奈良県 柳生と言えば、言わずと知れた 柳生一族の郷。
柳生一族の墓地を目指して、芳徳寺の麓 紅葉橋の近くにクルマを停めて
旧参道を歩いて行くことに・・・
歩いてと言うより かなりの勾配を登って行く感じ。途中引き返そうかと・・・
この近くに柳生石舟斎宗巖(せきしゅうさいむねよし)の家があったようです。
石舟斎と言えば、宮本武蔵の最強のライバルとして知られてますね。
柳生三厳(みつよし)=十兵衛は石舟斎の孫にあたります。
父は徳川家康・秀忠・家光の三代に仕えた柳生但馬守宗矩(むねのり)。
十兵衛のいとこである柳生兵庫助利厳(としとし)は、柳生新陰流を
完成させたとされてます。兵庫助は徳川尾張家に仕えたため
以後その系統は尾張柳生と呼ばれます。それに対し但馬守の系統
十兵衛の弟、飛騨守宗冬(むねふゆ)は、江戸柳生と呼びます。
やっと芳徳寺に辿り着きました。
ここの境内を抜け、一族の墓は まだ先にあります。
ちなみにこの芳徳寺、宗矩が亡父(石舟斎)を弔うため沢庵和尚を招き
開いたお寺で、京都大徳寺で出家した十兵衛の義母兄弟 列堂義仙(れつどうぎせん)が
初代の住持となる。列堂和尚・・・柳生烈堂。聞き覚えがありますね、
「子連れ狼」公儀介錯人拝一刀(おがみ いっとう)の宿敵、大五郎にとっては
母の仇・・・として描かれたため、悪者イメージ?
そんな事を考えてる内に 一族の墓地へ到着。まるで映画のセットのよう・・・
中央右に写っているのが三厳(十兵衛)の墓。その左、斜め後ろは父、宗矩です。
なお、十兵衛の墓所は東京都練馬区桜台の広徳寺にもあるようです。
波乱万丈の柳生家(武家家伝 柳生氏)
謎めいた部分も多いため、小説、劇画、映画、テレビで数多く描かれてます。
柳生一族の陰謀、柳生武芸帳、魔界転生・・・数えきれないほどです。
The Yagyu Conspiracy - Opening
2009.6/7、柳生の里、芳徳寺にて。
柳生の里イラストマップ
柳生一族の墓地を目指して、芳徳寺の麓 紅葉橋の近くにクルマを停めて
旧参道を歩いて行くことに・・・
歩いてと言うより かなりの勾配を登って行く感じ。途中引き返そうかと・・・
この近くに柳生石舟斎宗巖(せきしゅうさいむねよし)の家があったようです。
石舟斎と言えば、宮本武蔵の最強のライバルとして知られてますね。
柳生三厳(みつよし)=十兵衛は石舟斎の孫にあたります。
父は徳川家康・秀忠・家光の三代に仕えた柳生但馬守宗矩(むねのり)。
十兵衛のいとこである柳生兵庫助利厳(としとし)は、柳生新陰流を
完成させたとされてます。兵庫助は徳川尾張家に仕えたため
以後その系統は尾張柳生と呼ばれます。それに対し但馬守の系統
十兵衛の弟、飛騨守宗冬(むねふゆ)は、江戸柳生と呼びます。
やっと芳徳寺に辿り着きました。
ここの境内を抜け、一族の墓は まだ先にあります。
ちなみにこの芳徳寺、宗矩が亡父(石舟斎)を弔うため沢庵和尚を招き
開いたお寺で、京都大徳寺で出家した十兵衛の義母兄弟 列堂義仙(れつどうぎせん)が
初代の住持となる。列堂和尚・・・柳生烈堂。聞き覚えがありますね、
「子連れ狼」公儀介錯人拝一刀(おがみ いっとう)の宿敵、大五郎にとっては
母の仇・・・として描かれたため、悪者イメージ?
そんな事を考えてる内に 一族の墓地へ到着。まるで映画のセットのよう・・・
中央右に写っているのが三厳(十兵衛)の墓。その左、斜め後ろは父、宗矩です。
なお、十兵衛の墓所は東京都練馬区桜台の広徳寺にもあるようです。
波乱万丈の柳生家(武家家伝 柳生氏)
謎めいた部分も多いため、小説、劇画、映画、テレビで数多く描かれてます。
柳生一族の陰謀、柳生武芸帳、魔界転生・・・数えきれないほどです。
The Yagyu Conspiracy - Opening
2009.6/7、柳生の里、芳徳寺にて。
柳生の里イラストマップ
歴女ブームといい、影響力は凄いですね。
イメージが出来上がってしまうのは
恐くもあり面白いものです。
歴史上には興味深い人物がいっぱい居ますからね。
柳生宗矩と列堂、織田信長って「悪」のイメージですね
信長は「孔雀王」では第6天魔王サタンですし(汗)
時代劇の大半も司馬某のイメージだから
実際見た人はこの世にいないのでOK?
あ、歴史上「悪者」になってしまった
吉良上野介は地元では名君だったとかで
映像も資料もないからイメージが膨らむんでしょうね~
それがまた面白いのですが(笑)
歴史上の人物でも好感度が高いと良いのですが・・・
悪く言われている人と同じ姓だと、変な先入観をもたれたり、
良し悪しあるでしょうね。
同じ姓が多いのも心強くて良いのでは?私は少数系の姓で電話帳でも数件しか載ってない、半世紀を越える人生で同姓と出会ったのは1度きり。寂しいものですよ(^_^ゞ
ウチは「佐藤」なのでどこにでもいますから(笑)町内の半数以上が佐藤だったりします・・・。
夜にあんな所の写真なんて・・・コワスギ
当時にトリップしたかのような佇まい。
今度は夜に取材に訪れてみてください。
写真はアップしなくていいですから。
以前はモーニングもよく読んでたのですが・・・
柳生博は末裔だそうです。
柳生姓、おそらく何らかの関わりがあるのでしょうね。
ちなみに家紋も変わってますよね。
宮本武蔵と柳生石舟斎のからみが濃厚に描かれていたのは最近ではモーニング連載の「バガボンド」かなあ。
ところで現在の柳生姓の人たちと新陰流の柳生家とのつながりはどのくらいなんでしょうね。
珍しい姓ですし。
柳生博氏とか(笑)
そちらの方はお詳しいようですね。
但馬守宗矩の系列は、剣豪というより実際は政治家のようですね。
裏柳生、列堂義仙を頭として全国に「草」と称する刺客を散らして、それを統率していた。
・・・どこまでが史実で、どこからが小説やら
実在の人物名で書かれると分からなくなることがありますね。
それが面白いのですけどね、空想するのには…
(義仙が統括)実際はあるわけないって
友達が言ってました。無刀取りとか
おもしろかったです。
実際柳生家は、幕府の裏方さんみたいですね。
この頃のお墓は、全部手仕事!なので
すごい労力ですよ。石は角をつくるのが
超むずいです。
近畿は特に時代劇の舞台になったところが多いですね。
考古学、歴史は半分(ほとんど?)フィクションなんで
面白くて仕方ないです。
伊賀、甲賀、柳生、昔親しんだ忍者ものの舞台が、
身近にあるのは、なんとなく嬉しいです。
今はもう無いそうです。落雷で焼失したようです。
一刀石も見損ねたし、まだ見たいところが沢山残ってます。
宮本武蔵が最も恐れた剣、石舟斎は、無刀で家康をひれ伏せさせたそうです。
力を使わないで相手を倒す・・・武道の境地なんですね。
柳生博、末裔なんだそうですね。奥様は二階堂 有希子、こちらも…かな
オープニング、音楽も・・・こんなでしたね。
テレビ版、十兵衛=千葉真一、宗矩=山村聰・・・配役もバッチリ。
時代劇の影響で、柳生十兵衛は、てっきり片目だと思ってました。
そんな文献はどこにも無いそうです。脚色だったんですね。
写真で見られてよかったです。
ちなみに「十兵衛杉」なるものも見たことありません。
柳生宏も末裔?
懐かしいな。
テレビ版のことを忘れていた。
正史より時代劇で歴史(?)を学んでいましたよね。
あの頃の時代劇やテレビ面白かったように思うな。