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公共交通機関の禁煙措置は違法か?

2007年03月29日 17時04分10秒 | 法関係
私は未だに禁煙の決心ができない、意志の弱い人間です(笑)。喫煙者であるという立場から、禁煙措置について考えてみたいと思います。このキッカケとなったのは、次の提訴を知ったからです。ネット界隈では、小谷野敦氏は割りと知られておられると思いますが、他の賛同者や支援者のような方々が登場したりはしていないのでしょうか。もしあまり賛同者がいないとすれば、難しい戦いとなるであろうと思います。

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この訴訟提起についての第一印象は、「それは無理じゃね?」ということ。喫煙不可の理由をJR側が何と答えたのか不明ですけれども、幾つかの論点があるように思えますので、次の4点に沿って具体的に検討してみたいと思います。あくまで素人考えに過ぎませんので、ご了承下さい。

①公共の場所での制限
②サービス提供者側の裁量
③閉所恐怖症と代替性
④憲法に反するか




①公共の場所での制限

◎電車、旅客機やバス等の公共交通機関の乗客室は、公共の場所であるということができる。

これについては、多分過去の判例等において数多く出された論点であると思いますので、省略します(理由については専門の方々がそれらしく解説してくれることでしょう)。基本的に、不特定多数の人々が共同で利用しなければならない「公共空間」(言葉として適切か否かは定かではありません。法学的には何か決まった用語があるかも)である、ということに反対意見は出ないだろうと思います。

喫煙とはやや異なりますが、騒音についての制限が近い考え方ではないかと思われます。音の発生は、その利用者・発生者以外の周囲の者に、受動的に聴かせることになります。判りやすい例はラジカセ(もう古い?)等を、車内である一定以上の音量で聴いているような場合でありましょうか。周囲の大多数の人間が、「うるさい」「迷惑だ」などと感じる場合には、「音楽を聴くのは個人の自由だ」とか「今株式市況の大事な場面だから短波を聴く」とか「メインレースのいい所だから中継を聴かせて」などという理由があるにせよ、それを制限されないということはないでしょう。何度注意しても止めない場合には、周囲の乗客たちから損害賠償請求をされてしまう可能性だってあります。公共空間で騒音と認定されるような「個人の自由」は制限されても止むを得ない、ということです。携帯電話の利用制限についても、これと似ている部分はあると思われます。これら制限を行うのは、サービス提供者側(レストランなんかもそうですね)であって、その判断基準はサービス提供者側に委ねられていると思います。

こうした考え方を喫煙に対しても適用することは合理的と思われ、レストラン等の飲食店によっては完全に喫煙不可であることもあれば、分煙化されていて喫煙可能なこともあり、この決定権限は飲食店側にあるということです。

◎公共空間における音や喫煙等に関する制限をすることは有り得る。
◎上記制限の決定権限は、基本的にサービス提供者側に存すると考えられる。




②サービス提供者側の裁量

①で見たように、公共空間において何らかの制限を加えることがあるという裁量権はサービス提供者側にあり、喫煙の可否についても同様に考えることは妥当であると思われます。

喫煙を許可しない理由として健康増進法の解釈を取り上げているが、仮に科学的根拠が「現在十分明らかとなっているとは言えない」としても、非喫煙者からの要望に応えるという業務上の裁量権は存在していると考えられます。例えば、プール、温泉や公衆浴場等において「刺青を入れた者の利用制限」ということがありますが、これはサービス提供者側が「刺青を入れていない利用者」たちからの要望に応えるものであり、このことは必ずしも「健康や保健衛生上の管理についての問題」ではなく、法規に基づく決定権限ではないでしょう。これと同様に、非喫煙者である利用者からの要望に応えるかどうかの決定権限は、サービス提供者側にあるものであり、それは裁量権の一部に過ぎないと言えます。すなわち、サービス提供者側には、「利用者からのどの要望に応えるか決定できる」という裁量権があるのです。レストラン等の飲食店において、店舗を全面禁煙とするか喫煙可能なスペースを設けるかの決定はサービス提供者側の裁量権に含まれるというべきでしょう。

サービス提供者側が喫煙を許容するか否かの判断は、利用者の要望もさることながら、その他理由も存在します。喫煙を許可することに伴って、灰皿の設置、空気清浄器等の換気システム、灰皿の清掃・吸殻回収業務、防火管理等に係るコストを負担することを考慮せねばなりません。喫煙による車両変色等の汚損、悪臭、シート等の焼け焦げによる損失、等々の費用についても、サービス提供者側が負担する可能性があります。これらコストについての軽減を図ろうとする判断は、主として企業の経営的判断に基づくものであるので、サービス提供者側にその裁量権が存すると思われます。喫煙を許可した場合の、非喫煙者の満足度低下による乗車忌避や管理運営に係るコスト増加等を考慮するとともに、喫煙を許可しない場合の、喫煙者の満足度低下による乗車忌避と管理運営に係るコスト減少等の比較考量によって禁煙を決定するのは「経営上の裁量権」と解するのが妥当であり、これは企業活動の一部とみなしうるでしょう。

更に、健康増進法自体が存在しないと仮定しても、小売店、映画館や劇場等において防火安全上の理由によって禁煙となっている公共空間は以前から存在しており、公共交通機関の公共空間がこれらと同様の制限が行われたとしても、直ちにそれを違法と断定することはできないでしょう。旅客機においては安全対策上の理由によってライター等の持ち込み制限があり、仮にこれと同等の制限が電車やバス等において行われたとしても、違法性を認める根拠を見出すことは困難です。

従って、健康増進法の解釈について適切か否かにかかわらず、サービス提供者側には喫煙の可否を決定できる裁量権を有していると解することができると思われます。

◎サービス提供者側には、どの要望に応えるか決定できる裁量権がある。
◎喫煙の可否決定は、経営上の裁量権の一部である。
◎必ずしも健康増進法の存在とその解釈に制限の根拠を求める必要はない。
(=健康増進法がなくても、喫煙を制限する裁量権を有している)




③閉所恐怖症と代替性

閉所恐怖症を理由として、長時間の禁煙には耐え難いということが、どの程度保護されるべきかという問題について考えてみます。

基本的には、取りうる代替手段が存在するか否かによると思われます。A地点からB地点に到達する為に、利用可能な交通手段がどの程度存在しているのか、ということになります。旅客機、特急電車、新幹線しかないとなれば、いずれかを必ず選択しなければならず、耐え難い「長時間の禁煙」を強いられるという不利益を被ることがあると考えられます。しかし、この他に自家用車、タクシー、路線バス、普通電車等があって、「長時間の禁煙」を必ずしも強いられない代替交通手段が存在するのであれば、その利用を行うことで解消され得ると考えられます。移動時間の延長という不利益は残るものの、耐え難い苦痛との比較考量で利用者が決定するべきものであると思われます。

そもそも、閉所恐怖症であることを理由として、例えば「新幹線の窓を開閉可能にするべきだ」という要望は受け入れ難いものであるのであって、閉所恐怖症というハンディキャップを持つことで利用可能な交通手段が限定されてしまうということは、公共交通機関にその責任や原因があるわけではありません。仮に「気圧変化によって病態悪化が考えられる疾病」を有する人が、「現在の旅客機は気密性が十分ではないので、利用できずに多大な不利益を被っている。もっと気圧変化を最小化するような気密性を達成するべきだ」という要望を出したとしても、それを実現するか否かは航空機製造会社が決めるものであります。そういう疾病を有する少数利用者において、旅客機を利用できなくなってしまうという不利益が存在することになりますが、それを解消する為には現在水準より機体の気圧変動をずっと小さくすることが必要になります。その為にかかるコストはサービス提供者側が負担することになり、ひいては全利用者の負担となってきます。「気圧変動の殆どない気密性の高い旅客機」を製造できれば、それまで利用できなかった人たちにも利用可能となるかもしれませんが、その為の製造コストは大幅に増加して全利用者たちがそのコストを負担することになるということです。それよりも、現在水準の機体を用いたままで、少数利用者には航空機が利用できない代わりに列車を利用してもらった方が、社会全体の利益になるということです。

従って、何らかの理由によって特定交通機関の利用が困難であるとしても、代替性があるものについては必ずしも法的に保護するべきものとは限らない、ということになります。禁煙を強いられることによって個人が不利益を被るとしても、代替性があるということは、少数個人の不利益を解消することを社会全体の利益よりも優先しなければならないとするほど重大な不利益とは認め難いと思われるのです。もしも喫煙者たちにとってサービス提供者側が取った禁煙措置が苦痛により耐えがたいというものである時、喫煙者の多くが利用を取りやめるのであり、それが大多数に及べば必然的に企業の売上高減少ということで無視できないほどの影響と考えられるならば、「喫煙者向けサービスとして何らかの別な措置を講ずるべき」理由になるものと思われます。しかしながら、そうした喫煙者向けサービス(具体的には喫煙スペースの設置や喫煙車両設置等)を措置するほどの不満が「乗車忌避」という形で現れていないということであるなら、多くの喫煙者たちにとっては「受容可能な程度の不利益」とみなすことが合理的ではないとは言えないでしょう。

◎代替性のある場合には、各利用者が代替手段を利用することで不利益は縮小されうる
◎社会全体の利益より個人の不利益解消を優先するべきとは認め難い
◎多くの喫煙者にとって禁煙措置自体は受容可能な程度の不利益と推認できる

長時間の禁煙についても、何らかの代替手段を取ることは考えられます。実際に喫煙できない状況であっても、ニコチンパッチ等の利用によって禁煙による不利益を軽減できる可能性があります。これが原告の閉所恐怖症に関する症状をどの程度改善させるかは定かではないものの、原告が耐え難き苦痛を覚えるのであれば、まず可能な限り代替手段を試みるべきでありましょう。別な視点では、閉所恐怖症自体が完全に克服不可能なまでの病状となっているかどうかについても、疑問の余地はあるでしょう。まず根本原因であるところの閉所恐怖症の治療がどの程度まで行われ、主要な公共交通機関の利用が不可能なほどに深刻な状況であるのかどうか、ということが、サービス提供者側に改善措置を求めなければならないほどの理由足り得るかの判断に影響するでしょう。個人の努力によって閉所恐怖症の症状を軽減したり、乗車中の不安を薬物的にコントロールしたりすることが可能な水準なのであれば、そうした手段を取ることで個人の受ける不利益は改善されると考えられ、非喫煙者の利益を損なうことなく社会全体の利益に適うものと思われます。これは公共空間で音楽を聴きたいという個人が存在するならば、個人的にヘッドホンを使用することで騒音に関する係争や諸問題を解決することが可能になる、ということと同じ意味合いを持ちます。

◎個人が取りうる代替手段を試みることが社会全体の利益に適っていると考えられる。




④憲法に反するか

喫煙者に関する取扱いにおいて、原告は憲法(法の下での平等)に反するものである旨主張していますが、公共交通機関のいずれも「喫煙者」であるという理由を以て「乗車を選別・拒否」したりするものでないことは明らかです。搭乗・乗車資格のような形で、喫煙者と非喫煙者に関する区別は存在しません。取扱いとしては同一であると思われます。喫煙者であることを理由にして解雇されるとか、医療を受けられないといった取扱いであるならば、これを不当な差別であるという主張も理解できないわけではありませんが、「全員が等しく喫煙行為を禁じられる」ということが平等に反するとは言い難いでしょう。

例えば、「サンダル履きの方は当店に入店できません」という条件のあるレストランにおいては、「サンダル愛用者」を不当に差別したり不平等な扱いを意図するものではなく、管理運営上の単純な行為規制として「サンダルを履いて入店する行為」を禁じるものであって、これを憲法違反であると断定する合理的理由はありません。サンダル愛用者であろうとなかろうと、店側基準に合致する靴であれば「誰でも入店できる」というのが、不当な差別がないという意味でありましょう。「ノーネクタイの方は入店をお断りしております」という制限も同様であり、「ネクタイが嫌いな人」を不当に差別するものではないのです。

喫煙者・非喫煙者に限らず、「車内で禁止するべき行為」として「喫煙」があるのであって、喫煙者を不当に差別するものではないと考えられます。「車内で花火をしないで下さい」という制限をする場合に、花火業者や花火愛好家を殊更差別するものであるはずもなく、それに従いたくないという個人については、公共空間から離脱して頂いて自由な個人的空間を有する移動方法を選択してもらうことが社会全体の利益であると思われます。公共空間においては個人の自由は一定の制限を受けるのであって、より高い自由度を求める場合には公共空間を共有しないことで個人の受ける不利益を回避してもらうのが合理的であると思われます。


◎「喫煙を禁止する」という行為規制をもって、憲法違反とまでは言えない。
◎健康増進法が違憲立法か否かは無関係(多分違憲ではないだろう)。




以上から、禁煙規制が違法という主張は無理ではないかと思えました。喫煙者の立場で申し上げますと、喫煙の権利を強く主張すればするほど事態が悪化していくのではないかと危惧され、提訴そのものを「一服」された方が宜しいのではないかと思えました。