弥山登頂でちょっとヘバっているけれど、ここへは詣らないとね。何のための宮島観光かわからなくなる・・・
厳島神社(古くは伊都岐島神社とも記された)の創建は593(推古元年)と伝わる。
飛鳥時代、聖徳太子が居られた時代ね。厳島自体は旧石器時代、縄文、弥生時代の遺物が出てくるそうだから驚きです。
創建当時は簡素な神社だったようですが、現在の大規模な社殿は1168年頃、平清盛が造営したのが始まりです。(火災により焼失、現在の社殿は1241年に造営)
主祭神は天照大神の子である宗像(むなかた)三女神。長女・田心姫命(たごりひめのみこと)、次女・湍津姫命(たきつひめのみこと)、三女・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の三柱です。
建造物は国宝だらけ、海に浮かぶその姿は・・・あれっ、干上がってしまってる。しまった!海面に映り込む朱色の美しい社殿を撮りたかったのに。さっさと弥山に行かず、午前中も写真を撮りにくればよかった。
しかし干潮のおかげで見られたのは・・・ふむふむ、これが鏡の池ってやつか。
潮が引いたときに見える池、手鏡のようだから「鏡の池」と呼ばれています。
海水が溜まったものじゃなく、清水が涌いているのだとか。3ヵ所あります。
厳島神社が規格外の神社だというのは一目瞭然ですが、もう少し詳しく調べてもその特異さが解ります。そもそも鳥居をはじめ木造の大建造物群を海に浸るように造るなんて、思いついたとしても敷地が海という難工事を実現してしまう、それも850年も前にね。もちろんそれを現在まで維持していることも凄いのですが。
そのスケールも規格外で、大鳥居は奈良の大仏とほぼ同じ高さの16m、主柱は樹齢500〜600年のクスノキが使われており、もちろん木造鳥居では日本一。
本殿の大きさも桁違いで、伊勢神宮や出雲大社を凌いで日本最大といわれている。
東廻廊入口を入って客神社(まろうどじんじゃ)、朝座屋(あさざや)、本社本殿・拝殿・祓殿、大国神社・天神社、能舞台・能楽屋などを廻り西廻廊出口まで108本の柱、108間の廻廊で結ばれています。
ちなみに本社拝殿から大鳥居まで108間、参道の石灯籠も108個といわれており、仏教思想に影響されている?
本殿の建物自体、神社建築様式から外れている。寝殿造りの様式で、屋根は桧皮葺きだがその棟には瓦が積まれお寺の様で、神社の定番でもある千木(ちぎ:屋根の両端で交差している木材)や鰹木(かつおぎ:棟に直角に数本並べられている木)が無い・・・何故かはわからないが、ちょっと気づくと面白いです。
〈卒塔婆石(そとばいし)〉
本殿の東側、揚水橋の下に卒塔婆石と呼ばれる石があります。
鬼界ヶ島に流された平康頼が、母を偲んで2首の歌を千本の卒塔婆に書き流したところ、その内の1本がこの石の所へ流れ着いたというものです。
後に赦免された康頼はこの石の近くに灯籠を寄進、現在宮島内で最も古い灯籠として残っています。
平舞台と右楽房・左楽房(うがくぼう・さがくぼう)、
右門客神社・左門客神社(みぎかどまろうどじんじゃ・ひだりかどまろうどじんじゃ)・・・全て国宝です。
高舞台と本社祓殿。
高舞台では4月の「桃花祭」、10月「菊花祭」など年間9回、能楽が舞われます。
そういえば2011年、奥田民生がこの高舞台でコンサートをしましたね♪
祓殿、客神社越しに豊国神社、五重塔が見えています。
〈天神社(てんじんじゃ)〉と〈反橋(そりばし)〉
天神社のご祭神は菅原道真公、毛利隆元の建立寄進によるもの。
かつては重要な祭事の際、勅使がこの橋を渡って本社内に入ったことから勅使橋(ちょくしばし)とも呼ばれました。現在の橋は、毛利元就・隆元父子によって再建されたもの。
反橋は、本当に歩けるのかって角度でしたが・・・(^_^ゞ
西廻廊、この先に毛利元就が造営寄進した能舞台・能楽屋があり、
西出口となります。
廻廊にしても社殿も、その高さは満潮時には海面すれすれになります。このギリギリの美学ってイイですね。ミニスカートの丈もギリギリだと目が釘付けになってしまうもんね。ナニユーテルネン!(^_^ゞ
台風など高潮の際は当然、浸かってしまうこともあるのですが、床板の板と板の間にわざと隙間が設けられていて、下から押しあがってくる海水の圧力を弱める工夫がされています。よく考えてあるな、拍手ものですね♪
大鳥居も海水に浸かっているため、定期的に柱の交換が必要。このため、海底に埋め込むことはせず置いてあるだけなんですね。約60tの自重で動かないように。
重量を増やすため島木、笠木の部分は箱状構造で中に石が詰めてあるそうです。
鳥居は両部鳥居・四脚鳥居と呼ばれる形式です。ちなみに日本三鳥居〔奈良吉野・銅の鳥居(かねのとりい)、大阪四天王寺・石の鳥居、安芸の宮島・朱丹の大鳥居〕。また日本三大鳥居〔厳島神社、伊勢神宮(氣比神宮の場合もある)、春日大社〕のひとつでもあります。
なお、現在の大鳥居は1875(明治8)年に建てられた8代目にあたります。
潮が引いてきて海側から厳島神社を見られるようになってきました。全容を1枚に収めるのは難しいですね、パノラマ撮影でもしない限り・・・
大鳥居にも随分近づけるように♪
鳥居の笠木には金色の太陽と月がはめ込まれています。東側は太陽で、西側が月になっています。扁額は有栖川熾仁(たるひと)親王の染筆で、海側に「嚴嶋神社」、社殿側が「伊都岐島神社」と書かれています。
靴が壊れて急遽サンダルのような履物にしたからバシャバシャと・・・
鹿とすれ違う河童?
2017.10/9、厳島神社にて。
厳島神社(古くは伊都岐島神社とも記された)の創建は593(推古元年)と伝わる。
飛鳥時代、聖徳太子が居られた時代ね。厳島自体は旧石器時代、縄文、弥生時代の遺物が出てくるそうだから驚きです。
創建当時は簡素な神社だったようですが、現在の大規模な社殿は1168年頃、平清盛が造営したのが始まりです。(火災により焼失、現在の社殿は1241年に造営)
主祭神は天照大神の子である宗像(むなかた)三女神。長女・田心姫命(たごりひめのみこと)、次女・湍津姫命(たきつひめのみこと)、三女・市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の三柱です。
建造物は国宝だらけ、海に浮かぶその姿は・・・あれっ、干上がってしまってる。しまった!海面に映り込む朱色の美しい社殿を撮りたかったのに。さっさと弥山に行かず、午前中も写真を撮りにくればよかった。
しかし干潮のおかげで見られたのは・・・ふむふむ、これが鏡の池ってやつか。
潮が引いたときに見える池、手鏡のようだから「鏡の池」と呼ばれています。
海水が溜まったものじゃなく、清水が涌いているのだとか。3ヵ所あります。
厳島神社が規格外の神社だというのは一目瞭然ですが、もう少し詳しく調べてもその特異さが解ります。そもそも鳥居をはじめ木造の大建造物群を海に浸るように造るなんて、思いついたとしても敷地が海という難工事を実現してしまう、それも850年も前にね。もちろんそれを現在まで維持していることも凄いのですが。
そのスケールも規格外で、大鳥居は奈良の大仏とほぼ同じ高さの16m、主柱は樹齢500〜600年のクスノキが使われており、もちろん木造鳥居では日本一。
本殿の大きさも桁違いで、伊勢神宮や出雲大社を凌いで日本最大といわれている。
東廻廊入口を入って客神社(まろうどじんじゃ)、朝座屋(あさざや)、本社本殿・拝殿・祓殿、大国神社・天神社、能舞台・能楽屋などを廻り西廻廊出口まで108本の柱、108間の廻廊で結ばれています。
ちなみに本社拝殿から大鳥居まで108間、参道の石灯籠も108個といわれており、仏教思想に影響されている?
本殿の建物自体、神社建築様式から外れている。寝殿造りの様式で、屋根は桧皮葺きだがその棟には瓦が積まれお寺の様で、神社の定番でもある千木(ちぎ:屋根の両端で交差している木材)や鰹木(かつおぎ:棟に直角に数本並べられている木)が無い・・・何故かはわからないが、ちょっと気づくと面白いです。
〈卒塔婆石(そとばいし)〉
本殿の東側、揚水橋の下に卒塔婆石と呼ばれる石があります。
鬼界ヶ島に流された平康頼が、母を偲んで2首の歌を千本の卒塔婆に書き流したところ、その内の1本がこの石の所へ流れ着いたというものです。
後に赦免された康頼はこの石の近くに灯籠を寄進、現在宮島内で最も古い灯籠として残っています。
平舞台と右楽房・左楽房(うがくぼう・さがくぼう)、
右門客神社・左門客神社(みぎかどまろうどじんじゃ・ひだりかどまろうどじんじゃ)・・・全て国宝です。
高舞台と本社祓殿。
高舞台では4月の「桃花祭」、10月「菊花祭」など年間9回、能楽が舞われます。
そういえば2011年、奥田民生がこの高舞台でコンサートをしましたね♪
祓殿、客神社越しに豊国神社、五重塔が見えています。
〈天神社(てんじんじゃ)〉と〈反橋(そりばし)〉
天神社のご祭神は菅原道真公、毛利隆元の建立寄進によるもの。
かつては重要な祭事の際、勅使がこの橋を渡って本社内に入ったことから勅使橋(ちょくしばし)とも呼ばれました。現在の橋は、毛利元就・隆元父子によって再建されたもの。
反橋は、本当に歩けるのかって角度でしたが・・・(^_^ゞ
西廻廊、この先に毛利元就が造営寄進した能舞台・能楽屋があり、
西出口となります。
廻廊にしても社殿も、その高さは満潮時には海面すれすれになります。このギリギリの美学ってイイですね。ミニスカートの丈もギリギリだと目が釘付けになってしまうもんね。ナニユーテルネン!(^_^ゞ
台風など高潮の際は当然、浸かってしまうこともあるのですが、床板の板と板の間にわざと隙間が設けられていて、下から押しあがってくる海水の圧力を弱める工夫がされています。よく考えてあるな、拍手ものですね♪
大鳥居も海水に浸かっているため、定期的に柱の交換が必要。このため、海底に埋め込むことはせず置いてあるだけなんですね。約60tの自重で動かないように。
重量を増やすため島木、笠木の部分は箱状構造で中に石が詰めてあるそうです。
鳥居は両部鳥居・四脚鳥居と呼ばれる形式です。ちなみに日本三鳥居〔奈良吉野・銅の鳥居(かねのとりい)、大阪四天王寺・石の鳥居、安芸の宮島・朱丹の大鳥居〕。また日本三大鳥居〔厳島神社、伊勢神宮(氣比神宮の場合もある)、春日大社〕のひとつでもあります。
なお、現在の大鳥居は1875(明治8)年に建てられた8代目にあたります。
潮が引いてきて海側から厳島神社を見られるようになってきました。全容を1枚に収めるのは難しいですね、パノラマ撮影でもしない限り・・・
大鳥居にも随分近づけるように♪
鳥居の笠木には金色の太陽と月がはめ込まれています。東側は太陽で、西側が月になっています。扁額は有栖川熾仁(たるひと)親王の染筆で、海側に「嚴嶋神社」、社殿側が「伊都岐島神社」と書かれています。
靴が壊れて急遽サンダルのような履物にしたからバシャバシャと・・・
鹿とすれ違う河童?
2017.10/9、厳島神社にて。
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勿論、確認しましたよねー
飲んでみて
だいたいぬたぬたですもん、そんな靴で国宝の廻廊に戻れへんし・・・
ま、白鷺さんが「塩っぱッ!」って顔してへんかったし真水なんでしょう。
説明のお陰でわかりました。
三姉妹だったのね。
かしまし娘状態なのか・・・。
もう一度行ってみたい。
>>奥田民生がこの高舞台でコンサートをしました
これは驚き。
許可が下りるものなんですね〜。
凄技ですね。
埋め込んでいるんじゃないのですね。
それでも自重で支え、倒れないのも
計算してのことなんでしょうね。
凄いことだらけで驚きです。
去年行ってるのに知らないことだらけにも自分に驚きです(汗)
このオリンピックでは姉妹が活躍しましたが、この三姉妹だとやはりメダル確実?
国宝でコンサート、たまにありますがどんな基準で許可を出しているのでしょうね。
あの鳥居は確かビワナマズが支えているとか・・・