>>見よ。彼は悪意を宿し、
害毒をはらみ、偽りを生む。
彼は穴を掘って、それを深くし、
おのれの作った穴に落ち込む。
その害毒は、おのれのかしらに戻り、
その暴虐は、おのれの脳天に下る。
(詩篇第7編、14~16節)
※この記事は、東野圭吾さんの小説「悪意」の超ネタバレ記事です。なので、本を読むなどして、犯人や犯人の動機、トリック等についてご存じの方のみ、閲覧されることをオススメします(えっと、すごく面白い本だったので、もしこれから読むとしたらとってもすっごくもったいないのでww^^;)
……いえ、ほんとにすごく面白かったです~♪(^^)
わたし、今まで東野圭吾さんの小説って読んだことなかったのですが(汗)、よくドラマ化や映画化されてるので、「きっと面白いんだろうな~」と思いつつ、自分では一度も手に取ったことがなかったという(この本も、たまたま人からいただいたものでした)。
>>人気作家・日高邦彦が仕事場で殺された。第一発見者は、妻の理恵と被害者の幼なじみである野々口修。犯行現場に赴いた刑事・加賀恭一郎の推理、逮捕された犯人が決して語らない動機とは。人はなぜ、人を殺すのか。超一流のフー&ホワイダニットによってミステリの本質を深く掘り下げた東野文学の最高峰。
(『悪意』東野圭吾さん著/講談社文庫より)
なんていうか、最初から最後まで色々なことが完璧ですよね
やっぱりなんといっても、最初の「猫殺し」に自分も騙されました。。。
いえ、わたし猫大好きなので……いくら近所の猫が庭にうんにょ☆とかしてメーワクでも――猫のエサに農薬混ぜたものを置いて殺すとか、絶対ありえねえとか思って(いえ、わかるんですよ、もちろん。毎日あるお宅のぬこさんが必ず庭の同じ場所にうんにょ☆してくのが腹立つとか、そういうのも^^;)
で、最初にそういう野々口修(ののぐち・おさむ)氏主観の文章を読んでるもので、やっぱりここで彼が「いい奴」で、日高邦彦氏が「悪い奴」みたいな先入観によってお話のほうを読み進めていってしまうんですよね。
けれど、最後までお話を読んでいってみると、野々口修が「悪い奴」で、日高邦彦氏は正義感のあるいい奴だった……といったように、オセロの盤面が変わるみたいに変わってゆきます。
野々口修が中学時代の同級生、のちに人気作家となる日高邦彦を殺害した理由……それは、彼のゴーストライターを強要されていたからだというのがその理由でした。そして野々口修は刑事・加賀恭一郎をはじめとする捜査陣を見事自分の思惑通り、「その方向」へとうまく誘導していくわけですが――本当の理由は別のところにあったのでした。
野々口も日高邦彦も中学時代、藤尾正哉という男の一味にひどいいじめを受けていました。けれど、日高はこのいじめに屈しなかった一方、野々口は藤尾のしもべとしてなんでも言うなりなっていた。お金を貢ぎ、使い走りをさせられ、さらには彼が女子中学生を暴行する間、体を押さえつけるという役までさせられ……そして、野々口の日高邦彦殺害の理由は、ここにあったのでした。この時、女子中学生を暴行した証拠写真を(口止めのため、裸の写真などを撮ったと思われる)日高邦彦が所有していた。そして、日高は『禁猟池』という本をかつて執筆しており、それはのちに有名な版画家となった藤尾の人生について描いたものだった(彼はその最後、娼婦の女性に刺されて死亡している)。ところが、藤尾正哉の家族が名前などを変えてはあるが、正哉がモデルであることが明白である以上、本を出来うる限り回収することと、本を書き直すこととをしつこく求めてきていたんですよね。
日高邦彦が殺された日……藤尾正哉の姉である藤尾美弥子が、そのことについて話し合うために訪ねてきた。そしてそれから少し時間を置いて彼は遺体として発見された。発見したのは、野々口と日高の二度目の結婚したばかりの妻、理恵のふたり。それから話の冒頭のほうに自分の家の飼い猫が殺されたことで恨みを持つ、新見という近所の女性も出てきています。
読み手側としては、まあ、とりあえず今の段階であやしいのは、日高の妻の理恵と飼いぬこを殺されたことを恨んでいる女性と、『禁猟池』のことであれこれうるさく言ってる藤尾美弥子の三人かな……とぼんやり思う感じですよね。クリスティの『アクロイド殺し』のように、物語を著述してる本人が実は犯人だ――というパターンもあるかもしれませんが、野々口、なんかいい人っぽさそうな奴だし、こいつがもし犯人だったら、加賀刑事にあんなに協力的かな……いや、こいつが犯人っていう線は薄そうだ……という意識で読んでいくと、もうすっかり騙されてしまうというか(お見事です!^^;)
お話のほうがものすごくこみいってるもので(汗)、もしかしたら本読んだ方しか意味通じないかもしれませんが、実際には野々口修が日高邦彦のゴーストライターだったという事実はなかったんですよね。では、何故野々口は捜査陣がそのように思い込むように「日高邦彦の書いた本を元に、自分のこのような文章を彼は読み、作品を執筆したのだ」という多量の偽原稿までもを用意したのか。
いえ、これペンダコ☆が出来るのも不思議じゃないくらい、物凄く大変なことですよね
けれど、それだけ根深い<恨み>があればこそ、おそらく野々口にとってはそれらの「創作活動」はまったく苦ではなかったのではないか……と思われる節があります(あくまで想像ですけど)最終的に色々なことが明らかになってみると、野々口は日高邦彦の名誉を陥れるためにそこまでのことをしたことが明らかになってきます。
つまり、実際はいくつも賞を受けるような人気作家だった日高は、自分というゴーストライターを使っていたのだという驚愕の事実が世間に知れれば、彼の名誉は失墜するわけですよね。そして――元国語教師ではあったけれども、あまり才能はなかったと思われる、野々口の名前はそれとは逆に彼と肩を並べる形で人々の記憶に残ることになる……最後まで小説を読み終わってから、それまでの内容を思い返してみると、人気作家・日高邦彦殺害の動機は「嫉妬と羨望、そして愛憎の入り混じった複雑な心理」に、自分の中学時代のことが蒸し返されるかもしれないという恐怖と不安がきっかけとなり、さらには癌を宣告されたことが追い討ちをかけた――と、そんなところだったのかなと推察します。
野々口のゴーストライター説による最初の自白文は、虚偽の告白ではあるのですが、同時にそれであればこそ、野々口の本音とこうあって欲しかったと夢想した気持ちとが複雑に入り混じってる気がするんですよね。たとえば、日高邦彦の亡くなった最初の奥さんである初美さんに、野々口は確かに恋をしていたのではないでしょうか。けれど、あくまでそれは彼の一方的な片想いだった。人気作家であるだけでなく、そのような美人の妻をも得ている日高に対する嫉妬……さらに彼は、二番目の妻にも綺麗な女性を迎えており、彼女に対して初美さんが亡くなったのはただの事故ではない――みたいに匂わせる言い方をしている。つまり、ここでも日高に対する嫉妬から彼女の心が暗くなるような、気になる物言いをして、自分の悪意を遂げている気がするんですよね。
果たしての野々口は、日高邦彦殺害について、少しでも悔いているのか――わたし、これはないと思ってますよ(^^;)もちろん、裁判ということになれば、悔悟の気持ちについて述べたりといったことはするでしょうけれども、それはただ刑期を短くするためだけであり、それと心から自分の罪を悔いるということとは別のような気がします。
ようするに、この野々口修さんという人の心の中では、終始一貫して「自分は常に被害者だった」との強固な思い込みがあるのではないでしょうか。あの時誰それがああしなければ、自分は今こうではなかった……また、日高邦彦氏に対しては、「こうありたい自分」を投射していたのではないかと思います。つまり、自分だって<運>が良ければ人気作家になれたはずだ、俺よりもあいつのほうが才能があるとか、そういうことじゃないんだ、これは一重に<運>の問題なんだ……そして、自分だって作家になれるきっかけさえ掴めていれば、俺こそが初美のような女性と結婚していたかもしれないじゃないか――このあたりは小説を読んだわたしの想像ですけれども、こうした被害妄想に野々口は物凄く蝕まれていた気がするんですよね。
でも現実のほうは、日高邦彦の紹介でようやく児童向けの小説を書く仕事を与えてもらい(いえ、わたし個人の意見としては児童文学なめちゃいかんぜよ!という感じですけど^^;)、女性関係については何度お見合いしてもうまくいかない冴えない男で……ゴーストライター云々の自白文のほうに、日高が野々口に対して「作家になるためには……」みたいにお説をぶってる箇所があるわけですけど、わたし、あの部分は実際に野々口が日高から本当に言われた言葉も混ざってるんだろうなという気がしました。
わたしも昔、友人と(この場合、誤解のないようにリア友って書いたほうがいいかもしれせん)そうしたお互いの小説の交換とかしてたことがあるんですけど、やっぱりその、ある部分大変なんですよ。まず最初に全体の感想と、読んでいて良かった部分と悪かった部分をお互いそれぞれ書いたりして……でもやっぱり、「このへんがどうこう」とか書いてるの読むと、「じゃあわたしも言ってやろう」みたいな感じのことを、次の感想文で書いてみたりとか(笑)
今はそういうのも、友達とのただの楽しい思ひ出――としか記憶に残ってませんけれど、野々口の場合は、相手がプロなだけに、ただの小説の素人として黙って彼の話を聞いているしかなかったのでしょうし、そういう部分でも実は腹の煮えくり返るものがあったとか、日高を殺害するまでに至った理由はひとつではなく複数あったのではないでしょうか。
自分はすぐにいじめに屈して、犬のように藤尾正哉に従ったけれども、日高はそうではなかった(出来ることなら自分もそうありたかった)、プロの作家として日高のように輝くことが出来たなら、自分の人生どんなにか良かったことだろう、そしたら初美さんのような美人の女房を持つことだって出来たかもしれないのに……etc.etc…….
そしてこれは、あまくでもわたし個人が思うにということなので、他の方が東野圭吾さんの「悪意」を読んでもこうしたことは思わない気がするんですけど――わたし自身は、野々口が日高殺害に至った最大の原因は、彼が国語の教師として長く学校という場所に居続けていたことだと感じています(^^;)
何故かというと、野々口みたいに学校でトラウマを負った人って、もうほんと、学校を卒業したらその建物を見るのも嫌だ、そこに近づきたくもないし、そこで生徒らが騒いでいるのを見ただけでも嫌な気持ちになる……そういうものなはずなのに、彼はその自分にとっての最悪の場所を自分の職場として選んでるんですよww
いえ、わたし読んでてこの点についてだけはとても不思議でした。自分が通ってたのではない学校であればまったく気にならない――という人は、実際少ないと思います。だって、学校って大体似たような構造していますし、教室に三十人くらいでも生徒が同じ制服で詰め込まれているのを見れば、当然当時のことを思いだしますよ。
体育館ではいじめっ子どもにこうした目にあったとか、放課後の教室でいつも、人には言えぬようなことをさせられたとか……そうした過去のトラウマに一切悩まされずに野々口が長く教師でいられたのであれば、今回こうした事件は起きてない気がします。
けれど、彼は無意識のうちにも常に自分のトラウマと向きあわざるを得ない環境に長く居続けたということ――これが、野々口の日高殺害に至った最大の理由ではなかったかという気が、自分としてはするんですよね。
常に弱い立場の蔑まれる者、あるいは小さい者として周囲の人々に扱われ続け、その最大値にまで溜まりに溜まった負の力を彼が最後に吐き出したのは、少しばかりでも彼に共感し、助けようともしてくれた人間だったというのは、悲劇としか言いようがない気がします。。。
それで結局、猫のエサに農薬を混ぜた毒団子を作ってにゃんこさんを殺したのも野々口だったわけですよね。もちろんこれも、日高がいかに悪い、やな奴かというエピソードとして、野々口が仕組んだ計画だったにしても――結局のところこれも、いじめられた少年がその捌け口として猫や犬など、自分より弱い者をいじめたというエピソードではないかという気がして……本当に色々な意味で東野圭吾さんの「悪意」という小説は複雑な人間心理に迫る素晴らしい小説だったと思います♪
それではまた~!!
P.S.全然関係ないですけど、野々口ってなんか魔太郎をちょっと思い出しますよね(笑)「このうらみ、はらさでおくべきか!!」っていうww(^^;)
試し読みの最初のほう、読んでみたのですが、面白そうですね♪(^^)
わたし、本読むのトロいので、ちょっと遅くなると思うんですけど(汗)、必ず読んでみたいと思います
はい、デシートの意味は「欺瞞」になります。
事件の真相がわかる人はそんなにいないと思っていますよ。
デシートを最後まで楽しんでいただけたら幸いです。(笑)
「新参者」、大体今三分の一くらいまで読んだところです♪でも犯人が誰なのか、さっぱりわかりません(^^;)
前にドラマで一度だけ見たことがあって……なので、加賀刑事はやっぱり阿部寛さんで脳内変換されてたりします(イメージびったりすぎですよね)
デシート、近いうちに読んでみますね
デシートって「欺瞞」っていう意味ですか……それでミステリーで犯人が誰かわからないって、なんだか意味深で気になります
デシートに興味を持っていただきありがとうございます。
嬉しいです。(笑)
はい、執筆をがんばっていきたいと思っています!
ほんっと面白いですよね~
わたし、本読むの結構遅いほうなんですけど、続きどうなるんだろうと思って、ほんの一日くらいで読んでしまいました
それで今は他の加賀刑事の出てくる「新参者」を読んでいたりします(笑)
あ、神埼さんは本を出版されてる作家さんなんですねデシート、わたしも機会があったら是非読んでみます♪(^^)
執筆活動、がんばってくださいね
自分も「悪意」読みましたよ。
面白いですよね。
事実の隠し方が巧妙でした。
それが明らかになったとき本当に驚きましたよ。
確かに「猫殺し」には騙されますよね。
自分も猫が好きだから、猫を殺すなんて絶対にありえないと思います。
おっしゃるとおり複雑な人間心理に迫る素晴らしい小説だと思いますよ。