愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

7月29日(月)のつぶやき

2013-07-30 03:16:59 | Twitterから

逮捕同時刻に容疑者の飼い犬死ぬ…山口・周南市連続殺人事件(スポーツ報知) - Y!ニュース headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130728-…
オリーブにはすべてが見えていたんだろう。あんな男でも、オリーブにはかけがえのない主人だった。辛かったろうね。

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7月24日(水)のつぶやき

2013-07-25 03:16:21 | Twitterから

今日の東京地方は町田市も含めて雨の予報がでている。昨日のゲリラ豪雨の可能性だってありうる。今日は女房が仕事ででている。だから、退社時間がきたら、早々に会社を出て帰宅し、ぼくがルイを散歩に連れていく予定。



抱きあっていた天真爛漫な少年たち

2013-07-22 20:51:22 | ルイとの日々
 日曜日の夕方、スーパーマーケットに併設されているフードスクエアーのテラス席にルイをつなぎ、買い物をしている家人を待っていた。ひょいと目をあげると、目の前でシェラとあまり身長の変わらない男の子がルイと抱き合っている。人間と犬というより天真爛漫な少年同士がじゃれあっているようにしか見えない。ぼくが目を離したわずかな隙のできごとだった。

 相手が子供であろうと、ルイが噛みついたりの危害を加える心配はないはずだけど、力が強いからはずみで押し倒してケガでもさせたら大変だ。正直なところ、思わずドキッとした。幸いつないだままでリードがめいっぱい伸びた先で抱き合っていたので押し倒したりもできなかったようだ。少年同士の、それはとっても心温まる光景だった。

 ルイを連れて散歩していると子供たちがやってきて触りたがる。たいてい、「触っても平気ですか?」とか「撫でてもいいですか?」と訊いてくれるが、自分の家で犬を飼っている子は怖がらずにいきなり近づいたり、腕を伸ばしてくるので気が抜けない。

 以前のシェラだったら近づいてきただけで、「寄るな!」とばかり吠えたし、見た目も怖そうで大きいから突然触りにくる子はほとんどいなかった。ただ、通りすがりにひょいと触っていく子もいて、シェラのほうが何がなんだかわからないうちに終わっているから騒ぎになることはなかった。


 むぎは、とってもフレンドリーな子だった。そして人間が大好きだった。わが家の子になってまもなく、わが家の子というよりシェラの子になってしまって、かたときもシェラから離れなかったのに、はじめて出かけたキャンプで、夜、隣近所のサイトへ遠征していって驚いた。
「あら、むぎちゃん、きてくれたの」なんて声が聞こえて、むぎがシェラから離れてひとりで行動できるのを知ったくらいだ。それもキャンプのときにかぎられたのだが……。

 だが、後年はシェラが知らない人を怖がり、威嚇するのを見て、自分もシェラのうしろに隠れてしまうようになった。とりわけ、子供を嫌うシェラを見ていて、むぎも子供を怖がった。フレンドリーなむぎはただ臆病なだけのわんこになってしまった。
 だから、ふたりはいつも自分たちだけの世界にいた。むぎがなりゆきでよそのわんことにおいを嗅ぎあったりしていると、最初から孤高にして孤絶していたシェラが心配そうに見つめ、途中でひと声吠えて警告した。むぎはあわててシェラの元へと走り寄ってホッとした表情をみせたものだった。

 写真の子は、よほど犬好きなのだろう。最初はルイと何度か抱き合っていたが、そのうちにルイがとなりにいる母親のほうへ寄っていくと、それを追いかけて、写真のようにまた抱きしめていた。かわいい少年だなと思う。
 だが、もし、ここにシェラがいたら、やっぱり激しく吠えて少年を追い払おうとしただろう。「うちのルイに何するの!」とばかり……。ルイにとってシェラのお節介は迷惑なだけでも、彼女の母性が黙っていられないだろうから。

 むろん、人間大好きの天真爛漫なルイがシェラの警告でむぎのように人間を怖がるような性格に変わってしまうとはとうてい思えない。警告を無視するルイに、きっとシェラはなんらかの教育指導をするだろう。それはルイにとっては実にうれしいスキンシップになったことだろう。


きみたちはいまも身近にいるんだね

2013-07-21 22:12:43 | 残されて

 ほんの100ページほどの一冊の書籍との出逢いが、むぎとシェラを喪って落ち込んでいたぼくたちの気持ちを明るいものに変えてくれた。いまもまだ悲しいけど、どれだけ救われたかはかりしれない。そして、いまも身近にシェラとむぎがいると信じることができるようなった。
 
「第20回東京国際ブックフェア」が、今年も7月3日(水)から6日(土)までの4日間、東京・有明の「東京ビッグサイト」で開かれた。今年は4日と5日の2日にわたって会場を訪れた。
 本来、ここでは本の販売が目的ではないので、いままで会場で書籍を購入したことはなかったが、今年は違った。5日の帰りがけ、まるで導かれるようにして一冊の本を手に取り、買っていた。そのタイトルに惹かれるものがあったからだ。会社へ戻る地下鉄の中でその本を開き、ぼくはたちまち虜になっていた。

 『ペットたちは死後も生きている』(日本教文社)というタイトルにうさんくさいものを感じる方々も少なくないだろうが、ぼくは無意識のうちに祈るような気持ちでこの本を手にしていた。なぜならば、もし、自分の死後にシェラやむぎとまた再会することができたら、といつも思ってきたからである。

 リアリストを自認し、死後の世界に懐疑的というよりも、信じないできたぼくだったが、シェラやむぎとまた会いたいという願いがいつのまにか死後の世界があってくれたらいいのにと祈るように願っていた。
 人間のみならず、動物たちにも死後の世界がある、と本書は説く。「イギリスで約半世紀にわたって愛読されてきた、愛するペットを失った人たちに贈る癒しの名著」(本書の帯のキャッチフレーズから)だそうである。

 心霊とか霊能力を信じない方々には無駄な本である。しかし、ここに紹介されているいくつもの事例に興味があったら、手にしてみる価値はある。
 本書と出逢うひと月ほど前、家人が占いを得意とする知人に久しぶりに会ったとき、「あなたの肩に茶と黒のトラ猫が乗って、あなたを守ってるわよ」といわれた。その猫こそ、まぎれもないちょびただ。とりわけ家人を慕い、彼女が溺愛していた気弱でおとなしい、とっても不器用なオス猫である。3歳のときにクルマにはねられて死んでしまった。


 では、シェラとむぎはどこにいってしまったのだろうか? 
 まったく霊能力のないぼくだが、二度ばかり玄関にシェラとむぎを感じたことがある。たしかな姿ではないが、影のようなものも見ている。そのとき、直観的にシェラとむぎだと感じた。むろん、会いたい! と願う気持ちが幻影を見たといえばそれなりの説明になる。だが、あれは錯覚ではなかったと確信している。
 本書に逢ったのはそのあとである。もしかしたら、シェラたちが、この本の前に案内してくれて、「父さん、錯覚じゃなくて、わたしたちはいつも横にいるんだよ」と教えてくれたのかもしれない。
 
 ぼくたちのもとから旅だっていったシェラとむぎが、死後の世界でいまもかたときも離れずに一緒にいてくれたら、どんなにか素晴らしいだろう。きっとそうしているにちがいない。 
 むぎの死に続くシェラとの別れはたしかに辛かったが、むぎのもとへいかせてやったと思えばむしろ喜びになる。そして、自分が死んだとき、シェラやむぎ、そして、ちょびた、ファラ、ダダの猫たちがぼくを迎えてくれたらどんなに素晴らしいだろう。
 ぼくはそれを信じたい。


7月20日(土)のつぶやき

2013-07-21 03:18:22 | Twitterから

横浜・奈良北公園で、「とーちゃん、おいら、暑いぜ」。 pic.twitter.com/spjfYkprrR


遠くから母さんの呼ぶ声が聞こえたとたんシャキッとする。 pic.twitter.com/OuUvzyBA4S


日陰だと風は涼しいけどわんこはどうなんだろう。 pic.twitter.com/9xV3qKIywG