなったら困るでしょう」
 正直なその婦人はとっさに嘘をつけず、思わず、
 「ええ困ります」
 と本心をいった。高級官僚の夫を持つ彼女の目にはぼくのような自由業の人間は無頼漢、ヤクザのように映っているのである。これは無理のないことかもしれない。ぼくの母親も自分の息子の生き方がまだよく判らないらしくて(判られてたまるかと思うけど)、いつか、九州に帰って近くの川を何本も下っていたら、いったものである。
 「お前、そげん遊んでばかりおっちゃいかんバイ」……
 広い湖面や切り立った崖を見ながらその母親はいとも無邪気にこういった。
 「こんな所に一人で住んでいて気味悪くないですか?」
 要らんお世話だ。おれはあんたのような馬鹿な女と一緒に暮らしてる男のセンスが気味悪いよ、といいたいのをぐっと我慢する。半日、貴重な時間を費してつき合ってやって残るのは深い徒労感だけである。
(野田知佑『のんびり行こうぜ』p87)