風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

ロンドン交響楽団 @サントリーホール(9月24日)

2018-09-28 02:12:03 | クラシック音楽

旅行記の途中ですが、ロンドン交響楽団2018年来日公演の東京初日に行ってきたので感想を。

ロンドン響の“個性の少ないさっぱりとした音色”は本来の好みとは違うのだけれど
過去に聴いた全ての演奏会の中で間違いなくベスト3に入る演奏を聴かせてくれたのも、このロンドン響で(2015年のハイティンクとのブルックナー7番@川崎)

【バーンスタイン:交響曲第2番『不安の時代』】
今回の来日公演はラトルが音楽監督に就任して初めての日本ツアーで、その同行者がツィメさんであると知り、おお、ではついにこの光景↓が生で見られるのかっ と早々にこの日のチケットを買った私でしたが、

@LSO twitter

今回、より重要な意味を持っていたのはこっちのコンビ↓の方なのだ、ということを間もなく知ったのでございました。



バーンスタインは70歳のときにツィメルマンのピアノでこの曲を指揮していて、そのときバックステージで「僕が100歳になったときもこの曲を一緒に演奏してくれるかい?」とツィメルマンに聞き、二人で約束したそうです。
けれどそれから2年後の1990年、バーンスタインは病で死去。
ツィメルマンはその約束を覚えていて、バーンスタインの100回目のバースデーを迎えた先月25日にラトル×ベルリンフィルとこの曲の録音をリリース。そして8月から9月にかけてエディンバラ、ザルツブルク、ルツェルン、今回の大阪、東京とこの曲を携えてラトル×ロンドン響とツアーを行っています。
なお亡くなった年の最後の来日公演でバーンスタインがサントリーホールで指揮をしたのも、ロンドン響だったそうです。

“I realised two years ahead of Lenny’s centenary that he was about to be one hundred. So I looked into the music again – and it’s great. It’s so much fun. And it’s so much like him – with all the freshness and flexibility and craziness of his character.”
(Krystian Zimerman, Deutsche Grammophon)

今回の公演にあたり予習で聴いたのは1986年のバーンスタイン×ロンドン響とのツィメルマンの演奏でしたが、今日のピアノはそれよりずっと温かな音に私には聴こえました。本来ならサントリーホールよりもミューザのようなクリアな音響の方が合っている曲のように思うのだけれど、舞台上で絶えず嬉しそうな穏やかな笑みを浮かべてオケを見ていたツィメルマンの姿に、こういうのもいいものだな、と感じたのでありました。

 “Facing another long day of servitude to wilful authority and blind accident, creation lay in pain and earnest, once more reprieved from self-destruction, its adoption, as usual, postponed."
(詩のラストの一文)


一夜の夢が覚め、マンハッタンの夜明けとマリンの信仰告白が重ねられるようにラストに向けて音楽が盛り上がっていくところは、「今日も一日刑の執行を延期され、苦痛と緊張の中に横たわっている世界」を諦念も感じさせながら描く原作の詩のラストと比べて、曲の方は明らかに壮大というか前向きというか無邪気というか楽観的ですよね。人間の中で信仰がもつ力について、より強い確信を感じさせる。この詩を最初に読んだときの作曲家の心の感動が伝わってくるようで、なんだか微笑ましいような気持ちになります。こういうのを聴いていると、バーンスタインという人はいい人だったのだなあ、と感じる。良い意味でアメリカ人というか。私はそういう”アメリカ的”が嫌いじゃない人間で、一方でオーデンが“It really has nothing to do with me. Any connections with my book are rather distant.”と言った気持ちもわからなくもない気もしたりするのだけれど。

In comments prior to a BBC telecast of the London Symphony Orchestra’s performance of The Age of Anxiety with Krystian Zimerman, Bernstein conducting, the composer noted:
They become very close, these four characters, and when the bar closes, they are invited by the girl to come up to her apartment for a nightcap….It’s all fake of course, fake hilarity (which comes) not to grief, but to nobility. They pass out, and somewhere in the aftermath of this false hilarity….at least one of the characters does find the core of faith, which is what one is after, and what I am after in, I guess, every work I ever write.
(Experiencing Leonard Bernstein: A Listener's Companion)


私はとても好きです、この曲。
音楽という方法を用いることで情景や心情がより鮮やかに表現されることに成功しているし、なにより上手に演奏されると聴いていて実に楽しい(ただ原作の詩はやっぱり多少知っておいた方が楽しめる曲だとは思いますが)。今日の演奏を聴いて改めて思ったけれど、この曲は一つの章から次の章に移るときの流れがどこももっっっのすごくカッコイイんですよね  聴いていてゾクゾクしちゃいました。Prologueの最初のクラリネットが作り出す雰囲気も素晴らしかったなあ。

ツィメさんについては、先ほども書きましたが、終始嬉しそうな穏やかな微笑を浮かべていましたねぇ
"The Seven Stages (dream-quest)"でのラトルとのめっちゃ楽しそうな笑顔でのアイコンタクトなどなど、二人の表情を見ているだけでも楽しくて、当初のもう一方の目的も1000%満足させていただいちゃいました。演奏後のギュッと抱きつくようなハグにしても挨拶にしても、ラトル相手の仕草がいちいち可愛いツィメさん。仲がいいんだなあ。ラトルの方が2歳上でしたっけ?演奏の息も文句なしのピッタリ!
ツィメルマンのクリアで柔らかみの少ない音はこの曲に非常に合っていて。時代や世界を表しているようなオケの音の中を彷徨う、透明感のあるピアノの音。主人公の孤独な魂。一昨年のベートーヴェンのピアノ協奏曲のときもそうだったけど、ツィメさんの音ってこういうオケとは異質の存在を表わすのにすごく合ってる。一方でこの作品のスケール感も出せるのがこの人の凄さだなあ、と改めて感じた夜でした。強いて言うなら"The Masque"はもう少し浮かれ騒ぎ感が出ていてもよかったような気もしたのと(そういえばツィメさんもラトルさんもジャズがお好きなんですよね)、強奏時のオケにピアノが埋もれて聴こえないときがあったくらいだろうか。これは正面席でも同じだったようで。でもそんなの全部超えちゃって、やっぱりツィメさん最高だわ~~~と聴き惚れてしまった。

ロンドン響も同様で、温度や癖の少ないその音色(もはやこのオケの個性と言ってもいいように思う)がこういう曲にはピッタリで。エッジをきかせた音の鋭さとか、強弱が移り変わるときの繊細な鮮やかさとか、とてもよかった。少なくともこういう曲においては、ラトルとの相性は最高だと思いました。このオケを聴くのは今回が3回目だけど、「ロンドン響って巧いオケなんだなあ」という感想は今回初めて持った。いい緊張感をオケに与えられる指揮者なのでしょうね、ラトルさんって。

ああ、本当に贅沢なものを聴かせてもらいました。。。幸せです。。。

ところで今回ホームページと会場扉前にこんな案内↓が。

■9/23(日)大阪・フェスティバルホールおよび、9/24(月・祝)東京・サントリーホールで行われる、サー・サイモン・ラトル指揮ロンドン交響楽団の公演ですが、演奏者の強い希望により、前半のバーンスタイン「交響曲第2番・不安の時代」の演奏中は途中入場が出来ません。またホワイエのモニター映像も音声もオフにさせていただきます。

まさかのバーンスタインでの通さん場。のみならずホワイエのモニター映像音声までオフとは・・・。大阪は後半がマーラー9番だったのに、マーラーではなくバーンスタインを指定しているということは、この「演奏者の強い希望」って明らかにラトルでもオケでもなくツィメルマンですよね。ワタクシこの日はものすごく体調が悪くてサイアク途中退席すればいいやと思っていたので、HPでこの案内を読んだときは絶望的な気分でした・・・。まぁ実際は演奏が楽しくて体調もすっかり良くなったのですけども。でもシフやツィメさんの演奏に対するこういう真摯なこだわりは好きです。

(休憩20分)

【ドヴォルザーク: スラヴ舞曲集op.72(全曲)
そういう音のロンドン響なので、こういうタイプの曲にはやっぱり合わないなぁ、チェコフィルのような音で聴きたいなぁ、と最初は感じたのだけれど。
今日のようなスラヴ舞曲もこれはこれでいいものだなぁ、と。なんというか、チェコフィルとは別の意味でとても美しくて。ハーモニーの重なりがすごく綺麗で。
ラトルのイメージから勝手に想像していたよりも、ずっと優美で美しいスラヴ舞曲の演奏だった。特に3番とか意外でした。一方で7番のあの痛快さ!
この曲に欲しいこってり感も土臭さも全くないけれど、色んなタイプの曲を次々と美しい演奏で聴ける楽しみは無類で、あああと〇曲で終わってしまう、もっと聴いていたい、と思いながら聴いていました。
ラトルさんって面白い指揮者ですね。「好みな演奏ではないけど悪くない」ではなく、「好みな演奏とは違うけど、これも同じくらいいい」と思わせてくれるのだもの。まあ、どの曲でもそう感じられるわけではないとは思いますが。
この曲を振っているときのラトルはとても楽しそうで、幸せそうだったなあ。時々全く振っていなくて勝手にオケに演奏させてたのもなんだか面白かったわ(指揮者のああいうの初めて見た)。
そして、死ぬということはこういう音楽を聴けなくなるということなのだな、と思いながら聴いてしまった。友人も、もっともっと聴きたかったろうと思う。お母様も同じように仰っていた。できるだけそういう風には考えないようにしてきたけど、やはりそう思ってしまう。なぜならこの演奏を聴きながら、やっぱりもっともっと生きていたい、と私自身が思ってしまったから…。今頃友人も天国の演奏会を楽しんでくれているといいのだけれど。
この曲で彼女を思い出したのはドヴォルザークの旋律のせいかなと思ったけれど、これを書いていて思い出しました。友人と一緒に聴いた最後から2番目の演奏が、この曲だった。スラヴ舞曲第二集の第8曲。昨年10月のチェコフィルの来日でビエロフラーヴェクへの追悼として演奏されたアンコールでした。

【ヤナーチェク:シンフォニエッタ】
私はトランペット隊のすぐ近くの席だったんですけど(LSOのストリーミングでは彼らはステージ後方だったので今回もそうかと思っていたら、まさかのP席後方)、休憩時間に擦れ違うときに会釈してくれたり、演奏前後に周りの席の人に気さくに話しかけてたり、楽しい人達だった 。そしてステージ上からはこれまためっちゃ楽しそうな笑顔でこっちを見上げてくるラトルとコンマスさん(そういえばこのコンマスさん、ステージから転がり落ちそうだった前回来日時と違って今回は大人しいですね)。そんな席なのでトランペットの音量は耳をつんざくレベルで。ステージ上の音とのバランスもなにもあったもんじゃなかったけど、それも含めて、すごく楽しかったです。これは生で聴きたい種類の曲だねー。
最後の全奏も壮麗だったなぁ。綺麗なエネルギーが会場を満たすようだった。ヤナーチェクもチェコの作曲家だけど、こういう曲にはロンドン響の音色はよく合いますね。
演奏後にトランペット隊に拍手を送っていたら彼らが不意に困惑した顔で笑いだしたのでステージに目を移すと、ラトルがオケにP席へ挨拶させていたのでした。つまりトランペット隊は同僚に挨拶される形になっちゃって、「この状態はおかしいよな。後ろを向くか??」とみんなで壁を向いたりして、お茶目なおっちゃん達であった

ソロカーテンコールは大盛り上がり。ラトルは誰もいないオケを立たせるジェスチャーをしたり、まだ残っていたコントラバスさんを巻き込んで一緒に拍手を受けたり、サービス精神旺盛でした

次回は金曜のマーラー9番@みなとみらいに行ってきます。



Happy 100th Birthday, Lenny! 100回目のお誕生日おめでとうございます

※オーデンは『不安の時代』の前に『1939年9月1日 September 1, 1939』という題の詩を書いていて、その設定は『不安の時代』のプロローグと大きく重なっていて、元となった詩とも言えるものです。この詩は2001年のアメリカ同時多発テロ直後にアメリカで非常に注目を集めたそうで(恥ずかしながら私は知りませんでした)、オーデンの詩に描かれた社会や人々の心のありようが、彼らのそれに重なっていたからだそうです。1939年9月1日とは、ナチスドイツ軍がポーランドに侵攻した日であり、第二次世界大戦の始まりの日。
ツィメルマンがオーデンの詩をどう捉えているかはわかりませんが、オーデンの徹底した反権威主義の姿勢はバーンスタインはもちろん、彼にも通じるものがあるのは間違いないと思います(ラトルもかな)。彼は先日ルツェルンでこの曲の演奏後にスイスの内戦国への武器輸出に反対するスピーチをスイスの大物政治家を含んだ聴衆の前で行ったそうですが(詳しくはこちら。ツィメさんは相変わらずぶれませんね)、そういうこの人の行動力と人としての責任感を私は指示したいと思います。そして「ではあなたはどうなのか?」と突きつけられている気分になるのも、前回ベートーヴェンp協を聴いたときと同じ。でもそれは決して不快な感覚ではありません。音楽と政治は切り分けるべきという意見もあると思いますが、「パデレフスキは私のアイドル」と言うツィメルマンにとって、それらは自然に共存しているものなのでしょうし、私もそれでいいと思います。
そういえば、札幌のパシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)は、バーンスタインとロンドン響が創設した音楽祭なのだそうですね。その目指すものは音楽教育を通じた平和(国際相互理解)。

The Guardian(Glyn Maxwell, 10 Apr 2010):WH Auden's 'The Age of Anxiety'
Leonard Bernstein 100: Symphony No.2: The Age of Anxiety (1949)
Experiencing Leonard Bernstein: A Listener's Companion(Kenneth LaFave)

Sir Simon Rattle: Bernstein Wonderful Town and Age of Anxiety




27日のNHKホールでのシンフォニエッタのトランペット隊とラトルさん
トランペット隊は現地調達するのかと思っていたら、向こうから一緒に連れて来てくれるなんて最高に贅沢&嬉しい♪
トランぺッターのお一人はこの日が最後の日だったんですね(正式な引退は6月だったけど、この夏の間はヤナーチェクのトランぺッターとして参加されていたとのこと)。





Janáček Sinfonietta // London Symphony Orchestra & Sir Simon Rattle
今回のツアーに先だって9月19日にバービカンで行われたヤナーチェクの演奏。

Live from backstage: Janáček Sinfonitta & Sibelius Symphony No 5

同日のバックステージの様子。トランペット隊の方達のインタビューも。これから東京に行くんだって仰っていますね(大阪という名前が思い出せないらしい人達笑。大阪ではヤナーチェクはなかったですしね)


【マエストロ・ラトルに聞く】
ロンドン交響楽団(LSO)を率いて9月に来日する、同楽団音楽監督のサー・サイモン・ラトル氏(以下R)に聞きました。

―LSOのこと、今後の活動についてお聞かせください。

R:私は15年以上もベルリンという地で、ベルリン・フィルというスーパーなオーケストラの芸術監督を務め、そして故郷へ帰ってきました。LSOは私にとってとても新鮮!ずっと外国を本拠にしていた、という意味からでもあるけれど、ロンドンではフィルハーモニア管を振ることが多く、ご存知の通り私はバーミンガム市交響楽団の音楽監督としてそこにエネルギーをフルに注いでいましたからね。しかし今こうしてLSOの音楽監督となって活動を始め、改めてLSOの素晴らしさに目を見開かれています。灯台元暗し、ですね。
そして私たちは今後もっと向上していきたい。もちろん死んだ演奏は無意味で、1回1回生きた演奏をしていかないといけない。そしてLSOが今まで続けてきた理念の1つは、私がベルリン・フィルと進めてきたこととリンクしていて――それはオーケストラの、社会における教育的、社会的使命。これらをすべて含めて、やりたいプランはたくさんあります。ワクワクしていますよ。


―バーンスタイン生誕100年にあたるツアーに「不安の時代」を選んだ理由を教えてください。

R:レナード・バーンスタインは言うまでもなく、20世紀の巨人のひとり。作曲家としても指揮者としても。私の父はジャズをやっていたし、自分もドラムをやっていたし、バーンスタインの作ったミュージカルやジャズ的な音楽は憧れでした。バーンスタインの音楽は大好きです。
彼のミュージカル「ワンダフルタウン」はベルリンでもジルベスターコンサートでやったし、ロンドンでも先日やりました。つくづく素晴らしい音楽です。
そして知っての通りバーンスタインには別の顔もあって―― いや、別ではないですね、同じ根っこから違う方向で表現をした、というべきか―― とてもシリアスな交響曲を3つ書きました。その1つが「交響曲第2番・不安の時代」。イギリスの詩人W.H.オーデンによる、第2次世界大戦中の人々の苦難や孤独を書いた詩を、6楽章の交響曲として音楽にしたものです。
ここにはオーデンの詩とともに、バーンスタインの愛と祈り、伝えていかなければいけないという強い思いがつまっていて、私もこの曲をぜひ彼の生誕100年というメモリアルイヤーにあちらこちらで演奏したいと思っていたのです。そしてこれはピアノ協奏曲的な音楽で、ピアニストがとても重要なのだけれど、実はクリスチャン(・ツィメルマン)は昔、バーンスタインがLSOでこの曲を指揮したときのソリストで―― 彼はバーンスタインにすごく信頼されていたからね。ウィーン・フィルとブラームスやベートーヴェンの協奏曲を全部録音しているし―― そのときからマエストロが、自分が100歳になったらまたぜひこの組み合わせで演奏しよう!なんて冗談を言っていたらしい。指揮者は自分になっちゃったけど、概ね実現しましたね。こうして最高のピアニストであるクリスチャンとのコンビで、今シーズンはベルリン・フィルともLSOとも、この「不安の時代」をツアーに持っていっています。

―大阪だけで実現する、バーンスタインとマーラーのカップリングについて一言お願いします。


R:前者と後者には、どこか精神的に共通したものがあると思うし、どちらの曲にも強い祈りがあります。それに何しろバーンスタインは、皆さん知っての通り、マーラーの演奏には情熱のすべてを捧げていた。マーラーその人になりきってしまい、本当にすごかった。マーラーの使徒。作曲家と指揮者の感情のありとあらゆるものが音として伝わってきました。
そして私自身、マーラーの「第9」は特別。スペシャルな曲です。1991年にバーミンガム市響と来日したとき、そして2011年のベルリン・フィルとの来日公演でもこの曲を演奏しましたから、日本では今度で3度目。図らずも音楽監督を務めるオーケストラと日本に行くときには、必ずこの曲を指揮していることになります。本当に偉大な曲です。

(大阪フェスティバル公式ブログ 2018/08/01)


「サイモン・ラトル」 サントリーホール30周年記念 世界のアーティストからのメッセージ動画


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