カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

要塞の島?砲台、見放題。

2014-09-26 00:55:49 | 旅アルバム
この大久野島、毒ガス施設と混同してしまいそうですが、それより以前の
明治期に造られた砲台が廃虚として残っています。

日清戦争終結後の明治30年代、すでに日本の軍事軍需の重要拠点であった
広島(日清戦争時には大本営が置かれた)・呉などを防御するべく芸予要塞が
設けられ、その一部としてこの島に砲台が数多く築かれました。
北部・中部・南部の砲台には合計22門のカノン砲が据えられたとのこと。
関連施設として火薬庫や兵舎、探照灯(サーチライト)が置かれた照明所跡
なども残っていて、当時建造されたものとしては国内でも最も完全な姿を
残していると言うことです。




「中部砲台跡」、ここに着たいがため徒歩山道で展望台を目指したのですが
結果的には北から舗装道で自転車で来れましたw(-。-;)
展望台は島のほぼど真ん中、山頂部分です。砲台跡はそのすぐ近く、
島のどこからでも見える高圧電線?の大鉄塔が建っているところです。



中部砲台には主力の28センチ砲が6門据えられたようですが、
日露戦争が始まると前線に近い鎮海湾や対馬などへ移設することに・・・
大砲を据え付けたものの、すぐに大砲は無くなり砲台だけ?その砲台が
現在、一番保存状態が良いと言うのも皮肉なものですな。
芸予要塞自体、豊予要塞の建設が決定したことから存在意義を失い、
1924(大正13)年に廃止されています。つまり実戦には使われていません。

この後、北部砲台に向かいますが、すでに熱中症ぎみ・・・水も無し。
ちょこちょこ顔を見せてくれるウサギさんにキュウリをやってみますが
お気に召さない様子・・・カッパじゃないものね。(^_^ゞ
それじゃ水分補給にと私が噛りますが、美味しくは無かったw



北部砲台には24cm砲4門と12cm砲4門が置かれていたようです。
ここも保存状態が良いはずなんですが、さすがに草ぼうぼう・・・
それにこの島、ウルシが多いんですよねぃ。迂闊に草むらを分け入れません。



東部と西部に分かれていて、その間はトンネルで繋がっていました。






煉瓦造りの建造物は地下兵舎だと思われます。しっかりした造りで
見方によってはお洒落?



加農(カノン)砲台の説明パネル。Battery of 24 cm cannon と書いてある。
砲台のこともバッテリーって言うんですね。蓄電池のバッテリー、野球での
投手・捕手もバッテリー。共通点が・・・英語って難しいな。

Cannonはカメラメーカーより「n」がひとつ多い?
カメラの「Canon」の名前の由来は、観音様のカンノンなんだそうです。
観音菩薩の慈悲にあやかりたいという気持ちから、1934年に完成した
国産初の精密小型カメラの試作機を「KWANON」(カンノン)、そのレンズを
「KASYAPA」(カシャパ)と命名した。KASYAPAは、釈迦の弟子のひとりである
大迦葉(マーハ・カサーパ)に由来している・・・と言うことです。



通用トンネル内にも地下壕がありました。水が溜まってしまっていて
水没する神殿のような風情も・・・ナイカ?(^_^ゞ



結局、中央部の山道を縦断、東岸から戻ったので体力的に南部、西岸には
行けず。南部砲台や火薬庫、それに毒ガス製造時代の発電所も見ていません。

肝心の砲台跡は急な階段を登ったり、草をかき分けたりのようだったので
行く気になれず写真は煉瓦造りの地下兵舎ばかりになりました。

DP2 Merrillで撮ったものをgooのフォトチャンネルでアップしました。

右下のアイコンクリックでフルスクリーンで見れます。6枚だけですが・・・


さて、いよいよ島を離れます。


ちょうど入れ違いにフェリーが・・・おぉ、お仲間に逢えるとは♪



家内が名残惜しそうにウサギと・・・持ってきたキャベツの始末かな?


きっと、芯まで食べてくれるでしょう。

島を出る時になって、にわかに天候が・・・

戻りの船も宿に向かうクルマでもゲリラ豪雨? 
日中、汗だくになるほどのお天気の良さがウソのようです。
兎も角、良いお天気で楽しめたのは、ひとえに日頃の善行のおかげです♪キッパリ




2014.9/6、大久野島にて。