カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

秋空の下、角島大橋を渡る。

2009-09-27 22:15:49 | ドライブ
20日、4時30分。ついに角島大橋を渡りました。

角島大橋


ムービー、固定したもので対向車線のクルマばかり・・・シッパイデシタw
手持ちで風景も撮ってもらったらよかった。

2000年11月に完成した長さ1780mの角島大橋。
白い砂浜とエメラルドグリーンの海士ヶ瀬(あまがせ)をまたぎ、
景観と調和した雄姿は西長門海岸地域随一の景勝地だそうです。
これまで、離島に架かる通行無料の橋としては日本最長でしたが、
2005年、沖縄県の古宇利大橋(全長1960m)が開通したため、
現在では2番目の長さとなってしまったとのこと。



渡りきるのは、普通に走って2分ちょっとかな。





渡りきったところに展望公園があるので、橋の全貌が見られます。

角島は、北長門海岸国定公園に属し、面積3.93平方km
山口県の西部に位置する豊北町の沖、約2キロメートルの響灘に浮かぶ
周囲およそ17kmの島ですが、この橋ができるまではどんなだったのかな?
(ホームページ)
今は島のあちこちに観光スポットなどがあります。

とりあえず一番奥の灯台まで行くことにします。







おっと、その前に腹ごしらえ・・・ここまで走りっ放しで、もう午後5時。
朝、ホテルのバイキングを食べてから何も食べてませんでした。
そこで、灯台の見えるレストラン(?)へ。







地魚の刺し身やフライ、ちっちゃなサザエのつぼ焼きがついてました。

お腹が落ち着いたところで、島を出て行く渋滞がおさまるまで
夕陽でも眺めて時間をつぶすことに・・・
この時点でもう今日中に帰宅するのは、あきらめました。



2009.9/20、山口県角島にて。

銀色渋滞w

2009-09-25 22:54:25 | ドライブ
シルバーウィーク、大型連休&高速料金1000円ってことで
渋滞の予想、情報が入る中、山陽道五日市インターから秋芳洞に向けて
愛車を走らせる。ルート案内では2時間20分ほどの予想・・・楽勝やん♪
五日市インターを10:40。

余裕をかまして宮島SAで休憩。



スタバもあるし、眺望も美しい



どうやら安芸の宮島も見られるらしい・・・


見えた?望遠300mm(換算450mm)目一杯。



「デジタルテレプラス PRO300 2X」を着けて2倍。換算900mm。
見えたっしょ!当然トリミングもしてますが・・・





尾道らーめん、食べたいなぁ・・・でもすぐに秋芳洞だから
のんきなもんです。11:20 SAを出る。

この後、「事故渋滞10km」の電光表示が・・・
徳山東では「渋滞25km」ついに、ピタリと流れが止ってしまう。
ちょうど出口のところで動かなくなってしまったので、ちゅうちょ無く
徳山東から出て一般道R2に。当然のことながら出口もその先もだだ混み。11:56。
ちんたらR2を防府西まで行って、山陽道に戻る 13:30。
この間だけでも2時間半。美祢で高速を降りたのが13:56。

お腹へったぁ~、らーめん喰っとくんだった!

後はR435で秋吉台を目指す。





山口名物 夏みかん色のガードレール。見慣れると楽しい♪

快走もわずか、秋芳洞が近づくと・・・



なんで、河童が案内しとるネン!




秋芳洞は、駐車場も満車、待ちの列が・・・即、あきらめる。
とりあえず秋吉台を走ろうっと♪





途中の駐車場もいっぱいだが、カルスト台地を見学。





こんなもんかな?でもこのカルストロードは気持ちよかったですよ。

さて、秋吉台を後にしたのは15時をまわっていた。
最終目的地、角島大橋をぜひ渡りたい。天気もサイコー♪
気持ちよくオープンで渡れるはず・・・
でも今日中に帰れるのか?


R435を1時間半ほど走って、角島大橋を目前にした時・・・

なにぃあのひとぉ~!

動画ではイマイチ迫力ありませんが、実際運転席からは、ドキドキものでした!
タイヤスモークをあげながら、パニックブレーキのタコダンス。
おそらくハーレー、必死の形相のライダーは、エエ歳したオッサンだったと・・・
何をかいわんやですが・・・何事も無くてヨカッタwww
こちらは、すぐ後ろに後続車がいたので、軽くブレーキングして
できるだけ端に寄り、やり過ごしました。神に祈りながら?(^_^ゞ
それにしても、即座に「撮れた?」・・・ヤなブロガー根性、オハズカシイ。

広島、Good night.

2009-09-24 23:57:33 | ドライブ
朝8時半に家を出て、渋滞を避けたり、あちこち寄り道しながら
お宿の広島駅前『アーバイン広島エグゼクティブ』に辿り着いたのは20時。
名前はオオゲサですが、ビジネスホテル系。2人で6000円ちょっとで朝食付♪
去年出来たばっかりで、キレイだし、設備も現代にマッチ。
ネットも部屋で接続OK、ロビーには無料貸し出しのPCも置かれてます。









バスもトイレも充分。もちろんトイレはフルスペックのシャワートイレ。
ただ、部屋は思いっきり狭いです・・・w。それと駐車は別料金1000円要。

とりあえず、晩ご飯を求めて広島駅方面へ、目の前なので歩いていけます。





これまた うろうろすること1時間・・・



結局、広島駅の名店街で食事にありつきました。(^_^ゞ



ホテルのロビーには24時間、無料のドリンクバーがあるので、
ソフトドリンクは飲み放題♪
朝食は、バイキング形式で・・・さすがに値段相応の内容ですが。

このホテル、建物の構造がちょっと面白いので探検に。
最上階14Fに上ってみます。エレベータからの眺めは・・・





真ん中が吹き抜けになってます。側面も風通しがイイ?



下を見れば、外も内も・・・高所恐怖症の方には辛いかも。





屋根くらいはあるんだろうと思ってたら・・・青天井!
雨降ったらどうするんだろ?
部屋はこの吹き抜けスペースを巻くように配置されてます。





コストパフォーマンス的には、なかなかnice!
また利用してもイイかなと思わせます。


さて、ゆっくり9時半にスタート。
予定を変更して広島市内観光で帰ろうかとも思ったのですが
朝だというのに観光地は人、クルマだらけ!
やっぱドライブした~い。





・・・ってことで、広島城はお堀の外から。



市内をうろうろ、クルマの中からは・・・


これが
新広島市民球場“MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島”かな?


平和記念公園も










原爆ドームも、クルマの中から・・・

1時間ほど市内を回って、五日市ICから山陽道を西へと向かいます。




2009.9/20、広島城。

呉で陽が暮れて・・・

2009-09-23 18:49:56 | ドライブ
19日、三次でうろうろした後、呉へと向かいました。
ちょっと下道も走りたくて・・・R375を南下。約110km。
途中、東広島市の市街地あたりで渋滞がありましたが
おおむね快走、思いっきり日焼けしましたw









陽が傾きかけた頃、音戸大橋に到着♪
深紅のアーチ鉄橋もイイですが、ここのループ橋は思わず笑ってしまうほど
くるくる・・・



Googlemapのルート図でもこの通り(^_^ゞ


何を求めて呉港まで彷徨い来たかというと・・・



そう、せんすいか~ん!


護衛艦かと思ったら訓練支援艦の「くろべ」と「てんりゅう」。

ここでは、「護衛艦」「訓練支援艦」「練習艦」「補給艦」「輸送艦」「音響測定艦」「敷設艦」「掃海艇」「掃海管制艇」「掃海母艦」「潜水艦救難艦」「潜水艦」「練習潜水艦」 13種類が停泊、訓練、災害派遣を行っています。
こんなにも多くの種類を見られる場所は呉だけだそうです。



潜水艦の名前は残念ながら分からないのですが・・・
はるしお型やおやしお型、練習艦も含めて10艦以上が所属してます。
任務についてる艦は少ないのか、結構浮かんでるのが見られます。


潜水艦の後ろに控えてるのは、潜水艦救難艦「ちはや」。



反戦、平和主義の私ですが・・・何故か潜水艦にはメロメロ(*⌒O⌒*)











海のロマンあふれる夕陽を堪能して・・・お宿の広島駅前へと。



途中、『てつのくじら館』の前を通ったのですが、とっくに閉館。また今度w

そうそうマツダ本社前も通りました。
マツダミュージアムにも行ってみたいな!また今度w






2009.9/19、広島県 呉にて。

ひんやり、鍾乳洞

2009-08-27 18:27:11 | ドライブ
ここのところ かなり涼しくなりましたが、
8/16、関ヶ原鍾乳洞は、ひんやり気持ちよかったです。
全長518メートル、約20分。1年を通じて洞内は15度くらいなので、
夏は涼しく、冬は暖かい。
入洞料は、大人700円、小人300円ですが、これをプリントアウトして
持っていけば1人100円割引してもらえます。私らもこれで大人2人で1,200円で入りました。
駐車場はたっぷりありますが、この日は賑わってたのかほぼ満車でした。



入り口の前には、伊吹山に荒神退治に出掛けた日本武尊が飲まれたと
古事記にある、玉倉部の清水があります。
そう言えば伊吹山の山頂にも日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の像があったな。



入り口もそうなんですが、かなり人工的に掘り進んだ鍾乳洞で、
回遊路も全面舗装、平らなのでベビーカー持ち込み、車椅子でも見学できるようです。


のどち○こ みたい・・・


そう言われれば そうかな


んーー


大腸検査を 思い出したw

鍾乳洞としての見どころは、そう大したことないような・・・
つーか、ただの洞窟っぽかったし、鍾乳洞を期待して行かれる人にはおすすめできんかな。





古生代の生物の化石がいっぱい・・・なんてHPには書いてあるが
きわめて確認しづらい。それにここ以外では見かけなかったようなw
いっぱい、ちゃうやん!

なんか、だんだんハラタツのを抑えながら、進みます。





背の高い人、いや、普通の大人なら要注意。特に腰痛、閉所恐怖症の方は!
腰を屈めて進まなければならないところが多い多いw

何だかなぁ って思いだした頃に ここのウリが出てくる。


ま、別に鍾乳洞でないとってものでは無いが・・・







綺麗な水の流れに、何処からか持ってこられたようなニジマスの姿が見えると
子供も大人も 何となく納得したり・・・

私的には『ココ』の方が なんぼか良かったと思いますけどね。
ただ、人気はこちらの方が圧倒的。行った日がそうだったのかも知れませんが
ゆっくり撮影しようと思っても、老若男女、後から後から列を成してやって来るので
止ってやり過ごしても、なかなか列が途切れてくれない程でした。



何か物足りないまま、どこか見逃したような気持ちのまま・・・
出口を迎えます。
後日、他のブログを読んだら、物足りない!と3往復したって方も。
余計、虚しくなるような気がするのですがw

ただ、とりあえず ひんやり気持ちよかったのは確か!
体感的には外と20度近い差。外へ出るなりみんな「うへぇ~!あつぅ」って。


霧じゃないですよ。
レンズも一気に曇ってしまって・・・

しかし、上手くできてますね。売店にはちゃんと売ってますよ♪


スジャータですが。



そうそう、駐車場を隔てて向こうに見える青屋根が売店、入洞券もそこで買います。
駐車場を横切ってる間に、ソフトが溶け出してしまうほどの外気でした。
撮影のため、ロドを背景にしたのですが、ボンネットに緑の点々が・・・
んーー、最悪w

夏草や兵どもが・・・

2009-08-23 13:35:16 | ドライブ
さて、いよいよ『関ヶ原ウォーランド』の合戦場へ、いざ!
ここでは400年の時を経て、今でも戦が続いてます。

そこそこ広い敷地内に実物大のコンクリート像が、これでもかっ!ってくらい
数多く配置されてます。

笑っちゃいけませんよ、ごくごく真面目に作られてると思われます。
・・・維持管理は、かなり手抜きのようですがw
それでも人物や要点の解説立て札も数多くあり、興味があれば楽しめます。

関ヶ原の地は、ほぼ四方を山に囲まれた窪地と言える地形、
中山道(R21)、北国街道・伊勢街道(共にR365)が交わる交通の要所。
名神高速も通ってます(カンケイナイカ)
西軍は満を持して山手「笹尾山」「天満山」「松尾山」「南宮山」と東軍を
囲むように完璧な鶴翼の陣形。全てが三成の采配通り働けば、勝利間違いなし。
・・・だったはずですが。



「南宮山」の様子かな?西軍総大将にまつられた毛利輝元により派遣された
毛利秀元の大軍が陣取ります。(輝元は関ヶ原には来ていない)
写真手前は安国寺さんかな、やる気マンマンのは長宗我部くんかな。
しかしこの軍勢、結果的に戦うことなく山を越え伊勢街道から逃げ帰ります。


「ちょっと、にいちゃん。どいたりぃや」

その訳は、この吉川くん。毛利さんの身内ですが、家康と内通。
家康から「ご褒美沢山あげるよ、毛利さんの責任も問わないし領地も
そのまま保護するからね」って確約してもらってたから、毛利のためと
味方の進軍をはばんじゃった。三成の命令通り進軍してれば、家康本陣の
背後に回り東軍を囲めてたのに・・・
ちなみに戦後、毛利は領地減封、萩に追いやられます。







戦は たけなわのようです

あれっ!・・・ピクニックですか~


狙われてますよ~!



思いっきり頑張ってる人もいます。


ルンルンな人もね・・・





颯爽とカッコいい赤揃えのこの人は、東軍 井伊直政さんです♪
この戦での功績で、戦後は三成の旧領である近江国佐和山(滋賀県彦根市)
18万石をもらっちゃいました。そして彦根城を築城、しかし完成を見ずに
この時の戦闘で受けた傷により死去。その亡霊が今、ひこにゃんとして・・・ウソ




これはまた、イメージダウンな、島左近くん。鬼の左近と言われたほどのお人が。
官僚である三成は戦の経験も自信もなく「島さんに所領の半分やるから
軍師になってくれ」って頼んだほどの猛将だったのに・・・
実は戦闘が始まってすぐに鉄砲で撃たれて瀕死の重傷w
石田軍の戦意も喪失気味に・・・




笹尾山に陣取る三成本陣、前陣のしまさこちゃんが戦闘不能になったのは
痛手だったでしょう。


頼みの島津軍は三成の進軍要請を拒否、動きません。
あろうことか戦況不利とみるや果敢にも敵中突破の敗走をするはめに。
前面の徳川軍を蹂躙しながら進む勢いは凄まじかったようで、1,500の軍勢が
80にまでになりながらも敗走に成功、その軍力が攻めに使っていたら・・・




内通、内応(寝返り)と謀反が相次いだ この戦い。
最大のキーポイントとなったのは、やはり小早川秀秋の内応と言われてます。



鶴翼の陣形では重要、且つ戦況がひと目で見渡せる松尾山に、本来は違う部隊が
居たのを押しのけて陣取った小早川軍。
三成の再三の出撃要請にも知らん顔。内応の約束を取り付けていた家康からも
早よ、寝返りせい!の要請が・・・

それでも動かない秀秋くんにしびれを切らした徳川軍が松尾山に向けて一斉射撃。


家康のおっちゃん、怒ってるぅ~っと慌てて、西軍に向けて攻撃開始。
「天下の裏切り者」と後々まで言われることに・・・
大軍で反逆するも、裏切りを察知していた大谷吉継の部隊に押し返され
なかなか突破できずにいるのをみて、これまた内応していた
赤座、小川、朽木、脇坂の各隊が一斉に大谷隊に襲いかかり、大谷隊はあえなく全滅。
これをもって、西軍は総崩れとなり、戦いの体勢は決着することに。

ちなみにその後、秀秋くんは、ご褒美いっぱいもらったのに2年後に発狂、
死後はお家断絶・・・
赤座、小川、朽木、脇坂は、ご褒美もなく。それどころか領地没収されたり。
裏切りを唆しておきながら、裏切るような奴は味方にできん!ってことでしょうか?



ん、何やら深刻な顔で憂鬱そうですが、見つめる先は





うへっ!家康の元に続々と運ばれていく生首・・・


家康が首実検(敵将の確認)する床几場。

こんなん見たら、子供が怖がるやろに・・・泣き出す子もいるんちゃう?


平気なようで・・・w ゲームやアニメで慣れてるのかな。


あれ?こちらではラブシーン?


タイマンのようでした(一騎打ちって言えや!)


アイタッ! 私のような平和主義者を・・・やめてよね。



何で武田信玄やねん!と思うのはさて置き、

この悲惨な戦国史上最大の合戦。戦死者は両軍合わせて36,600余人(推測)
午前8時開戦から午後3時、東軍勝利で終結。
ちなみに8.30総選挙は原則午前8時30分~午後8時00分ってとこでしょうか。

ま、とにかくこの戦いの3年後には家康は徳川幕府を開き、維新までの間
以後260余年の長きにわたりその政権は続くことになります。
長期政権は不満を募らせ、新たな政権へと移行…それは歴史が教えてくれます。
現在の日本の民主主義は太平洋戦争後だとすれば、わずか60数年。
今後の日本の姿は・・・それは我々ひとりひとりが考えねばネ!

※関ヶ原の合戦に関しては、その経緯などまだまだ書きたりませんが・・・
 ひとつふたつ、かい摘んで補足しておきます。

まず、西軍の一大勢力でありながら戦場には来なかった上杉景勝・直江兼続は・・・
山形にて、家康の意向を受けた伊達・最上連合軍と裏関ヶ原というか
長谷堂城の戦いなど激戦ちゅうでした。もちろん上杉軍には前田慶次も居りましたよ。
元はと言えば、この年の正月。家康が「わしに挨拶に来いや」と大名達を
呼びつけたにもかかわらず、上杉だけは「嫌や!何でお前なんかに」って拒否したのが始まり。
家康は、それを上杉謀反と決めつけたのに直江兼続が反発、
「エエ加減にしときやオッサン、あほちゃう!調子乗ってたらあかんでぇ、
やれるもんならやってみぃ~!出て来いやぁ!!!ボケーッ!」ってな内容の
『直江状』を叩きつけた。家康それに激怒(想定内だったとも)大阪で兵を挙げて
上杉を討ちに行く最中、留守になった大阪ですかさず三成が家康打倒の兵を起こし
伏見城に残る家康家臣の鳥居元忠を攻め滅ぼす。
この時の三成は、その前に豊臣家臣の武闘派7人衆から命を狙われ、
家康の仲裁により保護されていた身、その条件は謹慎、更迭といったところか。
後で思えばこの武闘派達(福島正則、加藤清正、黒田長政、藤堂高虎、細川忠興、加藤嘉明、浅野幸長)関ヶ原では東軍。
家康はすぐさま取って返すかと思えば、江戸で各大名にメールを打ちまくる!
もちろん内容は、沢山のご褒美とハートマーク。
上杉、佐竹の北の脅威を抑え込む手はずを整えて、いざ関ヶ原へと向かうことに。
合戦場に間に合わなかった東軍と言えば、二代目将軍となった徳川秀忠。
38,000の大軍を率いて、途中2,000の兵が守る上田城を落とせず、てこずってたのです。
上田城には徳川軍を離脱、西軍に味方した真田昌幸・真田幸村の父子が居りました。

さて、天下の裏切り者とされてる小早川秀秋ですが・・・
もともと秀吉の養子であり、豊臣家の跡継ぎ候補でもあったのですが、
秀吉は、実子(秀頼)ができてその子に家督を継がすため必死、すでに関白職を譲り
跡継ぎ同然だった甥の秀次に謀反の気配ありと、秀次の血筋をことごとく殺してしまいます。
そして、秀秋も追放同然、小早川家に養子に出されてしまうわけで・・・
秀秋は三成のチクりによって所領を減らされたり、恨みを持っていたし、逆に
家康には再三、助けられてますから。家康大好き。でもお家の立場上は西軍。
寝返るのも当然、責められません。
毛利輝元も然り、家康とは義兄弟の契りを結んだほど親家康派。
西軍総大将になりながら、戦場には来ず、その大軍を戦わずして退いたのも
せめてもの報い。内通していた吉川広家にしても毛利家大事でしたこと。
後に毛利領地減封の裁定の際は、自分がもらった領地を毛利にと進言したほど。
この裁定を下した家康にしても実は、毛利の総大将は有名無実であると聞かされて
いたのに、実は輝元は諸大名に西軍加入の激を飛ばしていたのが発覚したからであり
騙した訳では無いようです。

さてさて、話は尽きることが無いようですが・・・
石田三成にしろ、徳川家康にしろ、豊臣政権内に生じた対立を修復し、
天下を安定させ自分の理想政治を望んでのことだったのでしょう。

天下分け目の地へ!

2009-08-21 22:05:44 | ドライブ
日本史を語る上で避けて通ることのできない、天下を二分しての戦いが
慶長5年9月15日(グレゴリオ暦1600年10月21日)に、
美濃国不破郡関ヶ原を主戦場として行われた関ヶ原の合戦。
今も岐阜県不破郡関ケ原町あたりは、古戦場跡が彼方此方に残されている。
そこらを探索してみようと、先の日曜日に出かけたのだが・・・
あまりの暑さに、実戦場を歩いて回るのは断念(アッサリと)
そこで以前、時間的にもう閉館していて入れなかった
『関ヶ原ウォーランド』に行ってみることに。


まずは、櫓門になっている武具甲冑資料館へ









数多くの武具、鎧兜が並べられてます。実際に関ヶ原の合戦で使われたものなのかな。
徳川家康の手形や戦場のジオラマなども置かれています。

ひとつづつじっくり見たい所だが、かなり時間がかかりそう・・・
なので早々に、別棟になっている関ヶ原合戦資料館へ移る。





団体さんが来られたら解説でもあるのかな、椅子が沢山並べられていた。

正面には、合戦の立体図が


壁面には合戦絵巻屏風や数々の資料が






なかなか興味深い。この戦国史上最大の戦をこの程度の資料では
語りきれないだろうけど、あら筋は把握できます。
ただ、合戦に関しても様々な文献、資料があるので正確なところは
当然分からないのですがね。





ここの資料によると、徳川家康を総大将とする東軍総兵力75,000名、
毛利輝元を総大将(実質は石田三成が総指揮)とした西軍総兵力8,500名。
戦死者は、西軍32,600余名、東軍4,000余名とあるが、
数字は文献により様々。どっち側から見るかによって違うのでしょう。

今、大河ドラマ「天地人」では、秀次事件、五大老制、秀吉死去・・・
まさに関ヶ原前夜まで進んでいる。合戦は秀吉没後2年で起こっている。
豊臣政権下、家臣達による内紛とされるため豊臣家は直接参加していない。
表向きは豊臣政権をどうして維持していくかの意見のくい違いってことでしょうが、
一般的には天下を狙う家康 vs 忠義の官僚、三成の勢力争いと言われてます。
勝利者、徳川家康はこの3年後に幕府を開き天下統一を成し遂げました。
豊臣家が滅亡するのはその12年後になります。





天下分目、まさに全国の大名を二分しての戦いだったようで
赤い地域が東軍、白は西軍。こう見ると上杉がちょっと特異かな。
両軍とも味方を得るためプロパガンダ工作、甘い報酬を餌に寝返りを誘ったり
今の政界に通じるものがあるような・・・
この地図を見て気付いたのだが、徳川政権も260余年後、崩壊へと導いたのは
関ヶ原では、西軍側だったようです。


合戦の様子は、また後ほど。
そろそろ当ブログらしいところを・・・
このウォーランドの向かいにはお土産物センターがあって





ゆるキャラ、よもぎちゃんが歓迎してくれます。

ここのレストランで昼食をとりましたが

メニューは、これひとつっきり(厳密に言えば、蕎麦か饂飩かを選べますw)
にぎり寿司は、近江牛、飛騨牛、松阪牛の3種盛り。
違いを味わう・・・ですが、この量じゃね。分からんかった(^_^ゞ

オフシーズンの風景

2009-07-27 23:54:41 | ドライブ
ここのところ天気が安定しません。昨日の日曜も予報通り雨が降ったり止んだり
降る時は思いっきり降ってました。朝から夕立・・・w

この前の連休最終日、20日(海の日)も予報は雨でしたが
ちょっくらドライブに行きたいなと・・・お昼前から出かけることにしました。
何処かの道の駅へ行く用事もあったし、近場で済ませるのも面白くないので
片道150kmくらい・・・って事で、但馬へ向かいました。

寄り道もせず『ようか但馬蔵』に着いたのが午後3時。





とりあえず、道の駅のレストランで腹ごしらえ。
道の駅に来た目的は、スタンプラリーの完走認定証の申請を
まだ済ませてなかったから・・・
これは、申請ハガキの確認欄に道の駅のスタッフに確認印をもらう必要があり、
ここでその確認印をもらいました。
ちなみに、スタッフの方は初めての事だったそうです。




もうひとつの目的地は『但馬高原植物園』
ここからはまだ30分以上かかるようですが、とりあえず行ってみます。
案の定、4時を過ぎてもう閉園してましたが・・・

この辺りは道の駅が密集してる地域なので、もう1軒、



『ハチ北』へ行ってみました。
天気はどんより曇ったままで、雨は降らず、絶好のオープン走行が楽しめました。
調子に乗って、スキー場見物へ・・・





当然の事ながら、がら~んとしてます。







スキーには、とんと縁も興味もなく・・・







キャタピラなクルマ達、特にスズキのキャリイのキャタピラー仕様は面白そう!




2009.7/20、ハチ北にて。

サイナンタン

2009-05-06 21:44:05 | ドライブ
「一枚岩」を5時前に発ち、まだ明るいので
ここまで来たからには、本州最南端の灯台へ行ってみないと・・・



と言うわけで串本へ南下、潮岬灯台へと向かいました。








地上から塔頂まで22.51m、光度97万カンデラ、光達距離は19海里(約35km)
初点灯は明治6年といいますから136年前。
一般公開されていて螺旋階段を昇り展望台で太平洋の眺望を楽しめるようですが
公開は4時まで、もう閉まってました。シマッタ!←ショーモナ(-_-;)

別に灯台マニアではありませんが、灯台って何かロマンを感じますね。
過去ログ「室戸岬灯台」「越前岬灯台」


灯台の横を抜けて行くと、神社があります。
みなさんそちらへ行かれるようなので、僕らも行ってみます。



別に変哲の無い神社です。が、ここの横から木立を抜ける小路が・・・



てくてく、がさごそ、山道を・・・辿り着いた先に絶景ポイントが!









灯台も見えます。


灯台からすぐのところに、東経135度46分、北緯33度26分。
本州最南端の地、潮岬があります。
観光タワーもあり、そこから見る太平洋の水平線は弧を描いて見え
地球が丸いことを確認できるとか・・・、ここもすでに閉まってましたが(^_^ゞ






本州最南端の台地には「望楼の芝」と呼ばれる10万平方メートルの大芝生が広がり
一部キャンプ場にもなってます。素晴らしいロケーションですね。
連休初日とあってキャンプ場は有料期間中にもかかわらず満員御礼のようでした。



結局、最南端の碑があるところまで行きませんでしたが、
この望楼の芝をぐるっと見渡してみました。
360度の合成・・・つなぎ目がミエミエ。〈クリックで大きくなります〉



この後、この島のような半島からR42号に戻り、海岸線を少し北上すると
国の名勝・天然記念物に指定されている奇勝「橋杭岩」が現れます。



海岸から大島に向かって一直線に約850mに渡って大小40余りの奇岩が
橋桁だけを並べたように林立しています。

この奇岩群には「弘法大師と天の邪鬼とが一晩で大島まで橋を架ける競争をしたが、
負けそうになった天邪鬼が鶏の鳴きまねをして夜が明けたと思わせたため、
弘法大師が作業を止め、橋を完成させることなく杭だけで終わった」
という伝説が残ってます。
こちらで詳しく→jimmy.さんのブログ、去年の秋に行かれてます。





大型連休もあっと言う間に終わり、3日に南紀に行っただけで後の3日間は
家でジッとしてました。もっと走りに行きたかったな・・・

紀伊半島一周日帰りドライブ

2009-05-05 19:36:00 | ドライブ
普通なら紀伊半島1周、日帰りドライブなんて珍しくも無いのですが
GW真っ只中の5/3日に無謀にも、渋滞を予測しつつ・・・

道の駅「一枚岩」へ行くのが目的でしたが、もともと
行った道を戻って帰るのは好きじゃない性質でして(^_^ゞ
今までも丹後半島や琵琶湖、淡路島などなど一周できるところは
回らないと気が済まない、つーか、地図の誘惑に負けてしまいます。
京都市の東の端から出発すると紀伊半島が丁度オーバルコースに見えてきて
今回も“遠回りして帰ろ♪”の誘惑に負けてしまいました。

いつもながら緻密なプランは苦手、行き当たりばったりパターンで
GoogleMapのルート案内をプリントアウトして・・・

〈往路〉


〈復路〉


これで行くと、往路は266km-約4時間19分。復路は294km-約5時間32分です。
往路はナビでもほぼ同じ、復路はこんな遠回りをナビが案内する訳なく
だいいち新名神のデータは入ってないので、ナビには任せられません。
現在位置と方向が分かれば良いでしょう、それよりナビが悩み迷うのが楽しみ♪

時間的にも充分余裕でしょ、いつも休み休み行ってナビの到着予想通りですから。
7:20に家を出発、渋滞が無ければお昼前には一枚岩に着くはずですが
渋滞が無いはずがなく、多少は覚悟してましたが・・・
名神に入った途端「大山崎-西宮出口 35km渋滞」の表示!
走り出して20分も経たずに止りましたw 
茨木あたりでナビでここまでの平均速度表示を見たら19km/h。
高槻ではバス停を利用して仮設トイレが置かれていたりして・・・

なんと吹田JCTで近畿道に入ったのが9:20、すでに2時間経過してます。
東大阪SAでトイレ休憩、すぐに再スタートするものの
阪和道、泉佐野JCTから泉南ICまで渋滞、動きませんw。10:26に抜けたと
思ったら10:33、和歌山ICから渋滞・・・
もう目的地に着いていてもよい時間、12:00には
まだ海南東IC、そこから海南IC、下津ICまで13kmほどですが
所要時間は約40分(^_^ゞ 平均速度にしたら19.5km/h。高速道路かッ!

やっと動き出したところで、有田PAでトイレ休憩。
渋滞を抜けてすぐのPAです、当然のことながら・・・





停められるところは通路であっても、停めて。
トイレには長い列が・・・!

この後、南紀田辺ICで高速道を出るまでたいした渋滞は無かったと思います。
この時点でナビの到着予想時間は4時20分。道の駅は5時に閉店、
ここまで来て、間に合わなかったら・・・大笑い!
高速出口からR42で57kmほど、その後、県道39号を10km、
R371を4kmほど走れば目的地に着くはず。
が、一般道R42号線に降りたらすぐ大観光地、白浜を通過しないと
連休利用で車も溢れてるはず。案の定、渋滞にハマりますが
高速の渋滞ほどでもなく、それより・・・
もう2時を過ぎてますが、昼飯抜きでここまで来てます。けれど
食事をしてる時間の余裕はナッシング。しかたなく
コンビニに駆け込み、おにぎり、巻き寿司。デザートにワッフルなど♪
走りながらの食料補給。


写真は、国道42号線 すさみ付近です。比較的スイスイ・・・♪



県道に入ればこんな感じ。
交通の要所にあるべき道の駅へ向かう道路とは思えませんw




ムービーは、一枚岩からの帰りです。

県道39号線



国道42号線、すさみ付近




さて復路ですが、一枚岩から串本に出て、潮岬や橋杭岩など寄り道をした後
19時前には帰路につきました。
GoogleMapを頼りに大内山から紀勢自動車道に入り伊勢自動車道、
亀山で東名阪をちょこっと、新名神、名神と高速道路を降りることなく
途中、安濃SAでボリュームたっぷりの牛丼を食べたりしながら
5時間で自宅に無事到着。

お疲れさんの17時間、600kmの日帰りドライブでした♪

ちなみに高速料金は〈往路〉2,600円(通常5,450円)。〈復路〉1,050円(通常3,600円)

不思議風景、あらぎ島

2009-04-16 22:36:22 | ドライブ
有田名物の風景? 一度は見ておきたかった「あらぎ島」
島と言っても、扇型をした棚田。



実際に耕作されているので四季を通じて景観もその表情を変える。
春は・・・地面しか見えない。(-。-;)






それでもいつも楽しそうな かっぱちゃん。
ちょっと春の野を散策してみる。



あらぎ島展望所より一段上にちっちゃなチューリップ畑があったので
おじゃましてみることに・・・









ちょうちょも飛び回ってました。

春の野に欠かせない レンゲソウも・・・








これは何かの作物かな?


フキノトウの成長しきったやつ・・・



石垣で咲いていたタチツボスミレ。


ムラサキケマン(紫華鬘)
華鬘というのは仏殿の欄間などの装飾具のことだそうです。
ケシ科で毒草のようです。



これはムラサキゴケ(紫鷺苔)
トキワハゼやカキドオシとよく似てるので間違えやすいですが
よく見かける野草でもある。




2009.4/12、和歌山県有田川町 あらぎ島にて。

駐車場もフェスティバル

2009-04-09 23:49:50 | ドライブ
クラシックカー、大量なのでなかなか終わらない。一気に・・・終わらせます。

エントリー車以外にも、一般駐車場にも多くのおタカラ車が見られます。

特設(仮設?)駐車場もなんのその・・・







こんなのもやって来た♪ バークレーT60なんとも珍しい。
このオーナーのHPをリンク↑させてもらった



とにかく駐車場は、おもちゃ箱をひっくり返したような状態・・・


















このオニィサンの後をつけて行くと・・・馬やら牛が。












スーパーカー世代の申し子としては見逃せないのでしょうねぃ













ある意味、駐車場の方が見ごたえが・・・








会場の方の様子も・・・
ラジコンコーナーや




売店も賑わってました。 おゃ、買い出しですか?




恒例のウェスタンライブも・・・






駐車場に戻るとお仲間の姿も・・・


これはお久しぶりのARA!号、息子さんと一緒にみえてました。








ついでだから私のも・・・ニカッ☆


どうでもいいけど、泥沼につかってるのも・・・




さて、もう少し。





























番外? 今は輝いてるつもりでもメッキは剥げるもの・・・





長ッ!いのやら、小っこ!いのやら・・・






ああ、しんど。もうやめとこ、お し ま い。 もうお腹いっぱい♪


2009.4/5、クラシックカーフェスティバル in 丹波ワインにて。

個性満開、旧車の魅力。

2009-04-07 23:48:13 | ドライブ
クラシックカーフェスティバル in 丹波ワインの続きです。

会場で見られた旧車たちも数十年かけて切磋琢磨された技術の結晶。
おかげで個性に満ちあふれてます。
カタチはもちろん、色も特に海外ものは個性的。

そんな色やカタチを追いかけてみるのは、実に楽しい・・・

























さて、日本車も・・・




当時は見慣れてたはずのダットサン・サニークーペ(1969年式)や
サニーエクセレント、今もこうして生き延びてるのが嬉しい。




ダットサン・ブルーバード(1961年式)このテールランプの形状から
「柿の種」って愛称で呼ばれてました。


旧車ショーの常連たち







2座席ライトウェイトスポーツの歴史も始まってました。



ホンダ S500(1964年式)S600に移行するまで
わずか2ヶ月ほどの販売だったようだ。





トヨタ・スポーツ800(通称、ヨタハチ)


このシリーズ、まだ終われません。続きます。(^_^ゞ


2009.4/5、クラシックカーフェスティバルin丹波ワインにて。

タイムスリップ、クラシックカー祭り

2009-04-06 23:52:00 | ドライブ
昨日は朝から丹波ワインを会場にしたクラシックカーフェスティバルに行ってました。
一昨年も行きましたが、去年はノスタルジックカーショー大阪も中止になり
久しぶりのタイムスリップに酔ってきました。



開会前に着きましたが、あっという間に一般駐車場も埋まっていきます。
この催し、一般駐車場にも多くのお宝マシンが集まるので楽しみです。
(中央付近に写ってるくすんだNAはふっちゃんのかな?お宝車では無いです)

とりあえず写真ばっかりですが、まずはクラシックなのを・・・












そうそう、このクルマにもう一度逢いたかった。1953年製造・・・僕と一緒♪
色も何となくMyカッパ~号と共通点あり。JAGUARイメージ好きだし♪







ミツオカ卑弥呼も幌なら・・・







この催し、主催が地元のチームヤマモトってとこで23回目を数えます。
個人エントリー主体なのか、並べ方は結構アバウト?それが楽しめたり・・・
















日本車も無いと寂しいね・・・


1959年製のダイハツ ミゼット。






これって懐かしい!日野コンテッサ900(1964年製)
リアエンジン・リアドライブの水冷4気筒893cc、車重は720kg。






こちらは、いすゞ ベレット。このクルマのオーナーは・・・?!






こちらも珍しい!トヨタ パブリカ コンバーチブル & ライトバン仕様も!







まっだまだ~写真あるので、当分クラシックカー続けます(^_^ゞ


2009.4/5、クラシックカーフェスティバルin丹波ワインにて。

新名神ショートドライブ

2009-03-12 23:13:57 | ドライブ
3月1日のことですが・・・これといった用も無く
新名神 草津JCT~亀山JCT間、開通1周年(2008.2/28開通)ってことで走りに行きました。

新名神高速道路の構想は完成すれば名古屋ー神戸間を結ぶ全長174km、その1部として
去年開通したのは50km。この1年で当初予測の2倍の交通量を記録。
名神高速はその分、減少し渋滞緩和に役立っているようだ。





この路線にはPAとSAが各1ヶ所づつある。
ドライブの唯一の目的と言えば、ここで集まれないかなと・・・

草津田上(くさつたなかみ)ICから入ると最初にあるのは
甲南パーキングエリア(上り線)がある。
ここの駐車場は、大型58台、小型30台、二輪4台。上下線に分離されているので
ミーティングには適さないです。
広々しているのに収容台数も少なく、小型車は満車状態。






亀山寄りにあるのが 土山サービスエリア
ここは上下線集約型で施設は共通、規模も大きい。
駐車場は、上り線、下り線とも小型88台、大型78台のスケール。しかしここも
小型はほぼ満車、余裕など無い。



ここでお昼ご飯。レストランもあったのだが、何となくこんなものが食べたくなりました。



結局この路線でのミーティングは無理かな。
駐車場で見つけたRHTとツーショット撮って、亀山JCTへ向かう。

亀山JCTから東名阪自動車道に入って亀山パーキングエリアに寄ってみる。





亀山サンシャインパーク ハイウェイオアシスとなってるのだが・・・
ちょっと期待外れ?
とりあえず、ここの公園を散策してみることにしました。