マグダラのマリアの真実
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ケイトー。。。 どういうわけでマグダラのマリアを取り上げる気になったのォ〜?
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たまたまバンクーバーの市立図書館で借りたDVDを借りて映画を観ていたらマグダラのマリアが出てきたのですよ。。。
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デンマンのコメント
This DVD has three episodes. One of those is the real Mary Magdalene---the so-called most famous prostitute in the history.
She came from the town called Magdala.
Her name means "The tower of salted fish". The bible doesn't say that Magdalene is a prostitute.
She lived a harsh life. She'd never married.
The Nag Hammadi book found in 1945 gives scholars a new insight about Mary Magdalene.
Eye-opening and intriguing!
このDVDには3つのエピソードが含まれている。 その一つは、歴史上最も有名な娼婦だと言われているマグダラのマリアだ。。。本当はどのような女だったのか?ということを追求する話である。
彼女はマグダラという町からやって来た。
彼女の名前は「塩漬けにした魚を保存する塔」という意味だ。 聖書にはマグダラのマリアが娼婦だったという記述はない。
マリアは厳しい人生を歩み、一生結婚しなかった。
1945年にナグ・ハマディで見つかった古文書を学者が研究した結果マグダラのマリアについて新しい事実が解った。
この映画は興味深く、これまで知らなかったことを教えてくれる。
なるほどォ〜。。。上のドキュメンタリーを観て何か発見したことでもあったのォ〜?
いろいろとマグダラのマリアについて面白い話をしていました。。。シルヴィーは一応キリスト教徒だよねぇ〜。。。マグダラのマリアのことを教会ではどのように教えたァ〜?
マグダラのマリアは、お金持ちの家に育ったのよ。。。でも、その美貌と富ゆえに快楽に溺れ、身を落として罪深い女、つまり娼婦になったのよ。。。後で、イエスに出会い悔悛したというの。。。そういう話だったわ。。。。
僕も、だいたい同じような話を聞いてましたよ。。。映画を観ると、ほとんどの映画はマグダラのマリアを娼婦として扱ってました。。。念の為に、マグダラのマリアのことを調べたら、ウィキペデアには次のように書いてありました。。。
マグダラのマリア
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マグダラのマリア(ラテン語: Maria Magdalena)は、新約聖書中の福音書に登場する、イエスに従った女性である。
マリヤ・マグダレナとも音訳される。
正教会・カトリック教会・聖公会の聖人で、正教会では「携香女(けいこうじょ)」「亜使徒」の称号を持つ。
この「携香女」の称号と、上の写真のイコンに描かれるアラバスターの香油壷を持った姿は、磔刑後のイエスの遺体に塗るための香油を持って墓を訪れたとの聖書の記述に由来している。
共観福音書では、マグダラのマリアは「イエス・キリストが十字架にかけられるのを見守り、イエスが埋葬されるのを見、そして墓の方を向いて座っていた婦人たちの中で、最も重要な人物」とされる。
西方教会において娼婦をも意味する「罪深い女」とされるため、ニコス・カザンザキスの『最後の誘惑』やダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』のような現代小説をはじめとして、イエスとの結婚を伝える種々の伝承があるが、歴史的根拠は見出されていない。
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西方教会では男性原理を重視し組織形成していたため、マグダラのマリアを「イエスの死と復活を見届ける証人」であるとともに、教義上「悔悛した罪深い女」とした。
東方教会(正教会)ではこのような「罪深い女」との同一視はしていない。
これについては多くの解釈があり、真実ははっきりしていない。
したがって娼婦をも意味する「罪深い女」とマグダラのマリアを関連付ける伝承は、西欧・西方教会(ことにカトリック教会)独自のものである。
四福音書中の記述
マグダラのマリアについて四福音書がはっきり語っているのは、イエスによって七つの悪霊を追い出されたこと、磔にされたイエスを遠くから見守り、その埋葬を見届けたこと、そしてイエスの復活に最初に立ち会い、「すがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから」とイエスに窘められたことである。
『マタイによる福音書』などによれば、彼女は復活の訪れを弟子(使徒)たちに告げるため遣わされた。
このため彼女は初期キリスト教父たちから「使徒たちへの使徒」と呼ばれ、正教会での彼女の称号「亜使徒」はこの事績に由来する。
マグダラのマリアともう一人のマリアは、安息日が終わって、週の初めの日の明け方にイエスの納められている墓に向かった。
その時、大地震が起こり、墓の入り口を塞いでいた大きな石が転がり、墓の入り口が開いた。
『マタイによる福音書』によればそれは天使の仕業であり、墓の中にはイエスの遺体はなかった。
外典の記述
20世紀になって『(マグダラの)マリアによる福音書』(断片のみ)、『トマスによる福音書』(ナグ・ハマディ写本から)、『フィリポによる福音書』などが発見された。
これら外典の中でマグダラのマリアは、イエスとの親密な様子や、男性たちと並ぶイエスの弟子として記述されている。
『トマスによる福音書』では、ペトロが「この女性(マグダラのマリア)は私達の下から去ったほうがいい」と、マグダラのマリアを排斥すべきと、イエスに進言したのに対し、イエスは「私は彼女を天国に導くだろう」と応える。
そして「私が彼女を男性にするために、彼女もまた、あなたがた男性たちに似る生ける霊になるために」と、謎めいた理由を言う。
これら最新の聖書研究は、イエス宣教の旅での女性たちの役割や、マグダラのマリアの地位を見直させることとなった。
伝説
マグダラのマリアは古来より東方教会・西方教会いずれの教会でも崇敬されてきたが、ことにカトリックでは特有の多くの伝説で彩られている。
マグダラのマリアとベタニアのマリアは同一人物であり(第二バチカン公会議以後は別人とされることが多い)、マグダラのマリアは晩年にイエスの母マリア、使徒ヨハネとともにエフェソに暮らしてそこで没し、後にコンスタンティノポリス(現イスタンブール)に移葬されたとされている。
伝説中のマグダラのマリアは、たとえばヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』などによれば、金持ちの出自であって、その美貌と富ゆえに快楽に溺れ、後にイエスに出会い悔悛したという。
そのため、娼婦をも意味する「罪深い女」との異名を与えられたり、ルネサンス以降「マグダラのマリアの悔悛」を主題とする絵画、彫刻が多く制作された。
このイメージはカトリック教会の作為が関与していると指摘されている。
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洞窟のマグダラのマリア
(ジュール・ジョゼフ・ルフェーブル)
イエス昇天後、兄弟ラザロ、マルタ(マリアの姉)らとともに南仏マルセイユ(あるいはサント=マリー=ド=ラ=メール)に着き、晩年はサント=ボームの洞窟で隠士生活を送ってその一生を終え、遺骸はいったんエクス=アン=プロヴァンス郊外のサン=マクシマン=ラ=サント=ボームに葬られたと信じられた。
ヴェズレーのサント=マドレーヌ大聖堂はその遺骸(頭蓋骨)を移葬したと主張している。
しかし、サン=マクシマン側はいまも遺骸を保持していると主張しており、一部はパリのマドレーヌ寺院にも分骨されている。
娼婦だったか?
『ルカによる福音書』が紹介するマグダラのマリアの記述は、次のものだけである(ルカ8:1-3, 23:55)。
イエスに七つの悪霊を追い出された
マグダラの女と呼ばれるマリア
そのほか多くの婦人たちと一緒に
自分の持ち物を出し合って
一行に奉仕していた
ガリラヤから付き従ってきた
カトリック教会では、『ルカによる福音書』(7:36-50)に登場する「罪深い女」と彼女が同一人物とされた。
この女性がどのような罪を犯したのかは記載されていないが、性的不品行と説明されてきたようであり、それが娼婦とされていた原因かもしれない。
彼女は(悔悛した)娼婦の守護聖人でもある。
いっぽうでカトリック信仰の強い国々を中心に、娘を名付けるにあたってこの聖女の名が好んで使われている。
諸文学で彼女の娼婦的な過去を扱うものが多いが、職業的娼婦であったとするものはあまり見受けられない。
しかし、キリストを描いた映画の多くが、彼女がかつて娼婦であったとの設定で登場させている。
2018年公開の『マグダラのマリア』はマグダラのマリアをイエス・キリストの使徒のひとり(復活の証人)として初めて描いた映画となった。
イエスと結婚していた?
さきの『最後の誘惑』では、十字架上のイエスがマグダラのマリアとの結婚生活を夢想する。
また、1982年に英国で刊行されたノンフィクション“Holy Blood, Holy Grail”(日本語版:『レンヌ=ル=シャトーの謎』)で著者らは、イエスとマグダラのマリアが結婚しており、子供をもうけたという仮説を示した。
マーガレット・スターバードもこれに追随し、1993年『マグダラのマリアと聖杯』で、イエスとマリアとの間の娘をサラとした。
2003年の小説『ダ・ヴィンチ・コード』がそれをストーリー中に使っている。
シンハ・ヤコボビッチとバリー・ウィルソンも、2014年出版の“The Lost Gospel: Decoding the Ancient Text that Reveals Jesus' Marriage to Mary the Magdalene” (日本語版『失われた福音-「ダ・ヴィンチ・コード」を裏付ける衝撃の暗号解読』2016年)の中で、2人の聖なる婚礼や交わり、子供を二人もうけたことなどを詳細に記録した古代シリア語文書を解読している。
結婚していたとする論では、あちこちに暗喩や象徴の形で残っていると主張している。
西洋美術には、作品の中にシンボルとしての形や色を配し、暗示的に表現する手法がある。
古くから、主流の宗派以外の主張は異端として迫害されたり、証拠品を焼き払われたりしてきた歴史があるため、迫害の対象となるような表現について芸術家達はその暗示的手法を用いてきた。
明示的なものでは、2-3世紀ごろの著作と見られる『フィリポによる福音書』の記述がある。
国を治める者によって宗教内容の統制が行われ、統率者の意向にそぐわない教義は隠蔽や書き換え、迫害が行われてきたことから、この結婚という内容もその隠蔽の1つであるとみられている。
イエスの結婚を巡っては、近年さまざまな研究書、追跡書などが出ている。
20世紀の半ばに、ナグ・ハマディ写本の発見などにより、これまで異端の書として隠されていた書物がその姿を現してきた。
エレーヌ・ペイゲルス (Elaine Pagels) は、娼婦を否定し妻とするのは「同じ見方の裏と表」であると指摘した。
ペイゲルスによれば、「男たちは、マグダラのマリアにイエスの弟子でも、リーダーでもなく、性的な役割だけを与えようとして、このようなファンタジーを作っているのではないかとさえ思える」と主張している。
しかし史実の対象となる古書の中に、イエスが結婚をしていなかったという具体的な表現もなく、太古の時代に地球上のあらゆる文化でリーダーとしての女神崇拝があったことの名残でもあるマグダラのマリアの存在に恐れを感じた組織が、「性的」や「ファンタジー」という言葉によって、逆に貶めているとも考えられる。
出典:「マグダラのマリア」
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「1945年にナグ・ハマディで見つかった古文書を学者が研究した結果マグダラのマリアについて新しい事実が解った」とケイトーはコメントに書いていたけれど、それって どういう古文書なのォ〜?
次のような古文書ですよ。。。
ナグ・ハマディ写本
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ナグ・ハマディ写本(The Nag Hammadi Codices)あるいはナグ・ハマディ文書とは1945年に上エジプト・ケナ県のナグ・ハマディ(より正確には、ナグゥ・アル=ハムマーディ)村の近くで見つかった初期キリスト教文書のことである。
ナグ・ハマディ写本は、二十世紀最大の考古学的発見に数えられており、事実、初期キリスト教の研究を飛躍的に進展させた。
ナグ・ハマディ写本は、古代キリスト教を知るための原資料としては死海写本につぐ重要性を持つと見なされている。
写本は、農夫ムハマンド・アリー・アッサーマン (Muhammad ʽAlī al-Sammān) が偶然土中から掘り出したことで発見された。
発見時、文書は壷におさめられ、羊の皮でカバーされたコーデックス(冊子状の写本)の状態であった。
ナグ・ハマディ写本は全部で13冊からなっている。
より正確に言うと、12冊の写本と8枚の断片からなっており、後者は13冊目の写本から破られたものと6冊目の裏表紙に挟まれていたものである。
写本の多くはグノーシス主義の教えに関するものであるが、グノーシス主義だけでなくヘルメス思想に分類される写本やプラトンの『国家』の抄訳も含まれている。
ナグ・ハマディ写本研究の第一人者ジェームズ・M・ロビンソン(James M. Robinson) による『英訳ナグ・ハマディ文書』の解説によると、本写本はエジプトの修道士パコミオスがはじめた修道士共同体(後世の修道院に相当する)に所蔵されていたのかもしれないという。
写本はコプト語で書かれているが、ギリシャ語から翻訳されたものがほとんどであると考えられている。
写本の中でもっとも有名なものは新約聖書外典である『トマスによる福音書』である(同福音書の完全な写本はナグ・ハマディ写本が唯一)。
調査によって、ナグ・ハマディ写本に含まれるイエスの語録が1898年に発見されたオクシリンコス・パピルスの内容と共通することがわかっている。
そして、このイエスの語録は初期キリスト教においてさかんに引用されたものと同じであるとみなされる。
写本が作られた時期に関してはほとんど議論の余地がなく、西暦350年から400年の間と推定されている。
この年代は、カートナージやコプト語の字体から決定できる。
写本が土中に埋められたのは4世紀よりも以前である。
一方、写本に収録された各編の原本の成立時期については異論があり確定できていない。
ナグ・ハマディ文書そのものはカイロのコプト博物館に所蔵されている。
ナグ・ハマディ写本の発見以前、少数の例外を除くとキリスト教グノーシス派由来の直接的な文献はほとんど発見されていなかった。
そのため、グノーシス派に関する研究は、反異端の立場からグノーシス派を非難した古代の正統教会の教父たちが残した文献に頼らざるを得なかった。
ナグ・ハマディ写本は古代キリスト教の異端としては最初で最大の勢力だったキリスト教グノーシス派の原資料にあたり、キリスト教グノーシス派の教理・神話論などを正統教会の偏見を通さずに知ることが出来ることから重要な写本である。
出典:「ナグ・ハマディ写本」
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このナグ・ハマディ写本が見つかって、改めて脚光を浴びたのが『マリアによる福音書』なのです。。。
マリアによる福音書
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マリアによる福音書は、グノーシス主義の福音書文書の1つである。
初期キリスト教の『新約聖書』の外典としてこの名の書籍の存在が伝わっていたとされるが、不明点が多く、全容は知られていなかった。
しかし19世紀に偶然に発見され、内容から外典とされていた『マリアによる福音書』であることが確認された。
『ナグ・ハマディ写本』から発見された諸文書とともに、グノーシス主義の原典資料として貴重であるだけでなく、初期キリスト教や当時の地中海世界の宗教状況の研究にも重要な文書である。
この文書において登場人物の名前はマリハムと表記されている。
マリハムは、マリア(マリヤ)と訳されている。
一般的には、イエスの母マリアではなくマグダラのマリアと考えられている。
そのため、本文書は『マグダラのマリアによる福音書』とも呼ばれる。
研究史
『マリアによる福音書』は、3世紀頃の初期キリスト教の教父文書などに言及が見られたが、原本は伝存しておらず実体が不明であった。
ギリシア語の断片が2つほど見つかっている。
エジプトで発掘され、後にベルリンに運ばれたパピルスの冊子、いわゆる『ベルリン写本』の冒頭部分が『マリアによる福音書』の写本であることが1896年に判明した。
十分な長さを持ったまとまった文書は、この写本から見つかったものが唯一のものである。
ただし、諸般の事情があって公刊が遅れ、『ナグ・ハマディ写本』の発見後1955年になってようやくテキスト全体が公刊された。
『ベルリン写本』は『ナグ・ハマディ文書』とは別個の写本であるが、同様にサヒディック方言のコプト語で書かれており、ギリシア語原書より翻訳されたものと考えられている。
前半および中ほど数頁に欠損があり、残っている部分にも欠落が多く、現存している写本は本来の文書のおそらく半分程度と思われる。
内容
前半では、復活した救い主(イエス・キリスト)が弟子たちの質問に答えて啓示を述べ与える対話と、それを受けた弟子たちの間の反応が記されている。
マリアは文書後半部分に登場する。
写本では「マリハム」と記されているが、この登場人物はキリスト教の『新約聖書』中に登場するマグダラのマリアのことであると考えられている。
後半部分の概要は次のようになっている。
救い主から福音の宣教を託された弟子たち(使徒)は怯むが、マリアは使徒たちを励ます。
ペトロがマグダラのマリアに対し、「救い主(イエス)が他の女性たちにまさってあなたを愛したことを、私たちは知っています。」として、彼女が救い主(イエス)から授かった秘伝を他の人々にも話すよう求める。
マリアは幻の内に見た救い主の啓示について話す。
アンデレ、ペトロはその内容を信じない。マリアは泣いて抗弁する。
レビがペトロをたしなめ、使徒たちは宣教に出発する。
前半から後半を通して全体を見ると
以下のようにまとめることができる。
これまで、救い主は、聞く耳のあるもの(これはマリアらを指しているようだ)に対して、聞いたこともないような話をしていた。
そして、それらのことをいまだによく理解できていなかった弟子が、「世の罪とは何ですか」という、世の罪(イエスを刑死させた罪)と人の原罪とを暗にほのめかすような質問をした。(マリア福音書7)。
そうしたところ、それに対してイエスは、「罪というものはない」という答えをした。
そして、(罪よりの救済に関連した福音ではなく)人の内部にいる「人の子の王国の福音」を宣べ伝えよという命令を下した。
しかし、イエスの与える平安からは遠かった弟子たちは、「あの方を容赦しなかった世間の人がわれわれを容赦しないはずがない」といって恐怖した。
どうしていいかわからなかった弟子たちの中にあって、マリアは、イエスへの信を失わないでいた。
そのマリアに対して、ペテロは、「私たちのまだ聞いていない話を聞かせてください」といった。
マリアは、人の中から出てくるものがその人を汚すという言葉と関連したと思われる啓示が、イエスから啓示されたときの話をした。
心の中から出てくる欲望や怒りから、人は自由になれるという話である。
しかし、話を聞きたがったペテロは、その彼女の話を否定し、彼女の受けた啓示を否定した。
それに加えて、「われわれに隠れてイエスが一人の女性とそのような話をしたのだろうか」、という推察を皆に述べた。
それは、弟子を対象としたイエスの教えの、自力救済的な悪に関する啓示の多くを否定する結果となった。
そして、弟子たちは、それぞれの考える「王国の福音」を宣べ伝えるために解散した。
キリスト教的グノーシス主義について
罪というものは存在しないという思想や、心魂が怒りや欲望から解放されると心の境地が上昇してゆくとする思想は、他宗教にも共通して見出されるものである。
これらの思想は特にキリスト教に依存しているとは思われないとされている。
しかし、この書は西方系のキリスト教グノーシス主義であると位置づけられている。
また、グノーシス主義はどこにも存在しなかったと主張する研究者もいる。
イエスは、大衆に対してはたとえ話を多く用い、弟子たちには、人のいないときにすべてを解き明かしていたとされている。
マリアの受けたとされるイエスの啓示は、人のいないときにイエスが弟子に対してすべてを解き明かした教えである可能性がある。
イエスの教えの中には、元々、心の中の悪に対しての認識を深めることが要求されていたことがあげられる。
人の心の中から出てくる行為や想念については、淫行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、悪意、奸計、好色、よこしまな眼、瀆言、高慢、無分別などがあげられている。
こうした、心の中から汚れが出てくるという思想について、四福音書では、ペトロがこれを全く理解できなかったことになっている。
それと同じような意味合いを持つマリアの話が理解できなかったから、ペトロはこれを否定した、と解釈することができる。
また、それと関連したこととして、不浄なものや、穢れたものをペトロがただの一度も口に入れたことがないとしたのは、かなり後になってからである。
異端排斥について
この書の成立年代を特定することはできないとされているので、可能性としては、1世紀に成立したということも考えられる。
367年にアタナシウスはエジプトにある諸教会に宛てて、現行新約のみを聖典として、その他の外典を排除するようにとの書簡を出している。
このことと、ナグ・ハマディ写本が地下に埋められたこととは関係があると推察されている[。
この書に見られる、マリアとペトロの対立は、異端型キリスト教と正統派型キリスト教の対立の始まりであると解釈する見解もある。
これは、もともとのイエスの思想には、たとえを用いて大衆に神の愛を説くという面と、自己を見つめ、怒りや欲望から解放されると心の境地が上昇し、悟りにいたるという自力救済的な面とがあったことから、発生したと見ることができる。
ペトロは、部分的にしかイエスの教えが理解できなかったと言えるようである。
この書は、弟子集団における女性指導者としての好ましいマリア像を提供しているとする見解がある。
また、マリアの福音書にある初期の教会の描写は、歴史的に正確であるとする見解もある。
マリアはイエスの最も信頼されていた弟子の一人だとする見解がある。
イエスが刑死したときに、十字架のそばに男性の弟子がいたとは考えづらいこともあり、イエスにとっては、女性の弟子も弟子であるとしていたようである。
しかし、ペトロにとっては弟子は男性のみという観念があったようである。
出典:「マリアによる福音書」
From Wikipedia, the free encyclopedia
僕が観た映画でも、だいたい、上のような資料を元にして話を進めているのですよ。。。現在のキリスト教、特に、西方系のキリスト教では、マグダラのマリアは娼婦も意味する「罪深い女」として必要以上に貶(おとし)められている。。。
どういうわけで。。。?
マリアとペトロの対立があったのですよ。。。異端型キリスト教と正統派型キリスト教の対立の始まりですよ。。。
どういうことよ?
あのねぇ〜、上の資料を読んだだけでも、キリストは、ペトロ(ピーター)よりもマリアの方が理解力があると見ていたのです。。。当時は、当然、男尊女卑の傾向があったから、ペトロにすれば、キリストがマリアを優遇しているようで面白くない。。。
つまり、ジェラシー(嫉妬)ねぇ〜。。。
そういうことですよ。。。ペトロはバチカンの聖ペテロの大聖堂があることからも解るように、キリスト教を広め大宗教にした後継者・指導者ですよ。。。でも、当時としたら、キリストの目には、マリアこそキリスト教の指導者にふさわしいと映ったに違いない。。。なぜなら、マリアは、重要な場面(処刑場、墓で死体に香油を塗る場、復活の場)全てに立ち会っていたことから、この事は明らかです。。。
つまり、弟子たちの間に権力闘争があったのねぇ〜。。。
そういうことです。。。弟子たちには圧倒的に男が多かったから、当然の事のようにペトロがリーダーになったわけです。。。だから、つい最近まで、教会の司教はすべて男ですよ。。。ローマ法王が女であったことはこれまでに一度としてない! ペトロがマリア排除、女性排除に懸命になったのですよ。。。権力者というのは、常に、そういう事をするものです。。。ヒトラー、ムッソリーニ、スターリン、プーチン、習近平、。。。邪魔者は排除するのです。。。
じゃあ,マグダラのマリアは、娼婦などではなく、キリストに愛されるような優れた頭脳を持った女性だったのねぇ〜。。。
そうです。。。美人ではなかったと思うけれど、頭脳明晰でキリストとはツーカーの間柄だったと思いますよ。。。
じゃあ、もしかして、結婚していたかも知れないわねぇ〜。。。
キリストも男ですからねぇ〜、二人の間に子供がいたとしてもおかしくないですよ。。。
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【ジューンの独り言】
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ですってぇ~。。。
あなたもキリストとマリアの間に子供がいたと思いますかァ〜?
ええっ。。。 「そんなことは、どうでもいいから、他に、もっと楽しいことを話せ!」
あなたは、そのように強い口調で私にご命令なさるのですかァ〜?
分かりましたわ。
シルヴィーさんが出てくる面白い記事は たくさんあります。。。
次の記事の中から面白そうなものを選んで読んでください。
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