亀甲山 勧修寺(かじゅうじ)、創建は900年、藤原定方(さだかた)
開基:醍醐天皇・開山:承俊律師。真言宗山階派(やましなは)の大本山で
十三門跡寺院のひとつ。皇室と藤原氏にゆかりの深い寺院です。
もともとこの地は、宇治大領であった宮道弥益(みやじのいやます)の
邸宅だったものを、ひ孫にあたる醍醐天皇が若くして亡くなった
生母・藤原胤子(いんし/たねこ)追善のため創建したものです。
〈正門〉門跡寺院らしく、菊の御紋が使われています。
タイトルをロマンスとした理由は、醍醐天皇の生母・藤原胤子の両親である
藤原高藤(たかふじ)と宮道列子(みやじのたまこ/れっし/つらこ)が、
ここで運命的な出会いをして恋に落ちたエピソードが『今昔物語集』に
描かれているからです。
先に整理しておくと、宮道弥益の娘・宮道列子-藤原高藤→その子・藤原胤子
胤子と宇多天皇の間にできた子が醍醐天皇ってことになります。
山号が亀甲山だから亀の紋なのかな?
〈書院〉
立札には「笑顔 御縁 絆」の文字が書いてあります。
さて、高藤と列子の身分の差を越えた恋の物語はというと・・・
藤原冬嗣の孫で良門の子である藤原高藤がある日、京から山科へ鷹狩に
出掛けたところ、にわか雨と雷鳴に見舞われます。帰るに帰れず一夜の宿を
借りたのが、宮道弥益の邸宅でした。そこで出逢ったのが弥益の娘、列子。
その愛らしく美しい少女に一目惚れ?一夜を共にするのでした。
ちなみに高藤15、6。列子、13、4歳とか。おませさんですね♪
朝になり高藤は将来を約束し、その証しに太刀を置いて帰ります。
高藤ぼっちゃん、身分もわきまえぬその行為がバレてか、遠出を禁じられて
しまいます。しかし思いは募るばかり、妻もめとらず6年程が過ぎ・・・
再び高藤が宮道弥益邸を訪ねてみると、成長した列子と列子のそばに
5~6歳ほどの可愛らしい女の子が!それは一夜の契りで授かった
高藤と列子の娘でした。枕元には高藤が決してお互い他の者と結婚しない
よう約束した誓いの太刀が置かれてあったということです。
高藤から見れば、列子ははるか下流階級の者の娘ですが、列子との縁を思い
高藤は京に宮道列子と娘の胤子を迎えます。
胤子は宇多天皇の女御となり、のちの醍醐天皇を産み、天皇の祖父になった
高藤は大納言から内大臣に出世。
ちなみに醍醐天皇はこの祖父母の出逢いの地に思いを寄せたのか、
この地(宮道弥益邸)を寺に改め勧修寺を創建。
自らの陵(墓)もこの近くにあります。伏見区になりますが、
醍醐という地名が残されています。醍醐寺なども有名ですね。
山科区と伏見区だけで何と約20もの天皇陵があるのは、あまり知られて
いないかもしれませんが・・・
なお、源氏物語における光源氏と明石の君のエピソードが、この高藤と列子
のロマンスをモデルに描かれたのではないかと言われています。
〈ハイビャクシン(這柏槇)〉
「ヒノキ科の植物で樹齢は750年と言われ、一面1本の樹で
京都市の巨樹名木のひとつです」
漢字表現の方が納得できます。巨樹にもいろいろあるものですね。
〈宸殿(明正殿)〉明正天皇(めいしょう)の御殿を下賜(かし)されたもの。
江戸時代初期の御所の建物です。明正天皇は女性天皇でしたね。
〈さざれ石〉
千代に八千代に・・・苔も巧い具合に♪
一見、朽ち木か流木が放置されているような・・・
〈臥竜(がりゅう)の老梅〉
江戸時代に京都御所から移植された梅の木で、樹齢数百年といわれる親木と、
そこから育った子と孫の木が三代で支え合う姿が感慨深いとかで有名。
白梅ですが咲くのは孫の木だけだと思います。
「京都の観梅スポット」などにもよく紹介されていますが、他所のように
梅宮大社/約550本、北野天満宮/約1500本、青谷梅林/約1万本・・・
何て中に、勧修寺/約4本とあります。(^_^ゞ
這柏槇に被われて見難いのですが・・・
〈勧修寺灯篭〉
水戸光圀の寄進による灯篭と伝えられています。背の低い起り笠の
ユーモラスな灯篭で、水戸灯篭とも呼ばれています。
「灯篭(とうろう)は水戸黄門様のデザインで、京都へ来られたら必ず
見て『通ろう(とうろう)』と言われています」と、書いてありましたw
〈本堂〉
1662(寛文2)年に霊元天皇の仮内侍所を下賜され移築したもの。
もとは近衛家の建物であったと言われています。
久しぶりに訪れましたが、以前より随分整備されていました。
〈観音堂〉
昭和初期の建立、観音様が鎮座されていますが、ちょっと可愛いですね。
ありました!この看板は健在でした。(^_^ゞ もちろん入りますよ♪
〈弁天堂〉
ちょっと不気味ではありますが、以前と比べると拍子抜けするほど
整備されていて、看板はもう名物?だから置かれているって気がします。
以前はホントに危なそうだったけど・・・
鬱蒼としているようですが、この先は街道が走り、明るい住宅街です。
〈??〉
〈山桃の老木〉「主幹は昔、落雷によって二分されたと伝えられ、
樹齢350年と云われる古木です」
庭園は「勧修寺氷池園(ひょうちえん)」と呼ばれる池泉船遊式庭園で、
京都市指定名勝になっています。
写真は氷室池(ひむろいけ)越しに見える書院。
〈千年杉〉京都庭園中最高の巨木だそうです・・・
春はサクラ、秋は紅葉も楽しめますが、何と言っても
初夏、梅雨の季節に訪れるのが楽しみな庭です・・・つづく。
2014.6/7、勧修寺にて。
開基:醍醐天皇・開山:承俊律師。真言宗山階派(やましなは)の大本山で
十三門跡寺院のひとつ。皇室と藤原氏にゆかりの深い寺院です。
もともとこの地は、宇治大領であった宮道弥益(みやじのいやます)の
邸宅だったものを、ひ孫にあたる醍醐天皇が若くして亡くなった
生母・藤原胤子(いんし/たねこ)追善のため創建したものです。
〈正門〉門跡寺院らしく、菊の御紋が使われています。
タイトルをロマンスとした理由は、醍醐天皇の生母・藤原胤子の両親である
藤原高藤(たかふじ)と宮道列子(みやじのたまこ/れっし/つらこ)が、
ここで運命的な出会いをして恋に落ちたエピソードが『今昔物語集』に
描かれているからです。
先に整理しておくと、宮道弥益の娘・宮道列子-藤原高藤→その子・藤原胤子
胤子と宇多天皇の間にできた子が醍醐天皇ってことになります。
山号が亀甲山だから亀の紋なのかな?
〈書院〉
立札には「笑顔 御縁 絆」の文字が書いてあります。
さて、高藤と列子の身分の差を越えた恋の物語はというと・・・
藤原冬嗣の孫で良門の子である藤原高藤がある日、京から山科へ鷹狩に
出掛けたところ、にわか雨と雷鳴に見舞われます。帰るに帰れず一夜の宿を
借りたのが、宮道弥益の邸宅でした。そこで出逢ったのが弥益の娘、列子。
その愛らしく美しい少女に一目惚れ?一夜を共にするのでした。
ちなみに高藤15、6。列子、13、4歳とか。おませさんですね♪
朝になり高藤は将来を約束し、その証しに太刀を置いて帰ります。
高藤ぼっちゃん、身分もわきまえぬその行為がバレてか、遠出を禁じられて
しまいます。しかし思いは募るばかり、妻もめとらず6年程が過ぎ・・・
再び高藤が宮道弥益邸を訪ねてみると、成長した列子と列子のそばに
5~6歳ほどの可愛らしい女の子が!それは一夜の契りで授かった
高藤と列子の娘でした。枕元には高藤が決してお互い他の者と結婚しない
よう約束した誓いの太刀が置かれてあったということです。
高藤から見れば、列子ははるか下流階級の者の娘ですが、列子との縁を思い
高藤は京に宮道列子と娘の胤子を迎えます。
胤子は宇多天皇の女御となり、のちの醍醐天皇を産み、天皇の祖父になった
高藤は大納言から内大臣に出世。
ちなみに醍醐天皇はこの祖父母の出逢いの地に思いを寄せたのか、
この地(宮道弥益邸)を寺に改め勧修寺を創建。
自らの陵(墓)もこの近くにあります。伏見区になりますが、
醍醐という地名が残されています。醍醐寺なども有名ですね。
山科区と伏見区だけで何と約20もの天皇陵があるのは、あまり知られて
いないかもしれませんが・・・
なお、源氏物語における光源氏と明石の君のエピソードが、この高藤と列子
のロマンスをモデルに描かれたのではないかと言われています。
〈ハイビャクシン(這柏槇)〉
「ヒノキ科の植物で樹齢は750年と言われ、一面1本の樹で
京都市の巨樹名木のひとつです」
漢字表現の方が納得できます。巨樹にもいろいろあるものですね。
〈宸殿(明正殿)〉明正天皇(めいしょう)の御殿を下賜(かし)されたもの。
江戸時代初期の御所の建物です。明正天皇は女性天皇でしたね。
〈さざれ石〉
千代に八千代に・・・苔も巧い具合に♪
一見、朽ち木か流木が放置されているような・・・
〈臥竜(がりゅう)の老梅〉
江戸時代に京都御所から移植された梅の木で、樹齢数百年といわれる親木と、
そこから育った子と孫の木が三代で支え合う姿が感慨深いとかで有名。
白梅ですが咲くのは孫の木だけだと思います。
「京都の観梅スポット」などにもよく紹介されていますが、他所のように
梅宮大社/約550本、北野天満宮/約1500本、青谷梅林/約1万本・・・
何て中に、勧修寺/約4本とあります。(^_^ゞ
這柏槇に被われて見難いのですが・・・
〈勧修寺灯篭〉
水戸光圀の寄進による灯篭と伝えられています。背の低い起り笠の
ユーモラスな灯篭で、水戸灯篭とも呼ばれています。
「灯篭(とうろう)は水戸黄門様のデザインで、京都へ来られたら必ず
見て『通ろう(とうろう)』と言われています」と、書いてありましたw
〈本堂〉
1662(寛文2)年に霊元天皇の仮内侍所を下賜され移築したもの。
もとは近衛家の建物であったと言われています。
久しぶりに訪れましたが、以前より随分整備されていました。
〈観音堂〉
昭和初期の建立、観音様が鎮座されていますが、ちょっと可愛いですね。
ありました!この看板は健在でした。(^_^ゞ もちろん入りますよ♪
〈弁天堂〉
ちょっと不気味ではありますが、以前と比べると拍子抜けするほど
整備されていて、看板はもう名物?だから置かれているって気がします。
以前はホントに危なそうだったけど・・・
鬱蒼としているようですが、この先は街道が走り、明るい住宅街です。
〈??〉
〈山桃の老木〉「主幹は昔、落雷によって二分されたと伝えられ、
樹齢350年と云われる古木です」
庭園は「勧修寺氷池園(ひょうちえん)」と呼ばれる池泉船遊式庭園で、
京都市指定名勝になっています。
写真は氷室池(ひむろいけ)越しに見える書院。
〈千年杉〉京都庭園中最高の巨木だそうです・・・
春はサクラ、秋は紅葉も楽しめますが、何と言っても
初夏、梅雨の季節に訪れるのが楽しみな庭です・・・つづく。
2014.6/7、勧修寺にて。
今日の記事は大作ですね。nice!
何が危険なんですか?
蚊がいっぱいでるとか・・・。
巨樹名木にもこんなパターンがあるんですね。
一見したところ、一本の木には絶対見えません。
以前は鬱蒼と樹も生えていて、サギ類の営巣地だったもので、サギに襲われる?
今は整備されて、何も危険を感じないのですがね・・・
千年以上も前から伝えられているのが凄いですね。
変な樹もあるものですね、地を這っている・・・巨樹と言われてもねぇ
昔は時間の過ぎかたが今と違って
速かったのかなー。
寿命が今と随分違うから?
「大いに危険」・・・・よう入らんわ。
8年前に大ヒットした「14歳の母」みたい。
あのドラマも雨の日の雨宿りでしたよ。
(志田未来、三浦春馬)
ところで路渡カッパさんのおっしゃる通りブログを辞めると出不精になったりしますよね。それにしても500枚は凄いです。
13、4歳は、ちとヤバイね。今なら児童何とか法で逮捕されるかも。
「大いに危険」看板の先で7駆さんが仁王立ちしてたら、誰も入らへんかも。
このエピソード、すでに源氏物語でもパクってるしね。(^_^ゞ
私、出不精だったのですが、ロドに乗るようになり、ブログを書き始めて写真も撮るようになって
やっとアチコチ行くようになりましたよ。辞めたら戻ってしまう気がします。
デジカメは現像代要らんから、手当たり次第ですヮ!