風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

仁左衛門さんが人間国宝に!

2015-07-17 19:45:35 | 歌舞伎

仁左衛門さん、人間国宝認定おめでとうございます

思い入れのある関西での歌舞伎公演中の認定決定、お喜びもひとしおでしょうね(*^_^*)

記者会見でのお話には色々色々考えさせられますが(後進や会社に向けたくだりは本当に・・・)、まずは本当に、おめでとうございます。

私にとっても幸せなニュースでした。
今夜は乾杯しなきゃ~



にざさん嬉しそうで嬉しい^^


仁左衛門が重要無形文化財保持者各個認定(人間国宝)の喜びを語る(歌舞伎美人)

※「責任の重大さ感じる」 歌舞伎の片岡仁左衛門さんに人間国宝


中勘助 『銀の匙』と『提婆達多』

2015-07-17 01:08:22 | 




『銀の匙』の前篇と後篇で筆致が変わることについて、「後篇の主人公の二面性に驚き、不快に感じた」という感想を時々見かけるのだけれど、不快云々はともかくとして、そこに“二面性”はあるだろうか。前篇にも後篇にも、また『犬』や『提婆達多』のような作品にも、一貫して同じものを感じるのは私だけではないと思う。

そもそも『銀の匙』は、それほどほのぼのとした優しい物語だろうか。この「生きもののうちでは人間が一番きらいだった」と回想されている少年の物語が(しかもこれは前篇の文)。
これはよくある内気な子供の人見知りなどでは決してなく、もっと彼という人間の根本に根ざしているものなのだと私は思う。
前篇の少年と後篇の少年はまぎれもなく同一線上にいて、後篇では成長して自我も確立され社会との関わり方に変化は起きているが、彼の中のそういう面は依然として存在し、場合によってより明確になっている。

で、その後篇。
成長した彼の「なにより嫌いな学課は修身」であり、彼は教師に「先生、人はなぜ孝行しなければならないんです」と尋ねる。そして「君がご飯を食べられるのもお腹が痛いときに薬を飲めるのも親のおかげだからだ」という教師の答えに、「でも僕はそんなに生きてたいとは思いません」と返している。
これは後に書かれる『提婆達多』の阿闍多設咄路と父親の間で交わされる会話と同じだ。「お前を生み育てた恩を忘れたか」と言う父親に、阿闍多設咄路は答える。
「恩とは何か。それはこの世に生をうけたることをもって無上の幸福とするものにむかって用うべき言葉である。私にとっては讐(かたき)である」
これらの言葉が勘助と家族との特異な関係に起因していることは間違いない。
ただ、これには続きがある。阿闍多設咄路は最後に親の愛(※家族制度をではない)を解し、自らの行いを心から悔い改め、仏陀により心の安らぎを得るのである。
一方、最後まで悔い改めるということを知らなかった提婆達多は破滅する。
この阿闍多設咄路と提婆達多は、どちらも人間の、作者自身の“なり得る姿”として描かれているのだと思う。銀の匙の少年の、その後の姿である。また兄の姿でもあったかもしれない。
注がれる愛を信じ、そのことで魂の安らぎを得た阿闍多設咄路。
他者を信じられず、愛を解せないまま、あるいは解しかけてもそれを心安らかな道を歩み直す機会とすることができないまま、嫉妬と憎悪の炎の中で死んだ提婆達多。
後年、勘助は次のように言っている。

「ダイバダツタ」は家庭の事情から完成がひどくおくれて先生に見ていただけなかった。それをかえすがえすもざんねんに思う。骨をおったから  というのでもよくできたから  というのでもない。「銀の匙」とはまったく質のちがったものゆえあらためて先生のひひょうがききたかったのだ」
(少年少女日本文学全集 第2巻月報)

漱石は『提婆達多』も好きだったと思うよ。『こころ』と似てるもの(言い切り)。
漱石が先生を殺すことで自分の中の明治に一つの別れを告げたように、勘助は提婆達多を殺すことで一歩前へ進もうとしたのではないだろうか、というのは考えすぎかな。