愛と家族(PART 1)
司馬遼太郎の「播磨灘物語」は読み終わったので
高橋治の「絢爛たる影絵 - 小津安二郎」を読みました。
これが二度目です。
小津安二郎という名に惹かれてバンクーバー市立図書館から借りてきたのでした。
小津監督の映画の中では、なんと言っても「東京物語」です。
日本では見たことがないけれど、僕はこの映画をトロントとバンクーバーで2度見ましたよう。
あの有名な大女優の原節子が出ている映画です。
いいですねぇ。
あくまでも日本的な映画です。
でも、海外でも評判がいいのですよね。
外国人には分からないだろうと思うのに、アメリカ人でも、カナダ人でも、分かる人には分かるんだよね。
やっぱり、人間は人種を超えて分かり合えるものなんですよう。
ジューンさんにも分かる、と言ってましたよう。
この本を書いた高橋治という作家は、もともと映画監督になることを目指したらしい。
事実、「東京物語」の撮影当時の助監督を勤めた。
だから、小津監督と原節子の裏話が興味深く書いてある。
この二人の“愛の形”は実に興味深い。
男と女の愛を考える上で、実に勉強になりました。
“勉強”なんて言い方はダサいけれど、他にうまい言葉が浮かんでこないよう。きゃははははは。。。
この事で、また記事が書けそうですよう。
パソコンがシャットダウンしてなかったら、おそらく2度も読まなかったろうね。
2度読むだけの値打ちのある本でした。
やはり、楽あれば苦あり。苦あれば楽あり。ですよう。
パソコンがシャットダウンしてムカついても、ムカつくことばかりではない。
そのおかげで本を読み、あの有名な大女優の原節子の深層心理に触れたような、ワクワク、ドキドキするような時間を持つことができました。
きゃはははは。。。
では、小百合さんも、ムカついたり、介護に疲れたら、大長寺の白いテーブルに座って、夢とロマンを考えてね。
僕の霊魂があの白い椅子に宿っていますからね。
小百合さんの体温を感じながら、僕も小百合さんといっしょに夢とロマンに浸ります。
きゃははははは。。。
そう言う訳で、軽井沢タリアセン夫人になりきって、今日もルンルン気分で過ごしてね。
じゃあねぇ。
『苦の中に楽あり』より
(2009年8月12日)
デンマンさんは小津安二郎監督が作った映画をよく観るのですか?
よく観るというほどではないけれど、小津監督が作る映画というのは僕にとって“ふるさと”を観るような感じなのですよう。
どう言う訳で。。。?
あのねぇ~、僕は小津監督が作った映画を日本で観たことがあるのですよう。テレビの名画劇場とか。。。そういう番組で放送していたのを知らずに観ていたのです。
小津監督が作っていたというのを知らなかったのですか?
監督の名前などまったく知りませんでしたからね。当時は中学生か高校生でしたよ。
どういうきっかけで小津監督の映画を観るようになったのですか?
意識して観るようになったのはカナダに落ち着いてからです。トロントでもバンクーバーでも日本映画と言えば、溝口健二、小津安二郎、黒澤明、。。。そういう監督の作品が映画祭などで上映されていたのですよう。僕が日本映画を意識して観るようになったのはカナダで暮らすようになってからです。ふるさとを懐かしむような気持ちで観始めたのです。
日本では邦画はあまり観なかったのですか?
もっぱらアメリカ映画かフランス映画でしたよう。僕の目は海外に向いていたから日本に居る時には、日本映画にあまり興味が無かった。ショーンコネリーの 007 に参っていましたよう。
デンマンさんはスパイ物が好きだったのですか?
いや。。。スパイ物というより、映画のスケールというのか、最初から最後までヒヤヒヤ、ワクワク、ドキドキさせられながら観る経験というのは 007 が初めてでしたね。 それまで 007 のような映画は日本で観た事が無かった。もう、夢中になってしまいましたよう。海外に行きたいという気持ちがさらに大きく膨らんだものですよう。
。。。で、「東京物語」もカナダで観たのですか?
そうです。。。日本でも観たかも知れないけれど、はっきりと覚えていないのですよう。外国に居て、なんとなく“ふるさと”を見てみたいというような気持ちで「東京物語」を観たのですよう。
あたしは観た事が無いのですけれど、どういう内容なのですか?
ウィキペデアで調べましたよう。読んでみてね。
東京物語
東京物語は、小津安二郎監督、笠智衆主演の1953年制作の日本映画。
白黒作品。
日本では1953年11月3日に、松竹の配給で公開された。
昭和28年度文化庁芸術祭参加作品。
世界の映画批評家が集まって映画のベスト10を作成する『SIGHT AND SOUND』2002年版CRITICS' TOP TEN POLLは、年老いた夫婦が成長した子供たちに会うために上京する旅を通して、小津の神秘的かつ細やかな叙述法により家族の繫がりと、その喪失という主題を見る者の心に訴えかける作品と寸評をだしている。
あらすじ (ネタバレ注意!)
1953年の夏、尾道に暮らす周吉とその妻のとみが東京に旅行に出掛ける。
東京に暮らす子供たちの家を久方振りに訪ねるのだ。
しかし、長男の幸一も長女の志げも毎日仕事が忙しくて両親をかまってやれない。
寂しい思いをする二人を慰めてくれたのが戦死した次男の妻の紀子だった。
紀子はわざわざ仕事を休んで二人を東京名所の観光に連れて行く。
両親の世話に困った幸一と志げは、二人を熱海の旅館に宿泊させる。
しかし、その旅館は安価な若者向きの旅館で、二人は騒々しさになかなか眠れない。
翌日、熱海から帰って来た二人に対し、志げはいい顔をしない。
居づらくなった二人は志げの家を後にする。
周吉は在京の旧友と久方振りに再会し、酒を酌み交わす。
とみは紀子の家に泊まる。
ここでとみは、死んだ夫を忘れて再婚するように紀子に強く勧めるのだった。
周吉は旧友に本音をぶちまけるほど泥酔する。
深夜、泥酔状態のところをお巡りさんにとめられて、志げの家に帰ってきてしまう。そこで志げたちの顰蹙を買う。
二人は、子供たちからはあまり温かく接してもらえなかったが、それでも満足した表情を見せて尾道へ帰った。ところが、両親が帰郷して数日もしないうちに、とみが危篤状態であるとの電報が子供たちの元に届いた。子供たちが尾道の実家に到着した翌日の未明にとみは死去した。幸一と志げは悲しみつつも、さばさばした乾いた表情を見せる。
とみの葬儀が終わった後、志げは京子にとみの形見の品をよこすよう催促する。そして志げは、とみよりも周吉が先に死ぬのが望ましかったと主張する。幸一もそれに同調する。紀子以外の子供たちは、葬儀が終わると即座に帰って行った。京子は兄や姉に対し怒りを禁じえなかった。
紀子が東京に帰る前に、周吉は上京した際の紀子の優しさに感謝を表す。そして紀子に再婚を勧める。ここで紀子は初めて自分の苦悩を吐露する。独身を通す自分の将来の不安がぬぐえないことを打ち明けた。涙を流す孤独な紀子に、周吉は妻の形見の時計を与えた。愛する者を失った喪失感を共鳴できる存在は、紀子以外にいなかった。
主題および演出
独立した子供たちのもとを訪れる年老いた夫婦と、それをあまり快く思わない子供たちを通して、家族の絆、夫婦と子供、老いと死、人間の一生、それらを冷徹な視線で描いた作品である。
核家族化と高齢化社会の問題を先取りしていた。
小津映画の集大成とも言える作品で、国際的にも非常に有名な日本映画であり、各国で選定される世界映画ベストテンでも上位に入る常連作品のひとつである。
戦前は映画で軍人の妻を演じることが多かった原節子が、戦争で夫を亡くした未亡人を演じている。
笠智衆、東山千栄子、杉村春子などが、名演を見せている。
ローポジションを多用しカメラを固定して人物を撮る、「小津調」と形容される独自の演出技法で家族を丁寧に描いている。
家族という共同体が幻想でしかない悲し過ぎる現実を、独特の落ち着いた雰囲気でつづる。
出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ずいぶんと古い映画なのですねぇ。
確かに、つい最近の映画ではないですよう。うしししし。。。
。。。で、デンマンさんにとっては感動の映画なのですか?
いや。。。僕にとって感動的な映画というのは黒澤明監督の『生きる』ですよう。確か中学生の時にテレビで初めて観たのだけれど、感動しましたね。今でもはっきりと覚えていますよう。海外に飛び出して行きたいと思うようになったのも、『生きる』を観た影響なのですよう。
その『生きる』という映画は、“少年よ!大志を抱け!”みたいな映画なのですか?
いや、まったく違うのですよう。少年向けの映画じゃない。もう定年退職ま近い市役所のしがない役人が、癌になって死期が近いことを知るのですよう。それで、改めて自分の人生を考えるというストーリなのですよう。
。。。で、どこが感動的だったのですか?
人生ってぇ、長いようで短いんだなァ!。。。しみじみとそう思えるような映画だった。中学生の僕にとって、人生ってぇとてつもなく長いように思えた。でも、実はそうでないという事を初めて実感させられたような映画だった。
それで、どうして海外に結びつくのですか?
だから、そこに 007 が現れたわけですよう。
つまり、007 と『生きる』を中学生の時に、ほぼ同時に見たのですか?
そうなのですよう。。。偶然というのは恐ろしいもので、それで、僕は、どうしても海外を見てみなければ死ねないという使命感を感じたものですよう。うしししし。。。
マジで。。。?
冗談のように聞こえるかもしれないけれど、これは僕の本音です。
。。。で、「東京物語」は、どういうところに感動したのですか?
いや。。。とりわけ感動したわけではないけれど、懐かしい“ふるさと”を見るよな気持ちになれる事がいいな、と思っていた。
ただそれだけですか?
そうです。。。僕の人生の方向を変えるというほどの衝撃はなかった。
じゃあ。。。007 と『生きる』は、デンマンさんの人生の方向を変えるきっかけになったのですか?
そうですよう。。。この二つの映画が、中学生の僕にある衝撃を与えたことは確かです。
でも、どうして「東京物語」を取り上げる気になったのですか?
高橋治の「絢爛たる影絵 - 小津安二郎」を読んだからですよう。
今日は、その感動について話してくださるのですか?
うん。。。そのつもりです。。。でもねぇ、パソコンがシャットダウンする前に、ここまでを投稿しておこうと思うのですよう。続きは、次回と言う事で、レンゲさんも楽しみに待っててくださいね。
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