副題:生きものとしての人類を考える
講談社+α文庫、2007年発行
人間の生き方に迷いが生じたら、動物の生き方を参考にすると解決策が導かれることがあるのではないか、と私は常々考えています。この本もその流れで手にした一冊です。
著者は元東大農学部獣医生理学教授の肩書きを持つ方。
動物と比較することにより人体の仕組みの成り立ちを推察した内容で、目から鱗の落ちるスリリングな本でした。
著者の独断ではなく科学的事実に基づいた文章は、読んでいてわかりやすく気持ちの良いものです。
中でも、消化吸収・栄養バランスからヒトは本来草食でもなく雑食でもなく「肉食動物」と断言したところは、斬新な視点にワクワクすると共に説得力がありました。
また、「ヒトは何年哺乳すればいい?」の項目では動物のメスと比較検討することによりヒトの女性では3年程度が生物学的に正しいと推論しており、現在ヒトの子育てや人口問題などいろいろな支障が出てくるのは農耕生活のはじまりをきっかけにそれを短くしてしまったため、との解説に大いに頷いた私です。
読んでいて楽しく、1日で読み終わりました。こんな経験は久しぶり。
<メモ>
自分自身のための備忘録。
■ 哺乳類は最初は食虫動物だった
哺乳類の最古の祖先は現代の食虫類(モグラなど)に似た肉食性の動物だと言われている。初期の哺乳類は、植物の「養分」をまず「虫」に食べてもらい、その「虫」を食べていたことになる。
■ 草食動物のウシはなぜたくさん牛乳を分泌できるのか?
ウシ、ウマなどの現存する大型草食動物の食物の大半は、草そのもの。それで栄養の偏りはないのか。そして草だけを食べているウシが、なぜ大量の蛋白質を含む牛乳を1年に何千kgも分泌できるのか。
答えは彼らがバクテリアというインターフェイスを導入したこと。草食動物を一言で云えば「消化管内にバクテリアを飼っている動物」と表現できる。
植物が光合成で作り出す有機物の1/3はセルロース。セルロースとデンプンはいずれもブドウ糖がたくさんつながっている分子で、その構造式もよく似ている。しかし不思議なことにセルロースを分解できる高等動物は存在しない。そして、セルロースを分解しない限り、草の養分を十分に利用することはできない。セルロースを分解できるのは、セルロース分解酵素を持つバクテリアやカビだけである。
■ 反芻胃
ウシ、ヒツジのような草食動物は「反芻胃」をもっている。反芻胃は体重の1/4にも及ぶ巨大な袋状の器官である(体重400kgのウシでは100kg!)。この反芻胃がまさにバクテリアの発酵タンクなのである。
反芻胃には数十㎏にも及ぶ莫大な数のバクテリア(嫌気性バクテリア)が、少しの原生動物と一緒に住んでいる。実は、ウシが食べた草はこれらのバクテリアのための食物である。そして一緒に住んでいる原生動物はバクテリアを食べ物にしている。
嫌気性バクテリアが営む発酵によって作られた「有機酸」(酢酸、乳酸やプロピオン酸)がウシに必要なエネルギーの大半をまかない、増殖したバクテリア自身が反芻胃(第1胃)から第4胃(ヒトのような単胃動物の胃に相当する)以後の消化管に流れ込むことで、ウシの蛋白栄養の大部分をまかなっている。ウシはバクテリア菌体を消化・吸収することで肉食動物以上に蛋白質栄養に富んだ食物を得ていることになる。これが1年に数千kgものミルクを生産できるヒミツである。
嫌気性バクテリアは酸素無しでセルロースをピルビン酸、酢酸、プロピオン酸、酪酸などの有機酸へ代謝する「嫌気的代謝」でしかエネルギーを獲得できない。これらの有機酸をさらに代謝する経路をもっていないので、これらは「老廃物」としてバクテリアから排泄される。
私たち動物細胞はこのようなバクテリアも持っている嫌気性代謝系に連なって、酸素を使う「好気的代謝系」のクレブス(TCA)サイクルも持っている。そのため、バクテリアが排泄した有機酸をクレブスサイクルを使って酸化し、二酸化炭素にまで分解することができる。
好気性代謝は嫌気的代謝のプロセスに比べて10倍以上もエネルギー獲得効率がよい画期的な代謝過程である。そなわち、この過程を経ることで、もともと植物が光エネルギーをグルコースやデンプンなどの形で固定した化学エネルギーを、生物の細胞が等しくエネルギー源として使えるATP(アデノシン三リン酸)の形で取り出すことができる。
■ 「盲腸」の役割
ウマにおけるウシの反芻胃に相当するバクテリアの発酵タンクは、消化管の一番後ろ、盲腸と大腸に存在する(ウマの体重は400kg、盲腸だけで100kg!)。エネルギー源の有機酸を盲腸で吸収して体内に取り入れることまでは可能であるが、蛋白質に富むバクテリア自身は小腸で消化吸収する機会が得られぬまま糞と共に排出されてしまう。このため同じ草食動物でもウシがたくさんのミルクを生産できるのに対し、ウマは草原を走り回って草を食べ続けなくてはならない理由である。ヒトでは発酵タンクとしての老舗の盲腸はほとんど退化し「虫垂」と呼ばれている。
■ ヒトは肉食動物である
草食動物とは「消化管内でもバクテリアの嫌気性発酵を、最低でもエネルギー源獲得の手段として、さらに可能であればアミノ酸の獲得の手段(蛋白質栄養)として利用している動物のこと」と定義できる。そしてヒトにはこのような枠組みは完全に欠落しているのでヒトは草食動物ではないという意味で「肉食動物」である。
■ 必須アミノ酸というジレンマ
動物には自分では合成できないアミノ酸、つまり必須アミノ酸と呼ばれる栄養素がある。蛋白質を構成するアミノ酸は20種類存在するが、そのうちの9種類が必須アミノ酸である。肉食であればアミノ酸バランスが似ているので問題ないが、草食ではアミノ酸バランスが異なるという問題が発生する。リジンのような植物には少ないアミノ酸を必要量得るためには過食する必要が出てくるのである。さらに過食による余剰エネルギーを捨てる必要が発生し、ウマやハムスターが疾走し続ける所以である。
ヒトも例に漏れず、米や穀物など植物を主食とした時から必須アミノ酸を必要量得るために過食&余剰エネルギー放散という義務を背負うことになった。ヒトの体には体毛が生えていないことも、体熱の放散を助けるという意味で説明可能である。
■ 穀物食と必須アミノ酸バランス
農業は「穀物を栽培してその種子を食べる営み」と定義づけることが可能である。穀物由来の蛋白質は、一般にヒトあるいは高等動物が必要とする必須アミノ酸の組成と大きく異なる。例えばコムギでは必須アミノ酸の一つであるリジン、メチオニンの含有量が極端に少なく、トウモロコシではトリプトファンとリジンの含有量が著しく少ない。一方でジャガイモはバランスがとれており、コメもジャガイモほどではないがまあまあのバランス。
コムギだけを食物にして生きていこうとすれば、たとえ炭水化物の摂取量が過剰になっても、大量の(つまりリジンの必要量に達するまでの量の)コムギを食べなければ生きていくことができない。従って、現代の先進国ではコムギから作られたパンを主食にする場合は、パンに加えて肉、卵、牛乳など、リジンが動物の要求量に近い割合で含まれている蛋白質を一緒に食べてデンプンの取り過ぎを避けることが、ごくふつうの食習慣として成り立っている。
コメのアミノ酸バランスはムギに比べてかなり動物(ヒト)の要求に近いモノがある。だから東北アジアなどの米作地帯では、必ずしも畜産業と並立させないでも済む農業が成立した。しかし、コメの蛋白質もジャガイモのようにバランスが完全に近いわけではなく、やはりリジンが第一の制限アミノ酸である。
1945年以降、戦後の日本人の食生活は激変し、ムギを原料にしたパン食が一般化され、それとともに畜産物の摂取が大幅に増えた。これは西欧風の食文化にならったとも云えるが、ムギに不足するリジンの補給のために畜産物を摂取するという、いわば必然のコンビネーションをそのまま輸入する必要性があったとも云える。
■ 人口問題と分娩間隔
大型哺乳類で、現在のヒトのように人口の爆発的増加を続ける種はヒト以外に見当たらない。ゴリラ、チンパンジー、オランウータンなどの類人猿を完全保護下においても、彼らの数は遅々として増えていない。これは類人猿の分娩間隔が4~5年と大変長いことが最大の理由である。出産後の3~4年間の不妊期間は哺乳継続期間であり、その間は子育てに専念して妊娠しない。
ヒトに関しても、アフリカのカラハリ砂漠で狩猟・採取生活を続けていたクン族の1970年代の調査では、分娩間隔がほぼ4年であると報告されている。彼らの哺乳様式は、昼夜を分かたず1時間に3回程度、きわめて頻回に行われ、このような頻回哺乳により排卵は完全に抑制される。その結果、かつてヒトの女性は10~15年かけて2~3人の子を産むことで一生を終えていたと考えられる。
現代のヒトである私たちでは、年子、つまりほとんど不妊期間を持たずに子を持つことも決して珍しいことではない。
ヒトは400万年の歴史におけるほとんどの期間にわたって、現在の類人猿と同様にほぼ静止人口を保ち、人口の倍増には少なくとも10万年を要していたとの計算がある。現在では倍増にかかる期間が50年を切ってしまった現状は、文明人が生理的「哺乳期間と哺乳様式」を維持しなくなったためと考えられる。
■ 農耕・牧畜生活により自然生態系から外れた人類
農耕・牧畜などによる定住生活こそが、ヒトの分娩間隔を短縮させた真の原因、つまり人口増の原因と考えられる。
農業は女性の社会的役割、あるいは労働従事の形態を大きく変化させた。それまでの狩猟・採取生活では、人の群れにしばしば移動の必要性が生じ、群れの中の母親は必然的に乳児を抱いたり、連れ歩いたりなどして何時も子どもと離れられないで生活しており、このことが場合によっては1時間に数回にも及びきわめて短い哺乳間隔を可能にしていた。
ところが農業の導入による定住生活が成立すれば、比較的安全な定住化屋内にしばらく乳児を置くことができるので、その間に母親が積極的に農業労働に従事することが可能になる。哺乳間隔は当然延長され、昼間の労働の疲れから夜間には乳児に添い寝せず、その間哺乳が行われないようなことがしばしば起きてきたと考えられる。哺乳間隔が延長して、排卵阻止を可能にする哺乳の頻度が保てなくなれば、例え哺乳中でも排卵とそれに続く妊娠が成立する。そのために必然的に1人の子に対する授乳期間は短縮し、ヒトの分娩間隔は短くなり、ヒトの女性が一生に生む子の数が増えていったと考えられる。
労働への従事は哺乳間隔を延長させたため「排卵の生起を抑えるために必要だった哺乳頻度が保てなくなったのが、人口爆発の生物学的背景である」と云える。生理的な哺乳期間と哺乳様式を無視した現在あるような哺乳の仕方が多くの社会に定着してしまい、よほどのことがなければ二度と元には戻らないだろう。
■ 哺乳期間と母子関係
仮にヒトの生物学的分娩間隔が4年であるとすれば、4年程度の間隔で生まれてきた兄弟・姉妹においては、自然に好ましい親子・子ども同士の関係が作られていくであろう。しかし、それ以下の短い間隔で生まれてきた兄弟・姉妹に対しては、格別の、あるいは意図的な配慮が必要になることが予想される。
「母と子がきわめて濃密な接触を3年にわたって続ける事」がヒト本来のありようだとすれば、女性の社会進出が盛んな現代社会では、私たちはこの問題にどのように対処すればよいのだろう。
■ 「発情期」を放棄したヒトの生存戦略
哺乳類が交尾するためには、メスが「発情」、つまりオスの性行動を許容することが前提条件となる。そしてメスに「発情」が引き起こされる唯一の理由が「卵胞ホルモン(エストロジェン)」濃度が血中に高まることである。
この卵胞ホルモンは排卵直前の卵胞(卵巣内で卵が成長していく時卵の周囲を囲む袋)から分泌される。卵が成熟すれば卵黄は破れて卵を放出(排卵)し、自身は応対に移行、この応対からは黄体ホルモンが分泌される。
排卵直前の卵胞から発情を引き起こす卵胞ホルモンが分泌されるのは「この時期に合わせて交尾を行えば受精卵が作られて妊娠へ至る可能性が高い」という理由から。
ヒトを含む高等なサルの仲間は、卵胞ホルモンのレベルを維持する(黄体からも卵胞ホルモンが分泌される)ことで、多くの動物に見られる発情期・非発情期(オスを許容する・許容しない)という明確な区切りを曖昧にし、オス同士の生殖に関わる争いを回避した動物であると考えることができる。このようにして成熟オスを群れの中にとどめることにより生き残りの優位性を求めた動物なのである。
■ 動物の性周期いろいろ
生殖現象は様々な周期から成り立っている。
哺乳動物のメスに妊娠が成立した時に見られる生殖活動の周期を「完全性周期」という。そこでは「卵胞発育→ 発情→ 交尾→ 排卵→ 妊娠→ 泌乳」の経過が繰り返される。卵胞発育から排卵までは、様々な動物でほぼ1~2週間に収まるが、妊娠期間はハムスターの16日からゾウの22ヶ月まで著しく大きな変異を示し、ヒトの280日も長い部類に属する。また、この周期の最後にあたる泌乳相(分娩後に乳を分泌する期間)は決していい加減な長さで設定されているのではなく、ヒトのそれは約3年間の長さを持つ。
動物の性周期は以下の3つに分類される;
1.自然排卵動物
①完全性周期動物(ヒト、ウシ、ブタ):排卵した後の卵胞が「黄体細胞」に分化して約2週間にわたって黄体ホルモンを分泌する「黄体相」が出現し、この間は排卵が起きないので性周期は必ず2週間以上、実際には3~4週間となる。
②不完全性周期動物(ラット、マウス、ハムスター):交尾がなかった時に限り直ちに黄体ホルモンを活性のない物質に異化してしまう仕組みが存在する。この場合には黄体相が導入されないので性周期は短くなる。
2.交尾排卵動物(ネコ、ウサギ、フェレット、ラクダ):交尾刺激が加わらないと排卵しない仕組みであり、交尾が終了するまで発情が継続する。
自然排卵動物では配偶オスがいてもいなくても発情は決まった時間だけ継続してすぐに(まる1日程度)消失する。だから基本的には成熟オスが常に近くにいること、つまり生殖個体が集団(生殖集団)を形成することが前提となる。一方の交尾排卵動物はふだんは生殖集団を形成しないような動物によく見られる。
■ ヒトの女性が生涯に産む子どもは数人だった
もともと生殖年齢にある健康な野生動物のメスは妊娠しているか、子育てのための哺乳をしているかのどちらかであり、妊娠のない周期を回帰していることは基本的にはあり得ない。
かつてヒトは初潮から間もなく妊娠していたものと思われ、妊娠と哺乳によって1人の子がそれなりの自立性を獲得するのは約4年間を要していたので、平均的なお母さんは2~3人の赤ちゃんを産むことで一生を終えたはずである。
■ 父親は育児のヘルパー
草食動物は辺り一面に草が生えて誰の助けも借りずに食物を容易に確保できる時に限って「子育て」をする。
一方、ヒトの狩猟・採取生活では母親が自分自身と子どもの生存を書けて著しく自立性に欠ける乳飲み子を連れて、あるいは妊娠した状態で狩猟・採取に出ることは至難の業であり、育児のヘルパーとして子の父親を確保するに至ったのであろう。ヒトにおける育児のヘルパーとは集団で狩りをしてきた獲物の一部を母親に届けることが最重要課題。かくしてヒトでは社会習慣としての一夫一婦制が定着したと考えられる。言い換えれば、このような意味で一夫一婦制が定着したからこそ、ヒトは幼弱な子どもを産めるようになったのである。
■ 乳母という戦略
分娩後に全く哺乳をしない女性はこのような吸乳刺激による排卵阻止の仕組みから完全に免れて、分娩約1ヶ月後から正常な排卵の周期(月経周期)が回復してくることが知られている。乳母制度は、自分の直系の子を正室なり側室に生んでもらう可能性を高めるために意識的に取り入れられた経験則だったのだろう。
講談社+α文庫、2007年発行
人間の生き方に迷いが生じたら、動物の生き方を参考にすると解決策が導かれることがあるのではないか、と私は常々考えています。この本もその流れで手にした一冊です。
著者は元東大農学部獣医生理学教授の肩書きを持つ方。
動物と比較することにより人体の仕組みの成り立ちを推察した内容で、目から鱗の落ちるスリリングな本でした。
著者の独断ではなく科学的事実に基づいた文章は、読んでいてわかりやすく気持ちの良いものです。
中でも、消化吸収・栄養バランスからヒトは本来草食でもなく雑食でもなく「肉食動物」と断言したところは、斬新な視点にワクワクすると共に説得力がありました。
また、「ヒトは何年哺乳すればいい?」の項目では動物のメスと比較検討することによりヒトの女性では3年程度が生物学的に正しいと推論しており、現在ヒトの子育てや人口問題などいろいろな支障が出てくるのは農耕生活のはじまりをきっかけにそれを短くしてしまったため、との解説に大いに頷いた私です。
読んでいて楽しく、1日で読み終わりました。こんな経験は久しぶり。
<メモ>
自分自身のための備忘録。
■ 哺乳類は最初は食虫動物だった
哺乳類の最古の祖先は現代の食虫類(モグラなど)に似た肉食性の動物だと言われている。初期の哺乳類は、植物の「養分」をまず「虫」に食べてもらい、その「虫」を食べていたことになる。
■ 草食動物のウシはなぜたくさん牛乳を分泌できるのか?
ウシ、ウマなどの現存する大型草食動物の食物の大半は、草そのもの。それで栄養の偏りはないのか。そして草だけを食べているウシが、なぜ大量の蛋白質を含む牛乳を1年に何千kgも分泌できるのか。
答えは彼らがバクテリアというインターフェイスを導入したこと。草食動物を一言で云えば「消化管内にバクテリアを飼っている動物」と表現できる。
植物が光合成で作り出す有機物の1/3はセルロース。セルロースとデンプンはいずれもブドウ糖がたくさんつながっている分子で、その構造式もよく似ている。しかし不思議なことにセルロースを分解できる高等動物は存在しない。そして、セルロースを分解しない限り、草の養分を十分に利用することはできない。セルロースを分解できるのは、セルロース分解酵素を持つバクテリアやカビだけである。
■ 反芻胃
ウシ、ヒツジのような草食動物は「反芻胃」をもっている。反芻胃は体重の1/4にも及ぶ巨大な袋状の器官である(体重400kgのウシでは100kg!)。この反芻胃がまさにバクテリアの発酵タンクなのである。
反芻胃には数十㎏にも及ぶ莫大な数のバクテリア(嫌気性バクテリア)が、少しの原生動物と一緒に住んでいる。実は、ウシが食べた草はこれらのバクテリアのための食物である。そして一緒に住んでいる原生動物はバクテリアを食べ物にしている。
嫌気性バクテリアが営む発酵によって作られた「有機酸」(酢酸、乳酸やプロピオン酸)がウシに必要なエネルギーの大半をまかない、増殖したバクテリア自身が反芻胃(第1胃)から第4胃(ヒトのような単胃動物の胃に相当する)以後の消化管に流れ込むことで、ウシの蛋白栄養の大部分をまかなっている。ウシはバクテリア菌体を消化・吸収することで肉食動物以上に蛋白質栄養に富んだ食物を得ていることになる。これが1年に数千kgものミルクを生産できるヒミツである。
嫌気性バクテリアは酸素無しでセルロースをピルビン酸、酢酸、プロピオン酸、酪酸などの有機酸へ代謝する「嫌気的代謝」でしかエネルギーを獲得できない。これらの有機酸をさらに代謝する経路をもっていないので、これらは「老廃物」としてバクテリアから排泄される。
私たち動物細胞はこのようなバクテリアも持っている嫌気性代謝系に連なって、酸素を使う「好気的代謝系」のクレブス(TCA)サイクルも持っている。そのため、バクテリアが排泄した有機酸をクレブスサイクルを使って酸化し、二酸化炭素にまで分解することができる。
好気性代謝は嫌気的代謝のプロセスに比べて10倍以上もエネルギー獲得効率がよい画期的な代謝過程である。そなわち、この過程を経ることで、もともと植物が光エネルギーをグルコースやデンプンなどの形で固定した化学エネルギーを、生物の細胞が等しくエネルギー源として使えるATP(アデノシン三リン酸)の形で取り出すことができる。
■ 「盲腸」の役割
ウマにおけるウシの反芻胃に相当するバクテリアの発酵タンクは、消化管の一番後ろ、盲腸と大腸に存在する(ウマの体重は400kg、盲腸だけで100kg!)。エネルギー源の有機酸を盲腸で吸収して体内に取り入れることまでは可能であるが、蛋白質に富むバクテリア自身は小腸で消化吸収する機会が得られぬまま糞と共に排出されてしまう。このため同じ草食動物でもウシがたくさんのミルクを生産できるのに対し、ウマは草原を走り回って草を食べ続けなくてはならない理由である。ヒトでは発酵タンクとしての老舗の盲腸はほとんど退化し「虫垂」と呼ばれている。
■ ヒトは肉食動物である
草食動物とは「消化管内でもバクテリアの嫌気性発酵を、最低でもエネルギー源獲得の手段として、さらに可能であればアミノ酸の獲得の手段(蛋白質栄養)として利用している動物のこと」と定義できる。そしてヒトにはこのような枠組みは完全に欠落しているのでヒトは草食動物ではないという意味で「肉食動物」である。
■ 必須アミノ酸というジレンマ
動物には自分では合成できないアミノ酸、つまり必須アミノ酸と呼ばれる栄養素がある。蛋白質を構成するアミノ酸は20種類存在するが、そのうちの9種類が必須アミノ酸である。肉食であればアミノ酸バランスが似ているので問題ないが、草食ではアミノ酸バランスが異なるという問題が発生する。リジンのような植物には少ないアミノ酸を必要量得るためには過食する必要が出てくるのである。さらに過食による余剰エネルギーを捨てる必要が発生し、ウマやハムスターが疾走し続ける所以である。
ヒトも例に漏れず、米や穀物など植物を主食とした時から必須アミノ酸を必要量得るために過食&余剰エネルギー放散という義務を背負うことになった。ヒトの体には体毛が生えていないことも、体熱の放散を助けるという意味で説明可能である。
■ 穀物食と必須アミノ酸バランス
農業は「穀物を栽培してその種子を食べる営み」と定義づけることが可能である。穀物由来の蛋白質は、一般にヒトあるいは高等動物が必要とする必須アミノ酸の組成と大きく異なる。例えばコムギでは必須アミノ酸の一つであるリジン、メチオニンの含有量が極端に少なく、トウモロコシではトリプトファンとリジンの含有量が著しく少ない。一方でジャガイモはバランスがとれており、コメもジャガイモほどではないがまあまあのバランス。
コムギだけを食物にして生きていこうとすれば、たとえ炭水化物の摂取量が過剰になっても、大量の(つまりリジンの必要量に達するまでの量の)コムギを食べなければ生きていくことができない。従って、現代の先進国ではコムギから作られたパンを主食にする場合は、パンに加えて肉、卵、牛乳など、リジンが動物の要求量に近い割合で含まれている蛋白質を一緒に食べてデンプンの取り過ぎを避けることが、ごくふつうの食習慣として成り立っている。
コメのアミノ酸バランスはムギに比べてかなり動物(ヒト)の要求に近いモノがある。だから東北アジアなどの米作地帯では、必ずしも畜産業と並立させないでも済む農業が成立した。しかし、コメの蛋白質もジャガイモのようにバランスが完全に近いわけではなく、やはりリジンが第一の制限アミノ酸である。
1945年以降、戦後の日本人の食生活は激変し、ムギを原料にしたパン食が一般化され、それとともに畜産物の摂取が大幅に増えた。これは西欧風の食文化にならったとも云えるが、ムギに不足するリジンの補給のために畜産物を摂取するという、いわば必然のコンビネーションをそのまま輸入する必要性があったとも云える。
■ 人口問題と分娩間隔
大型哺乳類で、現在のヒトのように人口の爆発的増加を続ける種はヒト以外に見当たらない。ゴリラ、チンパンジー、オランウータンなどの類人猿を完全保護下においても、彼らの数は遅々として増えていない。これは類人猿の分娩間隔が4~5年と大変長いことが最大の理由である。出産後の3~4年間の不妊期間は哺乳継続期間であり、その間は子育てに専念して妊娠しない。
ヒトに関しても、アフリカのカラハリ砂漠で狩猟・採取生活を続けていたクン族の1970年代の調査では、分娩間隔がほぼ4年であると報告されている。彼らの哺乳様式は、昼夜を分かたず1時間に3回程度、きわめて頻回に行われ、このような頻回哺乳により排卵は完全に抑制される。その結果、かつてヒトの女性は10~15年かけて2~3人の子を産むことで一生を終えていたと考えられる。
現代のヒトである私たちでは、年子、つまりほとんど不妊期間を持たずに子を持つことも決して珍しいことではない。
ヒトは400万年の歴史におけるほとんどの期間にわたって、現在の類人猿と同様にほぼ静止人口を保ち、人口の倍増には少なくとも10万年を要していたとの計算がある。現在では倍増にかかる期間が50年を切ってしまった現状は、文明人が生理的「哺乳期間と哺乳様式」を維持しなくなったためと考えられる。
■ 農耕・牧畜生活により自然生態系から外れた人類
農耕・牧畜などによる定住生活こそが、ヒトの分娩間隔を短縮させた真の原因、つまり人口増の原因と考えられる。
農業は女性の社会的役割、あるいは労働従事の形態を大きく変化させた。それまでの狩猟・採取生活では、人の群れにしばしば移動の必要性が生じ、群れの中の母親は必然的に乳児を抱いたり、連れ歩いたりなどして何時も子どもと離れられないで生活しており、このことが場合によっては1時間に数回にも及びきわめて短い哺乳間隔を可能にしていた。
ところが農業の導入による定住生活が成立すれば、比較的安全な定住化屋内にしばらく乳児を置くことができるので、その間に母親が積極的に農業労働に従事することが可能になる。哺乳間隔は当然延長され、昼間の労働の疲れから夜間には乳児に添い寝せず、その間哺乳が行われないようなことがしばしば起きてきたと考えられる。哺乳間隔が延長して、排卵阻止を可能にする哺乳の頻度が保てなくなれば、例え哺乳中でも排卵とそれに続く妊娠が成立する。そのために必然的に1人の子に対する授乳期間は短縮し、ヒトの分娩間隔は短くなり、ヒトの女性が一生に生む子の数が増えていったと考えられる。
労働への従事は哺乳間隔を延長させたため「排卵の生起を抑えるために必要だった哺乳頻度が保てなくなったのが、人口爆発の生物学的背景である」と云える。生理的な哺乳期間と哺乳様式を無視した現在あるような哺乳の仕方が多くの社会に定着してしまい、よほどのことがなければ二度と元には戻らないだろう。
■ 哺乳期間と母子関係
仮にヒトの生物学的分娩間隔が4年であるとすれば、4年程度の間隔で生まれてきた兄弟・姉妹においては、自然に好ましい親子・子ども同士の関係が作られていくであろう。しかし、それ以下の短い間隔で生まれてきた兄弟・姉妹に対しては、格別の、あるいは意図的な配慮が必要になることが予想される。
「母と子がきわめて濃密な接触を3年にわたって続ける事」がヒト本来のありようだとすれば、女性の社会進出が盛んな現代社会では、私たちはこの問題にどのように対処すればよいのだろう。
■ 「発情期」を放棄したヒトの生存戦略
哺乳類が交尾するためには、メスが「発情」、つまりオスの性行動を許容することが前提条件となる。そしてメスに「発情」が引き起こされる唯一の理由が「卵胞ホルモン(エストロジェン)」濃度が血中に高まることである。
この卵胞ホルモンは排卵直前の卵胞(卵巣内で卵が成長していく時卵の周囲を囲む袋)から分泌される。卵が成熟すれば卵黄は破れて卵を放出(排卵)し、自身は応対に移行、この応対からは黄体ホルモンが分泌される。
排卵直前の卵胞から発情を引き起こす卵胞ホルモンが分泌されるのは「この時期に合わせて交尾を行えば受精卵が作られて妊娠へ至る可能性が高い」という理由から。
ヒトを含む高等なサルの仲間は、卵胞ホルモンのレベルを維持する(黄体からも卵胞ホルモンが分泌される)ことで、多くの動物に見られる発情期・非発情期(オスを許容する・許容しない)という明確な区切りを曖昧にし、オス同士の生殖に関わる争いを回避した動物であると考えることができる。このようにして成熟オスを群れの中にとどめることにより生き残りの優位性を求めた動物なのである。
■ 動物の性周期いろいろ
生殖現象は様々な周期から成り立っている。
哺乳動物のメスに妊娠が成立した時に見られる生殖活動の周期を「完全性周期」という。そこでは「卵胞発育→ 発情→ 交尾→ 排卵→ 妊娠→ 泌乳」の経過が繰り返される。卵胞発育から排卵までは、様々な動物でほぼ1~2週間に収まるが、妊娠期間はハムスターの16日からゾウの22ヶ月まで著しく大きな変異を示し、ヒトの280日も長い部類に属する。また、この周期の最後にあたる泌乳相(分娩後に乳を分泌する期間)は決していい加減な長さで設定されているのではなく、ヒトのそれは約3年間の長さを持つ。
動物の性周期は以下の3つに分類される;
1.自然排卵動物
①完全性周期動物(ヒト、ウシ、ブタ):排卵した後の卵胞が「黄体細胞」に分化して約2週間にわたって黄体ホルモンを分泌する「黄体相」が出現し、この間は排卵が起きないので性周期は必ず2週間以上、実際には3~4週間となる。
②不完全性周期動物(ラット、マウス、ハムスター):交尾がなかった時に限り直ちに黄体ホルモンを活性のない物質に異化してしまう仕組みが存在する。この場合には黄体相が導入されないので性周期は短くなる。
2.交尾排卵動物(ネコ、ウサギ、フェレット、ラクダ):交尾刺激が加わらないと排卵しない仕組みであり、交尾が終了するまで発情が継続する。
自然排卵動物では配偶オスがいてもいなくても発情は決まった時間だけ継続してすぐに(まる1日程度)消失する。だから基本的には成熟オスが常に近くにいること、つまり生殖個体が集団(生殖集団)を形成することが前提となる。一方の交尾排卵動物はふだんは生殖集団を形成しないような動物によく見られる。
■ ヒトの女性が生涯に産む子どもは数人だった
もともと生殖年齢にある健康な野生動物のメスは妊娠しているか、子育てのための哺乳をしているかのどちらかであり、妊娠のない周期を回帰していることは基本的にはあり得ない。
かつてヒトは初潮から間もなく妊娠していたものと思われ、妊娠と哺乳によって1人の子がそれなりの自立性を獲得するのは約4年間を要していたので、平均的なお母さんは2~3人の赤ちゃんを産むことで一生を終えたはずである。
■ 父親は育児のヘルパー
草食動物は辺り一面に草が生えて誰の助けも借りずに食物を容易に確保できる時に限って「子育て」をする。
一方、ヒトの狩猟・採取生活では母親が自分自身と子どもの生存を書けて著しく自立性に欠ける乳飲み子を連れて、あるいは妊娠した状態で狩猟・採取に出ることは至難の業であり、育児のヘルパーとして子の父親を確保するに至ったのであろう。ヒトにおける育児のヘルパーとは集団で狩りをしてきた獲物の一部を母親に届けることが最重要課題。かくしてヒトでは社会習慣としての一夫一婦制が定着したと考えられる。言い換えれば、このような意味で一夫一婦制が定着したからこそ、ヒトは幼弱な子どもを産めるようになったのである。
■ 乳母という戦略
分娩後に全く哺乳をしない女性はこのような吸乳刺激による排卵阻止の仕組みから完全に免れて、分娩約1ヶ月後から正常な排卵の周期(月経周期)が回復してくることが知られている。乳母制度は、自分の直系の子を正室なり側室に生んでもらう可能性を高めるために意識的に取り入れられた経験則だったのだろう。