愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

むぎを失って得たもの

2011-08-31 12:58:19 | シェラの日々

☆極悪コンビだった?
 むぎとの別れから来週で二か月を迎える。この間、寂しさを噛みしめつつ、いくつかの意外な展開に目をみはる場面もあるった。大きくはシェラの変化とご近所の反応である。

 ときおり、ほかのわんこに吠えつくシェラは、ご近所でも札付きの悪いイヌだ思われているだろうといううしろめたさがぼくにも家人にもある。散歩の途中、シェラの姿を見ただけで嫌悪感を露骨にするわんこ仲間も少なくない。
 「嫌われもの」になってしまったのは、気まぐれとはいえ、ほかのイヌに吠えつくシェラが悪いのだから、ぼくも家人も別のイヌと出逢うとあわてて避けるようにしてきた。

 シェラも必ず吠えるかとというとそうでもなく、また、相手によってはまったく吠えない場合も多々ある。それだけになおさらややこしくしているだろうが、ぼくたちが逃げても、追いかけるようにわざわざ近づいてくる飼い主さんもいる。連れているイヌばかりか、飼い主さんもフレンドリーな性格なので、イヌ同士を遊ばせたいのだろうが、こちらはいつ吠えつくかわからない「弱虫わんこ」である。

 「吠えるからこないでください」と懇願すると、いかにも不快そうな顔を見せる人が多い。たしかに、シェラとむぎの様子を見ていると、なぜ、拒絶されたのかわからないかもしれない。
 なんせ、むぎは耳を伏せ、いかにもフレンドリーな態度で「遊びたいな」と全身で訴えている。そんなむぎが目立っただけにこちらの「こないで!」というお願いがすぐには理解できない方がいても不思議はない。

☆孤高のシェラ
 しかし、向こうから近づいてきてある一定の距離になると、シェラは「寄るな」とばかり猛然と吠えかかる。とりわけ、よそのわんこがむぎのそばにきて、むぎがビビる態度を見せたりしたらもう大変である。
 シェラがまったく吠えないお気に入りのわんこもいるが一緒に遊んだりは決してしない。シェラはいつも孤独なイヌである。
 シェラが吠えるのは怖いからだし、あるいはむぎを守るためなので、トラブルになって噛みつかれたことはあっても、相手に噛みついたりはしない。それでも、ルックス的に迫力があるので、吠えられたほうは飼い主さんがびっくりし、たいていは恐れをなして逃げていく。

 だからシェラはずっと近所の嫌われものだった。シェラの吠え癖を知っている人は向こうから避けていく。こちらとしては、ゴロツキにでもなったような引け目を覚えつつ近所の散歩に出かけていたものだった。なんとも肩身の狭い思いをしてきた。

☆むぎがいなくなってから……
 むぎがいなくなってから、ふだん、挨拶程度で言葉を交わしたこともないようなわんこ仲間のご近所さんから、このところ家人は頻繁に声をかけられるようになったという。
 夕方の散歩は同じ主婦同士が多い。むぎの死は、そうした方々の口から口へと伝わっていったらしく、さんざんお悔やみの言葉も、「ほんとうにかわいい子でしたものね」というお褒めもたくさんいただいた。

 シェラも、むぎを失った当初はションボリして歩いていたので、「かわいそうに、見るからに寂しそうだね」と同情さえされたほどだった。いつの間にか、むぎの死はご近所のわんこ仲間の皆さんが知るところとなっていた。 
 「むぎちゃんのこと、あんなに皆が知っていてくれたとは思ってもいなかった」
 家人は、あらためて悲しみにくれた。
 いつも逃げてきたし、シェラが吠えるわんこだけに「嫌われファミリー」だとばかり思っていたら、ご近所のやさしさ、思いやりを知り、なんともありがたく、ぼくたちはただただ感謝している。
 
 むぎの他界がきっかけでいろいろな方と親しく言葉を交わすようになっても、シェラとの遠慮がちの散歩は続いている。ぼくのときはそれほどでもないが、夕方の家人と一緒の散歩だと相も変わらずほかのわんこに吠えつくシェラに、油断するとコントロールがきかなくなりそうなほど激しく引っ張られているという。
 見るからに歩くのも不自由そうだし、ときどき、砂利に足をとられたり、滑りやすい路面だったりすると転んでいるような16歳8か月の高齢犬なのに……。

☆どちらに転んでも肩身が狭い
 いつもシェラばかりが吠えているのかというと、シェラが吠えられるケースも少なくない。
 「この子(シェラ)に吠えられて、ウチの子も吠えることを覚えてしまって……」と、シェラに激しく吠えつくわんこを押さえながら、そういわれるのがなによりも辛い。「すみません」と詫びて身を縮めているしかない。
 当のシェラはというと、そういう子に対しては、「なにを吠えてるの?」といわんばかりに余裕を見せ、涼しい顔で通り過ぎていく。
 
 「吠える悪いイヌ」と「吠えない良いイヌ」が逆転して、飼い主が焦っている姿はやっぱり気の毒である。


みんなが不幸になるところだった

2011-08-30 12:56:06 | シェラの日々
☆シェラを待っていたのか?
 「むぎネコ」がシェラを待っていた。
 そんな錯覚も無理からぬむぎネコの再登場だった。

 日曜日の夜、「トイレへいきたい」とシェラがぼくの部屋へ呼びにきた。朝、遅く起きたぼくの都合で散歩の時間がずれ、シェラのリズムも狂って夕方は大きいほうが出ていなかったので、夜中の散歩は覚悟していた。深夜の散歩は、またあのむぎネコと逢えるかもしれないとの期待もあって、心の準備はできていた。

 エントランスを抜け、ケージからシェラを出して歩きはじめるとぼくはすぐに舌を鳴らしてネコを呼んだ。一発で返事があった。前回とは反対側の、以前、あの子が入り込んでいた植え込みのほうだった。
 また茂みに入り込んでいるのか。暗くてわからないいが鳴き声が近いから茂みから首くらい出しているかもしれないと思い、声の方角へ見当をつけてカメラを向け、シャッターを切った。
 フラッシュの閃光が、一瞬、たしかにむぎネコを捉えていた。植え込みの中ではなく、今回は大きな植木鉢の横に堂々と座っていた。


☆おまえも散歩同伴ネコだったのか?
 シェラに引かれて歩き出すと小声ではあるが鳴きながら数メートル離れてついてきた。以前、わが家で飼っていた白と黒の美形のメスネコ「ダダ」が、やっぱりシェラの散歩についてくるのが好きだった。だからといって、ダダはイヌが好きなわけではなかった。シェラの散歩についてくるのが好きなだけだった。
 
 しかし、むぎネコはイヌだったらどんなイヌでもいいらしい。一定の距離を保ちながら従っている。うしろにいたはずなのに道路の反対側の、駐車してあるクルマの陰にいたり、シェラがオシッコをしていると、反対側の草の上に寝そべって待ったりしていた。
 ほんの数十メートルの散歩を終えてケージのほうへ戻ると、もちろん、むぎネコもついてきた。
 
 マンションの前の街路樹の下にある花壇の縁は散歩中のオスイヌたちがオシッコをかける格好の場所になっている。シェラもそこでにおいを嗅ぎ、情報収集(?)に余念がない。
 そんな花壇のひとつで、十メートルほどの距離を開けていたはずのむぎネコとシェラのニアミスがあり、双方がビックリしてしばし動かなかった。それが下の写真である。


 それで気をよくしたのか、一旦離れたむぎネコが、「遊ぼうよ」とでもいいたけげに鳴きながらシェラのほうへ近づいてきた。前回、シェラから吠えられているというのに懲りないネコである。
 
 ここまで、シェラはむぎネコに素知らぬ態度でいた。それでもきっとまとわりつかれるのに苛立っていたのだろう。「ニャア~! ニャア~!……」とひときわ高い声で鳴きながら近づいてきたむぎネコを、シェラは今回も「ワウッ!」一喝で追い払った。
 追われても、ネコはほんの数メートルのところで寝そべってシェラの動きを眺めていた。

☆本当のことを知ってよかった
 わんこが好きなネコ……もし、この事実を知らされずにいたら、ぼくも家人もとんでもない間違いを犯すところだった。
 前にも書いたが、時期が時期だけにむぎが同じような色の毛並みの子ネコに憑依したとの想いを抱き、当初は当事者のぼくら自身他愛ない幻想だと認識していた。しかし、もし、「イヌ好きなネコ」という事実を知らされていなかったら、まるでむぎのようにシェラを追いかけるネコはまぎれもないむぎの化身と信じ、なんとしてでもわが家の子にしようとしただろう。


 もし、この子をうまく捕まえ、わが家に連れてきてしまったら、まず、この子にとって不幸だったし、飼い主に申し訳なかった。
 外の世界での自由を満喫しているネコにとってマンションの一室で生きるのはさぞかし苦痛だろうし、いろんなイヌとの交流も絶ってしまうことになった。
 
 ネコのみならず、シェラの不幸でもあったろう。むぎが戻ってきたのならともかく、まったく未知の、しかも相手はネコであり、加えて大の「わんこ好き」とあっては、老犬にとってはさぞや鬱陶しいだけの存在でしかないはずだから。

 ぼくたちのふとした勘違いからみんなが不幸になるところだった。
 

むぎ、待っててくれ!

2011-08-28 23:56:53 | 残されて

☆この店のテラス席にもむぎのビジョンが
 まだ夏の陽気は続いているが、それでも晩夏の光と風が明らかだ。
 昨日のシェラとの約束を、まったく逆方角の多摩センターのケーキ屋で果たすことができた。
 盛夏のころだったら、たとえ日陰を作ってくれる天幕の下でも、日中のテラス席におよそイヌを連れていくなど考えられなかった。シェラを同行できたことからも、すでに夏が盛りを過ぎたのは明白である。
 
 この店のテラス席にも、やっぱりむぎの思い出が濃厚である。シェラだけしかいないというのが不思議に思える。なぜ、ここで見慣れたむぎがいないのか、と……。
 ここにもむぎのビジョンは濃密である。


☆大好物のアイスクリームなのに
 前回、むぎが旅発つ直前の6月、週末のどこかで訪れている。
 絶品のロールケーキが有名なこの店のテラス席が開設されている季節、真夏をのぞいて、ぼくたちは頻繁に訪れる。目当てがアイスクリームだというのに、前回きたとき、シェラはぼくが差し出したアイスクリームに顔をそむけた。あんなに大好物だったというのに……。
 ところが、それを見たむぎまでが、プイと横を向いてしまった。去年の夏は週末ごとのアイスクリームで太らせてしまったと悔やむほど外へ出れば欲しがっていたのがなんという変わりようだろう。
 
 アイスクリームにかぎらず、むぎは、シェラが食べないものは決して口にしない。だが、アイスクリームまでというのはやっぱり驚きだった。
 「おまえたち、どうしちゃったんだ?」
 ぼくはビックリしてもう一度シェラとむぎにアイスクリームを差し出した。ふたりの反応は冷たいものだった。結局、ぼくは自分の分とわんこ分の二個を食べなくてはならない羽目になっていた。
 
☆むぎがジョジョになったわけ
 後日、ほかの店でもアイスクリームを試してみたが、やっぱりシェラが顔をそむけ、むぎがシェラに従った。カロリー制限を義務づけられている彼らにとって、その嗜好の変化はかえって好都合だった。
 
 きょうも、最初、シェラはぼくの手にしたアイスクリームを無視した。だが、いつのまにか家人にねだり、食べはじめていた。


 どんな心境の変化だろうか?
 「もし、むぎがいたら、もう一個、わんこ用が必要になったな」
 そういいかけて、ぼくはすんでのところで口をつぐんだ。ひとつは、家人のウルウルを誘わないために、もうひとつは「むぎ」という名前を口にしないようにしているからだった。
 
 口にしない理由はシェラのためである。ぼくたちが会話の中で「むぎ」といっていると、シェラが落ち着かなくなってむぎを探しはじめるからだった。
 どうしても、むぎの名前が必要なとき、ぼくたちは「次女」と呼んでいた。それがやがて、「ジョジョ」になった。「もし、ここにジョジョがいたら……」といった調子である。

☆むぎ、どこへも行くな!
 むぎが死んで仏教でいうところの四十九日も過ぎた。むぎが幽界へと旅発ち、残されたわれわれの忌明けとなった。
 
 だけど、思う。
 どこへもいくな、むぎ。
 ずっとこの世にとどまって、ぼくたちが幽界へと渡るとき一緒にいこう。
 やがていく、シェラともども一緒にいこう。
 それまで待っててくれ!
 
 ぼくたちのそんな迷いと未練が続くかぎり、むぎの納骨すらできないままだろう。きょうもお骨を専用のショルダーバッグに入れて一緒に出かけた。
 ぼくたちが溺愛したむぎである。気のすむまで、「ジョジョの骨」は抱き続けてやろうと思っている。
 ぼくたちの不覚から死なせてしまった愛しい子なのだから。


むぎのいない久しぶりの散歩道

2011-08-27 23:43:47 | シェラの日々

☆幸せだったあのころ
 そうか、さんざん歩いたこの道も、むぎがいなくなってはじめてだ――シェラとふたりで訪ねた「横浜水道道路」もそんな思い出深い道のひとつである。
 
 南町田の246号線沿いケーズデンキの横から鶴間公園に至る数百メートルの緑道を、季節のいい時期にむぎを伴ってさんざん歩いた。クルマをアウトレットモールの「グランベリーモール」へ停め、ぐるりとめぐる行程は、春までのシェラやむぎには、まだきつい距離ではなかった。
 途中にパンとケーキのオシャレなお店があり、ここのテラス席で休憩するのがわんこたちのお気に入りだった。
 
 この道は、日陰がないので夏は近づかない。きょうは曇り空だったし、涼しさもあって訪れた。道の両側からススキをはじめ生い茂った雑草が人間の背丈ほども延びて緑の壁を作っていた。本来なら芝草が続いていたところである。
 シェラもむぎも舗装された歩道よりも芝草の上を歩くのが好きだった。においを嗅ぎ、油断するとゴロリと寝転がって背中に芝草についているにおいを自分の身体になすりつける。
 とっても幸せそうな光景だった。

 最後に歩いたのはいつだったろうか。ウメの季節には何度も歩いた。そのウメが散ってサクラに代わり、若葉が萌えるころの記憶もある。梅雨入りを境に足が遠のいていたみたいだ。
 ここを歩いていたむぎの元気な姿を思い出し、思わず目がしらが熱くなってくる。むぎが旅発つほんの二か月足らず前の姿だけになおさら胸に迫るものがある。
 なんであんなに呆気なく……。

 ただ、シェラだって、あのころにくらべたらずいぶん衰えてしまった。それなのに、この道をひとりで歩くシェラは妙に気合いが入っている。この散歩道の終点にあるお気に入りのテラス席を目指しているのだろう。
 さっきまでクルマのフロントガラスを湿らせていた小雨はやんでいたが、いつまた降ってくるかわからないような空模様である。

☆ワガママでもいいんだよ
 「シェラ、もう帰ろう。あした、また来よう」
 聞こえてはいないだろうが、そういってリードを引くと、立ち止まり、振り向いたシェラはしばしぼくの顔をじっと見つめ、おとなしく戻りはじめた。
 こういうことには従順ではなく、抵抗を見せるのが当然のシェラだっただけに意外な反応だった。

 上の写真は今年の3月、ケーキ屋さんに入りたいと抵抗するシェラであり、下はリードをゆるめると、さっさと店へ向かう姿である。むぎはこういうワガママな態度は決して見せなかった。たとえ、シェラが主張しても同調はせず、ぼくたちに従順だった。
 ワガママなシェラがむぎのように従順になっている。むぎがいなくなってワガママも影をひそめたのだろうか。
 

 「必ず約束は守るからな」
 そう言い聞かせながらいまやってきた道をゆっくりと戻った。ここでもシェラが道端のそこかしこでにおいを嗅ぎはじめた。戻りながらぼくは何度か振り向いた。

 やっぱりむぎのいないこの道はどこかヘンだ。ワガママじゃないシェラもヘンだ。
 シェラよ、ワガママのままでいいんだよ。


あの「むぎネコ」の意外な正体

2011-08-26 23:43:37 | シェラの日々

☆夜の散歩につきあって
 あのネコの意外な正体がわかってきた。たまさか、毛の色合いがむぎに似ていたので、わたしたちが勝手に「むぎネコ」と名づけ、一時は「むぎの化身か」と気を揉んだ子ネコのことである。
 
 昨夜、12時をまわってから、シェラが息を荒くして廊下を走りはじめた。排泄したいとき、切羽詰まったシェラが見せるわれわれへの「外へ連れてって!」のサインである。ぼくは急いで支度をして、シェラを連れて外へ出た。
 外へ出たからといって、シェラはすぐに用事をすませてくれるわけではない。たいてい、数10メートル移動してからようやくやってくれる。

 昨夜も同じだった。マンションの前にある駐車場の砂利のはずれで小のほうをまずすませた。たいてい、ちょっと間をおいてそのあとに大もやってくれるはずなのに、昨夜に限ってなかなかその気配がない。
 それどころか、さっさと戻りはじめたではないか。かといって、もう帰ろうという風情でもない。そのあたりのにおいをひときわ熱心に嗅ぎはじめた。

 そんなことのために、夜中、外へ連れ出されたのか。おい、おい、シェラよ、しっかりしてくれ。ボケがはじまったのか? ぼくはうんざりしながら、何かに憑かれたようににおいを嗅ぎ続けるシェラにつきあっていた。

☆あの子ネコがやってきた
 すると、マンションの前の家の、塀の陰から例のむぎネコが顔を出し、身を乗り出して「ニャア、ニャア……」と鳴き出した。明らかにシェラを意識しての出現だった。
 そんなことはお構いなしににおいを探して移動するシェラの背後をネコは走り抜け、マンションの正面玄関前にある植え込みへと走り込んだ。

 シェラの移動について、ネコも鳴きながら植え込みの中を移動した。
 やがて、ぼくたちが植え込みから離れていくと、ネコも植え込みを出てシェラに近づき、まるで「ねえ、一緒に遊ぼうよ」と誘うように鳴いてシェラの気を引こうとした。
 ここではじめてシェラが吠えてネコを威嚇した。いかにも苛立った吠え方だった。
 「うるさい! 向こうへいってよ!」
 そんな吠え方である。シェラがネコに吠えついたのをはじめて見て、ぼくは驚いた。
 
 ネコも負けてはいなかった。「フーッ!」と怒って立ち止まり、ゆっくりと元の茂みに戻っていった。そして、再び茂みの中をシェラの動きに合わせて鳴きながら移動している。
 こんな様子を見て、何も知らなかったら、ぼくも以前のようにむぎがこの子ネコに憑依したのではないかと疑い続けていただろう。だが、ぼくはすでにこのネコの正体を知っていた。

☆イヌを待っていたとは
 家人を通じて、近所の人からの情報として、子ネコはイヌが大好きなのだと……。
 だから、むろん、シェラでなくてもいいのである。イヌを見ると寄ってきて遊びたいとアピールするのだそうだ。
 ぼくたちがヤキモキしていたあのころは、植え込みの茂みに入り込んで、前をイヌが通りかかるのを待っていたらしい。
 
 三匹のネコの中で育ったシェラが、どうやら「自分はネコの仲間だ」と勘違いしていたらしいのは仕方がないとしても、この子ネコのイヌ好きはどこからきているのだろうか。
 もしかしたら、イヌのお乳で育ったネコなのだろうか。いずれ、飼主さんに、子ネコが育った環境を聞いてみたくてならない。
 
 現在、午前11時半近い。1時間後くらいに、もし、また、シェラが外へいきたいと騒いだら、今度はカメラも持って出て、シェラとネコのツーショットを撮ってみたいものだ。
 
 あの子ネコにむぎが憑依したわけではなかったというのは、やはり、少なからず寂しい。