☆すっかり萎えてしまった足
シェラが歩けなくなるのは時間の問題だろう。立っているのがやっとで、歩くとなると一歩一歩がかなり負担になっている。かわいそうなのは、オシッコやウンコの姿勢が容易にとれなくなりはじめていることだ。力を振り絞ってそれぞれの態勢を取るが、終わるとよろけてしまう。これからは手を添え、支えてやらなくてはならない。外へ出て排泄ができるのもそろそろ限界だろう。
今朝、そんな歩き方のシェラにぼくはとうとうカメラを向けることができなかった。
意識もときおり、はっきりしていないのではと思うことがある。混濁とまではいかないが、ぼんやりしてしまうらしい。せめてもの慰めは、苦しげな表情を見せないでいてくれることだ。
本当は苦しいのかもしれない。それを悟られまいとしてがまんしていることも考えられる。犬は痛みを隠す習性があると聞く。シェラならじゅうぶんに考えられる。
あるいは、もう感じなくなっているのだろうか。ついこの間まで、ときおり、いかにも気分悪そうにしていた様子がこのところ見えなくなっている。ひとことでこのところのシェラの様子をいうと、「うつろ」になってしまった。
昨日の昼間などひたすら寝ていた。ぼくが休みとわかるとどこか外へいきたくて落ち着かなかったのに、そんな意欲も鳴りをひそめてしまった。こみ上げてくる悪心に顔を曇らせていたころのほうがまだ生命力があった。
☆このがんばりはむぎの分かな
それにしても、よく1月末までがんばってくれたものだと思う。腎臓が受けたダメージの数値からいって早ければ1週間から2週間の命と宣告され、新しい年をともに迎えるのは無理だろうと半ば諦めたものだった。それが、とうとうここまでがんばってくれた。
すべてはシェラの強靱な生命力のおかげである。むぎがあっけなく旅立ってしまった分、シェラが踏ん張ってくれたのだろうか。
日曜日の夕方、シェラとルイを家に連れ帰って晩ごはんを食べさせ、ふたりを置いて家人を迎えにひとりでクルマを走らせた。シェラもルイも乗せていないのに、リアシートには濃密な気配があった。しかも息づかいからシートにすれる音まで聞こえるのである。
ぼくにはシェラのビジョンとしか感じなかったが、ふと、むぎではないかと思いいたった。控えめな子だったし、いつもシェラの陰に隠れていたような子である。
「おい、そこにいるのはむぎちゃんかい? きてくれたのか? どこへもいかずにずっといてくれたんだよな。シェラちゃんがいないとどこにもいかれないもんな。いいんだよ、ずっとシェラちゃんのそばにいてやってくれよ」
ぼくはクルマを走らせながら背後の気配に語りかけた。
☆ますますむぎに会いたいよ
自分ではリアリストのつもりでいるから、これまでは霊魂の存在や超常現象などを頭から信じてこなかった。そういう意味では、われながらなんとも無味乾燥な人間だと思うが、幽霊を見たこともなければ、超常現象に遭遇したこともないのだからしかたない。
それなのに、むぎだけは感じるのである。これで二度目だろうか。それがむぎかどうかはわからないし、むぎだという確証もなければ、明確にむぎの気配というわけではない。ただ、何か不可思議な存在を感じる。むぎ以外ぼくには思い当たるものがない。
クルマの背後の気配は、ぼくが話しかけるとスーッと消えた。あれほど明瞭だった音もそれきり聞こえなくなった。ぼくが気づいたことで満足してくれたのだろうか。静まってしまうと妙に寂しい。
むぎならば、気配だけじゃなくて姿も見せてほしい。どんな形でもいい。たとえば、夢の中でも……。
いま、シェラが旅立とうとしているこのときこそ、ぼくはむぎに会いたい。先に逝ったむぎにシェラを託したい。
シェラが旅立つときは、かつてふたりがもつれながらうれしそうに遊んでいたあの日のままに、まるで本当の親子のように寄り添い、連れだって去っていく姿を見送りたい。
むぎの霊力を借りて、夢の中でいいから……。