神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

春を喜べなくても。

2017年03月24日 | キリスト教


 >>主は人の一歩一歩を定め

 御旨にかなう道をそなえてくださる。

 人は倒れても、打ち捨てられるのではない。

 主がその手をとらえていてくださる。

(詩篇、第37編23~24節)


 春を嬉しく思えなくても。と、タイトルどっちにしようかなって思ったんですけど、意味はどちらでも同じかなと思ったり(^^;)

 普通に考えた場合、ただ「今年も春がやって来た」、「梅や桜がきれい~♪」、「ようやく寒さが去ってくれて良かった」などなど、なんにしても春が来て良かった……って感じることのほうが多いかもしれません。

 でも、今年の春は嬉しいとかなんとか、そんなふうには全然思えない……という方もおられるかもしれませんよね。

 行きたい進学先に進めなかった、一浪することになった、職場が異動になった……等々、「季節は春でも心はまだ真冬だよ」という場合もあるかもしれません。。。

 でも、イエスさまのことを信じる時、また、聖書の御言葉を信じる時、何か失敗に思えることもいずれは勝利に変わる、今は喜べないことも必ず益とされる……と言われています。


 >>神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

(ローマ人への手紙、第8章28節)


 まあこれ、クリスチャンの方向けの励まし法なので、全方位向けの励まし法でないのがなんなんですけど(汗)、「今の失敗は必ず勝利に変わる」、「必ず益になる」と信じましょう。

 そしてお祈りして、神さまに手を捉えていただいて、導いていただくのです。

 自分が最善と思う道にも困難や試しがあるように、神さまの道にも困難と試しはあります。

 けれど、神さまの道を選ぶとやっぱり人間的な道とは違うっていうのが間違いなくあると思うんですよね。

 何故なら、特に祈らず自分で決めて自分の道を自分の力で行くのには限界がありますが、最初は嫌々ながらでも神さまの道に従うと、到底どうにも出来ない大きな岩や壁が、自分が何もしなくても砕かれることがあるからです。

 自分の力で自分で決めて自分の道を行く時、こういう種類の奇跡が起きることは、まずもって少ないか滅多にないかのどっちかのような気がします。でも神さまの道を選ぶと、自分の力ではどうにも出来ない困難がやって来ても助けられます。それも、これはわたしが人間の力でやってるのではなくて、間違いなく神さまが助けてくださってる……と、はっきりわかる方法によって。

 がんばって自分の力で問題や困難を乗り越えるのではなく、神さまに問題のすべてを100%委ねて助けていただきましょう。

 短い目で見ても長い目で見ても、それが一番の問題困難解決法だと思います♪(^^)

 それではまた~!!



 そういう歌詞じゃないんですけど、春にこの曲を聴くといつも「元気だしてね(´;ω;`)」って言われてるような気持ちになります





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« わたしたちの<善>と利得を... | トップ | 隣のイエスさま。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

キリスト教」カテゴリの最新記事