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京都文化博物館(三条通)へ「実相院門跡展」を観に行ったのですが、
三条通の北、姉小路通は以前レポしたので。今回は三条通より一筋南の
東西の通り・六角通を少しだけ歩いてみました。
雨が降っていたので、まともなレポは出来ませんでしたが・・・

三条界隈は明治の遺構が多く観られる「界わい景観整備地区」、
文化博物館別館の旧日本銀行京都支店(重文)もそのひとつです。
日本銀行本店や東京駅、大阪市中央公会堂などを設計した辰野金吾と
その弟子・長野宇平治の作品です。
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観るたびに色々と発見できて奥が深い建築、一度徹底的に写真を
撮ってみたいです。できれば館内も・・・。以前は撮れたはずなのに
この日は駄目って言われた。イベントをやっていたからかな?
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〈錦市場〉
昨年、開業400年という古くから京都の台所を担って来た商店街。
相変わらず賑わっていますが、今は観光スポットとしてね・・・
〈ホブソンズカフェ 京都四条富小路店〉アイスクリーム屋さん?
店内で京町家の風情を味わいながらいただけるようです。
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〈まるさんかくしかく〉
どうやら閉店したようだ。もとは木綿問屋、築100年は超える商家を使い
雑貨、カフェ、レストラン、ギャラリー、美容室が入る複合店舗に
なっていたはず。若い女性の観光客で賑わっていたのですが・・・

〈富小路通蛸薬師下ル〉
ビルとビルの間にあるお宅。大塀造(だいべいづくり)の住居?
二階の外壁が渋い色のタイル張りで印象的です。
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〈富小路蛸薬師角〉
ここも個人邸かな?二階の設えが気になりました。
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大塀造ですね、電柱が邪魔ですが右側で一段高くなっているのが
玄関かな、その右側は塀では無いですが庇が付いていて、塀のように
見せてバランスを取っている。庇の下は吊り出格子になっていますね。
ぐるっと駒寄せ(柵)が廻らされて、相当裕福そうな町家です。

一変、こちらは洋館建て。しかも、もじゃハウス。(^_^ゞ
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〈革島医院・麩屋町通蛸薬師上ル〉
麩屋町通(ふやちょうどおり)を歩いているとハーフティンバーの
外観や円筒形の塔屋などが通りに面していて、蔦のからまった建物は
否応なしに目に入ります。

この建物は1936(昭和11)年に建てられた個人医院。今は右に新しい
建物があって、ここは住居として使われているのかな?
建築趣味の初代院長が留学先のドイツの城郭をモデルに、近代建築を
数多く手がけた「京都あめりか屋」に発注したものだとか。
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〈宮脇賣扇庵・六角通富小路東入ル〉
創業1823(文政6)年、京扇子の老舗です。
虫籠窓に紅殻格子、表に張り出した床几など、古き良き京の面影を
とどめる近世の町家そのままの店構えで、観光ルートとしても
知られているのだとか。

〈万足屋きむら・蛸薬師通麸屋町東入ル〉
1920(大正9)年創業以来、京友禅を中心にお着物の別染め・お手入れ・
お直し等をはじめ暖簾・風呂敷の染めや和雑貨の販売をされてます。

〈金翠堂・六角通富小路角〉
いつも気になるんですよね、このお店。画材店だからかなぁ・・・
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入ったことは無いのですが、おそらく大正期の建物。
今でこそレトロですが、当時はモダンなセンスを感じられたのでは。
特に窓の設えが凝っていますね。
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和洋折衷、新旧混合・・・なんとも摩訶不思議な魅力を感じます。
できれば長く維持保存してもらいたいものです。
〈丸平大木人形店・六角通柳馬場東入ル〉ここは看板だけね。(^_^ゞ
江戸明和年間に創業の有職御雛京人形司、現在7代目。皇室、旧家を
はじめ、良家のお嬢様が揃えた雛人形。見るだけでも価値がありますよ。
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〈大極殿本舗 栖園・六角通高倉東入ル〉
1885(明治18)年創業の京菓子店。京都で「春庭良Castella」と言えば
ここ。大丸百貨店横の本店とこの六角店でしか売っていません。
有名百貨店のバイヤーさんから出店要請があっても、お店のポリシーで、
お断りしているそうです。
六角店は、店主宅の築140年の町屋を改装して開いたお店だそうです。
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2016.2/20、六角通界隈にて。
ちょっと面白い本があるので、ご紹介。
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あこがれを集める歴史の都・京都! そんな古都を「きらい」と明言する
のは、京都生まれ京都育ちの著者。右京区花園に生まれ嵯峨で育った著者、
京都人(洛中人)から「洛外人」とさげすまれてきたという。
そんなディープな千年積もった洛中人の毒や、中華思想、姫と坊主、
東京“外資系”、寺と花柳界、古都税、怨霊鎮め、町屋の闇…など、
「こんなん書いてええのんか?」という衝撃のブラックな京都論。
洛中人、洛外人?他所の方にはちょっと理解できないかと思いますが、
生粋の京都人(=洛中人)とは、洛中にある家に4代以上前から住み
続けている人のことだとか。4代以上というのは、生粋の江戸っ子が
3代だというので、そやったら京都人は4代以上やないとな。って
ことかな?(^_^ゞ
洛中という定義は、これは曖昧ですが・・・鉾町で毎年祇園祭に参加して
いる地域?住所に上ル下ルが付く碁盤の目状が残っている地域。
もう少し拡げると、東西南北で言えば東大路・西大路・九条通・北大路
ってことかな?
本の中で嵯峨育ちの著者は西陣の某氏から嵯峨者のくせに京都弁を
あやつるのは身分不相応・・・みたいなことを言われたとか。
国立民族博物館の初代館長であった西陣の某氏、全国の方言が聞ける
機械に自ら京都弁を吹き込んだ。それを聞いた中京の某氏は「京都を
西陣のやつが代表しとるんか。西陣ふぜいのくせに、えらい生意気
なんやな」、西陣あたりが京都人をふるまうのは片腹痛いと・・・
何ともディープな洛中人の生態。
いずれにしろ嵯峨や花園は洛外、何せ京都市に編入されたのは昭和に
なってからだし。かくいう私も京都に生まれ育った人間ですが
生まれたのは太秦、育ったのは山科で・・・著者よりもまだ洛外。
山科に関しては本にも、洛中で婚期を逃したオールドミスが、お相手の
ハードルを下げるうちに「とうとう山科の男から話しがあったんや。
もう、かんにんしてほしいわ」と言ったとか・・・
山科に嫁いだ京女さん、毎日泣いて過ごした「京都に帰りたい」と。
確かにね、昔ならありそうな話し。京都市内でありながら山科や伏見の
人間は洛中市街に行く時「京都に行く」って言いますもん。(^_^ゞ
私は6歳で山科に越してきたが、まだ住所は京都市東山区山科だった。
東山が西にあるのにね。山科区になったのは23歳の時でした。
千年の古都のいやらしさ、ぜんぶ書く・・・この本、洛中洛外問わず
京都を知っている人、京都に少しでも興味がある人にはとても面白い。
去年の秋、発売約1か月で6刷の増刷を重ね(今年3月で第11刷発行)、
関西圏を中心に異例の売れ行きを見せているのだそうです。
三条通の北、姉小路通は以前レポしたので。今回は三条通より一筋南の
東西の通り・六角通を少しだけ歩いてみました。
雨が降っていたので、まともなレポは出来ませんでしたが・・・
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三条界隈は明治の遺構が多く観られる「界わい景観整備地区」、
文化博物館別館の旧日本銀行京都支店(重文)もそのひとつです。
日本銀行本店や東京駅、大阪市中央公会堂などを設計した辰野金吾と
その弟子・長野宇平治の作品です。
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観るたびに色々と発見できて奥が深い建築、一度徹底的に写真を
撮ってみたいです。できれば館内も・・・。以前は撮れたはずなのに
この日は駄目って言われた。イベントをやっていたからかな?
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〈錦市場〉
昨年、開業400年という古くから京都の台所を担って来た商店街。
相変わらず賑わっていますが、今は観光スポットとしてね・・・
〈ホブソンズカフェ 京都四条富小路店〉アイスクリーム屋さん?
店内で京町家の風情を味わいながらいただけるようです。
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〈まるさんかくしかく〉
どうやら閉店したようだ。もとは木綿問屋、築100年は超える商家を使い
雑貨、カフェ、レストラン、ギャラリー、美容室が入る複合店舗に
なっていたはず。若い女性の観光客で賑わっていたのですが・・・
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〈富小路通蛸薬師下ル〉
ビルとビルの間にあるお宅。大塀造(だいべいづくり)の住居?
二階の外壁が渋い色のタイル張りで印象的です。
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〈富小路蛸薬師角〉
ここも個人邸かな?二階の設えが気になりました。
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大塀造ですね、電柱が邪魔ですが右側で一段高くなっているのが
玄関かな、その右側は塀では無いですが庇が付いていて、塀のように
見せてバランスを取っている。庇の下は吊り出格子になっていますね。
ぐるっと駒寄せ(柵)が廻らされて、相当裕福そうな町家です。
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一変、こちらは洋館建て。しかも、もじゃハウス。(^_^ゞ
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〈革島医院・麩屋町通蛸薬師上ル〉
麩屋町通(ふやちょうどおり)を歩いているとハーフティンバーの
外観や円筒形の塔屋などが通りに面していて、蔦のからまった建物は
否応なしに目に入ります。
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この建物は1936(昭和11)年に建てられた個人医院。今は右に新しい
建物があって、ここは住居として使われているのかな?
建築趣味の初代院長が留学先のドイツの城郭をモデルに、近代建築を
数多く手がけた「京都あめりか屋」に発注したものだとか。
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〈宮脇賣扇庵・六角通富小路東入ル〉
創業1823(文政6)年、京扇子の老舗です。
虫籠窓に紅殻格子、表に張り出した床几など、古き良き京の面影を
とどめる近世の町家そのままの店構えで、観光ルートとしても
知られているのだとか。
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〈万足屋きむら・蛸薬師通麸屋町東入ル〉
1920(大正9)年創業以来、京友禅を中心にお着物の別染め・お手入れ・
お直し等をはじめ暖簾・風呂敷の染めや和雑貨の販売をされてます。
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〈金翠堂・六角通富小路角〉
いつも気になるんですよね、このお店。画材店だからかなぁ・・・
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入ったことは無いのですが、おそらく大正期の建物。
今でこそレトロですが、当時はモダンなセンスを感じられたのでは。
特に窓の設えが凝っていますね。
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和洋折衷、新旧混合・・・なんとも摩訶不思議な魅力を感じます。
できれば長く維持保存してもらいたいものです。
〈丸平大木人形店・六角通柳馬場東入ル〉ここは看板だけね。(^_^ゞ
江戸明和年間に創業の有職御雛京人形司、現在7代目。皇室、旧家を
はじめ、良家のお嬢様が揃えた雛人形。見るだけでも価値がありますよ。
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〈大極殿本舗 栖園・六角通高倉東入ル〉
1885(明治18)年創業の京菓子店。京都で「春庭良Castella」と言えば
ここ。大丸百貨店横の本店とこの六角店でしか売っていません。
有名百貨店のバイヤーさんから出店要請があっても、お店のポリシーで、
お断りしているそうです。
六角店は、店主宅の築140年の町屋を改装して開いたお店だそうです。
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2016.2/20、六角通界隈にて。
ちょっと面白い本があるので、ご紹介。
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あこがれを集める歴史の都・京都! そんな古都を「きらい」と明言する
のは、京都生まれ京都育ちの著者。右京区花園に生まれ嵯峨で育った著者、
京都人(洛中人)から「洛外人」とさげすまれてきたという。
そんなディープな千年積もった洛中人の毒や、中華思想、姫と坊主、
東京“外資系”、寺と花柳界、古都税、怨霊鎮め、町屋の闇…など、
「こんなん書いてええのんか?」という衝撃のブラックな京都論。
洛中人、洛外人?他所の方にはちょっと理解できないかと思いますが、
生粋の京都人(=洛中人)とは、洛中にある家に4代以上前から住み
続けている人のことだとか。4代以上というのは、生粋の江戸っ子が
3代だというので、そやったら京都人は4代以上やないとな。って
ことかな?(^_^ゞ
洛中という定義は、これは曖昧ですが・・・鉾町で毎年祇園祭に参加して
いる地域?住所に上ル下ルが付く碁盤の目状が残っている地域。
もう少し拡げると、東西南北で言えば東大路・西大路・九条通・北大路
ってことかな?
本の中で嵯峨育ちの著者は西陣の某氏から嵯峨者のくせに京都弁を
あやつるのは身分不相応・・・みたいなことを言われたとか。
国立民族博物館の初代館長であった西陣の某氏、全国の方言が聞ける
機械に自ら京都弁を吹き込んだ。それを聞いた中京の某氏は「京都を
西陣のやつが代表しとるんか。西陣ふぜいのくせに、えらい生意気
なんやな」、西陣あたりが京都人をふるまうのは片腹痛いと・・・
何ともディープな洛中人の生態。
いずれにしろ嵯峨や花園は洛外、何せ京都市に編入されたのは昭和に
なってからだし。かくいう私も京都に生まれ育った人間ですが
生まれたのは太秦、育ったのは山科で・・・著者よりもまだ洛外。
山科に関しては本にも、洛中で婚期を逃したオールドミスが、お相手の
ハードルを下げるうちに「とうとう山科の男から話しがあったんや。
もう、かんにんしてほしいわ」と言ったとか・・・
山科に嫁いだ京女さん、毎日泣いて過ごした「京都に帰りたい」と。
確かにね、昔ならありそうな話し。京都市内でありながら山科や伏見の
人間は洛中市街に行く時「京都に行く」って言いますもん。(^_^ゞ
私は6歳で山科に越してきたが、まだ住所は京都市東山区山科だった。
東山が西にあるのにね。山科区になったのは23歳の時でした。
千年の古都のいやらしさ、ぜんぶ書く・・・この本、洛中洛外問わず
京都を知っている人、京都に少しでも興味がある人にはとても面白い。
去年の秋、発売約1か月で6刷の増刷を重ね(今年3月で第11刷発行)、
関西圏を中心に異例の売れ行きを見せているのだそうです。
![]() | 京都ぎらい (朝日新書) |
井上章一著 | |
朝日新聞出版 |
京都の場合、それが極端と言うか、ちょっと異質な文化を育て上げてる気がします。
言葉ではない、そういう空気感をもっているのが京都人かも。
僕も北九州育ちいっぺんですが
どうしても、悪いところは感じますが
それも含めて思うのが郷土愛と思います。
実際、県外から来た人が、北九州の人は
いつも、怒っているの?と言われますし。
僕自身、北九州じゃないところから、
京都あたりから来たのですか?って
聞かれるくらいですからね。。。
うなわけ、ないじゃん。
いいところも、悪いところも受け入れての
地元民と思います。
店舗形態を変えて関東では結構お店もあるようです。
ただ関西ではここ1軒だけのようです。かき氷のあるので、
今年の夏は中村軒と食べ比べなどいかが?(^_^ゞ
著者は洛中人の中華思想に怒りながら、自らも亀岡や城陽に優越感を持っていると白状する。もちろん自虐的に。つまり、大嫌いな「京都人」と自分も同じ心根を持っているのだと。それだけ「京都人たちの中華思想に、汚染されてしまった・・・なんて語っています。
ブラックな切り口が面白かったですよ。
ここも店内で食べられるようで、一度入ってみようかな。
大阪府民からの感想は「よくぞ書いてくれた」だそうです。
おそらく多くの関西人はそんな感想を持つでしょうね。
「まるさんかくしかく」完全に撤退したのかな?移転とか改装とか、はっきりしていません。
ここのオーナーは確か洛中人、でも東京で成功して舞い戻ったクチ。
だから京都人からはそっぽを向かれているかも・・・
ハーゲンダッツと同様に見なくなりましたが。
あの手のお店で今もあるのはサーティワンだけかな?
本は面白そう。
現在京都市民でも郡部からの移民である私は気楽に読めそうです(笑)
日ごろ口にしてる蕨もちと色が全然違っていて
衝撃的な歯ごたえが印象的でした。
店内の雰囲気も京都らしくて
また行ってきます。
京都からは嫌われてる感がかなりあるもん
築100年は超える商家を使った複合店舗。
おもしろいのにね。
現に若い女性の観光客で賑わっていたとか。
屋号がとんがり過ぎたのかな。
私は生粋の洛外生まれ、洛外育ちなので、あまり嫌な京都人とは接触したことが無いです。
それでもこの本読むと、そうやそうやって思うことがいっぱいあって、面白かったです。
実際「市内に出る」とか「京都に行く」って言いますもん(笑)
この本の筆者、京大出の学者さんですが、ひがみっぷりも論理的で面白い、結果的には京都好きで京都びいきな気がします。
山科も宇治や伏見と比べたら・・・これって、洛中人と同じ論理ですね。
排他的な地域格差を持つことで洛中人は特別やって意識を守ってるのかもね、だから西陣まで外れ扱いする。
この本の著者、なんだかんだ言っても京都びいき。
洛外人と言いつつも「京都好き」のようですよ。
ボクも京都育ち、生まれは烏丸竹屋町って事は洛中人って事ですか・・・(笑)
勿論4代も続いてませんが。
ボクも昔から京都人の嫌な面を沢山見てきましたから、是非この本読んでみます。
大石内蔵助も山科におられたのですから、山科も捨てたものでも無いのかも・・・(笑)
京都人のいやらしいオッサンやオバハンを見るといややなぁ・・・と思います。でもどこかイケズな面があるのは事実です。観光客をゴミやサル扱いしていますからね。お行儀が悪すぎる。商売しているのも京都人でない場合も多い。甘い予測で出店してすぐに撤退します。街が荒廃しないとよいのですが。
大阪府民からは「よくぞ書いてくれた」って反応が・・・
特に関西では嫌われてますね、京都人。(^_^ゞ
栖園のわらび餅も美味しいそうですよ。
洛中・洛外 そのような区分けで
生粋を保っていたんですね。
所在地名と場所がわかるだけに
楽しく拝見いたしました。
六角通りに栖園ではなかったと思いますが
ワラビもちのとっても美味しい店があり
懐かしかったです。