愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

ワンパクとオテンバの違いはあるけど

2014-11-11 15:46:05 | わが家のわんこたち
■ シェラだってオテンバ娘だった
 ルイの変わらないワンパクぶりに閉口している。とりわけ女房は疲労困憊でヒステリーを起こしかねない。ルイはルイで痛めた足の状態が好転したから元に戻ったに過ぎないという感じである。
 ぼくの目には、それでもワンパクは最盛期は過ぎて終局に向かっているように見えるのだが、ルイと一緒の時間が多い女房は「ぜんぜん変わっていない」といいはる。

 昼間はほとんど寝ているという。それだけでも大人のわんこになった証である。しかし、ぼくが帰るとたちまちやんちゃぶりを発揮する。せがれが帰ってきたりするとさらにヒートアップしてしまう。仲間である家族が多ければ多いほどうれしいのだろう。
 スリッパをかすめ取っていったり、ぼくのカバンに首を突っ込んで中ものを手当たり次第ひっぱりだしてくわえて逃げる。あるはキッチンへ入り込んであれこれ獲物をあさる。ざっと、そんなところである。

 こんなとき、女房は、「シェラちゃんはそんな苦労がなかった」と嘆く。「そんなことはない。シェラだってかなりのオテンバ娘だったさ」とぼくがいっても信じようとしない。
 ルイと同じコーギーのむぎのほうは、たしかにそれはおとなしい娘だった。およそ悪さなどしたことがない。なんの苦労もなく育ち、ずっとシェラに張りついたまま12歳を迎え、あっけなく死んでいった。最期さえも手のかからない子だった。


■ 怖い顔した弱虫シェラ
 昨夜、たまたま小物入れの引き出しの奥からシェラの写真が出てきた。プリントの日付を見るとちょうどいまのルイと同じくらいの3歳半である。まだまだ怖い顔をしている。臆病だったから顔も険しくなっていたのだろう。そんな記憶はぼくにも女房にもない。ひたすらかわいいわんこの記憶でしかない。
 しかし、写真は正直である。
 「この顔じゃ、近所で嫌われてもしかたないな」
 いまさらながら、あらためてほかのわんこや飼主たちが逃げていった理由がよくわかる。ぼくたちの記憶にあるのは、晩年の穏やかな顔のシェラでしない。

 3歳時のシェラの写真にはもうひとつ、当時のシェラのオテンバぶりを物語る証拠が写っていた。首輪にぼくが取り付けた細引きの輪である。これはオテンバ娘を取り押さえるときに捕まえやすくするための輪だった。
 いまとなっては、シェラがどんなオテンバぶりを発揮していたのか具体的な記憶はない。ただ、若いころのシェラがとても女の子には思えないほど元気だったのはたしかだ。ルイほど悪さはしなかったと思うが……。

 写真の中のシェラの足元にいるのはシャム猫のファラ(♀)である。すでに15歳を過ぎている。シェラとまともにぶつかればひとたまりもないが、貫録でシェラを圧倒している。
 シェラは、この大好きな老猫にまったく頭が上がらなかった。いつ猫パンチが飛んでくるかわからないけど、くっついていたいからこうやってお尻だけ寄り添っているのである。

 こんな写真を見ると、ついついルイのためにも犬であれ猫であれ、仲間を飼ってやりたくなる。そうすれば、ワンパクぶりも少しは影をひそめるかもしれない。だが、もうぼくたちはルイさえも最後まで看取ってやれるかどうかさえわからない年齢である。
 「ごめんな、ルイ」と謝りながら、少々のワンパクぶりには目をつぶり、せいぜいかわいがってやるしかない。 


皮膚に広がるこの異物はなんだ!?

2014-11-03 18:27:52 | ルイとの日々

■ 偶然指に触れたもの
 足がまだ治っておらず、ルイが寝てばかりいるころのことだった。
 足下で寝ていたルイを抱き上げてソファーに連れてきた。抱き寄せ、添い寝させながら、背中をさすっていた。指が毛のなかへ入って肌の近くを撫でていると何かに触れた。小さなゴミのかけらのようである。
 ふと、ノミのフンではないかと疑った。いや、まだ吸血前のダニかもしれない。指を動かしてみるとそんな異物がいくつもある。ぼくは飛び起きた。

 電気スタンドを点け、メガネをかけてルイの肩のあたりの背中をの毛をさぐった。ミリ単位の小さな異物がいくつも毛の根元に絡みついている。ダニではないが、ノミのフンでもなさそうだ。爪の先で取り除こうとするとルイがいやがる。毛も一緒に抜けて痛いらしい。ノミではないだろうが何か寄生虫のフンかもしれない。一気に不安になった。
 
 幸い、金曜日の夜だったので、翌日の朝一番で「こどもの国動物病院」へ向かった。病院が開いたらすぐに診てもらうつもりだった。だが、病院の前にクルマを寄せるとようすがちがう。時間はまちがいないのに……。
 クルマから降りてシャッターの貼り紙を見にいった。院長先生が学会出席で主張のために日曜日までお休みだという。緊急用に横浜の夜間病院が案内してあった。ルイの足を診てもらっているのと同じ病院である。
 昼間は、さまざまな専門医が横浜市内の動物病院からの紹介で診療に当たり、夜は緊急診療の夜間病院に変わる。実にありがたい機関である。

■ 常在菌が原因だから心配ない
 今回の診療は足ではないので、午後7時から皮膚科の先生にお願いすることになった。
 診断は明快だった。ノミでもダニでも、ほかの寄生虫によるものでもなかった。普段から皮膚に常在している細菌が悪さをしているだけだという。この菌は、ふだんはそこに常在して病原性は示さないが、たまたま犬の免疫力が落ちたりすると今回のような感染を起こすことがあるのだという。
 まずはひと安心である。足の痛みのストレスがルイの免疫力を低下させていたのかもしれない。
 
 夜間病院では注射はできるがそれ以外の薬は処方できないので、かかりつけの病院で出してもらってほしいとのこと。だが、こどもの国動物病院は翌日までお休みである。困惑していると、すでに休院の連絡が届いていて、こんなときのために近くのほかの動物病院にこどもの国動物病院から依頼がいっているからそちらで薬の処方が可能だという。夜間病院からは両方の病院へ所見のファックスを流してくれるというのだから至れり尽くせりでありがたかった。

 翌日の日曜日、ぼくたちはいつも通っている道筋にある「武井ペットクリニック」へ出かけた。こちらが説明するまでもなく、すべてをわかっている院長が対応してくれた。前日の若い医師の説明を補足してくれる武井先生のベテランの味はいかにも心強い。
 この皮膚病に関してばかりではなく、いま、治療中の足に関しても先生なりの見解を示してくれた。実にありがたい。
 「こどもの国動物病院」も「武井ペットックリニック」も、ぼくのところからはクルマを使わないといかれないが、それでも近くにいい病院がふたつもあると知った喜びはぼはかりしれない。
 
■ インフォームド・コンセント? 
 もともとは前に飼っていたシェラが公園の斜面で足を痛めたことから信頼できる病院探しがはじまったのである。 以前はこどもの国よりもさらに遠い、クルマでも30分かかる横浜のとある病院へいっていた。
 近所のペット病院がどこもおざなりの治療しかできず、まだオープンしたばかりの病院だが、田園都市線沿線のタウン誌で紹介されていた病院だった。有料広告記事とはいえ、若い医師ばかりが複数で治療にあたってくれるというので頼った。
 
 中でもややベテランに近い女医さんから、シェラの足は腱が切れているのでもう治らないと宣告された。むろん、まもなくシェラは復活し、元気に走りまわれるようになったが、こんな誤診があっても通い続けたのは、院長への信頼感と「インフォームド・コンセント(十分な説明)」を売りにしていたからだった。つまり、それほど、家の近所の動物病院はどこもひどかった。

 3年ほどでこの若い医師たちのクリニックを引き上げたのには理由がある。まずは、そこにいる複数の医師たちの個々の人柄と能力に差がありすぎた。
 むぎの食欲が落ちて入院した。副院長はリカバリーは無理だろうと見放したが、クリニックのほかの医師によって翌々日には復活し、さらに次の日には退院という不思議な経験をした。説明はいっさいなかった。インフォームド・コンセントもこの病院につごうの悪いことは説明してもらえない。

 しかも、元々高めだった診療費がさらに高騰していった。
 むぎの前足に生じた小豆ほどの脂肪のかたまりの切除が10万円だった。検査漬けにした病院にはそれなりの根拠があったのだろうが、それでも法外な金額である。これでこの医療センターへ足を向けることは二度となかった。

■ この地に住んでよかった!
 かくしてたどり着いたのがいまお世話になっている「こどもの国動物病院」である。シェラもむぎもまったくの不満のないままじゅうぶんな診療をしてもらってそれぞれに生涯をまっとうした。心から感謝している。

 とりわけシェラは、この病院で安らかな最期を迎えた。前の晩の苦しみが嘘のように、まるで自ら望んだかのごとく静かに目を閉じての不帰の旅へと踏み出した。信頼している先生の手でガンの痛みと苦しみから解放してもらいシェラもさぞや幸せだったろう。
 犬や猫の飼い主にとって、信頼できる動物医の先生との出逢いは大切な要件である。そんな動物医にめぐまれているだけでも、ここに住んでよかったと思う。ルイがいるかぎり、もう、遠くへ引っ越すなどとうていできない。

<写真=こどもの国動物病院にほど近いならやま公園はルイの休日の散歩のホームグランド>


ルイの足がおかしくなった(後)

2014-11-02 21:05:19 | ルイとの日々

■ 先天的な疾患からの跛行
 レントゲンの映像を見ながらの、若い形成医の先生の説明はなんともわかりやすかった。途中からは、紙に図を描いてルイの肩の状態を解説してくれた。ボールペンの色を変えてまで懇切丁寧な説明だった。
 ルイの両前足には先天的な疾患があり、これはコーギーや短足の犬種にはときどき見受けられるものだという。いまは左のほうを跛行しているが、むしろ右のほうが状態はよくない。これからも、何かの拍子に痛めてしまうことを覚悟する必要がある。痛めれば、治るまでにひと月からふた月かかるとのことだった。
 
 ルイはまだ3歳を迎えたばかりの若さだからこれですんでいるいるが、それでは、いずれ歩けなくなってしまうのだろか? いちばん気になることだった。
 すでに古希間近自分たちである。老いを迎えてルイのような元気なわんこを飼う無謀さは承知でいる。むぎを喪い、ペットロスに陥らないための予防策としてのルイだった。
 それから半年足らずでシェラまで失くし、だが、悲しみのどん底にあっていつもルイがにぎやかにぼくたちを救ってくれてきた。とはいえ、いまや15キロの体重のデカコギとなったルイは、元気すぎてすでに手に余るほどである。
 
 ルイのために、そして、老いたる飼主の自分たちのためにもルイが自力で歩けなくなるのはきわめて深刻な問題だ。むろん、それなりの補助器具を用意したり、工夫するのを厭うものではないが、これからどんどん衰えていく自分たちがどこまで面倒をみてやることができるだろうか?
 医師の言葉は明快にして、ぼくたちを安堵させてくれた。いざとなれば、手術によって金具で肩と足の骨を固定すればいい。歩き方にいくばくかの不自然さは残るが歩けなくなるということはない、と。


■ いざとなればとはいうものの……
 失望と安堵を相半ばさせてぼくたちは最初の診療を終えた。「先天的な疾患」という結果は、ある程度覚悟はしていたがやっぱりショックだった。だた、だからといっていずれまったく歩けなくなってしまう心配はないというのが救いだった。
 もう、無理はさせられない。いまの状態が恢復しても、今後、激しい運動はひかえなくてはならない。元気な子だけに不憫である。しかし、何年かして落ち着いてくれば、いまの「走りたい」というルイの衝動も落ち着いてくるだろう。激しい運動を避けなくてはならないのは、若いルイには気の毒でも、老いたる飼主にはかえって好都合かもしれないではないか。
 
 次の診療はひと月後、それまでの薬も処方してもらった。
 当面、毎日ルイに施してやらなくてはならないマッサージのやり方も専門のスタッフに懇切丁寧な指導を受けた。一週間後、9月13日からの二泊三日のキャンプの許可ももらった。
 キャンプが終わってから、いきつけの「こどもの国動物病院」へフィラリアの薬とフロントラインをもらいにいったとき、院長先生にお礼と報告をした。むろん、横浜の病院からは直接、診療結果がファックスが届いていた。
 
 「いざとなれば、手術で金具をつける方法があるそうなので……」と女房が告げると、院長先生は、「なるべく手術はしないで折り合っていけるようにしましょう」といつもどおり静かに、やさしくいってくれた。心強かった。このひと言でぼくたちがどれほど救われ、また、安堵できたかはかりしれない。


■ 一緒に老後を楽しもうな
 マッサージ指導は現在も続いている。形成の先生からはほとんど快癒したとのお墨付きもいただいた。その直前の夜、前回の冒頭に書いたようにルイが突然、部屋の中でダッシュをはじめたのである。あのときからルイの足はよくなった。その実感がルイにもあったからダッシュしてみたのだろう。足を痛めてそろそり2か月が過ぎていた。
 
 いまや散歩も以前どおりの距離を歩いている。自分からもっと歩きたいという要求はしない子だが、さっさと歩いていく。だが、「先天的な疾患」というのがいつもぼくの頭の中にあるから遠くへはいかない。家からせいぜい5分~10分で帰れるあたりをまわっているにすぎない。それでも朝はトータルで30分ほどの散歩になる。
 
 いまもときどき、家の中で寝そべっていた体勢から起き上がってくると、つかの間、跛行していることがある。すぐに治るが、ちょうど、姿勢が悪かったので足が痺れてしまったというような様子である。痛みがあるのか、人間のような痺れが生じているのかはわからない。オモチャがあればすぐに暴れようとするから、きっと痛みではなく、痺れか、違和感のようなものなのだろう。

 これを書いているいまもすぐ脇のソファーで悠々と寝ている。好きなところで好きなだけ寝ればいいさ。これからいっしょに老いていく仲である。すぐにぼくに追いついてくるだろう。そこから一緒に老後を楽しめばいい。
 

ルイの足がおかしくなった(前)

2014-11-01 20:20:08 | ルイとの日々

■ 突然復活したあの夜
 この夏、左足を痛めたルイぼくたちは終始息をこらしてとでも言いたいほどの緊張感とともに見守ってきた。秋風とともに日々朝夕の散歩をルイから嫌がる気配が失せ、表面上、足のコンディションはすっかり回復したように見える。

 冴えない表情で寝てばかりいたのが、ある夜、突然、スイッチが入って部屋の中を猛スピードでダッシュしはじめた。何かに憑かれたような一途な表情に、ぼくも女房もしばし圧倒されて見守るしかなかった。
 同時に、ここへ至るまでの夏の間の重苦しく、不安な日々を思った。もう、ルイがまともに歩ける日は来ないかもしれないとういう焦燥感に似た不安を抱えて過ごした今年の夏だった。
 
 全力で奪取するルイを、だが、放っておけば椅子かテーブルの脚にぶつかって新たなダメージをこうむるかもしれず、ぼくたちはあわてて目の前の暴走を制止しようと必死になった。振り返ってみればあのときからルイは復活したらしい。
 復活はしてもいつなんどき、また足を引きずり出すかわからない。ルイの足はそんな時限爆弾をかかえてる。 
 
■ あの日に痛めた足
 ルイが足を痛めたのは3歳になってまもない7月最後の土曜日だった。いつもいきつけののペット美容院の予約がずっととれず、しかたなくはじめての美容院をインターネットで探して予約を取った。ここだけ空きがあったからだった。

 夕方、クルマで迎えると、そのまま週末のいつもの公園へ散歩に連れていった。
 ルイの様子がおかしい――歩きはじめてすぐ異変に気づいた。そして、100メートルもいかないうちに座り込み、動かなくなってしまった。
 幸いルイのかかりつけのこどもの国動物病院が近かった。クルマの荷台からバギカーを引き出し、それに乗せて連れていった。病院の前を歩かせ、診てもらうと、やっぱり左前足がおかしいとのこと。鎮痛剤を二週間分もらって様子をみることになった。
 
 進展はなかった。2週間経っても足の様子はほとんど変わらない。別の鎮痛剤をさらに2週間分処方してもらって様子をみた。多少、恢復の進展はあったが、薬が強いのかお腹を下したので一週間でやめた。
足を痛めて5週間目、院長先生から、「一度、形成の専門医に診てもらったどうですか?」とすすめられた。シェラやむぎの時代から現在のルイに至るまでずっとお世話になり、wれわれが全幅の信頼を寄せている先生のすすめである。一も二もなく「ぜひお願いします」ということになった。

■ 6週間たっても治らない
 形成医の予約もこどもの国動物病院でとってもらい、1週間後の土曜日の診療となった。足を痛めてちょうど4週間目である。以前よりは少しましな散歩ができるようにはなっているとはいえ、まだ、快癒には程遠い左足の状態だった。

 院長先生から、散歩は5分程度にとどめるようにとの指示をうけていた。朝夕の散歩をルイもあまり歩きたがらない。時間は10分、15分と経過していてもトータルでせいぜい100メートル程度の距離を排泄のために歩いているにすぎなかった。
 休日のお出かけでは、足への負担がないようにと、写真のようにシェラの遺品であるバギーカーが欠かせなかった。10分も歩くと、確実に左の前足が跛行してしまう。

 かくして、6週間目、ルイはわんこの形成医のお医者さんの診察を受けることになった。8月はすでに終わり、9月を迎えてそろそろ秋を心待ちにしていた。診断次第では一週間後の9月の半ばに予定している信州へのキャンプは中止にせざるを得ないかもしれない。それならそれでしかたあるまい。そんな思いで病院の門をくぐった。