愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

愛犬をうしなった老人が抱いていたのは

2015-06-10 20:23:02 | ルイとの日々

■「さびしい……」という言葉が突き刺さる
 飼い犬を失った寂しさは新しい犬を迎えることでしか癒されない。どうやら、歳をとればとるほど、愛犬を失った飼い主の立ち直りは大変らしい。何人かのそんな人たちを見てきた。新しい犬を迎えて元気になっていった姿も何度か見ている。
 だが、新しい子を迎えることができるひとは幸せである。

 近所のアパートの住人である彼は、たぶんぼくよりもだいぶ年上だろうと思う。それでも80は越えていないはずだ。毎朝、靴を履かせたかわいい小型犬を連れて散歩していた。
 飼い主に似て穏やかな性格の犬で、会えばいつもルイと鼻をつきあわせて挨拶を交わしていた。彼らと会わなくなってしばらくたったころ、自転車に乗っているこの老人に会った。

 自転車を止め、「あの子、死んじゃったんです」という彼の顔にはいつもどおりの笑みがあった。足に飛びつこうとするルイを見つめながら、「さびしい……」と絞り出すようにつぶやくときも穏やかな表情は崩れなかった。
 あれからもう1年あまりになる。

 シェラやむぎを送って日の浅いぼくには、彼の喪失感の深さ、寂しさが痛いほわかる。「また、新しい子を飼えばいいじゃないですか」などとは口が裂けてもいえなかった。いま、自分がルイに癒されているとはいえ、それは残酷きわまりない言葉だった。
 弱々しいほほえみの陰にある彼のつらさはつい昨日の自分の苦痛でもある。「さびしい……」という彼の声が胸に突き刺さって痛んだ。

■ルイを先に送ってやれるだろうか?
 今朝、いつもより少しはやめの時刻に駅へ向かう途中、分別ゴミの袋をさげて集積場へきた彼とばったり会った。思わず、背後から「おはようございます」と明るく声をかけたのは、左腕のなかに子犬がちらりと見えたからである。「よかった」と心から思った。
 「新しい子がきたんですか?」といってのぞきこんだぼくは言葉を失った。彼が抱いていたのは茶色い小犬のぬいぐるみだった。

 あの笑顔で、彼はモゴモゴと何かをいったが、ぼくには聞き取れなかった。
 「いいですね。かわいがってあげてください」
 それだけいうと、ぼくも笑顔で彼と別れた。赤いリボンを首にまいたぬいぐるみを抱いた老人の姿がぼくには異様には見えない。彼の想いの深さをあらためて感じただけだった。

 彼はもう新しい子を迎えることのできない年齢である。自分が先立ったときの愛犬のその後を思えば、ぬいぐるみを抱いて寂しさに耐えるしかないのだ。
 ぼくも家人もルイを迎えるにあたって躊躇したのはそのことだった。コーギーの平均寿命は13歳。ぼくたちは80歳まで生きながらえなくてはならない。自信はないが、なんとしてもルイより先に逝くことはできない。せめてどちらか片方だけでも……。

 もし、ぼくが生き残り、ルイを無事に送ってやることができたら、ぼくもコーギーのぬいぐるみを抱きしめて余生を送るのだろうか。
 それはともかく、ルイを先に送ってやることができたら、むろん、さびしいだろうが、充足感は残るはずだ。そうあってほしいと切に思う。


臆病わんこだからなおさら愛しい

2015-06-04 20:41:40 | ルイとの日々
■わかっていながらなお用心するとは
臆病者ぞろいの家族の一員となったルイが臆病わんこになってしまうのは仕方のないことだろう。とくにこのところのルイの臆病わんこぶりは呆れてしまうほどだ。昨日など思わず笑ってしまった。

いつもどおり、午後7時半ごろ、ぼくは家に帰った。ドアを開け、「ただいま?っ!」といって玄関に入ると、たいてい待っていてくれるルイの姿がない。「ルイ、ただいま?っ!」と声をかけながら靴を脱いだ。
「ほら、お父さんじゃないの。どうしたの?」
奥から家人の声が聞こえてくる。
玄関から上がって、リビングの見える位置から奥を見ると、ルイがドアのところでこちらを見ている。どうやら、玄関から入ってきたのが、ぼくだとわかってはいても用心しているらしい。そういえば、このところ、玄関越し、あるいはベランダ越しの物音に神経質な反応をするようになっている。

「ルイ、どうした?」といってリビングへ入ったぼくを確認するとようやく飛びついて「お帰りなさい!」の顔を見せた。とうちゃんが帰ってきたとわかってなお用心するルイの変化もまた、最近、家人と話している「ルイの成長ぶり」の一端らしい。
これが一過性のものなのか、それともルイの生涯の性格になってしまうのか、それはわからない。ぼくとしてはどちらでもいい。


■そろそろ隠語で話そうか
 来月の半ばで満4歳となるルイが、このところ急に変わったという実感がぼくにも家人にもある。総じておとなしくなったし、家人の体調の変化を敏感に感じ取って自分もシンクロしてしまうというのは、先住犬のシェラにもむぎにもなかったルイの神経質な特性である。
 成長とともに、ルイがルイらしく、シェラやむぎになかった個性を見せてくれるのがぼくたちにはうれしい。
 
 顔も成犬らしくなった。聞き分けもだいぶよくなっている。こちらがしゃべっている内容のかなりの部分を理解している。一昨日の夜も、帰宅したぼくに家人が「きょうの夕飯は外へ食べにいっていいかしら?」というのをしっかり聞きとがめ、さっさと玄関へいって扉の前に座っていた。
 そろそろルイの前でも肝心なことは隠語で話したほうがよさそうだ。花火を怖がって、花火と聞いただけで、息が荒くなるシェラの前で、ぼくたちは花火を「たまや」と呼んでいた。

 神経質が臆病に結びついてもいっこうにかまわない。シェラだって臆病だったし、いつもシェラの保護下にいたむぎも弱虫だったのはいうまでもない。わんことはいえ、あの子たちは女の子だったから仕方ないが、ルイの臆病ぶりはオス犬だけにときどき滑稽に思えることがある。
 昔、実家にいたコンリーという名のシェパードの雑種が近所で番を張っていただけに臆病ルイがなおさら可愛く見える。


■いつまで幼さをを残しているのだろう
 成長したはずのルイなのだが、昨夜は妙に気合いが入っていて、しきりに屋内用のディスクをくわえてきてきて「遊ぼう、遊ぼう」と催促した。何度か投げてやって、それをとってきて遊んでいたが、家人が寝室へ入ってクローゼットをあける音を聞きつけるとそちらへいってしまった。家人に対しては、やっぱり、まだ何か気になるものがあるのだろう。
 そのままぼくはソファーで爆睡状態になり、目が覚めると午前1時を過ぎていた。リビングにひとりと思ったら、近くの床にルイが寝ていた。
 
 今朝のルイは昨夜に続いてぼくに好戦的だった。スーツに着替えるため部屋を移動するぼくを追いかけてきて飛びついてくる。
 もしかしたら、週末が近づいているからかもしれない。「今日と明日は会社だけど、明後日はまた休みだから、それまでがまんしろよ」といってきかせた。こちらの顔を見て聞いてはいたが、さすがにこれは理解できなかったろう。

 カバンのベルトに噛みつての抵抗は久しぶりながらパワフルである。
 「なんだ、ぜんぜん成長してないじゃないか。相変わらずガキわんこのままだ」と悪口をならべて玄関に向かい、スマホで写真に撮った。そう、これももうすぐ終わってしまうかもしれない。しばらくやられていなかったときは、一抹の寂しさがあった。
 
 ルイよ、明日も思いきりやってくれ。弱虫わんこでも、こうやって送り出してもらうとき、お前が男の子だと実感する。その寂しそうな顔もとうちゃんはうれしいぜ。

犬の感情だって尊重してやりたい

2015-06-02 20:54:06 | ルイとの日々

■ルイには受難の休日か
 休日っていうのは、ルイにとって迷惑千万なのかもしれないと思うことがある。昨日と一昨日の週末も、ルイにはやっぱり迷惑だったろう。

 土曜日は朝から山中湖に連れていかれ、富士山が見えるカフェのテラスの席でランチタイムをつきあい、そのあと、湖畔を散歩してから、PICA山中湖ヴィレッジの林間エリアでひと休みのアイスクリームタイムだった。でも、「太るからダメ」というので、アイスクリームはちょこっとしかもらえなかった。

 往復に使った道志みちは、アップダウンとカーブが多い。ラゲッジルームのクレートに入ったままのルイにはけっこうなストレスになったろうと思う。
 たいして歩いてはいないが、休日の夜は疲れ切って寝ていた。平日、ぼくが会社へ出かけたあとはずっと寝ているそうだから、連れまわされると寝不足もあって疲れるにちがいない。
 翌日の日曜日だって、遠出こそしなかったが、朝方からクルマで近所を連れまわされて一睡もできなかったし、移動中はクレートの中である。

■また常在菌が悪さを
 去年の9月にルイの身体にできた湿疹に気づき、ちょっと大騒ぎをしたが、ここへきて、また同じような湿疹を見つけた。最初に気づいたのは土曜日の夜。身体をなでてやっていたとき、腰のあたりの異物に触れた。二度目なのでもうあわてない。

 日曜日の午後、南町田にあるアウトレットモールに出かけたとき、いきつけのわんこOKのカフェでお茶をしながらまさぐってみると明らかに湿疹がふえていた。湿疹のあたりを触るといやがるような反応を示すし、ぼくの爪がかかったりすると噛みはしないが歯をたてていやがるので、なんらかの不快な違和感がルイにもあるのだろう。

 先週の日曜日に美容院でシャンプーをしてもらったばかりなので、もしかしたら、シャンプーのかぶれではないかと家人は疑った。しかし、それなら直後に症状が出るはずであり、1週間たってから反応がでるというのはやっぱり違うだろう。


■ルイもまだ本調子ではなかった
 これは一種の皮膚病で、いつも皮膚にいる常在菌が悪さをしているのだと前回のときにお医者さんから聞いた。なんらかの原因で免疫力が落ちるとかかりやすいとも説明を受けている。

 去年の9月のときは、前脚がおかしくなってしばらくちゃんと歩けないでいた。きっと、痛みもあったのだろう。そのストレスで免疫力が落ちたと推測できた。
 では、今回はなんだろうか? 家人の逆流性食道炎とそれに伴う精神的な落ち込みにルイが敏感に反応していたのは前回のエントリーに記したとおりである。

 ルイの状態にはいまも波がある。家人のコンディションにリンクしているのは明らかである。
 先週の金曜日、会社へ出かけるぼくに追いすがり、カバンのベルトをくわえて抵抗した元気なルイが影をひそめる日がある。休み明けの月曜日、そして火曜日は週末、ぼくたちにつきあって疲れていたのかもしれない。
 
 出かけるぼくを見送るルイの世にも寂しそうな、悲しげな表情は、家人同様、ルイもまた本復していない証拠なのか、それとも置いていかれるのが辛いからなのか? 玄関までこないでしょんぼりと奥へいってしまうルイがかわいそうで声をかけてやることもできなかった。

 湿疹については、一両日様子を見てからクリニックへ連れていこうと思う。先住犬のシェラやむぎでは経験してこなかったルイだけの疾患である。
 だけど、「男の子のくせに……」なんて気持ちにはならないでいたい。弱虫でもいい。繊細な子を授かった幸せを噛みしめて、これから先、心配させないように気遣ってやりたいと思っている。