風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

ロンドン交響楽団 @みなとみらいホール(9月28日)

2018-09-30 06:26:27 | クラシック音楽

開演前にコスモワールドで遊ぶマエストロ
あのコースターってちゃんとメンテナンスしてあるのか心配で乗ったことないんですけど、マエストロは無邪気ねえ(最大の褒め言葉)。わが地元を楽しんでいただけたようで何よりです。
この日の公演は当初は行く予定はなかったのですが、直前で格安でチケットを譲っていただけることになり、交通費もかからずこの値段で行かなかったらクラシックの神様の罰があたる、と行ってまいりました(計画外の出費に変わりなし…)
以下、例によってド素人の自分用の覚書ですので、悪しからず・・・。


【ヘレン・グライム:織り成された空間 Woven Space】

‘I am simply fascinated by Helen’s music … She came up through the LSO’s young composers programme and I was immediately taken by her work.’
(Sir Simon Rattle @LSO concert programme for Apr. 2018)

若い作曲家の新作ってどんなもんだろう?とあまり期待してはいなかったのだけど、思っていたよりずっと楽しめました
ラトル×ロンドン響はこういうタイプの曲がほんっとうに合いますねー。どの楽章も「あれ?ここで終わり?」という終わり方だったけど、それもまたよし。
私は二楽章がダントツで好きだったな~
風の変化、水滴の粒、木の枝のしなり、勢いよくのびてゆく枝の力強さ、そんな生命力のようなものが、もっっっのすごく綺麗な音で繊細に表現されてた(あくまで私の解釈)。その様がステージ上に立ち上るのだから、ロンドン響の上手さはもちろんだけど、作曲の上手さもあるのだろうなと。
精神性で訴えるタイプの曲ではないけれど、感覚的に気持ちいいタイプの曲というか。
この二楽章の演奏はもうほんっっっと綺麗で、トランス状態になってしまった。今回の来日公演は『不安の時代』、この曲、『マ・メール・ロワ』、『シマノフスキ vn協奏曲1番』と、チェレスタがいっぱい聴けるのも嬉しいです。
3階正面で聴いていたんですけど、みなとみらいホールってあんなに繊細な音まですっきりと拾えるホールだったっけ?
ラトルと楽団ごとに持ち帰って時々こういう曲を演奏してもらいたいわ~と思ってしまった。
でも演奏後の会場の反応はイマヒトツでしたね。まあ反応の別れるタイプの曲だよね。
この演奏を聴いて翌日のシベリウスが楽しみになりました♪

(休憩20分)

【マーラー:交響曲第9番 ニ長調】

‘It’s completely haunted by death but is actually all about life.’

(Sir Simon Rattle – Interview (Gramophone, March 2008) by Peter Quantrill)

このインビューは帰宅してから見つけたもの。
会場で聴いているときは、実はかなり戸惑って聴いていました。
第一楽章の初っ端から知っている曲とは全然違う。二楽章も三楽章も、もちろん四楽章も。
一昨年聴いたヤンソンス×バイエルン放送響と今年聴いたハイティンク×コンセルトヘボウのマーラー9番はどちらも私の中で忘れ難い強い何かを残している演奏で、でもそれぞれの解釈は全く違うと今日までは思っていたのだけれど。
今回のラトル×ロンドン響を聴いて、これと比べるとヤンソンスとハイティンクの解釈は同じカテゴリーなのだな、と。つまり、最後に人の生の終わりを感じさせる種類の演奏。

一方、今回のラトル×ロンドン響の演奏の印象を一言でいうなら、「元気のいい健康な肉体のマーラー9番」。死の匂いが全くない9番。
4楽章後半の盛り上がる辺りでステージ上に私が見た情景は、そのまんま『アルプス交響曲』のそれだったんです。
山でも街でもいいですが、さぁー・・・っと美しい夕映えが広がって行く感じ。それはもうめちゃくちゃ美しい夕映えですよ。
やがて夜の帳が下りてきて。
そして最後は「あぁ、山あり谷ありの一日(←二楽章&三楽章)が終わった。明日からまた頑張ろう」と一日の心地よい疲れとともに眠りにつく・・・という情景です。

人生の終わりじゃないですよ、一日の終わり。言葉そのままの意味の眠りです。
怖いくらいの美しさも慟哭も痛切に胸に迫るものも告別の透明感も感じることはできなかったけれど、若々しさや生への讃歌みたいなものはいっぱいに感じることができました。

・・・ってマーラー9番がそれでいいんかい

と思ったけど、上記インタビューを読むと、本当にそういう風に聴いても構わない演奏のようで(私の受けとり方はさすがに乱暴かもだけど。一応死を描いてはいるつもりらしい)。
ラトルにとって9番は8→9→10番と続く流れの一部であり、ハイティンクやヤンソンスほどにはこの曲を「特別なもの」とはとらえていないことは、演奏会のプログラム構成からもわかります。
なるほど。これはこれで忘れ難いマーラー9番の演奏体験になったように思う。聴けてよかったと、心から思います。

ただ、音楽が自然に流れずに、指揮者の意図が演奏に透けて見えているようにしばしば感じられたのは、ちょっと気になってしまった。これはネルソンス×ボストン響の1番を聴いたときに受けた感じと似ているなぁ。でもラトルの中では曲全体の確固たるイメージがあるのであろうことは聴いていてわかりました。私にその全体像がイマヒトツ掴めなかっただけで。。

あとこれは従来の演奏に私が縛られてしまっている理由がきっと大きいと思うのだけれど、ここで聴こえるあの音が最高に綺麗なのに!という音をあえて聴こえなくさせて、ここで盛り上げていけば別世界の光景が広がるのに!という部分をあえて淡々と流して、ここの一瞬の沈黙が全てを物語って最高なのに!という部分に沈黙をいれないで、ここを鋭く演奏すると最高にかっこいいのに!という部分を滑らかに演奏させて、ガラッと空気が変わるはずの部分を変えないで、、、そういう諸々が単純に「もったいない」と思ってしまったんです。ラトルの見せたい世界を見せるためには、これほどの犠牲を払わないとならないのだろうか・・・と(ラトルはそれを犠牲とは考えていないと思うけど)。どうしても、あれらに変更を加えるのはもったいないと思ってしまう。従来の演奏の仕方をすればあんなに美しい曲なのに、と。。3楽章もああいう演奏だと苦悩のようなものが全く感じられなかったし。。ロンドン響の技術が及ばないのだという感想も見かけるけど、少なくともあれらについては明らかにラトルの指示によるもので、オケはそれを従順に実行していたように聴こえました。
なんて、ど素人がエラそうにごめんなさい
あ、3→4楽章への殆ど休みなしの繋げ方は、私は嫌いじゃなかったです。休みありももちろん好きですが。
上記インタビューによると、ラトルが得意としているのは2番、7番、10番なのだとか。10番、聴いてみたいなあ。ラトルさん、次回の来日で持ってきてくださいな。
ところでラトルはブルックナー9番も4楽章付きの完全版を基本の演奏としているんですね。こちらも好みが分かれそうですが笑、一度聴いてみたいです。

演奏後の会場はブラボーの嵐でした。
サントリーとプログラムが被ったので客の入りはあまりよくなかったようですが(私は3階正面席で1階の様子が見えなかったので正確にはわかりませんが)、最後の静寂もしっかり保たれ、マナーのいい客席だったのではないでしょうか。
2回目のソロカテコはラトルさんはワインを持って登場されたのだとか(私は一回目のカテコまで見届けて退場)

翌日はロンドン響日本ツアーの最終日@サントリーホールに行ってきました
感想は後日(素晴らしかったです!)。
結局BRSOの時と同じく、全曲コンプリートしてしまった。。。チケットを大人買いするこの癖、どうにかしたい。。。でもたぶんあと1年位で落ち着く、はず。歌舞伎もだいぶ落ち着いてきたし。


ロンドン響のヴァイオリニストさんの23日のtwitterより


横浜がマーラー9番ツアーの最後だったんですね。


25日のお写真。パーヴォさん、バレンボイム×SKBのブルックナー・ツィクルスの客席にもいらっしゃってましたよね。他の人の演奏をよく聴きに行く音楽家って、なんか好感持てます

※Maestro Simon Rattle on Berlin, London and career high notes(28 Sept 2018, The Asahi Shimbun)
Why Simon Rattle is the Tony Blair of classical music(10 Feb 2015, The Telegraph)
The Very Model of a Modern Maestro (the weekly standard, June 22, 2018)
Interview Simon Rattle: 'I would have been wary about taking the job had I known about Brexit' (The Guardian, August 4, 2017)

上のような記事を読むと、ラトルとベルリンフィルの間には色々なことがあったんだなぁと。。。ドイツのメディアとの間にも。

Dutch conductor Bernard Haitink and the Berlin Philharmonic Orchestra have enjoyed a collaboration lasting decades. However, it is not only this orchestra that treasures this artist. When asked with which conductor he most liked to hear his orchestra playing, Sir Simon Rattle immediately named Haitink.
(28 Mar 2015, Festival hall baden baden)

前にも紹介したこの記事(元記事はもうなかった)。どの指揮者が指揮しているときのベルリンフィルを聴くのが一番好きか?と質問され、ラトルはハイティンクと即答します。のびのびとした清らかで表情豊かな音がするからだそうで、ハイティンクがBPhを指揮したときはラトルにはすぐにわかるのだとか。
これ割と好きなエピソードなんですけど、今読むと、なんか色々考えちゃいますね ラトルはそういう自由な音をLSOに求めたのだろうか。指揮者とオケの相性ってやっぱりあるのだろうなあと思う。しかしその割には16年間って長いですよね。それこそ山あり谷ありだったかもしれないけど、お互いにとって良いこともちゃんとあったのでしょうね。そういうことを思ってあのマーラー9番を思い出すと、ちょっとじんわり来るかも・・・。“I accept this”(上記Gramophone)って・・・。そして先へ進む、と・・・。うわぁ・・・。
ベルリンフィルは一度ぜひ生で聴いてみたいオーケストラです。先日のアムステルダムでハイティンクの公演の数日前にラトル×ベルリンフィルのさよならツアーの最終公演があって、私が見たときはまだチケットが残っていたので0.5秒くらい迷ったのだけれど(東京よりずっと安かったし)、ポーランド旅行の方を選んだのであった。まぁ後悔はしていませんが。

そういえば今思い出しましたが、以前読んだハイティンクの昔のインタビューによると、ベルリンフィルの芸監選び(結果的にアバドが選出されたとき)の最終段階の時期にBPhの人間が彼を訪ねてきて「あなたが選ばれる可能性は極めて高い」と言われ、彼は「自分にその仕事は向いていない」と、「そもそも自分は少し歳をとりすぎており、また現代の商業的圧力に耐えられるほどタフな人間でもない」と答えたとのこと。そしてこの一件について「残念な気持ちは全くない。もしベルリンフィルの芸監になっていたら、それは自分にとって地獄だったろう」と。また「これで彼らと一緒に仕事ができなくなるとしたら残念だったが実際はそうはならず、より親密な関係を築けている」と。こういう道もあるのだねぇ。でもラトルはこの頃のハイティンクと現在同年齢で、ハイティンクもROH時代について後年"a rotten time"と振り返ったりしているので(音楽的な理由ではありませんが)、何事も経験、ですよね。ちなみにハイティンクはカラヤンについてはラトルと似た考えのようで、"I admired him as a musician very much, but not as the man who created a monopoly and enormous riches. It's not good for the profession."とのこと。 
ハイティンクは2004年のインタビューで「強いて世界一のオーケストラを挙げるとしたらどこだと思うか?」と聞かれ、「ベルリンフィル」と答えています(奥様には「あなたは最後に振ったオーケストラをいつも一番好きになってしまうのでしょ」と言われるそうですが。でもってそのご性格ゆえにここでRCOとは意地でも答えないと思いますが笑)。そしてこのオケが指揮者に対するときの独特な姿勢と音楽作りについて“There is the saying about Venice that all the cities are the same, but Venice is just a little bit different. One could say it about the Berliner Philharmoniker.”とも(in conversation with Klaus Wallendorf, BPh, 2015)。

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