日々の疑問を語る。離れの館

ヤフーに同名の題名があったが無くなってしまった。はなれ版のつもりだったが。。 ツウィッターは「反哺の孝あり」で参加中。

やっくんと伯父さん

2013-10-10 11:43:03 | 日記
 女装をタルムードは禁じている。ましてや積極的に女装ライブやキャラクターをこなし、有名人という立場になっても続けている。ソレで良いのだろうかとずっと思っていた。

 そして、神に問うた。その御言葉に御教えに反するのでは無いのかと。


 ***********

伯父さんの亡くなる状況について前に家族で話していたことがあったが、その通りの状況下で亡くなってしまった。そういう意味では神に愛されている人だったのだろうと思う。
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十二国記と妹

2013-10-08 17:11:01 | 日記
妹の中に映る私の像は月蹊か。確かに兄としての立場上そうすることはあるが、普段は青辛だと内面は思う。


中学生時代に女の子からクマさんみたいと言われた事もある。


十二国記の半獣はきっと性格の性質何だろう。それが目に見える形になれるという神からの分かりやすい役割を表しているのだろう。


自分の中にもしもそういう戦いであるなら青辛の様でありたいなと思うから。


 図南の翼は若さの中の話であった。


この中で私はシュウショウの言葉からが警察官の話を浮かべてしまった。


商人の者からはきっとそう映ったのだろうか。

だから、あの元政治家の人や経営者の人達はああいう表情をしたのだろう。


昔はこの本が読めなかった。

この少女がムカついたからであるが、もっと早く読むべきであったと後悔した。


この本で作者は何が言いたいのであるのかそんな事を考えながら読んだ。


まあ、その視点でバスの中でも読んでいたのだがね(微笑)
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私にとっての伯父さん その一

2013-10-08 09:32:35 | 日記
混乱の原因。

それは伯父さんは自分にとって父親という存在を「素直」に感じさせる存在の、私から見て心の父親役だったのかもしれない。


というより、行動と言葉が一致した存在の、最も父親像に近い存在なのかもしれない。


感性も近く、また影響を受けた存在。そして祖父を尊敬しているという意味でも。祖父の遺影を死ぬまで離さなかったのも、昔叱られて殴られたけれども、好きだったということでは無いだろうか。



育てている途中で亡くなってしまった形見の存在。だから、祖母祖父のそばに行きたい、戦前の歳が離れ一人だった時の3人の様に。私が知りたい祖父を子という立場で一番近くで見た存在。



そして 私の父親は昔から、どうするんだ、どうするんだ。っと聞いてくるばかりである事が多い。そして言葉と行動が一致して居ない。キリスト教もその一つ。


実際の父の姿というモノは大学の先生から聴いて納得が出来た事であった。確かに、そのキーロッカの様心理学で言えばカタルシスか。


そういう意味での伯父さんは変わってるけど、面白く、心通じる心の父親の様な存在だと思う。


実際、私の父は何だか通じないところがある。それは記憶に残る次のエピソードでも思った。


ある時、 父自身も野球のキャッチボールを私とした事が無かったと語って居たこたがあった。そして、やりたかったとは言っていない。やってもよかったという口振りだ。それはその時に戻ったとしても、恐らく遣らないだろう。


又、父から見て2番目の兄が、私の幼い頃に、食事に向かう途中の駐車場でのことである。到着し降りるや否やのことである。


その場所で、周りの人や自身の息子は捨て置いて店に行かせ、私にだけ騒いでいると言い掛かりを付けてきた事があった。


仮にそうだとしても同時に自身の息子も叱るべきだし、冒頭まで居た父は何も言わず、おかしいとも思わ無いのか、何もせずに店の方へ行ってしまった事があった。


暫く続き十分か十五分してから、父が来た。その様に父が言った。私は大泣きして居た。引き回されて、叩かれてもいたからだ。


何故叩かれたか分かるか、歳上なんだから、静かにさせるのが当たり前だろうと。私は静かにさせようと、散々注意したし、制止したりもした。

それ以上やる場合は殴るか、喧嘩するしか無い状況まで行っていたと思う。それでも聞かない自分の息子が、騒いでいる責任を私に問うのだ。


私から言わせれば、自分の息子が可愛いから怪我させたらそれでも叱られることは想像出来た。


お兄ちゃん何だから、手加減。

自分のモノじゃ無いんだから、使うな。自分の番でも。


初めは替わり番子と言ったのに。そう言われた事もある。


自分のモノでは無いのでそれは従った。それは納得の行くところがあったからだ。その子のその類は我慢だった。



そして、話は戻り私に取り敢えず謝るべきだろうと要求する。


初めは私の言葉なんか聞きもしない。叩いて恫喝するばかりだ。


それでも、私が認めないから、漸く私の言葉を少し話させてそれでも、言わせようとし、恫喝する。初めから聞く気が無いのだ。私も分かる。そして引き回されて付いた膝の傷から痛みを庇うと、それも、叩かれる。






幾つかある事の内にもこの様に示されている。


コレで何が分かるか、伯父さんは決しって道理の無いことでは叱らない。


叱られるとすれば、自分にとって大切なものをいじった時と、私に危険がある時ぐらいだ。そして父は励ましはするが、過程を認めてはくれない。



それって父親じゃないだろうか?




こういう話を受けて、その2へつづく。
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伯父さんと懐かしさと従姉妹

2013-10-03 08:41:09 | 日記
9月の最後の日曜日に墓参りに行った。その時に伯母と妹の子供達も一緒に行った。

手を合わせ墓に向き合った時に納骨の映像が頭に浮かんだ。

そのシーンが何も言わないのに妹にも浮かぶ。その場所から歩きで離れる帰りに、誰かついてくる気もしていた。


そして、独り言の様に伯父さんに「見せたかったな」っと過去形でつぶやいてしまった。本来なら見せたいと言ってもいいのに。

そして、車に向かう途中で思わず何度も振り返ってしまった。斜め右後ろに誰かいる気がどうしてもしたから。


そして、車の近くでどうしたのと、話し掛けられた時に、「誰かいる気がしたから」「それも極近しい、懐かしさと恋しさの半分位の感覚が」


普段ならそんな事を感じる事はない。


それから、土曜日に伯父さんが亡くなってしまった。前に冗談で話して居た最良の場面で。伯父さんは一人で生活して居た。だから、家で倒れたら長く発見され無かっただろう。それが公共の場であった。


また、二人娘の一人が生きて居て、その子が千葉を離れるなら、その前の方がいいだろうねっと話していたこともあった。それは引き取り手がその子しか居ないから。


その子は看護師さんでお医者さんと結婚することに成ったらしい。それ故3月までしか千葉に居ない。その後は浜松市に行くらしい。そんな状況だった。


その子にも幸せに成って貰いたい。私も幸せな気持ちに成るから。そんな話をして居たら、もう一人の伯父さんに「自分はどうなんだ」「自分の事は」と。苦笑し確かにそうなんだけどねっと返すしか無かった。これが落ちではある。


典型的な結婚であるが、医者は嫌いだったらしい、何でもしてくれると思って居て傲慢だからとその子も言っていた。

************
医学部に行って亡くなってしまった姉の事も話して居たのだろうか・・。
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伯父さんと中二病

2013-10-01 23:08:50 | 日記
本日は伯父さんの納骨の日だった。顔合わせもせず、葬式もせずに骨壷に入れようとした処をすんでの所で間に合った。親達はある事件で疎遠に成ってしまった。私もその事についてはとても口惜しい。

その資金があればもっと早く学費に回し人生が早まってもいたのだろうか?薬学部を目指そうと思っていたかもしれない。実際にそういう友人も居た。


「希望」があるのは強い。



しかし、当時の私には工学に行くのか、化学に行くのか、生物に行くのかハッキリして居なかった。理由は金銭的な事であった。



ただ、化学は中学の頃、面白いな、もっと遣りたいとは思ったが、お金が掛かるという話が教師からあり、前述の事からも絶望感に襲われて居た。その証拠に総合クラスというヤツでは少ない中の化学クラスだった。


そして、次第にお金が余り掛からないという物理を面白いと思おうとして、そういう部分に眼を瞑ってしまった様に思う。


だから本当は化学と生物そして地学の様なものがやりたかったのだろうか?


自分でも分からないが化学・生物をもっと学びたいとは現在でも思う。大学でソレに近かったのは生化学であったが・・。。生理学は残念ながら無かった。別の学部に在って勉強したいと思ってソレらしい本は買ってはあるが・・。生理学は現在必要となっている。



恐らく高校の先生で趣味みたいな形で英語を学びてようやく英検2級が取れたと話してくれた物理の先生の様になってしまうのか・・。
 


そこに今まで書いたことのある別の英語教師からの侮辱に暴言。


苗字を捨てろと、引越したばかりで、友人も無く誰も信じられない状態。そして同級生は陰で脅しの様なことをしてくる始末。


母がいないということがどうとか。そんなことを遠い親戚だからって変な窘めを行い私を苦しめたり。


本当の友人に成れる機会を奪われてしまった。その様に思う。その時でなければ為らない言葉が在るのに。今も余計なことをと思う。


これでいよいよ周りの友人と思われる人々が信じられ無くなってしまった。

この事は決定的とも言える。ではどうして欲しかったか。放って置いて欲しかったのだと思う。



今思えば、恐らく、恐らくだがその友人だと思っていた者は自分の仲良くしている友人、ないしは遠い親戚のその人に取り入りたいと思っていたのではないか?これは当時から感じていたことである。


内輪の話とは良くあることだが、遠い親戚と謂うやつの実際の所、そこまで内容を知っていたとは思えない。実際にそうも言っていた。為らば窘める必要はないように思う。


前述の様にしたかったのだろう。


ソレが分かっていて何故行動をもっとしなかったか。それは自分にとってそれ程重要な事柄であり人物に思えなかったからだ。


此れが引っ越して来たものの真実なのかもしれない。自分の中の問題が環境から生じているモノか・・。


そして、成長期特有の眠気だものな・・。身長がこの時だけで5センチも伸びたものな。。


蛇足1 最近謂われる中二病なんて無縁だったからな(苦笑)

蛇足2 ようやく、完成か。頭が混乱していたものな。。
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