風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

1868年(明治元年)パリにて、渋沢栄一の言葉

2021-02-15 12:06:52 | 




昨夜から新しいNHK大河が始まり渋沢栄一がトレンドのようなので、以前ご紹介した1868年(明治元年)パリでの渋沢の言葉を再掲

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一体あんた方は今の御国元の事を何と思って居られるか。
御国の大変で留学の送金が絶え、喜望峰廻りで帰され様とするのを、ともかくそうしたみじめな目にあはないやうにと計ってあげた。
これを、ただにあなた方の苦しさをすくほうと云ふ猫っかはいがりから出た事だとうぬぼれて居なさるなら、大きな間違ひで、日本から留学生を派遣しておきながら、国内の騒動に夢中になって帰国の始末もつかず、荷物扱ひで送り帰されたとあっては、日本の名誉にかかはると思へばこそ、当方でも今後御国元からどの程度に送金のあるものやら、無いものやら知れず。・・・・・・
そこらの意味も苦衷も御察し出来ないか。
失礼ながら学問と云ふものはそんなもので無い筈だ。ただ知識を多く集得なさっただけで得々として居られるか。そんな思慮の足りぬ性根の腐った人を作ろうと、日本は苦しい中から留学生を派遣しなかった筈だ。私は日本の為になげきます。
ここで厭ならすぐさま出て行ってもらいましょう。御国の大乱のこのさい、よしんばどんなやはらかい床へ寝られたにもせい、心には臥薪嘗胆の〆めくくりがあってしかるべきだに、まして何のベッドの上で産まれやしまいし、わづかの歳月ヨーロッパの風にふかれたと思うと、フロアの上もないものだ。

(宮永 孝『慶応二年幕府イギリス留学生』)


徳川幕府が崩壊し、日本に帰ることになった幕府派遣の欧州留学生一行(イギリス、オランダ、フランス)。
しかし帰国費用さえままならない。
世話人ロイドはイギリス留学生達を賃金先払いで喜望峰廻りの貨物船に載せ、横浜で金と引き換えに引き渡す計画を立てた。
当時徳川昭武(慶喜の弟)の付き添いでパリにいた渋沢栄一は、そのことを知り、昭武の留学費用からどうにか金を都合し、彼らをマルセイユから船に乗せるよう取り計らう。
こうして欧州留学生達はパリに集合し、昭武の借家の広間が彼らの宿となった。
しかし英国組の林董らは、「人をフロアに寝かして豚扱いしている」とブツブツ文句を言う始末。
渋沢はそれを聞き、彼らのところへ刀を下げて怒鳴り込んで行き、叱り飛ばした。
上記はそのときの言葉。
林らは道理が道理だから一言もなく謝り、後々もこのときのことを思い出しては「激しい小言だった」と笑ったそうである。
ちなみにこのときの渋沢の年齢は、28歳。
立派なものです。。。

※N響のtwitterで知りましたが、指揮者の尾高忠明さんって渋沢栄一のひ孫だったんですね!今回のテーマ音楽も指揮されています。




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