どこかのテロリストの独白を聞いた。彼はどんな人間なのかは知らない。だが、彼の話は示唆に富んでいると感じられたので、ここに記しておこうと思う。
◇◇◇◇◇◇
私の国は、敵国との激しい戦争に明け暮れていた。
敵国兵士は、依然として士気が高く、挫ける様子はない。今後も、果敢に戦いを継続してくるだろう。双方にとって、未だ決着は遠い。この分だと、我が国の戦士たちの消耗が激しくなるばかりだ。当然、それに伴って敵国兵士も多数斃れてゆくであろう。
そこで、我が軍の秘密会議が持ち上がったわけだが、そこには恐るべき計画が存在した。敵国兵士の士気を削ぎ、戦闘意欲を挫く方法であった。その計画は、「満破綻計画」と呼ばれていた。
この「満破綻計画」とは、次のようなものだった。
敵国兵士の精鋭部隊は、ある2つの村の出身者たちが多いということが判明した。その村は兵士を送り出した故郷であり、兵士たちの家族が住んでいた。その村を急襲して村人全員を皆殺しにするという作戦が、この「満破綻計画」であったのだ。
この計画の肝は、兵士を直接殺すのではなく、戦闘には直接関係のない村人たちを全滅させるということであった。精鋭部隊である兵士を直接倒すには、わが軍の戦士たちの被害が甚大であることが予想されるからだ。兵士たちは、故郷の村が全滅させられれば、悲嘆に暮れて戦意喪失となるであろう、ということだった。村の男たちばかりではなく、全然関係のない女も子供も―たとえ赤ん坊であろうとも―見境なく殺せば、後の戦力となる戦士の供給を断つことができる、ということでもあった。もう一つは、敵の本土である村を攻撃することで、殺戮の恐怖を味わわせることができ、戦争継続の意志を困難にさせることができるであろう、ということだった。
この「満破綻計画」を遂行する為の特別殺戮軍団が編成された。村を襲う部隊には、新式の槍が配備された。有無を言わせず、一瞬で息の根を止めることを目的に開発された「業火の槍」という新型兵器だった。あらゆるものを貫き通し、ほとばしる炎で全てを焼き尽くすという、恐るべき槍だった。この槍がどれくらいの威力を持つのか、全く無抵抗の女子供に対してでも試してよい、ということだった。特別殺戮部隊の戦士たちは、この槍で突いた時のことを考えると、高揚感でいっぱいになった。
そして、計画は実行された。
一つ目の村が殺戮軍団に急襲され、村人たちはほぼ全滅となった。新型の槍は、予想通りの凄まじい威力を発揮し、驚くほどの殺傷力を証明した。敵国の動揺が収まらぬうちに、次の村の殺戮が3日後に行われた。またしても、恐るべき威力で村人たちを全滅させた。女も、子供も、年寄りも、みんな見境なく、串刺しにされた。誰の死体か判らぬほどに、炎に焼き尽くされていた。
敵国は完全に戦意喪失となり、降伏を申し入れてきた。
当初の計画通りに、わが戦士たちの尊い命が守られたのだ。
新型の槍である「業火の槍」の凄まじいばかりの威力で突き殺された女や子供や赤ん坊たちの命のお陰で、敵国の精鋭部隊の兵士たちの命が救われたのだ。家族を失うことで、敵国に戦争を止める決断をさせることができたのだ。
だからこそ、この「満破綻計画」は素晴らしい成果を収めたのだ。わが軍立案の、この「満破綻計画」こそが正当であり、正しい決断だったのだ。
敵国の精鋭たちに言っておきたい。
村を襲って全滅させたのは、正しい処置だった。女子供であろうとも、焼き殺すことが正しい選択だったのだ。それは、わが軍の戦士たちの命を守るには、仕方のないことだった。わが偉大なる戦士たちは、正しい行いをした。本土にいる無抵抗の女子供や赤ん坊を焼き殺すことが、戦争終結の近道であったのだから。そのお陰で、君たち兵士の命さえも救われたのだ…。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ぼくがこの話を聞いた時、なんて強弁なのだろうか、と思ったよ。
遠い昔の話だから、別に今謝れというわけじゃない。今生きている人たちが、いくら謝ったって、謝りようがないもの。
だけど、何をやったのか、どんなことが行われたのか、ということについて、考えないとか自省がないということについては、疑問にしか思えない。これを正当化するというのなら、無差別殺戮は正しいと表明すべきだ。
ところで、彼のいた国は、後に別な国の戦士に襲われたようだ。
槍じゃなくて、無差別火計に遭ったんだって。そうしたら、それは犯罪だから許さない、って言ってるらしい。
自国の戦闘に無関係な女子供が攻撃されたら半狂乱になって怒るくせに、他国の女子供を何十万人と殺戮することは正当だという理屈らしい。
つまり、勝てば何をやってもよい、というのが、彼らの思考・論理なのかもしれない。
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私の国は、敵国との激しい戦争に明け暮れていた。
敵国兵士は、依然として士気が高く、挫ける様子はない。今後も、果敢に戦いを継続してくるだろう。双方にとって、未だ決着は遠い。この分だと、我が国の戦士たちの消耗が激しくなるばかりだ。当然、それに伴って敵国兵士も多数斃れてゆくであろう。
そこで、我が軍の秘密会議が持ち上がったわけだが、そこには恐るべき計画が存在した。敵国兵士の士気を削ぎ、戦闘意欲を挫く方法であった。その計画は、「満破綻計画」と呼ばれていた。
この「満破綻計画」とは、次のようなものだった。
敵国兵士の精鋭部隊は、ある2つの村の出身者たちが多いということが判明した。その村は兵士を送り出した故郷であり、兵士たちの家族が住んでいた。その村を急襲して村人全員を皆殺しにするという作戦が、この「満破綻計画」であったのだ。
この計画の肝は、兵士を直接殺すのではなく、戦闘には直接関係のない村人たちを全滅させるということであった。精鋭部隊である兵士を直接倒すには、わが軍の戦士たちの被害が甚大であることが予想されるからだ。兵士たちは、故郷の村が全滅させられれば、悲嘆に暮れて戦意喪失となるであろう、ということだった。村の男たちばかりではなく、全然関係のない女も子供も―たとえ赤ん坊であろうとも―見境なく殺せば、後の戦力となる戦士の供給を断つことができる、ということでもあった。もう一つは、敵の本土である村を攻撃することで、殺戮の恐怖を味わわせることができ、戦争継続の意志を困難にさせることができるであろう、ということだった。
この「満破綻計画」を遂行する為の特別殺戮軍団が編成された。村を襲う部隊には、新式の槍が配備された。有無を言わせず、一瞬で息の根を止めることを目的に開発された「業火の槍」という新型兵器だった。あらゆるものを貫き通し、ほとばしる炎で全てを焼き尽くすという、恐るべき槍だった。この槍がどれくらいの威力を持つのか、全く無抵抗の女子供に対してでも試してよい、ということだった。特別殺戮部隊の戦士たちは、この槍で突いた時のことを考えると、高揚感でいっぱいになった。
そして、計画は実行された。
一つ目の村が殺戮軍団に急襲され、村人たちはほぼ全滅となった。新型の槍は、予想通りの凄まじい威力を発揮し、驚くほどの殺傷力を証明した。敵国の動揺が収まらぬうちに、次の村の殺戮が3日後に行われた。またしても、恐るべき威力で村人たちを全滅させた。女も、子供も、年寄りも、みんな見境なく、串刺しにされた。誰の死体か判らぬほどに、炎に焼き尽くされていた。
敵国は完全に戦意喪失となり、降伏を申し入れてきた。
当初の計画通りに、わが戦士たちの尊い命が守られたのだ。
新型の槍である「業火の槍」の凄まじいばかりの威力で突き殺された女や子供や赤ん坊たちの命のお陰で、敵国の精鋭部隊の兵士たちの命が救われたのだ。家族を失うことで、敵国に戦争を止める決断をさせることができたのだ。
だからこそ、この「満破綻計画」は素晴らしい成果を収めたのだ。わが軍立案の、この「満破綻計画」こそが正当であり、正しい決断だったのだ。
敵国の精鋭たちに言っておきたい。
村を襲って全滅させたのは、正しい処置だった。女子供であろうとも、焼き殺すことが正しい選択だったのだ。それは、わが軍の戦士たちの命を守るには、仕方のないことだった。わが偉大なる戦士たちは、正しい行いをした。本土にいる無抵抗の女子供や赤ん坊を焼き殺すことが、戦争終結の近道であったのだから。そのお陰で、君たち兵士の命さえも救われたのだ…。
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ぼくがこの話を聞いた時、なんて強弁なのだろうか、と思ったよ。
遠い昔の話だから、別に今謝れというわけじゃない。今生きている人たちが、いくら謝ったって、謝りようがないもの。
だけど、何をやったのか、どんなことが行われたのか、ということについて、考えないとか自省がないということについては、疑問にしか思えない。これを正当化するというのなら、無差別殺戮は正しいと表明すべきだ。
ところで、彼のいた国は、後に別な国の戦士に襲われたようだ。
槍じゃなくて、無差別火計に遭ったんだって。そうしたら、それは犯罪だから許さない、って言ってるらしい。
自国の戦闘に無関係な女子供が攻撃されたら半狂乱になって怒るくせに、他国の女子供を何十万人と殺戮することは正当だという理屈らしい。
つまり、勝てば何をやってもよい、というのが、彼らの思考・論理なのかもしれない。