・「ナポレオン」というカードゲーム
高校時代に仲間内で流行っていたトランプで、よくやっていたのが「ナポレオン」というゲームだった。このゲームは簡単に言うと、「ナポレオン」に立候補した人と、彼に指名された副官が協力して、できるだけ多くの絵札を集めるゲームである。副官は、例えば「スペードのエースを持っている人」というようなカードで指定するので、誰が副官なのか指名された本人以外には判らないのである。残りのプレイヤーはナポレオンと副官の行動を邪魔して、勝利条件(ナポレオンに立候補する時に切り札の種類と獲得枚数を宣言する)を阻止できればいいのである。終盤まで副官が不明であることが多いので、互いに誰が副官か疑りながら進行するのが面白いのである。使えない副官だったりすると、早々に「正体がバレて」しまい、他のプレイヤーの妨害が行い易くなったりするのである。他にも、残りの札から考えて、殆どが「ここは副官カードを出す以外有り得ない」と考える場面であってもトンチンカンな札を出したりするのである(ゲーム終了後、仲間たちからは当然不名誉な言葉を頂戴する破目になる)。心理戦というのか、周囲の人間の様子・行動を観察するといった面白さがあるゲームなので、飽きることがなかった。
・日本は副官なのか?
外交をカードゲームに喩えるのも気が引けるが、アメリカの立場がこの「ナポレオン」だとすると、「副官は一体誰なのか?」というのがそもそもの問いである。これまでの日米関係を考えると、日本がアジアにおける副官的な立場であったろう。反米派からは不満の声が上がるかもしれないが、日本が米国抜きに「日本独自の立場」を取れたのかというとそれは難しかったであろう。良くも悪くも、副官としての役割を何となくこなしてきたと言えるのではないか。
対等な立場での外交という建前論は置くとして、日本が副官的であることは多くが認めるところであろう。国際社会の中で、日本が「ナポレオン」を宣言して立つことなど無かったのであるから、残りは副官くらいしか残っていないのだけれども。それくらいアメリカのパワーが大きく強い、ということでもある。米国にとっては「アメリカと日本」という経済規模で言うと「ワン・ツー連合」で、十分なメリットがあったのである。日本から利益を巻き上げることが十分できたのである。日本は副官として、「ナポレオン」であるアメリカの為に、せっせと絵札を貢いだりしてきたのである。他のプレイヤーにしてみれば「あからさま」過ぎて、興ざめであったかもしれないが。
・アメリカの方針転換
米朝二国間協議の再開と進展具合を見てみると、米外交上において方向転換が行われたことが見えてくるであろう。政権内の勢力分布に変化があったこと(これは多くの分析があるので触れない)を考慮しても、米国の態度にはどことなくよそよそしさが見えてきている。まるでこれまで彼氏彼女としてお付き合いをしていたのに別れ話を切り出す前兆のような、或いは倦怠期に入り互いの興味も関心も薄れてきたような、そんな雰囲気である。
米国の中長期戦略において、重大な選択が行われた可能性があるのではないか。それは日本が思いのほか役に立たない副官であった、ということの裏返しでもある。アジアにおける副官指名を「日本から中国へ」シフトした、ということである。経済成長面から見ても、日本の未来よりも中国の未来に賭けた方が利益が大きい、ということを米国が認識したのではないだろうか。日本が泥沼で這いずり回っている間に中国は急成長を遂げ、将来の科学・テクノロジー・マーケット規模などを比較した時に、日本よりも中国に軍配を上げたということである。
もう1つの要因としては、国際社会で中国の役割が大きくなってきている、ということがある。それは行使可能な影響力の大きさが、欧州と引けを取らないものであり、少なくとも日本よりは大きい、という評価を下したものと見られる。単純な評価として、「政治的パワー」と「富の大きさ(=経済規模)」の両面で、日本は中国に凌駕されたと判断されたのである。
これら以外で最大の理由は、「副官を指名する特定のカード」を中国が持つに至った、と米国が考えたからであろう。かつて日本が持っていたであろうと思われる「スペードのエース」は、中国の手に移っているのである。そのカードとは何か?
恐らく「外貨準備」で大量保有されている米国債なのではないかと思われる。これまで日本が大量に保有してきたのであるが、中国がその保有高で世界一となったようである。米国にとって、これが「スペードのエース」と見えたのであろう。中国がこのカードを持つに至ったので、日本が今持っているのは「表ジャック」か「裏ジャック」くらいに格下げになったであろう(次に強いカードのこと)。このカードを実際に使う虞は今のところ有り得ないであろう。実際に使うことを考えてみると、米国を経済的恐慌状態に追い込む為に世界経済をどん底に落とすことになり、当然のことながら自国も相当大きなダメージを覚悟せねばならなくなる。言ってみれば「両刃の剣」なので、そう簡単には使えないのである。
しかし、最強の切り札であることは間違いないので、米国にとっては「匕首」を突きつけられているのと同じような心境なのである。周りが「そんな危険性はないよ」と思っているのと、米国自身が感じているのは訳が違う。日本や中国はこのカードを出してしまうと自国経済のリスクが非常に高まるので「使えない」と思っているのに、そういう「カードを他国に持たれている」ということそのものが米国にとっては「脅威」ということであり、現実に使えるかどうかは二の次なのである。旧ソ連時代の核ミサイルも同じような意味合いであった。本気で核ミサイルなど使えるはずもないのに、「相手が持っている」こと自体が脅威であって、それに対処する方策を全力で考えるのがアメリカの流儀ということなのだろう。いくら「決して弾を込めない」と言っても、「それでも銃を持っていることに変わりない」と疑うのである。いつなんどき「弾を込めて発射してみよう」と心変わりをするかもしれず、今は空の弾倉であっても「脅威」と考えるのである。
こうした米国の恐怖心を和らげる為に、先頃中国は外貨準備のポートフォリオを組むということを表明した。大量保有する米ドル資産を他の通貨に分散するので「安心して下さい」というメッセージを送った、ということである。
・日本は副官の立場を望むべきか
日本には米国との距離を離したいと願っている国内勢力があり、どちらかと言えば「アジア中心主義」のような政治的思想を持つに至っていることは、米国も認識している。それでも日本が米国から「独立を企てている」ということではないので、米国としても「期待できない日本」に「離れていかないでくれ」などと引き留めたりはしない。日本にしてみれば、これまで米国と付き合っていたのに、まるで中国に横取りされたかのような誤解を抱くかもしれないが、むしろ健全になったと言えなくもない。あまりにベッタリの関係よりも、多少距離がある方が長続きするようなものである。故に、敢えて副官に指名してくれ、というような素振りを見せてはならない。飽きのきている恋人をしつこく追いかけることは逆効果であり、かえって遠くに去って行くとかより強い嫌悪感を抱かれる結果に終わるのではないだろうか。それと同じようなものである。
これまで日本は国際社会の中で割りとハッキリ「日本が副官です」という立場を取ってきたので、他のプレイヤーたちにとっては一方的に判りやすい状況だったのである。しかし「ナポレオン」というカードゲームにおいては、誰が副官なのか判らないところにゲームの妙味があるのであり、外交においてもそれは同じであろう。互いが疑心を持ちつつ、細心の注意を払いながら他のプレイヤーを観察し、慎重に判断を下すということが、対等な立場ということなのである。「ナポレオン」当人にでさえ「副官は誰なのか判らない」のが当然なのである。従って、日本は自ら「副官である」ということを表明するのは避けた方がよく、むしろ副官を降りた方が都合が良い場合もあるかもしれない。昔は、米国が日本のことを副官として信頼しているとも言えないのに、日本が自認していただけに過ぎず、どちらかと言えば気取って「副官ヅラ」をしていただけかもしれない、ということは心の何処かに留めておいた方がよい。
・中国は副官を希望しているのか
実際のところ、米国の副官になんて「誰もなりたくない」というのが本音なのではないかと思うが、一応日本はしょうがいないけれどもやってきたという歴史がある。中国にとっては、米国は経済的なパートナーとなってくれることを望んでいるであろう。それはかつて日本が占めていた場所をとって代わり、「ワン・ツー連合」を組みたいと思うことも不思議ではないであろう。しかし政治的立場では依然大きな開きがあり、優等生クラブであるG7への正式加入はまだ遠い。しかしいずれロシアが正式加入し、その後に中国も加入することになろう。米国はこうした以前からある枠組みを利用することは拒否しないであろうし、G10くらいまで拡大するかもしれない(まさかカナダやイタリアに降りてくれ、席を明け渡してくれ、とは言えないであろうから)。基本的に旧西側体制でキリスト教圏の国(日本以外は)という枠組みは、世界を管理運営するのに利用されるであろう。
中国をここに加えるかどうかは、中国国内の政治体制の許容度によるであろう。中国以外であっても、イスラム勢力であれば勿論加入は認められないであろうし、共産主義であることが加入のハードルを上げることになるであろう。中国は今のところ、共産主義体制を捨ててまでクラブの仲間入りを目指してはいないであろう。だが、完全に見えない「副官」としてなら、うまく立ち回れるだろうし、中国にとっての利益にもなるので、「副官」に指名されたことを拒絶したりはしないであろう。
今のような経済発展を遂げている中国にも、重大なアキレス腱があることを忘れてはいけない。政治体制そのものが大きなリスクとなっているのは確かであるが、具体的な問題として情報、思想信条や宗教、市民活動などの(自由主義国に比べれば)極端な制限がこれからも継続されることであろう。経済分野での民主化に比べれば、政治的な民主化は遅れている。将来、共産党の形式的な統治形態を急には変えないとしても、中央集権体制を大きく緩め、州制のような地方分権を加速するとか、特別区域のような「比較的自由な」地域を広げていくといったことくらいしかないかもしれない。香港、上海、マカオのような都市での試行錯誤で何か結果が出てくれば、政治的激変のリスクは後退し、共産党体制を残しながら今よりは民主化が促進できる部分はあるかもしれない。万が一中国の政治的崩壊が起これば、中国の影響力に期待しすぎていると米国もしっぺ返しを食らう可能性があるだろう。
・従軍慰安婦問題は対中メッセージ
米国が北朝鮮との交渉に入る以前に、米中合意がどこかの段階まで進められたであろう。そうでなければ米朝2国間協議再開を選択はしなかったはずだ。ここでも、米国は「日本の意向」よりも中国のそれを優先することにしたのである。中国が「北朝鮮の面倒をみる」と約束したので、アメリカは中国の要請に応えて北朝鮮との交渉に応じた、ということなのだろう。金融制裁にしても、「後は”マカオ”に任せます」、つまりは「中国に預けました」ということだ。
米国が張り切って行った従軍慰安婦問題キャンペーンの意味は主に2つある。日本への牽制球と、中国への配慮である。
日本のタカ派勢力が「核保有議論」「河野発言再検討」「歴史認識」などの政治的活動を活発化したので、「やり過ぎるな」という牽制をしてきたものと思われる。この他に久間発言の影響などもあって、米国サイドで「おもしろくない」という感情は芽生えていたかもしれない。特に、シーファー駐日大使に「日本軍によってレイプされたことは遺憾で恐ろしい」と言わせた(時事通信の記事による)のは、かなり明らかなメッセージであった。戦時、平時に限らず、全世界で「米軍によってレイプされたことは遺憾で恐ろしい」のであるが、米国(或いは世界各国)でそういうキャンペーンは行われない。
<余談:
日本において、米軍によって殺人やレイプが過去にどれほど行われたのか、全世界に向けて発信することをお勧めする。国内の左翼勢力と不毛な争いをいくら行っても無意味である。右派の言論家たちは、ひたすら意味のないモグラ叩きに興じており、それを売り物にしてさえいる。内向きにばかり目を奪われてきたからである。海外メディアに言わせるという手段は、効果的であるし効率がいいのである。間違ったキャンペーンに対抗できないということは、日本の言論界が負けているということである。英字新聞のある日本の新聞社だってあるにもかかわらず、情報発信力が極めて脆弱なのである。海外メディアと喧嘩するくらいのパワーと気概を持つ日本のメディアが存在しない悲劇が、こういう時に如実に顕れる。>
米国は北朝鮮問題に引き続き、中国に対して「副官よろしく」というメッセージを意図したものと解釈してよいのではないか。日本への牽制は、こうしてきちんと「中国に配慮しています」という既成事実を作ることに利用されているのである。
中国は、日本に対して直接牽制球を投げなくとも(小泉総理時代では直接投げてきたが)、こうして米国が「配慮して」やってくれるので、とても楽なのである。日本にある程度の抑制が効くことになる。今年は「南京陥落後70年」に当たるようで、中国国内では再び反日感情の高まりを警戒せねばならず、日本には「大人しくしていて欲しい」ということがあるのだろうと思われる。
華僑ネットワークや米国内の中国系ロビイストには、まだまだ日本の知らない面があるのであろう。民族の生存を賭けたユダヤ人ネットワークが強固なもの(私個人の先入観に過ぎないが)であるのと同じように、国外の中国人社会は侮れない勢力を持つのかもしれない。
少なくとも、今後日本は米国の変化に対応する体制を取らざるを得ないであろう。
高校時代に仲間内で流行っていたトランプで、よくやっていたのが「ナポレオン」というゲームだった。このゲームは簡単に言うと、「ナポレオン」に立候補した人と、彼に指名された副官が協力して、できるだけ多くの絵札を集めるゲームである。副官は、例えば「スペードのエースを持っている人」というようなカードで指定するので、誰が副官なのか指名された本人以外には判らないのである。残りのプレイヤーはナポレオンと副官の行動を邪魔して、勝利条件(ナポレオンに立候補する時に切り札の種類と獲得枚数を宣言する)を阻止できればいいのである。終盤まで副官が不明であることが多いので、互いに誰が副官か疑りながら進行するのが面白いのである。使えない副官だったりすると、早々に「正体がバレて」しまい、他のプレイヤーの妨害が行い易くなったりするのである。他にも、残りの札から考えて、殆どが「ここは副官カードを出す以外有り得ない」と考える場面であってもトンチンカンな札を出したりするのである(ゲーム終了後、仲間たちからは当然不名誉な言葉を頂戴する破目になる)。心理戦というのか、周囲の人間の様子・行動を観察するといった面白さがあるゲームなので、飽きることがなかった。
・日本は副官なのか?
外交をカードゲームに喩えるのも気が引けるが、アメリカの立場がこの「ナポレオン」だとすると、「副官は一体誰なのか?」というのがそもそもの問いである。これまでの日米関係を考えると、日本がアジアにおける副官的な立場であったろう。反米派からは不満の声が上がるかもしれないが、日本が米国抜きに「日本独自の立場」を取れたのかというとそれは難しかったであろう。良くも悪くも、副官としての役割を何となくこなしてきたと言えるのではないか。
対等な立場での外交という建前論は置くとして、日本が副官的であることは多くが認めるところであろう。国際社会の中で、日本が「ナポレオン」を宣言して立つことなど無かったのであるから、残りは副官くらいしか残っていないのだけれども。それくらいアメリカのパワーが大きく強い、ということでもある。米国にとっては「アメリカと日本」という経済規模で言うと「ワン・ツー連合」で、十分なメリットがあったのである。日本から利益を巻き上げることが十分できたのである。日本は副官として、「ナポレオン」であるアメリカの為に、せっせと絵札を貢いだりしてきたのである。他のプレイヤーにしてみれば「あからさま」過ぎて、興ざめであったかもしれないが。
・アメリカの方針転換
米朝二国間協議の再開と進展具合を見てみると、米外交上において方向転換が行われたことが見えてくるであろう。政権内の勢力分布に変化があったこと(これは多くの分析があるので触れない)を考慮しても、米国の態度にはどことなくよそよそしさが見えてきている。まるでこれまで彼氏彼女としてお付き合いをしていたのに別れ話を切り出す前兆のような、或いは倦怠期に入り互いの興味も関心も薄れてきたような、そんな雰囲気である。
米国の中長期戦略において、重大な選択が行われた可能性があるのではないか。それは日本が思いのほか役に立たない副官であった、ということの裏返しでもある。アジアにおける副官指名を「日本から中国へ」シフトした、ということである。経済成長面から見ても、日本の未来よりも中国の未来に賭けた方が利益が大きい、ということを米国が認識したのではないだろうか。日本が泥沼で這いずり回っている間に中国は急成長を遂げ、将来の科学・テクノロジー・マーケット規模などを比較した時に、日本よりも中国に軍配を上げたということである。
もう1つの要因としては、国際社会で中国の役割が大きくなってきている、ということがある。それは行使可能な影響力の大きさが、欧州と引けを取らないものであり、少なくとも日本よりは大きい、という評価を下したものと見られる。単純な評価として、「政治的パワー」と「富の大きさ(=経済規模)」の両面で、日本は中国に凌駕されたと判断されたのである。
これら以外で最大の理由は、「副官を指名する特定のカード」を中国が持つに至った、と米国が考えたからであろう。かつて日本が持っていたであろうと思われる「スペードのエース」は、中国の手に移っているのである。そのカードとは何か?
恐らく「外貨準備」で大量保有されている米国債なのではないかと思われる。これまで日本が大量に保有してきたのであるが、中国がその保有高で世界一となったようである。米国にとって、これが「スペードのエース」と見えたのであろう。中国がこのカードを持つに至ったので、日本が今持っているのは「表ジャック」か「裏ジャック」くらいに格下げになったであろう(次に強いカードのこと)。このカードを実際に使う虞は今のところ有り得ないであろう。実際に使うことを考えてみると、米国を経済的恐慌状態に追い込む為に世界経済をどん底に落とすことになり、当然のことながら自国も相当大きなダメージを覚悟せねばならなくなる。言ってみれば「両刃の剣」なので、そう簡単には使えないのである。
しかし、最強の切り札であることは間違いないので、米国にとっては「匕首」を突きつけられているのと同じような心境なのである。周りが「そんな危険性はないよ」と思っているのと、米国自身が感じているのは訳が違う。日本や中国はこのカードを出してしまうと自国経済のリスクが非常に高まるので「使えない」と思っているのに、そういう「カードを他国に持たれている」ということそのものが米国にとっては「脅威」ということであり、現実に使えるかどうかは二の次なのである。旧ソ連時代の核ミサイルも同じような意味合いであった。本気で核ミサイルなど使えるはずもないのに、「相手が持っている」こと自体が脅威であって、それに対処する方策を全力で考えるのがアメリカの流儀ということなのだろう。いくら「決して弾を込めない」と言っても、「それでも銃を持っていることに変わりない」と疑うのである。いつなんどき「弾を込めて発射してみよう」と心変わりをするかもしれず、今は空の弾倉であっても「脅威」と考えるのである。
こうした米国の恐怖心を和らげる為に、先頃中国は外貨準備のポートフォリオを組むということを表明した。大量保有する米ドル資産を他の通貨に分散するので「安心して下さい」というメッセージを送った、ということである。
・日本は副官の立場を望むべきか
日本には米国との距離を離したいと願っている国内勢力があり、どちらかと言えば「アジア中心主義」のような政治的思想を持つに至っていることは、米国も認識している。それでも日本が米国から「独立を企てている」ということではないので、米国としても「期待できない日本」に「離れていかないでくれ」などと引き留めたりはしない。日本にしてみれば、これまで米国と付き合っていたのに、まるで中国に横取りされたかのような誤解を抱くかもしれないが、むしろ健全になったと言えなくもない。あまりにベッタリの関係よりも、多少距離がある方が長続きするようなものである。故に、敢えて副官に指名してくれ、というような素振りを見せてはならない。飽きのきている恋人をしつこく追いかけることは逆効果であり、かえって遠くに去って行くとかより強い嫌悪感を抱かれる結果に終わるのではないだろうか。それと同じようなものである。
これまで日本は国際社会の中で割りとハッキリ「日本が副官です」という立場を取ってきたので、他のプレイヤーたちにとっては一方的に判りやすい状況だったのである。しかし「ナポレオン」というカードゲームにおいては、誰が副官なのか判らないところにゲームの妙味があるのであり、外交においてもそれは同じであろう。互いが疑心を持ちつつ、細心の注意を払いながら他のプレイヤーを観察し、慎重に判断を下すということが、対等な立場ということなのである。「ナポレオン」当人にでさえ「副官は誰なのか判らない」のが当然なのである。従って、日本は自ら「副官である」ということを表明するのは避けた方がよく、むしろ副官を降りた方が都合が良い場合もあるかもしれない。昔は、米国が日本のことを副官として信頼しているとも言えないのに、日本が自認していただけに過ぎず、どちらかと言えば気取って「副官ヅラ」をしていただけかもしれない、ということは心の何処かに留めておいた方がよい。
・中国は副官を希望しているのか
実際のところ、米国の副官になんて「誰もなりたくない」というのが本音なのではないかと思うが、一応日本はしょうがいないけれどもやってきたという歴史がある。中国にとっては、米国は経済的なパートナーとなってくれることを望んでいるであろう。それはかつて日本が占めていた場所をとって代わり、「ワン・ツー連合」を組みたいと思うことも不思議ではないであろう。しかし政治的立場では依然大きな開きがあり、優等生クラブであるG7への正式加入はまだ遠い。しかしいずれロシアが正式加入し、その後に中国も加入することになろう。米国はこうした以前からある枠組みを利用することは拒否しないであろうし、G10くらいまで拡大するかもしれない(まさかカナダやイタリアに降りてくれ、席を明け渡してくれ、とは言えないであろうから)。基本的に旧西側体制でキリスト教圏の国(日本以外は)という枠組みは、世界を管理運営するのに利用されるであろう。
中国をここに加えるかどうかは、中国国内の政治体制の許容度によるであろう。中国以外であっても、イスラム勢力であれば勿論加入は認められないであろうし、共産主義であることが加入のハードルを上げることになるであろう。中国は今のところ、共産主義体制を捨ててまでクラブの仲間入りを目指してはいないであろう。だが、完全に見えない「副官」としてなら、うまく立ち回れるだろうし、中国にとっての利益にもなるので、「副官」に指名されたことを拒絶したりはしないであろう。
今のような経済発展を遂げている中国にも、重大なアキレス腱があることを忘れてはいけない。政治体制そのものが大きなリスクとなっているのは確かであるが、具体的な問題として情報、思想信条や宗教、市民活動などの(自由主義国に比べれば)極端な制限がこれからも継続されることであろう。経済分野での民主化に比べれば、政治的な民主化は遅れている。将来、共産党の形式的な統治形態を急には変えないとしても、中央集権体制を大きく緩め、州制のような地方分権を加速するとか、特別区域のような「比較的自由な」地域を広げていくといったことくらいしかないかもしれない。香港、上海、マカオのような都市での試行錯誤で何か結果が出てくれば、政治的激変のリスクは後退し、共産党体制を残しながら今よりは民主化が促進できる部分はあるかもしれない。万が一中国の政治的崩壊が起これば、中国の影響力に期待しすぎていると米国もしっぺ返しを食らう可能性があるだろう。
・従軍慰安婦問題は対中メッセージ
米国が北朝鮮との交渉に入る以前に、米中合意がどこかの段階まで進められたであろう。そうでなければ米朝2国間協議再開を選択はしなかったはずだ。ここでも、米国は「日本の意向」よりも中国のそれを優先することにしたのである。中国が「北朝鮮の面倒をみる」と約束したので、アメリカは中国の要請に応えて北朝鮮との交渉に応じた、ということなのだろう。金融制裁にしても、「後は”マカオ”に任せます」、つまりは「中国に預けました」ということだ。
米国が張り切って行った従軍慰安婦問題キャンペーンの意味は主に2つある。日本への牽制球と、中国への配慮である。
日本のタカ派勢力が「核保有議論」「河野発言再検討」「歴史認識」などの政治的活動を活発化したので、「やり過ぎるな」という牽制をしてきたものと思われる。この他に久間発言の影響などもあって、米国サイドで「おもしろくない」という感情は芽生えていたかもしれない。特に、シーファー駐日大使に「日本軍によってレイプされたことは遺憾で恐ろしい」と言わせた(時事通信の記事による)のは、かなり明らかなメッセージであった。戦時、平時に限らず、全世界で「米軍によってレイプされたことは遺憾で恐ろしい」のであるが、米国(或いは世界各国)でそういうキャンペーンは行われない。
<余談:
日本において、米軍によって殺人やレイプが過去にどれほど行われたのか、全世界に向けて発信することをお勧めする。国内の左翼勢力と不毛な争いをいくら行っても無意味である。右派の言論家たちは、ひたすら意味のないモグラ叩きに興じており、それを売り物にしてさえいる。内向きにばかり目を奪われてきたからである。海外メディアに言わせるという手段は、効果的であるし効率がいいのである。間違ったキャンペーンに対抗できないということは、日本の言論界が負けているということである。英字新聞のある日本の新聞社だってあるにもかかわらず、情報発信力が極めて脆弱なのである。海外メディアと喧嘩するくらいのパワーと気概を持つ日本のメディアが存在しない悲劇が、こういう時に如実に顕れる。>
米国は北朝鮮問題に引き続き、中国に対して「副官よろしく」というメッセージを意図したものと解釈してよいのではないか。日本への牽制は、こうしてきちんと「中国に配慮しています」という既成事実を作ることに利用されているのである。
中国は、日本に対して直接牽制球を投げなくとも(小泉総理時代では直接投げてきたが)、こうして米国が「配慮して」やってくれるので、とても楽なのである。日本にある程度の抑制が効くことになる。今年は「南京陥落後70年」に当たるようで、中国国内では再び反日感情の高まりを警戒せねばならず、日本には「大人しくしていて欲しい」ということがあるのだろうと思われる。
華僑ネットワークや米国内の中国系ロビイストには、まだまだ日本の知らない面があるのであろう。民族の生存を賭けたユダヤ人ネットワークが強固なもの(私個人の先入観に過ぎないが)であるのと同じように、国外の中国人社会は侮れない勢力を持つのかもしれない。
少なくとも、今後日本は米国の変化に対応する体制を取らざるを得ないであろう。