日本の天国と地獄(PART 1)
件名:小百合さん、おはよう!
昨日3時に町子さんが
やって来ましたよ!
きゃはははは。。。
Date: 31/07/2010 2:50:04 PM
Pacific Daylight Saving Time
日本時間:8月1日(日曜日)午前6時50分
From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
CC: barclay1720@aol.com
仕事のことは20分ぐらいで、いつものように茶飲み話に花が咲きましたよう。
僕は最近、『淀川長治、黒澤明を語る』を読んだばかり。
面白いから一晩で読みきりました。
読み終わったら朝の6時で、お日様が照っていましたよう。
きゃははははは。。。
町子さんも淀川さんのファンだってぇ、
淀川さんとグロリア・スワンソンのエピソードを話したら、
そうよね。。。
人との付き合いは、結局、心と心の付き合いなのよね。
言葉と言葉の付き合いではないのよね。。。
そのような事を言ってましたよう。
それから日本のニュースを2つばかり話してくれました。
僕は、もう20年以上テレビを持ったことがないけれど、町子さんは日本語放送の日本の番組を毎日見ている。
だから、日本の事になると、僕よりも相当詳しい。
一つは、若い母親が二人の子供を殺してしまったというニュース。
もう2年ぐらい前かな?
苫小牧で同じような事件が起きた。
次男は餓死して死んでしまった。
二人とも死んでいるだろうと思って、鍵のかかった部屋を開けたらば、長男は生きていた。
マヨネーズだとかを舐めて生きていたらしい。
死んでいるだろうと思っていたので、母親も驚いたというような、全く常識では考えられないような事を言ったのですよう。
動物以下の行為ですよね。
でも、今回の母親のケースでは幼い子供二人とも死んでしまった。
町子さんも話をしながら涙を浮かべていましたよう。
もう一つのニュースは110歳で生きていると思われていた人が
20年間も白骨死体でいたというような、これも常識では考えられない話。
市役所の人が100歳のお祝いだとかをあげた時に確かめるべきだったのよう。
。。。と町子さんは、なぜか、市役所の職員の怠慢を責めていましたよう。
全く、異常なニュースが日本には多すぎるよね。
どう考えても、異常なニュースが多すぎるのですよう。
やっぱり、政治と教育の問題でしょうね。
僕は、そう思いますよう。
日本は経済大国にはなったけれど、現在は、自殺大国になってしまっている。
これは、日本の政治と教育の貧困の結果ですよう!
政治家が“おバカタレント化”してしまっていますよう。
誰かさんのように四国巡礼をしてみたりね。
きゃははははは。。。
もう、日本の神様たちにお祈りをささげる以外にないよね。
行田の大長寺の大仏様。。。
高崎の観音様。。。
軽井沢の不動様。。。
栃木のお稲荷様。。。
仙台の八幡様。。。
伊豆の海の神様。。。
谷川岳の山の神様。。。
もうこれ以上悲惨なニュースが日本でありませんように。。。
若い母親が、せめて、ワンちゃんやニャンニャンを見習って、自分を犠牲にしてでも子供の命を救う気持ちがもてますように。。。
そして、これまで勤勉だと言われていた日本人が、お金欲しさのために人の命を粗末にしないように。。。
さらに小百合さんが軽井沢タリアセン夫人になりきって、ルンルン気分で今日、一日を無事で楽しく愉快に過ごせますように。。。
そして、この夏休みには、バンクーバータリアセン夫人になって、北京ダックとブイヤベースを僕と一緒に食べることができますように。。。
日本の神様、よろしくお願いいたします。
きゃはははは。。。
デンマンさん。。。町子さんは淀川長治さんのファンだったのですか?
そうだと言いましたよう。
知りませんでしたわ。
淀川さんの話を聞いて、若い頃は旦那の道重さんと、よく映画を見に行ったらしいですよう。
そうだったのですか?。。。町子さんとは映画の話をほとんどしませんでしたわ。
それはそうだよね。せっかくバンクーバーにやってきたのだから、日本の映画の話よりもカナディアンロッキーの話をした方が面白いし、有意義ですよう。
淀川さんとグロリア・スワンソンのエピソードって、どのようなお話ですか?
あれっ。。。小百合さんは僕のメールを読まなかったのですか?
淀川さんとグロリア・スワンソンのエピソードを私が受け取ったメールの中で書いたのですか?
そうですよう。せっかく書いたのだから読んでみてくださいよう。
件名:小百合さん、おはよう!
伊豆はよいよい、
栃木はこわい。。。
きゃはははは。。。
Date: 27/07/2010 11:22:49 AM
Pacific Daylight Saving Time
日本時間:7月28日(水曜日)午前3時22分
From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
CC: barclay1720@aol.com
伊豆で楽しんで、蒸し暑い栃木に帰るのはいやだろうね。
介護もあるしね。
でも、人間万事塞翁が馬!
苦の中に楽あり
楽の中に苦あり
昔の人は実にうまいことを言ったものです。
だから、介護で忙しくっても、時には伊豆に出かけて命の洗濯してね。
バンクーバーは今日も素晴らしい天気ですよう。
こんなに良い天気が続いていいのかなァ~?
そう思ってしまうほど、素晴らしい天気が続いてますよう。
夕べは『淀川長治、黒澤明を語る』を一気に読んでしまいました。
253ページの本だけれど、面白いので6時間で読みきりました。
僕は黒澤監督の映画はほとんど見ているので
引き込まれるように読みました。
もう、夜が明けてましたよう。きゃははははは。。。
『羅生門』も『七人の侍』もいいけれど、
僕は『生きる』が一番好きですね。
確か中学生の時に初めて観たのだけれど、感動しましたね。
海外に出てみよう!と思ったのも『生きる』を見たのが強い影響をしてましたよう。
海外のことなど一言も出てこなかったけれど、
人生は長いようで短く、一度だけしか生きられないと、しみじみと思ってね。
生きているうちに世界を見てみようと思いましたね。
それで、現在、素晴らしい天気が続いているバンクーバーに居るのです。
きゃはははは。。。
1960年に「ララミー牧場」でテレビ初登場!と著者紹介に書いてあるたけれど、
そうだよね。懐かしいね。
僕が小学生の頃でしたよう。
にんぎ にんぎおじさんで、面白いしゃべり方で人気が出たんだよね。
1998年に亡くなっているんだね。
1909年生まれだから89才だよ。
長生きしたねぇ~。
小百合さんは淀川さんを覚えている?
話は変わるけれど、『影武者』の撮影現場をNHKが密着取材して、全撮影行程を記録した番組を僕は帰省しているときに「NHKスペシャル」の再放送で見たよ。
1時間半の番組だったけれど、あれを見たら、ほとんどの人が黒澤監督の人扱いのすごさに嫌気がさすと思うんだよね。
あの番組を見て、僕は、この人とは友達にはなれない!と思いましたね。
ビデオにとられている姿は、「いやな人」という印象を与えるんだよ。
そしたら、淀川さんの対談の中で
「怒ってるところばかり撮られてるから参ったよ(笑)」と書いてあるんだよね。
そうだよね。あの番組を見たら、黒澤監督もそう言うだろうと僕は納得したものですよう。
でも、撮影している人にとっては、黒澤監督が激怒しているところが常人にはない迫力だったのだろうね。
僕も、NHKスペシャルを見ながらムカついたけれど、あのすごい怒り方には、人間としての“迫力”を感じましたよう。
しかし、淀川さんの本を読んだら、あの激怒のシーンは、ほんの一面だということが分かりました。
ジョンフォード監督との親交を読むと、黒澤さんが結構、繊細で、いろいろと人の心を気遣っているのだということが分かります。
そうだよね、人間をあれだけ深く掘り下げて映画を作れる人が「激怒の人」だと言う番組を作られたら、参ってしまうだろうね。
黒澤さんと淀川さんは本当に仲の良い友達だったようだ。
本を読んで感じるのは、黒澤さんと淀川さんの“心の繊細さ”がお互いに惹きつけ合ったのだと僕は思うね。
淀川さんが、次のようなエピソードを書いていた。
淀川さんはグロリア・スワンソンの熱烈なファンだったらしい。
人に好かれるタイプの人だから、スワンソンさんにも好かれたようで、ハリウッドの彼女の家に招かれて遊びに行ったという。
もう、楽しくて楽しくて、「こんなに優しいのか」と思うぐらいに優しかったらしい。
「ニューヨークに行くから来てください」と、電話番号を教えられたのだけれど、淀川さんは躊躇したという。
なぜ?
淀川さんは怖かったと書いている。
あんな立派な人だから「あんなこと言われたけれど、本当に行ってもいいものか?」
結局、淀川さんは行かなかった。
そしたら、3日後にスワンソンさんから電話がかかってきた。
「何で来ないんですか!?」って言うから「怖い」って言ったの。
「何が怖いんですか!」って怒ったの、で、行ったら大歓迎だったけどね。(169ページ)
淀川さんの怖いという気持ち分かるよね。
「怖い」と言える所が、また淀川さんらしいのだよね。
平均的な日本人ならば、「どうしても避けられない用事があったので。。。」とか、なんとか、取って付けたような言い訳をするんですよう。
淀川さんにも、黒澤さんにも、奥に秘めた素直な気遣いがあるんだよね。
本を読んで、黒澤さんの表面には見えない、意外な“繊細さ”を見たように思いました。
僕も、小百合さんに軽井沢に招かれた楽しい思い出がいっぱいありますよ。
ありがとう!
じゃあね。
グロリア・スワンソン
Gloria Swanson
1899年3月27日 - 1983年4月4日
アメリカ合衆国の女優。
サイレント時代に活躍。
学校を終えた後はデパートで販売員として働くようになる。
特にショービジネスに興味はなかったが、1914年からエキストラとして映画に出演するようになる。
1916年にロサンゼルスに移り、マック・セネット(Mack Sennett)のコメディなどに出演。
1919年にパラマウント映画と契約。
セシル・B・デミルに見いだされる。
身長約150センチと小柄ながら、豪華なセット、衣装を用いたゴージャスな作品で、人気を博す。
週に100万ドル稼ぎ、100万ドル使うスターと呼ばれた。
1916年に俳優のウォーレス・ビアリーと結婚するが3年後に離婚。
2度目の夫、実業家ソンボーン(Herbert K. Somborn)との間に娘グロリア(Gloria)を出産。
出産後もスターとしての人気は衰えず、初めての子持ちのスターでもあった。
3度目の夫は、『在りし日のナポレオン』撮影中、フランスで通訳を務めたド・ラ・ファレーズ侯爵(Marquis de la Falaise)。
貴族と結婚した初めてのハリウッド女優だった。
貴族と結婚したポーラ・ネグリと張り合ったと言われる。
この結婚と同時期に、ケネディ大統領の父親であるジョセフ・P・ケネディと不倫の関係にあったことを、50年後に出版した自伝で初めて明かした。
関係は3年続き、カトリックであるため離婚のできない彼のため、身を引いたという。
4度目にはマイケル・ファーマーという男性と結婚し、2人目の娘ミシェル(Michele)をもうけるが3年で離婚。
5番目の夫とは45日間しか共に生活しなかったという。
最後の夫となったウィリアム・ダフティは作家・脚本家で、彼女の死まで共に暮らした。
1950年のビリー・ワイルダー監督作品『サンセット大通り』において、サイレント時代に活躍し忘れ去られた女優という、彼女自身を投影した役でカムバックした。
この作品でゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門)を受賞、
アカデミー主演女優賞にもノミネートされた。
出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
うん。。。いいお話ですわね。
ところで、日本の若い母親は、どこか狂ってしまったの?
ほんの一部の人ですわ。
でもねぇ、前にもちょうど同じような事件があったのですよう。僕は次のように書いたのですよう。
(すぐ下のページへ続く)