日本の大学時代、夢がありすぎて今から思うと友人は多分、私をはらはらして見ていたと思う。自分の能力がどの分野で発揮出来るか悩んでいたので、大学3年から4年にかけては、その日の勉強内容と行動は分裂気味だった。司法試験、外交官試験、自衛隊のパイロットの試験など、その折々の夢から今日の行動はバラバラであった。傍から見たらこの青年は何を考えているのだろう、と不思議に思ったに違いない。青年時代は模索の時代だからやむを得ないとは思うが、社会に入り10年もしたら、これではいけない。現実吟味力の点検、心の抑圧状況の点検をしながら、自分は何の為に生きているのか、答えが見つからなくても思索してみよう。自分の生き甲斐は何か、自分を大事にしているか、特に自分が持つ魂について思索しないと、どんなに沢山の趣味や生き甲斐を持っても空しくなる事が多いので魂についてだけは真面目に研究しておこう。老人ホームを訪問すると、必ず<自分が死んだらどうなるか>という小学生並みの程度の思索内容に驚く事が多い。今から魂について楽しい学術的な比較宗教学とか比較文化論を考えておきたいものです。
:<アイデンティティーの統合:347-5>:
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