神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

犠牲-サクリファイス-【5】

2018年07月11日 | キリスト教


 ええとですね、今回は「引きこもり」についてわたしが思うこと、みたいな感じの回です(^^;)

 社会不安障害や神経症、鬱病など、こうした種類の心の病いというか、精神の病いによって働けない、家に引きこもらざるをえない……ということだと、そのこと自体のことに加えて、まず家の空気が悪くなる、ということがあると思うんですよね。

 また、廃用症候群(生活不活発病)というのは一般に老人の方が転倒などによって寝たきりになり、その後精神的にはやる気(活力)の低下が見られたり、また身体的にはそれ以前に出来たことが出来なくなったりといったことを指すと思うんですけど――実は結構これ、「引きこもり」にも当てはまるんじゃないかなって、自分的にはそう思ってます(^^;)

 というのも、わたしの場合、実家にいる間は「お金がなくなると働く」といったサイクルで何がしかの仕事をしたりしていたんですけど……ある時、一年くらい正社員として働いた病院がありまして、生まれて初めてボーナスなるものを頂きました

 そこの職場の仕事は今まで働いた中で一番好きな仕事で、自分でも自分に合っているように感じていたものの、やっぱり心身症的な症状がつらく、最終的には辞めることになったんですよね。でも、ボーナスをもらった段階では、まだ辞めるということまでは考えてなく……でも、今までのパターンからいずれそうなるであろうとは常に思っていたので、このボーナスには一切手をつけませんでした。

 それで、その職場をやめた時、ある程度まとまったお金があったので、暫く自分に休養することを許したわけです。実家にいたので、まあ倹約すればお小遣い的には結構持つなと思っていたり……でも、この一年後、実をいうと結構大変なことになったかもしれないな~と、自分としては思います(^^;)

 どうしてかというと、まあ、わたし、接客系の仕事とか結構好きで、「さて、そろそろ何かアルバイトでも……」と思ったところ、なんかそうした仕事が急に出来なくなってまして

 その後も、介護関係の仕事などはしましたが、こちらは<接客>という言葉は適当でなかったとしても、もちろん人相手ですよね。でも、介護の仕事に関してはわたし、病気の症状等がキツくとも、そのくらい自分を犠牲にするだけの価値はある……という考えでなんとかしようとするという感じでした。でも、コンビニのバイトとか、「あ、これはもうなんかダメだ」と思って、二日間研修があるうちの、一日目でやめたというか(^^;)

 その、わたしが面接で行って一応採用になったのは、7だったんですけど、その昔わたし、ヨー○ドーでパートの店員として働いていたことがありまして。で、その頃って今みたいにレジが自分で勝手に計算してくれる……とかじゃなかったので、レジの研修とか、違算を出した時の再研修とか、結構厳しかったんですよね(レジ研修してくれる担当の方のことをチェッカーマスターというんですけど、彼女は裏でパート社員らに鬼のチェッカーマスターと呼ばれているくらい厳しい方でした・笑)。なので、その時のことがあったので、まあレジ関係はなんとかなるんじゃないかなと思っていたものの、何かこう金銭授受とかがうまく出来ないというか、こういう種類の接客は自分はもう出来ないなと思ったというのがあって。。。

 たぶん、こう書くと「え?何言ってんの、あんた」と思われると思うんですけど、ヨー○ドーにいた頃からもう強迫的な心理による心身症みたいのはずっとあったので、そういうものがありながらも普通に仕事する……というのが大変でありつつ、いつでも常に「いらっしゃいませー」とかニコニコしながら接客するわけです。でも心身症のキツさは大体その頃も今も同じであるにも関わらず、「本当はつらいのにニコニコ」とレジ打ち&金銭授受的動作を同時にこなせなくなっていた――という、何かそんな感じだったと思います。

 それで、わたしもうここで、レストランとか喫茶店もレジの計算とかあるので、こういった職種は「何故かわからないけど、急に無理になった」ということで、募集広告を見てもそちらへは行かないことにしたというか。でもわたし、将来に絶望しつつも、まだ多少の希望は残っていると思ってました。他に、某旅館の布団敷きのアルバイトとか病院の清掃員とか……まあ、どっちもバイトだったので、そう長く働いたり出来なかったものの、それでも「これは出来そうだ」と思えるものが、職安の求職票を見てある限りはなんとかなると思ってました。。。

 それで、確かそうしたアルバイトの中に「農作業」というのもあったわけですけど、その時、仕事先の農家さんで、同じようにアルバイトに来ていた同じ年くらいの女性がいまして。仕事をしながらだったかお昼ごはん食べながらだったかは忘れてしまったんですけど、その方がこう言っていたことがあったんですよね。なんでも、一年くらい前に結婚して、確か三か月か四か月くらいで相手と別れることになり……でももう子供もいるしで、その子のことは母親に預けて今こうして働きに来ている。昔はレストランとかコンビニとか、そういうところで接客の仕事をするのが大好きだった。でも、妊娠と出産のために、一年以上ずっと家にいたら、何故かわからないけど急に、そうした接客の仕事が出来なくなった……ということだったんですよね。それでこの時わたし、自分もまったく同じだったので、「なんかわかる。わたしも一年くらい仕事休んでたら急に接客とか、そういうのが出来なくなって……」みたいな話をしたんですよ。

 で、まあ、読む方によってはこれも「それがどーした☆」みたいなことだとは思うんですけど……つまり、ずっと家にいるっていうのは、次に社会へ出るに当たって、なんでかわからないけど、前まで出来ていたことが出来なくなってたり、何か「自分では大丈夫だろう」と思ってたことが大丈夫じゃなくなったりしていて――ようするに、実は「それだけ危険だ」っていうことだったりするんです(^^;)

 わたしも休んでる間、本を読んだり思索を深めたりとかいった、なんかそんなことをしてましたけど(笑)、この頃から大体友人とか、前の職場で一緒だった人とどこかへ出かけるとか遊びにいくということが物凄く減っていきました。でも、自分では思うんですよ。金銭的に持っているうちは、「自分の好きなようにして何が悪いの?」みたいに。母にも、病院を辞めた時に「少し休むから」みたいなことは言ってあったんですけど、この時からすでに母はいい顔してなかったと思います(^^;)

 なのでこのあと、実家を出たりまた戻ってきたりということがあったりして、でも相変わらず職業のほうは転々として長続きしませんでしたから、母との関係も悪くなるし、心身症の強迫的症状が治るとか緩和するということも一切なく――でもわたし、こうやって書いてくると、病気の割にはかなりがんばってるほうなのでは??と思ったりもするんですよね(苦笑)

 でもやっぱり、暫く会ってなかった友人に会うたびに毎回職が変わってたりとか、それである時、なんていうかこう……はっきりそう言われたわけじゃないんですけど、空気的に「あんた、そんなんじゃ人間的にほんとダメじゃない?」と実は内心でずっとそう思ってたんだろうな~とか、そういうのは色々出てきますよね。そういう状況の中で、「あ~、わたしもうこれ働けないんじゃなかろーか」というどん詰まりのところまで来た時に初めて母に言ったわけですけど――結局のところ、あんまりというかほとんど理解されなかったんじゃないかな~って思います(^^;)

 だから、『犠牲(サクリファイス)』という本を読んでいて思ったのは、もちろん一番つらいのは洋二郎くんだけれど、親としての理解力っていうんでしょうか。そういうのがうちの親とは天と地といってもいいくらい違ったので、とにかく柳田先生の親力の高さというのでしょうか。そうした理解力が本当にすごいなって思いました。

 いえ、うちの親が親力低いとかじゃなくて、どっちかっていうと、うちの親くらいのが普通っていうんでしょうか。柳田先生くらい理解力高い親御さんのほうが数が少ないのではというか、珍しい気がするというか……でも、本当に神経症とかそうした心の病気って、自分もそうだからわかるっていうことですけど、本当に難しいんですよね。

 なんていうか、仮にわたしの両親がふたりとも腕がいいと評判の精神科医で、それで子供のわたしが神経症になった場合……それで両親が精神科医としてとても評判が良かったとしても、わたしの自殺を止めたり神経症を治せるかといったらそれは全然別の話だ――みたいなことじゃないかなって思うので。。。

 それでは、次回はこうした事柄に関連して「キリスト教」のことについて何か書いてみたいと思っていますm(_ _)m

 それではまた~!!





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