渋谷のル・シネマに行ってきました。bunkamuraは何度も来ているけど、映画館は初めて。今回もハチ公に会うまで散々迷った・・・。毎度迷う。この駅はどうしてこんなにわかりにくくなってしまったの~~~?
誰にも迎合せず、流行にも左右されない。目立ちたがらず、スタンドプレイもない。
予告編のこの言葉はアニエス・ルテステュ(パリ・オペラ座)がロパートキナを表現した言葉だったのね。「そしてそれは決して簡単なことではない」とも。彼女の言葉、どれもうんうんと頷いてしまう的確さで、さすがだなぁと感じました。アニエスの舞台は残念ながら生で観ることが叶わなかったのだけれど、知的で素敵な女性ですね。映像だけでファンになってしまいそう。やっぱり彼女の椿姫も観るべきであったかなぁ。でもオレリーのと2つで5万はさすがに無理であった。。
このドキュメンタリーで改めてロパ様の踊りを観て、昨年の世界バレエフェス(ライモンダ&瀕死の白鳥)とマリインスキー来日(愛の伝説&白鳥の湖)で感じた彼女の印象を再確認することができました。体のすべてが音楽と一体となっていて、動きの一つ一つが感情を表している。それってすごく高度なことのはずなのに、それを全く感じさせない自然さで。自分を目立たせようという空気も一切感じられないのに、どうしても彼女に目がいってしまう。
昨年の白鳥の湖ですごいなぁと思ったのは、音楽の言いたいであろうことが実際に聴こえる音以上に饒舌にこちらに伝わってきたこと。オケが表せていない部分も(あの夜のオケはヒドかったのでね・・・)、チャイコフスキーの音楽の心を彼女の踊りが表していた。感情的な演技は一切していないのに。そして彼女の踊りには常に音楽が流れているというか、止まっているときでも沈黙も音楽の一部のように感じられて、それがすごく心地よかったのを覚えています。
今回のドキュメンタリーでは、『愛の伝説』の映像が沢山観られたのも嬉しかった。特に3幕のあの神がかっていた場面の練習風景が観られたのは良かったです。成功を手に入れても、決して妥協せず最高の更に上を目指す。そんなストイックな彼女だからこそ作り得た舞台。彼女の舞台が世界中の観客の心を動かす理由は、そういうところにあるのだろうなと思う。これはバレエ以外の世界でも同じだろうと思います。もしかしたらそこにあるのは楽しみよりも苦しみの方がずっと大きいのかもしれない。でも彼らのような人達にとって、きっとその苦しみはイコール不幸ではないのだろうな、と。そして自分の楽しみだけを追う人には人の心は動かせない。
『愛の伝説』のストーリーについても、私の中でちょっとモヤモヤしていた部分が、このドキュメンタリーを見て少し理解できたような気がしました。
今回もはっきり言っていましたね。バヌーは白鳥よりも好きな役だと。
バヌーは愛する人と結ばれない。
「世俗的な幸せだけが幸せとは限らない」
「愛って何かしら?愛する人や好きなものを所有すること?それとも大事なものを諦めた時、胸に抱く感情が愛?」
彼女のバヌーは最後、「自分はそうした。さあ、あなた達はどうなのか?」とフェルハドとシリンに覚悟を突き付けていたのかもしれないなあ。
欲しいものは手に入れられるのならば全て手に入れるのが一番の幸せと私達は考えてしまいがちだけれど。そうでないところにある何か、そうでないところにしかない何かもあるのかもしれないなあ。と、ぼんやりと考えました。
ソ連的、社会主義的な色の濃い作品だけれど、そのある種の純粋な理想(これ自体は悪いものではない)、ひいては普遍的な愛の理想もそこにはあるのかもしれないな、と。それらの理想が共存できる世界が本当に幸福な世界なのかもしれないな、と。
まぁそれが最も難しいことなのでしょうけれど。
ドキュメンタリーの中で教会で祈りを捧げるロパートキナの姿が映るのですが、それがとても無私で、けれど厳しく崇高に見えて。バヌーが一番好きだと答えた彼女と重なって見えました。
チケットはbunkamuraのサイトで時間指定して購入できますから、ご興味のある方はぜひ(ロパ様のファンの方は絶対!)(*^_^*)