日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

十二国記と妹

2013-10-08 17:11:01 | 日記
妹の中に映る私の像は月蹊か。確かに兄としての立場上そうすることはあるが、普段は青辛だと内面は思う。


中学生時代に女の子からクマさんみたいと言われた事もある。


十二国記の半獣はきっと性格の性質何だろう。それが目に見える形になれるという神からの分かりやすい役割を表しているのだろう。


自分の中にもしもそういう戦いであるなら青辛の様でありたいなと思うから。


 図南の翼は若さの中の話であった。


この中で私はシュウショウの言葉からが警察官の話を浮かべてしまった。


商人の者からはきっとそう映ったのだろうか。

だから、あの元政治家の人や経営者の人達はああいう表情をしたのだろう。


昔はこの本が読めなかった。

この少女がムカついたからであるが、もっと早く読むべきであったと後悔した。


この本で作者は何が言いたいのであるのかそんな事を考えながら読んだ。


まあ、その視点でバスの中でも読んでいたのだがね(微笑)
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私にとっての伯父さん その一

2013-10-08 09:32:35 | 日記
混乱の原因。

それは伯父さんは自分にとって父親という存在を「素直」に感じさせる存在の、私から見て心の父親役だったのかもしれない。


というより、行動と言葉が一致した存在の、最も父親像に近い存在なのかもしれない。


感性も近く、また影響を受けた存在。そして祖父を尊敬しているという意味でも。祖父の遺影を死ぬまで離さなかったのも、昔叱られて殴られたけれども、好きだったということでは無いだろうか。



育てている途中で亡くなってしまった形見の存在。だから、祖母祖父のそばに行きたい、戦前の歳が離れ一人だった時の3人の様に。私が知りたい祖父を子という立場で一番近くで見た存在。



そして 私の父親は昔から、どうするんだ、どうするんだ。っと聞いてくるばかりである事が多い。そして言葉と行動が一致して居ない。キリスト教もその一つ。


実際の父の姿というモノは大学の先生から聴いて納得が出来た事であった。確かに、そのキーロッカの様心理学で言えばカタルシスか。


そういう意味での伯父さんは変わってるけど、面白く、心通じる心の父親の様な存在だと思う。


実際、私の父は何だか通じないところがある。それは記憶に残る次のエピソードでも思った。


ある時、 父自身も野球のキャッチボールを私とした事が無かったと語って居たこたがあった。そして、やりたかったとは言っていない。やってもよかったという口振りだ。それはその時に戻ったとしても、恐らく遣らないだろう。


又、父から見て2番目の兄が、私の幼い頃に、食事に向かう途中の駐車場でのことである。到着し降りるや否やのことである。


その場所で、周りの人や自身の息子は捨て置いて店に行かせ、私にだけ騒いでいると言い掛かりを付けてきた事があった。


仮にそうだとしても同時に自身の息子も叱るべきだし、冒頭まで居た父は何も言わず、おかしいとも思わ無いのか、何もせずに店の方へ行ってしまった事があった。


暫く続き十分か十五分してから、父が来た。その様に父が言った。私は大泣きして居た。引き回されて、叩かれてもいたからだ。


何故叩かれたか分かるか、歳上なんだから、静かにさせるのが当たり前だろうと。私は静かにさせようと、散々注意したし、制止したりもした。

それ以上やる場合は殴るか、喧嘩するしか無い状況まで行っていたと思う。それでも聞かない自分の息子が、騒いでいる責任を私に問うのだ。


私から言わせれば、自分の息子が可愛いから怪我させたらそれでも叱られることは想像出来た。


お兄ちゃん何だから、手加減。

自分のモノじゃ無いんだから、使うな。自分の番でも。


初めは替わり番子と言ったのに。そう言われた事もある。


自分のモノでは無いのでそれは従った。それは納得の行くところがあったからだ。その子のその類は我慢だった。



そして、話は戻り私に取り敢えず謝るべきだろうと要求する。


初めは私の言葉なんか聞きもしない。叩いて恫喝するばかりだ。


それでも、私が認めないから、漸く私の言葉を少し話させてそれでも、言わせようとし、恫喝する。初めから聞く気が無いのだ。私も分かる。そして引き回されて付いた膝の傷から痛みを庇うと、それも、叩かれる。






幾つかある事の内にもこの様に示されている。


コレで何が分かるか、伯父さんは決しって道理の無いことでは叱らない。


叱られるとすれば、自分にとって大切なものをいじった時と、私に危険がある時ぐらいだ。そして父は励ましはするが、過程を認めてはくれない。



それって父親じゃないだろうか?




こういう話を受けて、その2へつづく。
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