パスタをきれいに食べきった小百合さん
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なぜカナダじゃなくてフランスなの?
実はねぇ、この写真は僕がコラージュして作ったものですよ。僕が小学校1年生か2年生の頃覗き見た別世界のイメージですよ。
行田ですか?
そうですよ。行田の町は戦前、足袋で知られた町だったのですよ。日本の足袋生産の7割から8割を占めていたと言われたほどです。行田の町を歩くと、どこからとも無く、次のような音が聞こえてくると言うのですよ。

フンジャトッテ、カッチャクッチャ
フンジャトッテ、カッチャクッチャ
フンジャトッテ、カッチャクッチャ

何ですか、これは。。。?
足袋を作る女工さんがミシンを踏む音ですよ。フンジャとは、ミシンを踏んで、トッテとは、給料を貰って、カッチャで、行田のフライを買って、クッチャでフライを食べるわけですよ。それで、ミシンを踏む音がフンジャトッテ、カッチャクッチャと聞こえると言うのですよ。
デンマンさんが語呂合わせで作ったのですか?
違いますよ。昔から行田で言い伝えられています。ところが太平洋戦争後、アメリカからナイロンの靴下が入ってきて、足袋産業はすっかり落ちぶれてしまった。僕が小学生の頃には足袋を履いて学校へ行く生徒なんて全く居ませんでしたよ。
それで、足袋と上の写真は、一体どのような関係があるのでござ~♪~ますか?
行田の本町通りと言うのが町のメインストリートなんですよ。その通りには足袋で財を成した人の家と工場が建っていた。でも、僕が小学生の頃はほとんどの工場が足袋を作らず、学生服だとか作業衣を作るようになっていた。でも、つぶれてゆく工場が後を絶たなかった。その一つが上の写真ですよ。
つまり、足袋で財を成した人の大きな邸宅があったのですわね。
そうですよ。でも、僕が小学校へ行く道筋にあったその邸宅は、いつも大きな門が閉まっていた。門が開いているのを見たことが無かった。
それで。。。?
いつも大きな門が閉まっていて中が見えない。子供心に、この家の門の中はどのようになっているのだろうか?好奇心が湧いてきたのですよ。
それでデンマンさんは覗いてみたのですか?
そうですよ。がっしりとした大きな門も風雪に晒されてガタが来て隙間ができていました。それで、その隙間から覗いたのですよ。
そうして見たのが上の写真のイメージだったのですか?
そうですよ。びっくりしましたよ。白いドレスを着ている人なんてアメリカ映画でしか見たことが無い。それに晴れているのに白いパラソルなんかさしている。“晴れているのに、なぜ傘をさしているのだろう?” それまで、パラソルをさしている女性を見たことが無かったのですよ。とにかく、幻想的というか、初めて見る夢のような光景に別世界と言う感じがしたものですよ。白いドレスと、白いテーブルに椅子、日本人離れしたイデタチの女性。僕はフランスに行ったような錯覚に囚われたのですよ。フランスに行けば、おそらくこのような光景を見るに違いない。。。そう思ったものですよ。
『21世紀の小百合さん』より

おほほほほ。。。。
卑弥子でござ~♪~ますわよ。
あなたにお会いしたくて
また出てきてしまったのですわよ。
ええっ?
急に出てきて、どうしたのかって。。。?
だから、カナダじゃなくて、
どうしてフランスでなければならないのか?
そのことが気になっていたのでござ~♪~ますわよ。
そう言う訳で、あたくし、デンマンさんに
いろいろとお聞きしたい事が
あるのでござ~♪~ますわ。

卑弥子さん。。。、それほどフランスが気になるのですか?
あ~♪~ら、デンマンさん、居たのですわねぇ~。どこに隠れていたのでござ~♪~ますか?
隠れていませんよ。卑弥子さんがフランスにこだわりすぎていたので、また出てきたのですよ。
トップの写真の中にエッフェル塔がありますよね。デンマンさんは小学生のときにフランスに行ったことがあるのですか?
もちろん、ありませんよ。僕が小学生時代に外国に行った人なんて全校生徒の中でも一人としていなかったと思いますよ。まだ海外旅行は夢の時代でした。日本は池田総理大臣の下で所得倍増のスローガンで経済大国の道を歩んでいたけれど、庶民にとって海外旅行はまだまだ夢の時代でしたよ。僕が初めて海外に飛び出したとき、まだ成田空港はできていませんでした。
。。。んで、どこから飛び立ったのでござ~♪~ますか?
羽田でしたよ。羽田からトロントまでの片道の航空券が26万円でした。
あらまあああぁ~。。。それほど高かったのでござ~♪~ますか?
アメリカ1ドルが360円の時代でした。
太平洋戦争前のお話ですのォ~?
違いますよ。戦後ですよ。池田総理大臣の時代ですよ。
とにかく、古いお話ですわぁ~。それで、なぜフランスなのですか?
話せば長いストーリーなんですよ。
どうせ長くなる記事なのですからお付き合いいたしますわ。ォほほほほ。。。
あのねぇ。。。僕は小学生の頃テレビっ子だったのですよ。その頃アメリカから輸入した番組『名犬ラッシー』を見て育ったのですよ。
『名犬ラッシー』

ラッシーは、元来は、イギリス系アメリカ人の作家であるエリック・ナイト(Eric Kngiht 1897-1943)が創造し、短編として、1938年のサタデー・イブニング・ポスト紙上で掲載された話「名犬ラッシー 家路 Lassie Come-Home」の主人公である。
1940年には単行本の小説として出版された。
ナイトのオリジナルの話では、英国ヨークシャーに住む幼い少年が、類い希な美しさと気高さを持ったラフコリーを所有していたが、少年の一家が経済的な困窮に直面したとき、やむをえず、ラッシーを金持ちの貴族に売却した。
少年と犬は別離を悲しみ、わけても新しい所有者が、自分の領地のあるスコットランドへと、何百マイルもの彼方にラッシーを連れて行ったため、悲しみはいやましに増大した。
しかしラッシーは、コリーの持つ本能と勇気で逃げだし、小説は、ラッシーが故郷へと、彼女の愛する少年のいる土地へと、家路を辿る苦難の旅を描いている。
1954年-1974年には、アメリカでTVドラマ・シリーズとして製作され、放映された。
このドラマは、日本では、「名犬ラッシー」として、1957年11月3日 - 1966年4月23日、TBS系列で放映された。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
僕が海外に目を向けるようになったのは、このアメリカの番組を見たのがきっかけだったのですよ。アメリカには車が家族に1台か2台あるのですよね。すっごいと思った。しかも冷蔵庫もある。僕が小学校の頃は、クラスの中で車を持っている家なんて一人としていなかった。テレビが普及し始めた頃だったけれど、冷蔵庫を持っている家は少なかった。やがて“スリーC”と言うことが言われ始めた。三種の神器、つまり、カラーテレビ(color TV)、クーラー(cooler)、そして車(car)。日本は経済大国を目指してまっしぐらに進んでいましたよ。
でも、なぜフランスなのですか?
僕は『名犬ラッシー』の影響でアメリカに強く惹(ひ)かれた。子供心に、いつかアメリカに行ってみたいと思い、当時小学校では英語を教えていなかったので、僕は本屋さんで英語の本を買ってきて英語を勉強し始めたのですよ。
独学ですか?
そうですよ。その当時から僕はアメリカを目指して準備をしていたのですよ。
でも、どうしてフランスなのですか?
アメリカってどういう国なんだろうか?当然、そのような好奇心が頭をもたげてきましたよ。だから、僕は図書館でアメリカの歴史の本を読み始めた。そうすると、アメリカと言う国は独立戦争を戦ってイギリスから独立したと言うことが分かった。フランスの義勇軍がアメリカを助けたのですよ。しかも、あの自由の女神はフランスが贈ったものなんですよ。

そして、フランスも自由と平等を求めてフランス革命を戦った国ですよ。うん、うん、うん。。。自由かぁ~。。。自由の女神と言い。。。自由を求めての独立戦争。。。フランス革命。。。フランスと言う国はどういう国なのだろうか。。。?
それで。。。デンマンさんの興味がフランスに移ったのですか?
そうですよ。そういう時に僕は行田の本町通りにあったがっしりとした大きな門の隙間から邸宅の内部を覗き見たのですよ。

それで見たのがこの光景だったのですよ。おおおォ~~。。。自由の女神だ!。。。僕は、なぜか、そう思ったものですよ。
でも、どうして小百合さんと白いドレスの女性がデンマンさんのオツムの中で重なり合うのですか?
僕は成人してから海外に出てゆきました。初めて海外の土地を踏んだのがハワイだった。当時はアメリカ直行便が無かった。給油の都合があるのでハワイ経由でロスアンゼルスに行ったのですよ。それから、これまでに34カ国を旅しました。その中で最も気に入ったのがカナダのバンクーバーだった。
フランスのパリではないのですか?
旅行するのは面白いけれど、住む場所としては僕の肌に合わないのですよ。
どうしてですか?
フランスは革命を起こした国なのに、妙に伝統にこだわっているところがある。そういうところが僕には気に喰わない。
でも、小百合さんとフランスが結びついていますわ。どうしてですか?
僕が小百合さんと初めて会ったのはバンクーバーの隣町、バーナビー市という町だったのですよ。
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ちょうど、こんな雰囲気の部屋で僕は初めて小百合さんと会ったのですよ。
つまり、フランス的なお部屋だったとおっしゃりたいのですわね?
うん、うん、うん。。。そうですよ。。。卑弥子さんにも感じが分かりますか?
なんとなく、それっぽいですわぁ~。でも、どうしてイタリアレストランなのですか?
フランス・レストランにしようかと思ったのだけれど、近くにフランス・レストランが無かったのですよ。
それでイタリアンのパスタのお店ですか?
そうですよ。
日本料理ではダメだったのですか?
小百合さんのオーラはソバとかうどんとは馴染まないのですよ。やはり、イタリアンとかフランス的な雰囲気が似合いそうな人なんですよ。小百合さんとは海外で出会ったという事が僕の先入観になって、つい異国趣味に走ってしまったのですよ。
それでどのようなお店だったのですか?





どうですか、卑弥子さん。。。日本にあると言うよりも、イタリアのナポリかローマにあるような店でしょう?。。。そういう感じがしませんか?
このようなお店が本当に行田にあるのですか?
あるのですよ。

しかも、この大仏から歩いて2分か3分の所にあるのですよ。
マジで。。。?
もちろんですよ。ウソ言ってもしょうがないでしょう? 行けばすぐに分かってしまうんだから。。。
それで極めつけのパスタってどのようなものですの?

このようなものですよ。
おいしそうですわ。なんと言う名前なのでござ~♪~ますか?