それは、誰だって、そのような話は面白いんですよ。
だから、あたしだって、デンマンさんが喜びそうな話をするのですわぁ~。
レンゲさん、いつまでも、このような話をしていると、またこの記事が長くなるだけなんですよ。
そうですわ。。。それで、デンマンさんは何がおっしゃりたいのですか?
レンゲさんが愛にこだわるのは、さらに“幼児的なふれあい”にこだわるのは崩壊した家庭に育ったからなんですよ。次の手記がそのことを良く物語っていますよ。
わたしの胸には、愛情はない。
だって教わってないから。

2005-08-13
わたしは生まれた時から、
必要な愛情をあたえられなかった。
両親ともに、
こんなめんどくさい生き物の
ニーズなんて考えもしない。
わたしはいつも見捨てられてきた。
わたしの胸には、愛情はない。
だって教わってないから。
わたしは、親を憎んでいました。
今は“血のつながった
やっかいな他人”だと思っています。
これからどうなるか分かりませんが、
今の私には親との和解は無理です。
ウチの親を客観的に見れば、
社会性が欠如していたんです。
ふたりともボンボンとお嬢だから世間知らずだし。
で、わたし親から最後の一撃食らわされて、
自分は将来利用するために育てられてきたことがわかっちゃって。
親はわたしに向かって確かにそう言ったのです。
それで、わたしは親から離れたのです。
by レンゲ
『デンマンさんが私のことをグロリア・スタイナムに似ていると』より
また、この手記を持ち出すのですか?
レンゲさんの愛と性を考えるとき、この手記は見過ごすことはできないんですよ。
分かりましたわ。確かに、あたしは両親から必要な愛を受けていませんでした。でも、そのことと平安時代のプレーボーイと、どのような関係があるとおっしゃるのですか?
実はねぇ、在原業平も感受性の豊かな少年時代を不幸な忌(い)まわしい家庭環境の中で過ごしたんですよ。
どうしてそのようなことがデンマンさんには分かるのですか?
ちょっと次の平城天皇の略歴を見てくださいよ。
どうして、関係のない平城天皇を持ち出すのですか?
この天皇は在原業平のおじいさんにあたるんですよ。
平城天皇 (へいぜいてんのう)
生年: 宝亀5年 (774年8月15日)
没年: 弘仁15年7月7日 (824年8月5日)
桓武天皇の長男。
母の藤原乙牟漏 (藤原良継の娘)は桓武天皇の皇后。
皇太子とした嵯峨天皇は同母弟。
子に 阿保親王、高岳親王、巨勢親王、ほか内親王四人がある。
阿保(あぼ)親王の第五子が在原業平で、平城天皇には孫にあたる。

806年( 大同 元年)5月に即位した。
即位当初は政治に意欲的に取り組み、官司の統廃号などの政治・経済の立て直しを行った。
しかし、809年(大同4年)4月、病気のため神野親王(嵯峨天皇)に譲位、嵯峨天皇は平城天皇の子の高岳親王を皇太子に立てた。
同年12月、平城上皇は旧都である平城京に移り住んだ。
皇太子時代より、妃の母である 藤原薬子 を寵愛して醜聞を招く。
薬子やその兄の 藤原仲成 の介入により、810年(大同5年)、平安京より遷都すべからずとの桓武天皇の勅を破って平安京にいる貴族たちに平城京への遷都を呼びかけ、政権の掌握を図った。
しかし、嵯峨天皇側に機先を制され、9月10日、嵯峨天皇が薬子の官位を剥奪。
これに応じて平城上皇は11日に挙兵し、薬子と共に東国に入ろうとしたが、遮られて翌日平城京に戻った。
平城上皇は直ちに剃髮して仏門に入り、薬子は服毒自殺した。
高岳親王は皇太子を廃され、大伴親王(後の 淳和天皇)が立てられた。
これを 薬子の変 と呼ぶ。
平城天皇の諡(おくりな)は平城京に因(ちな)むものである。
墓所は平城京のすぐ北の楊梅陵(やまもものみささぎ)と伝えられる。
【出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』】
在原業平の父方をたどると平城天皇はおじいさんなんだけれど、母方をたどると業平の伯父さんなんですよ。なぜなら業平のお母さんである伊都内親王は桓武天皇の娘なんですよ。平城天皇は桓武天皇の長男。だから、業平は平城天皇の孫でもあるけれど、桓武天皇の孫でもある。
複雑なんですね。
昔の天皇家には、このような複雑な関係は珍しいことではないですよ。
それでプレーボーイの業平さんの家庭がどのように不幸で忌(い)まわしいものだったのですか?
言ってみれば呪(のろ)われた家庭だった。
どうしてですの?
この当時の“怨霊の祟り(おんりょうのたたり)”というのは、現在で言うなら“刑罰”のように考えられていた。
何が原因で刑罰を受けたのですか?
上の略歴を見れば分かるように薬子の変と言う事件は業平の感受性の強い少年期に大きな影響を与えたことは、まず間違いない。事件は業平が生まれる15年前に起きた。業平が生まれる1年前には事件を起こした張本人の平城天皇はすでに亡くなっていた。だから、あまり関係ないことのように見える。
確かにそう思いますわ。
でもね、この当時のことを書いている歴史書を見ればすぐに分かるけれど、“怨霊に祟られた家系”だった。
どういうことですか?
そもそも、その起こりというのは桓武天皇にまでさかのぼる。桓武天皇はもともと天皇になれる人ではなかった。父の白壁王の即位後も母の高野新笠が下級貴族に属していたため皇太子になれる望みはなかった。
それが、どうして天皇になったのですか?
藤原氏の陰謀があった。この藤原氏を巻き込んだ政争によって異母弟である前皇太子の他戸親王とその母であった皇后井上内親王が突如廃されてしまった。そういうわけで天皇になれた。でも、けっこう能力のある人だったと見えて、いろいろな業績を残している。その一方で藤原氏の陰謀にも加担していた。井上内親王と他戸親王の不自然な死、治世のはじめに、皇太子とした弟の早良親王を藤原種継暗殺に関わったとして785年に流罪とし配所で死なせた。この無罪の早良親王が怨霊になってこの家系を苦しめていると、いつの頃からか巷(ちまた)でささやかれるようになった。
それほど怨霊というものが怖がられていたのですか?
マジで恐れられていた。そのために桓武天皇は延暦19年(800年)、7月19日に早良親王を尊道天皇と追号し、井上内親王の墓を山陵と追称して皇后の位を復した。怨霊を慰めて不幸をもたらさないようにしたわけなんだよ。
それで、怨霊は慰められたのですか?
そうは問屋が卸(おろ)さなかった。桓武天皇の後宮の紊乱(びんらん)ぶりも早良親王の怨霊の祟りだと言われるほどだった。桓武天皇が亡くなってからも、この怨霊は平城天皇に引き継がれた。つまり、平城天皇が病気がちだったことも早良親王の怨霊の祟りだと言われた。そのようなわけで、平城天皇は位を弟に譲った。この弟が嵯峨天皇になった。しかし、それでも怨霊はおさまらなかった。
どうなったのですか?
「薬子の変」ですよ。これも早良親王の怨霊の祟りだと言われた。分かるでしょう?怨霊の祟りというのは、この当時これほどしつこく巷(ちまた)で語られたんですよ。
つまり、プレーボーイの業平さんは怨霊に祟られた家庭で育ったと言うことですか?
そうですよ。レンゲさんよりもひどい家庭環境ですよ。もちろん、お母さんだってノイローゼのようになって居たでしょうね。。。家庭に愛があるどころではない。つまり、在原業平は、お母さんからの愛を受けていなかったというためばかりではなく、この怨霊の祟りから逃れるためにも、家庭の外に愛を見つける必要があった。
そういうわけで3373人の女性に愛を求めたというわけですか?
その当時の人の多くは、おそらく、そう思っていたでしょうね。それも早良親王の怨霊の祟りだと。。。。
この話はマジですか?
僕はマジですよ。でも、このようなことを言っている人は他に居ないようですよ。僕が言い始めかもしれません。とにかく、そういうわけで、僕は在原業平がレンゲさんのように境界性人格障害を患っていたのではないかと考えたわけですよ。
つまり、あたしは“女業平”というわけですの?
僕はレンゲさんの“愛の手帳”の中に“お客リスト”を見た時に、レンゲさんの執念のようなものを感じたんですよ。あの執念があったからこそ、レンゲさんは“クラブ・オアシス”でナンバーワンの座をつかんだと思えましたよ。
あたしは業平さんのように飽くことなく愛を追い求めているとおっしゃるのですか?

また、そうやって、あたしにあの時の恥ずかしい“真夏の夜の出来事”を思い出させるのですか?
僕が日本にレンゲさんを連れ戻すと、今度は野々宮さんの腕の中に飛び込んで行く。2ヶ月足らずで抜き差しならない関係になってしまう。熱しやすく冷め易いレンゲさんは文字通り短い恋愛に終止符を打つ。しかし、飽くことなく愛を求めるレンゲさんは、それで終わらせようとはしない。レンゲさんが店長を勤めるブティック・フェニックスの熊谷店の担当を野々宮さんは外されたけれど、交代してやって来た清水君にレンゲさんはキューピッドを見つける。そして、やがて目の下にクマを作るほど愛し合うようになった。そうですよね?
デンマンさんが言われたことは表面的なことだけですわ。あたしは、もっと深いところで、椎名さんとも、野々宮さんとも愛し合っていました。洋ちゃんとも深いところで心がしっかりと結びついていますわ。それなのにデンマンさんは、表面的なことだけを取り上げて、あたしの恋愛遍歴を性的な男性遍歴にしてしまっている。あたしがまるでセックスだけが目的で男を求めていると言っているのですわぁ~。
そんなことは言ってませんよ。
いいえ、デンマンさんは、そう言いたいのですってばああああああああ~~。。。
分かりましたよ。分かりました。。。そんなに大きな声を出さなくても聞こえますよ。
デンマンさんは、在原業平を取り上げて、あたしが“女業平”だと言う事を強調しながらエロい女だと決め付けようとしているのですわ。
そうではありませんよ。僕は本当にレンゲさんと清水君が末永く愛し合う関係が続けばよいと思っているんですよ。でもね、毎朝、毎晩求め合う事がいつまでも続くわけがない。
あたしが毎朝、毎晩、洋ちゃんと愛し合うことは、いけないことなのですか?
いけないと言っている訳じゃない。レンゲさんが、けじめをつけないで雪達磨式に恋愛関係を続けてゆく事に問題があると言っているのですよ。
あたしが雪達磨式に恋愛関係を続けている。。。、デンマンさんは、そうおっしゃるのですか?
そうですよ。おととい説明した業平と斎宮の禁忌の愛は、一つの恋物語として完結している。それは文学的にも薫り高い恋物語ですよ。
あたしの場合は完結していないとおっしゃるのですか?
そうですよ。例えば、坂田さんのことですよ。僕はレンゲさんにとって坂田さんが大切な人だと言う事は充分に分かっていますよ。でもね、レンゲさんにとって懐かしい坂田さんの恋物語は、10年前に完結すべきだった。レンゲさんは清水君との問題を抱えていたんですよ。清水君が久美子さんと浮気したので、レンゲさんは頭にきて彼のアパートを出てしまった。そのような時に坂田さんからメールが届いた。レンゲさんが坂田さんに会いたい気持ちは僕にも良く分かりますよ。でもね、清水君とあれほど愛し合っていたレンゲさんが、そこでこらえる事が出来ずに、寂しさからつい坂田さんとの関係を再開してしまった。しかも、悪い事に、坂田さんは急用があると言って大阪に発ってしまった。2ヶ月間も音沙汰がなかった。レンゲさんの心に、また不安と寂しさが押し寄せてきた。クリスマスを前にして、レンゲさんは清水君と会う機会があった。そして、その時レンゲさんは、寂しさから清水君との関係をまた再開してしまった。。。分かりますかぁ、レンゲさん。。。? 『レンゲ物語』は、ますます複雑になってゆく。今のところ終わりが見えませんよ。
デンマンさんは、あたしが坂田さんと愛し合うのもイケナイ。洋ちゃんと愛し合うのもイケナイ、と。。。そうおっしゃるのですね?
違いますよ。一つの問題が片付いていないのに、また新たな問題を蒸し返してゆく。。。僕にはそのように見えるんですよ。坂田さんと会えないから寂しい。。。それで清水君に接近して行く。。。そうやって清水君との同棲生活がまた始まった。でも、坂田さんが戻ってきたらどうするのですか?
それは。。。
どうするのですか?
だから、あたしはすでに言いましたわ。坂田さんは戻ってこないと思います。
でも。。。、でも。。。レンゲさんは心のどこかで、戻ってきて欲しいと願っているのですよね?
それは。。。それは。。。
分かるでしょう。。。レンゲさん。。。あなたはけじめをつけないで愛を常に求めている。でも、レンゲさんが愛を感じていられるのはベッドで愛し合っている一時(いっとき)ですよ。それにもかかわらず恋愛問題は山積みになってゆく。坂田さんが戻ってきたら、レンゲさんはまた問題を抱えてしまう。恋愛問題だけじゃなく、借金の問題も片付いていないんですよ。
【ここだけの話しですけれどね、レンゲさんは寂しくなると、死にたくなる人なんですよ。実際に死のうとする事は無いのだけれど、寂しさが死ぬほどつらくなる人なんですよ。だから、寂しさを紛らわせるために、つい以前の関係を蒸し返すようなところがあります。それがレンゲさんの心の弱さだと僕は思っています。寂しさに耐える心の強さを持って欲しいと思うのですが、誰だって欠点を持っていますからね。。。僕も、あまり強い事は言えません。。。とにかく、レンゲさんの話の続きは、ますます複雑になってゆくようです。もっとレンゲさんのことが知りたいのなら、下にリンクを貼っておきましたからぜひ読んでくださいね。】

レンゲさんの愉快で面白い、そして悩み多いバンクーバーの日々は
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