ド百姓と貴族
おほほほほ。。。。
卑弥子でござ~♪~ますわよゥ~
あなたにお会いしたくて
また出てきてしまったのよォ~。
ええっ?あたくしと、
そう度々会いたくないのォ~?
んも~~
そんな、冷たいことを
言わないで頂戴よ!
あたくしは、あなたに
お会いしたいので
ござ~♪~ますのよォ~
ええっ?そんなことよりも
ド百姓と貴族の話を早くしろ!
そう、おっしゃるのですかぁ~?
冷たいお方ぁ~~
あたくしのお話よりも
ド百姓と貴族の話の方が良いのですかああああ~
んも~~
分かりましたわ。うふふふふ。。。
そのために出て参りましたのですから
説明しますわよう。
あなたも知っているでしょう?
あの太田将宏という頑固なご老人ですわよゥ。
その人がデンマンさんに噛み付いたのですわよ。
その文章をお目にかけますわねぇ~。
文中の加藤氏というのがデンマンさんのことですわ。
Name: 太田将宏
Date: 2006/12/11 01:43
まずは、<世界>の皆様、良い年末、年始をお迎えください。
と、早めに、始めに書きましたのは、
実は、私の下手なピアノでも、recitalをやって欲しい、というお座敷がかかり、
それを断れ切れなく、もはや、加藤氏のたわごとに付き合う時間が、しばらくの間無いのです。
一寸した、私の眼の障害のゆえに、暗譜の苦手な私が、
それをするのに時間を必要としている次第です。
Recitalが終わったら、加藤氏の態度によりけりですが、
又、再開するかも知れませんが(苦笑)。
それと、少し、私は疲れました。
その訳は以下に書きますが、時間と好奇心のある人は読んでください。
私は、彼が、どんな御託を口走ろうがしばらくは相手にしませんので。
皆様、『ムカついている間は返信を書くな!!』
この加藤氏の書いた、この題名をどう思われますか。
私のことを感情的だとか、私がむかついているとか、
私が書いていることについて、書いている時の私を見てもいないのに、
彼は勝手な想像でものを言っていますが、
書いている事が刺激的であっても書いている本人は案外に冷静でいることもある、
などということは、彼の想像力の限界で
彼にはそうした能力などはないではないのでしょうか(苦笑)。
この題名そのものが、彼の自家撞着を証明しているとは思われませんか。
いらいらして、むかついて、感情的になっているのは彼の方で、
支離滅裂な文が、題名の後に続いていることが、
むしろ、この場合は、いかんせん、彼の自家撞着を実証していると思わざるを得ないのですが。
ここまでくれば、この場合には、彼を見ていなくても分かりますよね。
何せ支離滅裂ですから(大爆笑)。
実際問題として、趣味の悪いpicturesが満載されているこのblog
(加藤さん、ここでは、あなたの事を下品だとか、趣味の程度が低いなどと言っているのではないのですよ。
picuturesが下品だと言っているのです。
いちいち断らなければならない。そうしないと、どこで揚げ足を取られるか分からない。
皆さん、彼は、文脈に於いて文章を読めないだけではなく、
一つの複合文の中での、主文と従属文の関係も理解できない様子ではないですか。
失笑、次第に爆笑)
をscrollして正確を期するのは辛いですよね。
それ故、皆さん、また加藤氏からの言いがかりがつくかもしれませんが、
以下は概略であることを断っておきましょう。
そもそも、私は、加藤さんに、<良かったら>、私の本を読んでください、と言ったのです、
そして、<出来たら>出版したいと言ったのです
(加藤さん、出版するかしないかに、貴方の言及は、完全に私に対する個人攻撃ですよね。
それこそ余計なお世話です。
また、これも貴方の自家撞着ですね。
繰返しますが、自分で書いたものを読み直しなさいよ。
もう、冷笑するしかないのかなあ。)。
それを、私の断りなしに、彼のblogに、一部ではありありますが転載したのです。
まあ、読む人が少しでも増えるのもいいか、と思い、
心優しい私は、彼の非常識を黙認した、という経緯だったのです(苦笑、次第に爆笑)。
その後の彼のやり方の余りに無神経、無礼、無理な自己正当化が眼に余ったが故に、
このようにこじれてしまった次第なのです。
それもまた、彼の言う<世界>に向けての公開の場でですよ。
私は、何が無礼であるかが分からない人間は、
ド百姓だと思っております
(加藤さん、ここで初めて、あなたのことを言っています。
この言い方は、農業従事者に失礼だなどと、言葉狩りを気取らないようにしなさいよ。
現代では、もともと、百姓と言う言葉は、既に、良い意味では使われてはいないのですから。
皆様、私は、彼を相手にしていると、何をどのように曲解されるか分からないのです、
何せ、30年もカナダにいながらどの外国語も、
日本語でさえ、きちんと読む、書く、聞く、話す能力がないのですから。
筋道を立ててものが言えない人間は、どの言語を使っても、
相手に通じる話は出来ないですよね(爆笑につぐ爆笑)。
加藤さん、私が忙しい間、しばらく時間を上げましょう。
いや、もともと、加藤さん、貴方には、無意味な御託を並べる時間があったのですよね。
何時間も使ったなどと書いておりましたが、
10000000時間を使っても、ただ管を巻いているだけでは無意味なのですよ。
自分と自分自身を振返って、悪あがきはやめなさい。
私だけでなく、それこそ、あなたの言う<世界の>皆様にも迷惑になりますから。
繰返すけれど、全て貴方が始めたことですよ。頭を冷やしなさいね(満場が大爆笑)。
<世界>の皆さん、あなた方の貴重なお時間を有難うございました(微笑)。
『皆様、良い年末、年始をお迎えください』より
注釈:(卑弥子)
原文はとっても読み難いので、改行を加え、画像を加えて楽しく読みやすくしていますわ。
原文と読み比べてくださいね。
太田将宏さんと言う方は、デンマンさんの大先輩で日頃からデンマンさんは尊敬し、感謝の念を忘れていないんですって。。。
でも、デンマンさんは次の言葉を座右の銘にしているのですわよね。
あなたもご存知でしょう?
デンマンさんが何度も何度も書いていますわよね。
“批判の無いところに進歩なし”
“愛なき批判は空虚にして、
批判なき愛は盲目なり”
そう言う訳で、デンマンさんがこのご老人を批判したのですわよ。
考えてみれば、お二人とも海外での生活が長いのですわよ。
だから、お互いに日本語が可笑しくなっているのでしょうね?
どちらが、より可笑しいのか?
これは、なかなか判断が難しいところですわよ。
でもね、あたくしは思うのですけれど、“ド百姓”と言う言葉は侮蔑語ですからね、これは使わない方が無難なんですわ。
その事は太田御老人も充分に知っているのですわよ。
だから、次のように書いているのですわ。
この言い方は、農業従事者に失礼だなどと、言葉狩りを気取らないようにしなさいよ。
現代では、もともと、百姓と言う言葉は、既に、良い意味では使われてはいないのですから。
しかし、良く知っているのに(実は、太田ご老人は知っているようで知らない!)
ついつい、相手を罵(ののし)りたくなると使ってしまうんですよね。
だから、デンマンさんに対して“ド百姓”と断定しているのですわよ。
こういうところが、ご老人の頑固さと言うか、偏屈さと言うか、嫌われるところなのでございましょうね。
こういう時には、次のように言えば済む事でござ~♪~ますわよ。
私は、何が無礼であるかが分からない人間は、愚かだと思っております
それを、太田御老人の言葉に従うのならば、全く関係のない“農業従事者”を引き合いに出して次のように“ド百姓”と罵る。
私は、何が無礼であるかが分からない人間は、ド百姓だと思っております
しかも、太田ご老人自身、このような侮蔑語を使ってはいけない、という事を充分に知っているのでござ~♪~ますわ。
だから、言い訳しながら使っているのですわよ。
どういう事をやっているかと言うと、
低学年の小学生が良く言い合っていますよね。
“オマエのかあさんデーベソォ~♪~”
太田ご老人は、言う前に言い訳を言っているわけですわよ。
つまり、
“オイラ、オマエのかあさんが出ベソかどうか、見たわけじゃないから、本当は知らないよ。
でも、出ベソはイイ意味には使われないからね、
オイラ、頭に来たから使わせてよね。”
このように前置きをして
“オマエのかあさんデーベソォ~♪~”
。。。と悪タレを吐(つ)いているわけでござ~♪~ますわよ。うしししし。。。
でも、ご老人本人は、このような幼児性があることを全く気づいていないのですわよね。
おかわいそうに。。。
こういうところに、このご老人がクラシックと言う小さな世界に閉じこもっていたので、
大人の世界のことが疎(うと)くなってしまったと言う何よりの証拠なのですわよ。うふふふふ。。。
しかも、英語を30年以上も使っているのに、
今でも英語が大の苦手な太田御老人は
recital という言葉を自分勝手に解釈して、
自慢めいたことを言っておりますわ。
この事についてはデンマンさんが次のように書いておりました。
お座敷がかかって。。。うししし。。。
(オマエは太鼓モチかぁ~~)
実は、私の下手なピアノでも、recitalをやって欲しい、というお座敷がかかり、
それを断れ切れなく、もはや、加藤氏のたわごとに付き合う時間が、しばらくの間無いのです。
『“ムカついている間は返信を書くな!”に対する返信』より
ここで“リサイタル”と日本語で書くのが日本人の読者には最も分かり易いのに、
わざわざ英語でrecitalと書いています。
太田さんはこの理由を次のように言っています。
このところ、加藤さんの私に対する配慮にも拘らず、
きついことをBBSに書いてしまいました。
ただ、私の、言葉に対するsensitivityの故だ、と理解して下されば有難く思います。
外国語の苦手な私の読める文章などは、誰でも読めてしかるべきだ、との私の姿勢が、案外に、受け入れられないのを解った上でのことでした。
しかし、それでも、例えば、<Mail>にしても二重母音であって、
一般的な<メール>にしたら長母音になり、妥協したとしても、
せいぜい<メイル>でだろう、と愚考している次第です。
仮名、漢字にアラビア数字までを混ぜた文章を書くくせに、
Alphabetを拒否する<平均的な日本人>の言語感覚を疑わざるを得ないのです。
『太田さんからのメール』より
“私の、言葉に対するsensitivityの故だ”という理由なんですよね。
しかし、ここでも“センシティヴィティー”とカタカナで書けば済むのに、わざわざ英語で書いている。
文章の最後の方で“言語感覚”と言うまともな日本語も使っている。
sensitivityを“言語感覚”と置き換えても充分に意味は通じます。
それにもかかわらず、太田さんは日本語の文章の中で英語に固執する。
これは、太田さんの“言葉に対するsensitivity(言語感覚・感受性)”のためではないんですよね。
日本語で言うと太田さんの“エゴ”です。我がままです。自分勝手と言う事です。
太田さんは小さな世界の中に安住しようとするために、
“Alphabetを拒否する<平均的な日本人>の言語感覚”を理解しようとしない。
理解して自分の“本”を読んでもらおうと言う努力もしない。
ネットで<平均的な日本人>に分かり易く読んでもらうための努力もしない。
太田さんの文章を読めば一目瞭然です!読みにくい!
自分の“エゴ”を通す自由だけしか考えられない!
だから、外国語の単語を原語で訳語も無しに本の中にちりばめてしまう。
そのような訳で、太田さん自身が認めているように“愚考”を実践しています。
“メール”はすでに日本語として定着しています。
“ラジオ” を発音どおりに レイディオ と書く愚か者は居ませんよ!
正に愚考です!
リサイタルも日本語として定着している。
日本語でリサイタルという場合、普通は、プロの演奏家が公会堂とか、文化会館などのステージを借り切って
3000人から5000人程度の聴衆を前にして演奏することを言いますよね。
太田さんの言う“リサイタル”は家族演奏会に招かれた程度です。
日本で言う“リサイタル”とは程遠いものがあります。
しかも、言語感覚が優れていると、うぬぼれている太田さんが
“recitalをやって欲しい、というお座敷がかかり”
と、恥ずかしげも無く書いている!