カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

謎の琵琶法師、蝉丸。

2016-01-16 00:04:40 | しゃじ
蝉丸神社・分社から、国道1号線沿いにたらたら下って来ると
上社(旧称:関大明神蝉丸宮)の参道、石段のところに着きます。
分社、上社、下社とも旧東海道に面していたようですが、今はこの
上社のみ国道1号線(東海道)に面しています。

上社の主祭神は猿田彦命、下社は豊玉姫命。合わせて関大明神として
関の守護、旅の安全を守る道祖神の役目だったのでしょう。
平安末期になり、上下両社それぞれに相殿神として蝉丸霊を合祀。



さて、蝉丸さんですが・・・調べ出すとどうも実体がつかめず。(^_^ゞ
ミステリー小説を読むようで(こんなん大好き♪)



百人一首のこの句は後撰和歌集のもので、この他にも

秋風になびく浅茅の末ごとにおく白露のあはれ世の中(新古今和歌集)
世の中はとてもかくても同じこと宮もわら屋もはてしなければ(同)
逢坂の関の嵐のはげしきにしひてぞゐたるよを過ぎむとて(続古今和歌集)

の3種を含め、4首の和歌を残しているから、蝉丸という名の歌人は
10世紀の半ばまでには実在した人物だといえるでようです。

プロフィールはと言えば、これが生没年不明。詳しいことはさっぱり
分かっていません。







この神社も無人、人の気配がしませんでしたが
まだ松の内だったので、鳥居には注連縄など正月飾りをされていた。
それにしても鉄パイプの鳥居?
以前はもっと太い木の鳥居だったようですが・・・


〈神楽殿・舞殿〉






どうやら地域の方が守ってられるのかな。




蝉丸のプロフィールのように扱われているのが、
能の演目、謡曲「蝉丸」。筋書きをかいつまべば・・・
延喜の帝の第四皇子として生まれた蝉丸、幼少の頃から盲目であった。
天皇は、蝉丸を逢坂山に捨てるよう命ずる。 捨てられた蝉丸は、
琵琶を抱き、杖を持ち、逢坂山の関に住む。
蝉丸の姉、第三皇女逆髪(さかがみ)は、髪が逆立つ奇病。
弟蝉丸を訪ね、やがて琵琶の音に導かれて再会を果たすことになる。
ふたりは障害をもった身を慰め合うが、悲しい別れの結末となる。
世阿弥の作ともいわれているが、ここに描かれている
醍醐天皇(延喜帝)の第四皇子・盲目・琵琶の演者というのが
キーワードになりそうです。

近松門左衛門作の人形浄瑠璃「蝉丸」では、蝉丸は女人の怨念で
盲目となるが、最後に開眼する・・・と、なっているようです。



〈本殿〉




関蝉丸神社の由緒書きには・・・
蝉丸に関する様々な伝承は『平家物語』などの文献に登場する。
和歌・管弦の名手であった鴨長明の『無名抄』にも当社に関する記述が
見られる。また、『今昔物語』巻第二四第二三話には管弦の名人で
あった源博雅が、逢坂の関に蝉丸という琵琶の名手が住むとの噂を聞き、
当時蝉丸だけが伝えていた「流泉」「啄木」という秘曲の伝授を
乞うため逢坂山に通い、三年の月日が流れた八月十五日、ようやく
秘曲を聞くことができたという逸話は有名である。
・・・と書かれています。

平家物語には「四宮河原になりぬれば、こゝは昔延喜第四の皇子蝉丸の
関の嵐に心を澄まし、琵琶をひき給ひしに・・・」
謡曲と同じく醍醐天皇の第四皇子、琵琶。四宮が新たなキーワードかな。

一方で、今昔物語では
「会坂ノ関に一人の盲 庵を造て住けり。名をば蝉丸とぞ云ける。
此れは敦実と申ける式部卿の宮の雑色にてなん有ける・・・」
この後、蟬丸は琵琶を弾くとも記されている。
逢坂の関、盲目、琵琶のキーワードは共通するのだが、
式部卿敦実(宇多天皇の御子)に仕える雑色(ぞうしき)だったと
されている。
※雑色とは当時の職位のひとつ蔵人(天皇の秘書的役割)の見習い。
昇殿も許されない身分、皇子とは随分違いがありますね・・・

尾崎雅嘉(江戸末期の国学者)の論では「蝉丸の姓氏詳らかならず。
古説に仁明天皇の時の道人なり。常に髪を剃らず世の人翁と号し、
或は仙人といひ、また延喜帝の第四の皇子などといへるは、いづれも
拠り所なき説共にて時代も違へり。また蝉丸の像を盲人の様に描く事、
笑ふに堪へたり。」と述べています。「百人一首一夕話」

ここまで言われると、盲人ですらなくなる。(^_^ゞ

蝉丸のことは、また次回にもう少し。ってことにして・・・
関蝉丸神社 上社をあとにします。


〈本殿より神楽殿を見る〉
この上社、山の斜面にあるので、本殿と神楽殿、鳥居なども
平面にありません。それぞれ石段で繋がれた踊り場の様です。

下は国道1号線、昔の東海道。右に行けば逢坂の関、越えれば京都へ。
登坂車線が設けられていますね。



ここにも常夜灯が立っていました。下の石台は車石が再利用されて
います。これもレプリカかな?
大津米屋中が建てた「逢坂常夜燈」、以前安土で見ましたが。


また余談ですが、百人一首には逢坂山を歌った和歌もありました。
「名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人に知られで 来るよしもがな」
作者は三条右大臣(藤原定方)

子供にも教えられる意味は、その名(逢うという意味)を持っている
逢坂山に生えているサネカズラよ。サネカズラの蔓を手繰るように、
人に知られずに、来る方法はないものかなぁ・・・と、なりますかね。

も少しディープにこの句を楽しみましょう♪
「名にし負はば」=その名に背かなければ。
「逢坂山」は、逢う(密会の場所)の掛詞。
「さねかづら」は、マツブサ科サネカズラ属の常緑つる性樹木。
雌雄異株で、別名:美男葛(ビナンカズラ)。漢字表記は実葛・真葛、
核葛とも・・・。掛詞として「小寝」=一緒に寝る(大人の男女がね)
「人に知られで」は、人に知られずに。「よし」は、方法、手だて。
「もがな」はは願望の終助詞になります。さて、「来る」は?
「繰る」の掛詞なんです。素直に葛のイメージで、たぐり寄せるって
意味でも良いですが、ちち繰る=男女がひそかに会って情を通じる。
密通する。って意味も出てくる?
掛詞を駆使して色っぽい部分をオブラートに包み、品良く表現して
いますが、ムラムラした情熱も感じられますね。(^_^ゞ


これは真葛の実に似ていましたが、違うようですね。

2016.1/6、関蝉丸神社(上社)にて。


6 コメント

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蝉丸さん (7駆)
2016-01-16 11:29:15
なぞ多き人やねー。
これだけのことよくご存知で・・・・

最後の写真・・・
小学生だった頃の長女に教えられました。
「これ、へびイチゴ。 食べられるんやで」って。
だから、二人で食べてたけど、ほんまやったんやろか
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☆7駆さん、ありがとうございます。 (路渡カッパ)
2016-01-16 12:06:08
風貌からしてかなり異色・・・
百人一首、100人の人物像を調べたらかなり面白いはず。
でも時間相当かかりそう・・・(^_^ゞ
ヘビイチゴ、僕らは毒やと教えられましたが、実際は無毒だそうです。
ただ、よく似た実もあるしね。中には毒の実もあるかも。
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Unknown (アネッティワールド)
2016-01-16 15:53:49
蝉丸のこと随分勉強になりました。
このブログを読まなかったら
一生知ることが無かったことでしょう。

当時の人たちは、たった31語で気持ちを表すのだから
掛詞などを絶妙に駆使してるんでしょうね。
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Unknown (ピィ)
2016-01-16 16:46:49
蝉丸って坊主めくりでもキーになる札ですよね。
生没年不詳ですが、こんな古い時代の人の生没年がわかっている方が驚異的とも感じてしまいますが、日本の歴史的記録保守能力のすごさでしょうか。
姉の髪が逆立つ奇病って、なんなんでしょうね。
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☆アネッティワールドさん、ありがとうございます。 (路渡カッパ)
2016-01-16 20:04:44
私もブログネタにしなければ、一生調べることも無かったでしょう(笑)
日本語ってほんと難しくって面白い。
掛詞なども調べないと分かりませんが、
最近のカタカナ語、ネット用語も理解できなくて・・・
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☆ピィさん、ありがとうございます。 (路渡カッパ)
2016-01-16 20:14:47
ジョーカーみたいなやつですね、蝉丸札。(^_^ゞ
生没年不詳も多いですが、大物はほぼ把握できていたりしますね。
日本は歴や籍がしっかり記録されていたのは驚きです。
髪が逆立つ奇病、何なんでしょうね?歌舞伎十八番のひとつ「毛抜き」でも出てきます。これは企みによるものですが・・・
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