神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

ビューティフル・レターズ~綴られた言葉~。

2023年01月21日 | キリスト教

 某動画配信サイト様にて、「次どの映画見ようかな」と思っていたところ……100レビューや評価が入っていて、その評価のほうが☆5つだったものが、この『ビューティフル・レターズ』だったのです

 いえ、どんなに超面白いとわたしが思う映画でも、☆5つマックスで評価されてるって、まず滅多にないんですよね。せいぜいのところを言って4.7とか、大体そのくらいのことだってそんなに多くない。4.5くらいだと探せばあったりして、迷った時には「あらすじ読んでもいまいちピンと来ないけど、とりあえずこれ見てみっか」みたいになります(^^;)

 ええと、そんでこの『ビューティフル・レターズ』、最初のほうを見ても、途中まで見てきても……わたしの中では☆5つ評価なのがなんでなのか、結構疑問なところがありまして。でも最後の最後で感動のどんでん返しが……ということがあったりするのかなと思いつつ、とりあえず期待せずに最後まで見てみることにしました

 そのですね、まあ最後まで見ると一応わかるこたわかるわけです。この映画を☆5つ評価してる方の気持ちっていうのは。ただ、わたし的には「んー、とはいえなんかなー……」となる映画だったというのが正直なところだったり(いえ、この映画に素直に純粋に感動できる方っていうのはほんと、心の美しい方なんだと思う^^;)

 にも関わらず、わたしがこの映画を取り上げたのがなんでかっていうと――クリスチャン向け優等生映画というか、一部マーリン・キャロザース先生の「感謝と賛美の実践」にも通じるところのある映画だと思ったからなんですよね。

 また、そう思うのであれば、ひねくれたことを言うことなく、この映画の素晴らしいメッセージについて褒め称えればいい……という話のような気もするのですが、なんにしても前置きのほう長くなりましたので、そろそろ映画の内容に触れたいと思いますm(_ _)m

 主人公のマギーちゃんは17歳の高校生。家庭のほうはシングルマザーのお母さんがウェイトレスをして支えているため、普通の一般高校生ほど経済的に豊かでないというか、離婚したお父さん側から何か支援があるわけでもないので、まあはっきし言って貧乏なほうなのだと思います。

 そんな中、マギーちゃんはバンド活動に熱中しており、格好いい彼氏までいて、成績のほうも最近では落ちている様子。でも、バンド活動が楽しくて、そのバンドでギター弾いてるイケてる彼氏までいたら――これで勉強までガンバレてたら、そんな話、映画にしても面白くもなんともないっちゅーねん!!って話ですよね(笑)

 さて、やっぱり「映画として」見る場合、主人公のマギーの人生がこのままうまくいくとは思えず、どーなるんだろーなーなんて思うわけですが、マギーは成績が落ちたことを母親から咎められ、友人キムのススメで、隣の彼女から苦手科目のテストの答えを教えてもらい、早い話がカンニングをします他に、バンドでデモテープを作るための費用として300ドルかかるということで、「ママ、50ドル貸して」と言っても貸してもらえなかったため――こっそりおうちのお金を盗んで、その費用に当てたり。。。

 ところが、結構いい感じで録音も出来たのに、マギーは彼氏からバンドの解散を言い渡されるのと同時、「オレたち別れよう」と一方的に別れを切り出され、マギーは落ち込みます他に、家のお金を盗んだことが母親にバレて叱られたり、学校の先生たちにカンニングのことがバレたりと、悪いことが重なるマギー

 さらには、親友と思っていたキムが元彼ジェイと車でキスしているところを見てしまい、突然の別れとバンド解散についての理由を悟るマギーですが、彼女はこのことでめげませんでした。それは何故かというと、割と話の最初のほうで、サム・ワーシントンさんという、見知らぬ人から手紙が届いており、そこには「あなたが本当はどんなに素晴らしい人か知っている」的な、すごくポジティヴなメッセージの書かれた手紙が届いていて――エミリーはまったく心当たりのないこの人物が誰かを突き止めます

 それは、某老人福祉施設にて暮らす、スタンリーという名前のおじいさんでした。彼はサム・ワーシントンというペンネームを使い、誰にでも通じて、読んだ人の心が軽くなったり嬉しくなったり感動したりするような、そうした手紙やメッセージを電話帳を使って色々な人へ送ったり、直接渡したりしていて……エミリーは彼から手紙を受け取ったことで、サムことスタンリーのこの仕事を手伝ったりするうち、他の老人ホームの入所者たちとも歌を通して交流を深めていきます

 それで、マギーは何故このことをはじめたかといったようにスタンリーに聞くわけですが、彼はある時、友人を言葉によって深く傷つけてしまい、そのことをあやまる前に相手の女性が死んでしまうという取り返しのつかないあやまちを犯していました。そして悟ったと言います。人を癒すのも傷つけるのもすべて、言葉次第なのだということを……。

 スタンリーにとっては、そのことに対する償いの気持ちが、この無償の仕事をはじめたきっかけだったわけですが、彼はその後、こうした手紙を書いて誰かに送れば送るほど、むしろ自分のほうが感謝の気持ちに満たされ癒されるというか、言い方は少し違ったと思いますが、そうした経験をしていった、ということだったと思います。

 このことがあったから、マギーはまず、言葉によって元親友のキムを責めることはせず、許すことにしました。彼氏を奪われたのみならず、今では彼女がバンドのヴォーカリストとしてライブをしているにも関わらず!!

 いえ、ここでマギーが「あんたなんか、最低のビッチよ!!」と、キムを殴り倒していてもなんのおかしなこともないわけですが……ここでマギーがキムを「許した」ということ、この映画の強いメッセージって、どうやらここにあるらしいのはわたしにも一応わかります(^^;)

 ただ、わたしがアメリカの十代の子が主人公の映画やドラマを見てて思うに……まあ、大抵はここで喧嘩になります。でも、お互い言いたいことを言いあったことで、時間が経った頃に仲直りして再び友達に戻ったりとか、普通は「許す」のに時間がかかるわけです。でもマギーはスタンリーが教えてくれた「大切なこと」があったから、言葉上のあやまちを犯すまいと思ったのかもしれません。

 親友を失い、学校でも孤独になるマギーでしたが、おそらく彼女にしかわからないだろう良いこともありました。それは、シングルマザーとして一生懸命働き、自分を育ててくれている母親に「感謝する」、「その愛情を態度で示す」ということでした。

 まあ、普通に考えた場合、学校に友達もなく孤立しているマギーは、彼氏を奪ったキムの顔を見たくもないため、不登校になるかもしれません。それで、何故学校へ行きたくないかと母親に聞かれても、「べつに」としか答えないかもしれない。そのうち、家にもいづらくなり、夜の街で知りあった悪い友達とお酒を飲んで過ごしたりとか――一般的に映画で描かれるのはこちらのパターンのほうと思うわけです(^^;)

 でも、「言葉上の間違いを犯さない」(何故なら、そんなことをしてもあとから後悔するだけだから)、「自分にあるものを心からの感謝をこめて愛する」……スタンリーからもらった手紙と彼から教えられたことがあったから、エミリーは変に非行に走ったり、母親に八つ当たりしたりせずにすんだのかもしれません。

 でも本当に、「このちょっと違い」、「ちょっとの選択の違い」が、いかに人生を左右するか――このメッセージが心にずしんと響いた方にとっては、『ビューティフル・レターズ』はすごくいい映画だ……ということになるのだと思います(^^;)

 スタンリーは映画の最後のほうで亡くなってしまいますが、マギーに遺言の言葉と黄金の鍵を残しました。その鍵さえあれば、スタンリーがマギーに残したことを彼女が実践するなら、人生の扉など、これからいくらでもどこでも好きなところを開いていける――ということを象徴した鍵です。

 もちろん、現実は厳しい。ロックスターになるのが夢だったのだろうマギーは、自分で歌詞を書き、ひとりギターを爪弾き、学校の感謝祭にて、その素晴らしい歌を素晴らしい歌声によって披露します。おそらくマギーはあのままバンドを組んだままでいるよりも、こちらのほうが彼女らしい才能を発揮することが出来たであろうことを思うと……実はより大きな幸せをつかんだ、ということなのではないでしょうか。

 マギーから格好いい彼氏を奪ったキムですが、ジェイはおそらくこれからマギーを捨てたようにまた別の新しい美人の彼女を見つけてキムのことも捨てる可能性大ですし、例のバンドのほうも高校生や大学生の趣味の範囲を出ないくらいなもの――ようするに、プロとして通用するほどのものではなく終わりそうな可能性が大であり、こうした表面的な「その時はその選択が一番いいように思った」ことで失敗し、結局成功せずに終わるって、誰しも人生で経験があることのような気がします。

 そうした中にも、「揺るぎないもの」というのは人生に存在していて、たとえば、本当にさり気ないシーンなんですけど、エミリーが先生にカンニングのことをあやまるシーンがあるんですけど、先生のほうで「君のことは心配してない」、「君は大丈夫だ」みたいに伝えるシーンがあります。もしかしたらこの先生自身、昔学生だった頃、一度くらいそんなことをして後悔したことがあったのかもしれませんし、あるいは先生として長く過ごしていれば、生徒のカンニング問題はこれが初めてということもなかったでしょう。この先生、簡単にいうとエミリーのことをひとりの生徒、人間として「信頼している」、「だから君は大丈夫」って、本当にそう思ってることがわかり、それはマギーにも伝わったはずだと思います。

 ……と、一応映画の中でわたしが「良い」と思った点について述べてみましたが、正直、この少し前に見た『コーダ。あいのうた』のほうが良すぎたためでしょうか。自分としては、よりクリスチャン的メッセージ性強いのはこちらのほうと思うのに、主人公の女の子(同じ17歳)の夢の叶え方としては――わたし自身が支持するのは圧倒的に『コーダ』のほうな気がします(^^;)

『コーダ』もまた、主人公の女の子が「歌声」によって自分の夢を叶えようとする物語なわけですが、個人的な評価としては、こちらのほうが☆5つ評価といったところかもしれません(不良クリスチャンですみません)。

 それではまた~!!






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