国際化の波に取り残された
ある日本人のたわ言?
12月1日にSO-NETのブログで書いた記事(『国際化と言うのは欧米化の事ですか?』)に次のようなトラックバックが付いていました。
デンマンさんの思う国際化 (observation 12/1 11:56)
げんなりす
国際化と言うのは欧米化の事ですか?(PC)
読むべき点は前半(後半のブログ削除問題は話にならない)。
デンマンさんの説く国際化・ボーダレス化は人種の坩堝化だと説く。
ただ、その為にはどうしたら良いのだろうかと思う。
せめてその部分を書いて欲しい。
この人物は次の記事(『田舎者管理人はどうして僕のブログを丸ごと削除したのでしょうか?』)にもトラバクをつけています。
何だかなと思うネットマナー (observation 11/29 19:11)
ボーダレスなのか
元の話から大きく逸脱しますが、気になった。もう物凄く。
デンマンのブログ(PC)
田舎者の管理人はどうして僕のブログを丸ごと削除したのでしょうか?(PC)
つまり、日本もグローバル化によって、ますます日本人の一人一人が国際感覚を持つ事を求められ..
この人物は、これまで僕があまり付き合ったことの無い種類の人間です。
http://observation.seesaa.net/article/10044363.html
この上のぺーじで次のような事を書いていました。
私は好感的常連と嫌感的常連の二人必要だと思う。名無しさんも必要だし、コテハンの信者も必要だと思う。
だから「犯人」呼ばわりせず、私は「座敷童子」とでも呼ぼうかと思った。どちらもいなくては栄えない。
そして、どちらか一方がなくなれば衰退する。そう言うものだと思う。
ちなみに、いつも嫌味しか書かず、結局見てくれる方とか――私の好きな人種です。
向こうは好感的に思うか知りませんが、そう言う姿勢はどこか可愛げがあると思う。
だからまだヲチや単独の匿名者は有意義だと思う。
番外
私もまた嫌味しか言わない人種です。ただ内心まで嫌味なのかと言えばそうじゃない例もまた沢山あります。
この人物のページを2,3ページ読みましたが、まず僕の印象を語ります。
印象ですからね。 へへへ。。。。
あまり、深刻に受け止めないでくださいね。
“自我”がまだ明確に確立していませんね。
成人になりきっていない。
社会人になりきっていません!
そのひとつの“証拠”がハンドル名を持っていないということです。
ハンドル名が見当たりませんでした。
これまでに僕はハンドル名を持ってない人物を見たことがありません。
かなり奇妙な感じを受けました。
とにかく、それらしいものが見当たりませんでした。
(あるのだったら失礼!)
高校3年生程度の精神と思考の持ち主ですね。
社会人にしては“社会”ズレがしていない。
妄想部屋に閉じこもって思索にふけるような、最近流行の“NEET”といった印象を受けました。
人生経験が極めて限られている。
NEETが何だか分からない人は次の記事を読んでくださいね。
『あなたは日本が住み良い国だと思いますか?』
もちろん海外生活経験は全く無い!
欠落しているところを観念論で埋めている。
自分に対して自信を持っていない。
自分を表面に見せたがらないというこの人物の“本質”は、このことと関係があるようです。
こそこそと物陰に隠れてこっそり見守るようなタイプです。
人間は誰でも完全でないという意味で、完璧な精神を持っていませんが、
この人物は、対人関係という点でかなり精神を“病んでいる”ようです。
文章の書き方から見て、この人物の対人関係が極めて“消極的”な印象を持ちました。
これは、僕のこれまでの経験から来る直感です。
議論だとか、討論だとか、人と面と向かって言い合う、あるいは主張を戦わせる事の苦手な人間です。
衝突を避ける。極力避けようとする!
つまり、“個人”が国際社会でやってゆくために充分に確立していない。
このことがブログのページや、この人物の書き方に良く現れています。
だから、僕の記事にコメントが付けられない。
そのくせ僕の記事には無性に興味が湧く。
なぜなら、僕はこの人物がこれまでに出合ったことも見たことも無いタイプの“日本人”だからです。
そういうわけで、トラバクを飛ばしたわけです。
これが、この人物のコミュニケーション手段です。
これまでに2度僕の記事にトラバクを飛ばしています。
もし、この人物が欧米人で、それだけの関心と好奇心を持っているなら、すぐにでも僕の記事にコメントをつけます。
なぜなら、“個”を確立させる教育を受けている。
しかし、この人物は僕に対してある種の“危険”なものを感じています。
だから、コメントが書けない。
つまり、討論だとか、人と面と向かって議論を戦わせる事の苦手な人間です。
そのような事は極力避けるタイプの人間です。
だから、“OBSERVATION” というサイト名にしているのが良く理解できます。
サイト名でないのなら、とにかくURLの一部にこの単語を使っています。
つまり、積極的に人生を切り開いてゆくというタイプの人間ではありません。
常に、傍観者の立場で生きてゆくタイプの人間です。
つまり、僕とは対極に位置する人間ですね。
だから、僕はこのような人間とこれまで付き合ったことがないんですよ。
このようなタイプの人間は僕の行動圏内にめったに近づいてこない。
僕のこれまでの経験から、そのことが感じ取れます。
いづれにしても、この人物がかなり引っ込み思案な人物だという印象を持ちました。
僻(ひがみ)っぽく、確かに嫌味をタラタラ言うような人物ですよね。
でも、気が弱く悪気は無いようですね。へへへ。。。
10分から15分この人物の文章を読んだだけですが、これだけの印象を持ちました。
もちろん、僕の独断と偏見です。
しかし、この人物が、この僕の観察を読めば、かなり驚くと思いますよ。
僕は何度も書いているように20カ国以上を放浪しました。
さまざまな国でいろいろな人間とも出会いました。
“書くこと”をさまざまな言語で勉強しました。
“書いたもの”を読み取る事もずいぶん勉強したつもりです。
“人間”の裏も表もかなり知っているつもりです。
しかも、世界の裏も表も知っているつもりです!
でも、僕はまだまだ未熟です。
聖人君主だとは思っていません。
ただし、“国際人”です。
井の中の蛙ではありません。
この人物は、僕がこれまでに付き合ったことが無いタイプの人間ですが、こういう人間を日本では良く見かけましたよ。
日本にはとにかく、このようなタイプの人間が多いような印象を持っています。
つまり、積極的に人生を切り開いてゆくというタイプの人間じゃない。
ホリエモンや僕が積極的に人生を切り開いてゆくというタイプの人間なら、この人物はその対極に位置しています。
日本には、このタイプの人間が多いと思いますね。
つまり、NEETはこれからますます日本では増えてゆくと思います。
この人物がNEETだという確証は全くありませんが、なぜか、NEETじゃないのぉ~?。。。という印象を持っています。
とにかく、僕は、この人物のページを20分程度読んで印象を述べていますからね。
そのつもりで読んでくださいね。
それ程深刻に受け止めないように。。。。
では、この上の印象を参考に、これから僕がこの人物を批判するのを読んでみてください。
まだ読んでいない人は、まず12月1日の記事(『国際化と言うのは欧米化の事ですか?』)を読んでくださいね。
読むべき点は前半
(後半のブログ削除問題は話にならない)。
この人物はこのよ言うな事を言っている!
つまり、自分に“国際化”が欠落している事を自分で暴露しています!
この人物には海外生活経験が全くありません!
僕は99.99%の確率ではっきりそのように言う事ができます。
この記事を読み終えれば、あなたにも僕の言う事が理解できるはずです。
欧米仕込みの分かりやすい書き方で書いていますからね。
へへへ。。。。
ゴルフ歴が20年ある人はクラブを素振りしているのを見ただけでその人が初心者かどうか分かるものです。
僕は海外生活経験が20年以上ありますからね、この人物の書いたものを読めば分かるんですよ。
念のために言っておきますが、僕は自慢しているのではないですよ!
“井の中の蛙”じゃないと言っているんです。
しかも、僕がこの人物の文章を読んで得た印象が上に書いたとおりです。
つまり、
“自我”がまだ明確に確立していませんね。
成人になりきっていない。
社会人になりきっていません!
(中略)
高校3年生程度の精神と思考の持ち主ですね。
社会人にしては“社会”ズレがしていない。
妄想部屋に閉じこもって思索にふけるような、最近流行の“NEET”といった印象を受けました。
人生経験が極めて限られている。
観念論で前半が理解できても、人生経験と海外生活経験の欠落のために後半が全く理解できません。
この人物のそれが限界ですよ。
デンマンさんは「国際化・ボーダレス化とは人種の坩堝化」だと説く。そこには納得できたけれど、
その為にはどうしたら良いのだろうかと思う。
せめてその部分を書いて欲しい。
そのことを後半部分で具体的に言及しているわけですよ。
でも、この人物は“NEET的人間”だから、理解できません!
歴史も勉強していないようだし、マーケティングなど全く理解していないようです。
もちろん事業経営なんて経験も無い!
誰でも赤ちゃんの頃がありますからね、
“無い”からと言って非難しているわけじゃない!
ただ、この人物は“井の中の蛙”である事に安住しています!
デンマンさんは異なる価値論を掲げる者が一緒くたになることがどれほど難しいかを分かっていない。
キリスト教徒がイスラム教徒を理解しろと言っても無理だし、その逆も無理なんです。
また、キリスト教やイスラム教の中にはややこしいくらい派閥が存在し、彼らは壁を作っている。
そして、その壁を崩すことは容易くない。
それは平等無競争主義者が自由競争主義者を理解するのと同じような無茶ですよ。
理解したとしても、許せやしない。一つの価値論で包括することに無理があると思う。
この人物のこれが限界です!
つまり、
“自我”がまだ明確に確立していませんね。
成人になりきっていない。
社会人になりきっていません!
(中略)
高校3年生程度の精神と思考の持ち主ですね。
社会人にしては“社会”ズレがしていない。
妄想部屋に閉じこもって思索にふけるような、最近流行の“NEET”といった印象を受けました。
人生経験が極めて限られている。
要するに、この人物は人生経験も乏しい!
海外生活経験は全く無い!
その欠落を何で補っているのか?
観念論で理解しようとしている!
実際に人種の坩堝に入った経験が無いから分からない!
もう一度書きます。
この人物には海外生活経験が全くありません!
ゴルフ歴が20年ある人はクラブを素振りしているのを見ただけでその人が初心者かどうか分かるものです。
僕には海外生活経験が20年以上ありますからね、この人物の書いたものを読めば分かるんですよ。
誤解しないでくださいね。
海外生活経験が全く無いから、人間的に劣っていると言うつもりはありません。
僕も、そういう時期がありました。
要は、広い世界をもっと目を開いて見たらどうかという事を言っている!
せっかく、世界に開いたネットをやっている!
“2ちゃんねる的人間”になってはダメですよ!と言っています。
つまり、無責任でいい加減な“井の中の蛙”になってはダメですよ、と言っています。
あそこで書いている人間にはこういう人物がたくさん居ます。
世界がああいうものだと思い込んでしまっている愚か者がたくさん居ます。
アメリカ人と手を繋げない人間はこれからもいると思う。
そういう人間も世界の人種の坩堝に押し込めばどうなるのか……
従って、「国際化」は一部の人々だけに留めるべきだと私は考えます。
ネットでも、また現実でも、全てがボーダレスにはなれない。
観念論でこのように決め付けている!
そのような努力をした事が無い人間だという事がよく分かるんですよ!
だから僕は言うんです!
“自我”がまだ明確に確立していませんね。
成人になりきっていない。
社会人になりきっていません!
(中略)
高校3年生程度の精神と思考の持ち主ですね。
社会人にしては“社会”ズレがしていない。
妄想部屋に閉じこもって思索にふけるような、最近流行の“NEET”といった印象を受けました。
人生経験が極めて限られている。
この人物が人生に対して積極的に挑むタイプの人間でないということが、次のような事も言わせているわけです。
世界のネットマナー論を読んで
出来れば、ホムペかブログのURLを書いて欲しいのですが、
いたずらのコメントでないことが明らかに分かるので、あまりきつい事は言わない事にします。
でも、ネチケットとして他人のブログにコメントを書く時には、あなたのホムペかブログのURLを書いてくださいね。
それが世界のネット市民としての礼儀ですよ。
馬鹿にしているのか。
世には自分のサイトが知られたくない人やブログを見られたくない人がいる。
また持たない人もいる。そんな人達は一体どうしたら良いのか。
「ブログを持て! サイトを持て!」という姿勢に私は否定的。
すでに、好き嫌いにかかわらず、世の中は国際化グローバル化の世界になっている。
ネットをやっているというだけで、この国際化の中に呑み込まれている!
すでに現実なんですよ!
ネットをやっている以上、この事実から逃れる事は出来ないんですよ!
つまり、この人物は積極的に人生を切り開いてゆくというタイプの人間じゃない。
ホリエモンや僕が積極的に人生を切り開いてゆくというタイプの人間なら、この人物はその対極に位置しています。
日本には、このタイプの人間が多いと思いますね。
つまり、NEETはこれからますます日本では増えてゆくと思います。
僕はこれをカナダのバンクーバーで書いている!
すでに時間と距離を越えてこの人物と僕の間でコミュニケーションがなされている!
この国際化の波に飲み込まれたくないのなら、瀬戸内海の無人島かポリネシアの無人島へ行って生きる事ですね。
この人物は次のようなライフスタイルをとっているんですよ。
こそこそと物陰に隠れてこっそり見守るようなタイプです。
人間は誰でも完全でないという意味で、完璧な精神を持っていませんが、
この人物は、対人関係という点でかなり精神を“病んでいる”ようです。
文章の書き方から見て、この人物の対人関係が極めて“消極的”な印象を持ちました。
これは、僕のこれまでの経験から来る直感です。
議論だとか、討論だとか、人と面と向かって言い合う、あるいは主張を戦わせる事の苦手な人間です。
衝突を避ける。極力避けようとする!
このことがブログのページや、この人物の書き方に良く現れています。
だから、僕の記事にコメントが付けられない。
そのくせ僕の記事には無性に興味が湧く。
なぜなら、僕はこの人物がこれまでに出合ったことも見たことも無いタイプの“日本人”だからです。
そういうわけで、トラバクを飛ばしたわけです。
これが、この人物のコミュニケーション手段です。
これまでに2度僕の記事にトラバクを飛ばしています。
もし、この人物が欧米人で、それだけの関心と好奇心を持っているなら、すぐにでも僕の記事にコメントをつけます。
しかし、この人物は僕に対してある種の“危険”なものを感じています。
だから、コメントが書けない。