日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

選択とジョブズと祖母と祖父 (追記と修正)

2013-10-22 23:49:24 | 日記
 選択の話を聞いていたらスティーブ・ジョブズの話が出てきた。大学を辞めようと思ったら好きな科目が取れるように成って、そして授業を潜りで受けるようになってその中でカリグラフだったか、文字が綺麗になるという授業が後に役に立ったと。食事を食べるのも苦労し配給をもらうために何キロも歩いたがそれが楽しかったと。

だから、役に立つことなんて、何が役に立つかなんて分からないと言う話。


そんな話を聞いている時、フッと同時進行的なものを感じた。結局自分の好きなことを遣ったということが正解だったっと。


そうでなければ続かないし後に役にも立たないだろうということ。


そんな事を思っている時に、むかし、祖母に言われたことがあることを朧気ながら思い出したような気がする。


好きなことを遣りなさい。それが答え何だからと。


ジョブズの話を見て祖母の話の一部を思い出すとはね。


たしかそれは今の八重の話に通じる時だったと思う。


結論を今更ながら思い出すとはね。


まあ、当時は幼くて言葉の重みも心情も理解できなかったんだから仕方がないか。


祖母には本当に度肝を抜かれっぱなしだな・・(微笑)



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結局まともに就職活動したって自分を最後まで面倒見てくれるわけでは無いんだよ。常に思っていることだが、今回は余計に強く思った。


だから好きなように生きるのが一番だと思う。


自分を殺して生きるのと周りを殺して生きる。


普通はというか今までの日本社会は自分を殺して生きることを常とし美徳とされて来た。


それは封建型社会で忠義に対して主上主人がそれに報いると言う形で成立してきたのだ。


しかし現代は表向き「建前」では忠義を尽くせば従来通り面倒を見ると言っていながらその実は違うと言う形の矛盾を孕んできた。


そこに現実世界との乖離が生じ自己を殺すという現象が生じてしまうのである。


これはロナルド・ドーアも似たようなことを言っていたと思う。農村社会という言葉でだが。



だから私は従前の状態では自死に陥る状態を二度も経験することに成った。


眼がなかったんだと思う。身を持って経験しなければ解らなかったというんだから、本当に愚かであったと思う。


だが、小学生の頃からの疑問が漸く解けたとも言えるのである。


小学生の頃、敗戦を知った時にその影響が必ずある筈だと思って、色々な大人に聞いたが誰もマトモな答えが得られなかった事を記憶している。


そう言えば、そんな事を祖母に聞いた時、家(うち)の人に聞いたらきっと解るコトなんだろうけどね・・。っと言っていたんだったな・・。


蛇足 この時の祖母の話し方が、本当に愛しさ、と、寂しさが入り交じっているセリフだったな・・。。
コメント
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