愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

母の野辺の送りのそのあとで…

2011-11-30 21:49:40 | シェラとむぎそれぞれ
    ブログのタイトルを変更しました。
    ルイのこともここへ等しく書き記していこうと思っています。


☆そんなに耳が聞こえなくなったのか


 母の野辺の送りを今日すませた。
 家族だけで火葬にして、収骨し、実家に遺骨を安置後、新宿のホテルで食事をして、それが亡き母への哀悼のささやかな儀式となった。宗教的な意味あいや特別な思想的な背景は何もない。母の遺志であり、ぼくたち遺族の意志の表れである。
 これからまだ解決しなくてはならない問題はあるが、大きな山を越えて晴れやかな気持ちで家路についた。
 
 3時過ぎに家に着き、玄関の扉を開けると、シェラがこちらに背を向けて廊下のはずれに寝ていた。難聴がさらに進んでいるのでまったく気づいていない。玄関の棚に置いてあるホイッスルを思いきり吹いてやると、ようやく音には反応したがすぐには背後に立つわれわれに気づかないでいる。
 シェラが足早に年をとっていく。寂しいかぎりである。
 
 ルイはケージの中での留守番だった。まったく汚れていなかったのに、ぼくたちが帰ってくると、うれ(嬉しい)ションをやってくれた。ケージの中のトイレの外でである。着替えるのももどかしく、ルイへの呪いの言葉を吐きながら下着姿で始末し、足を洗ってやってからケージに戻すと、ぼくが普段着を着終わるか終らないうちにウンコをまき散らしている。

☆ルイ用の散歩メニューを考えないと



 この傍若無人ぶりにほとほと手を焼いている。トイレの中で排泄するのを知らないわけではない。喜び、興奮すると忘れしまうのか、それとも故意なのか、とにかく手間をかけさせる。数日前にはケージに前足をかけ、立ち上がった姿勢で放尿した。
 思ってもみなかった犬の立小便に怒るのを忘れて見入ってしまい、笑い転げた。まさしく「わんこの小便小僧」そのものだった。
 
 夕方、家人とともに散歩に出た。休日はいつも一緒に散歩をしているといっても家の近くではなく、クルマでどこかへ出かけ、そこでの散歩ばかりである。シェラのリードを家人が引き、ルイはぼくが連れて歩いた。
 最近のシェラは、朝の散歩でほとんど動こうとしない。大小両方の排泄を終えるとしかたなく帰ってきている。それが、家人が一緒だとシェラは信じられないくらい長い距離を歩く。ちょっと腹が立った。


 ルイの様子を見て、成長期にあるルイのための散歩をそろそろ考えてやるべき時期にきたのを知る。ルイはもっと長い距離を歩きたがっている。走りたいという欲求もある。まだいったことのない知らない方角への関心をはじめ、外の世界への好奇心の塊と化してもいる。

 老犬と幼犬――食べるもののみならず、日々の運動もまた同じようにすませるわけにはいかなくなってきた。
 

シェラとルイの刺激まみれの日々

2011-11-28 21:51:04 | シェラとルイの日々
    ブログのタイトルを変更しました。
    ルイのこともここへ等しく書き記していこうと思っています。


☆シェラにとってルイはもう仲間だけど
 ルイがわが家にやってきて2か月になる。正直なところ、まだ2か月しか経っていないのかというのが実感である。それだけ存在感がルイにあるということだ。
 文字どおり目に見えて、あるいは日を追って成長している。毎日、「大きくなったな、ルイ」と声をかけているほどだ。抱くとますます日々の成長を感じる。
 
 シェラは、もうすっかりルイを仲間と認めている。もし、ルイが跳びかからなかったら、むぎのときのような穏やかな関係を築いているはずである。しかし、ケージから出したとたん、ルイはシェラの居場所に直行してちょっかいをかけてしまう。散歩に連れ出せば、並んで歩きながら相変わらずすぐに跳びかかる。

 

 むろん、それだけシェラのことが好きだというのはわかるが、身体の自由が思うようにきかないシェラにしてみればただただ迷惑以外の何物でもない。シェラに吠えられてもどこルイは吹く風で、むしろ喜んでまたトライしていく。ルイにとってはすべてが刺激的な遊びにすぎないというのがよくわかる。
 こんなことは子犬のときだけで、やがては落ち着くだろうが、それまでシェラのほうが生き永らえてくれるかどうかなんとも心もとない。

☆いじめ一歩手前にもルイはめげず
 跳びつかれ、「やめてよ」と訴えるシェラのほうは真剣だ。それでも、決してルイを攻撃したりしない。ぼくのほうで、「シェラ、やっちまえ! 痛い目にあわせてやれ!」と声援するが、シェラは防戦一方である。年老いたからということもあろうが、相手がまだ子犬ゆえのシェラらしい優しさであろう。
 
 ルイにやられっぱなしでときどき「きゃい~ん!」と悲鳴を上げる始末。ぼくの一瞬の油断でシェラが転がされてしまったことさえある。シェラもぼくもルイの不意打ちに対応できなかったのである。
 ハッと気づくと転がったシェラの上にルイがのしかかっていた。ぼくは、「ムカ~ッ!」として、ルイを蹴り上げたくなったのをかろうじて抑えた。

 またシェラが足を痛めたり、骨折でもしたら大変だし、何よりもルイがシェラを自分より格下に見るようになるを恐れている。動物の世界は強いものが格下の上に君臨するのが常とはいえ、シェラに対しは断じて許し難い。たとえ犬といえども「長幼の序」をぼくはルイに要求する。そんなわけで、ルイがこれ以上調子こかないようにぼくはシェラを守ることに腐心している。


 だから、ルイを遊んでやるときも、上の写真のようについついシェラの仇討ちの様相を呈することがある。一歩間違えると「いじめ」になってしまいそうになる。遠くでシェラが心配そうに眺めていたりして、ぼくは慌てて手加減する。
 
 むろん、“めげないルイ”はどんなに押さえつけてもまるで懲りていない。こいつに長幼の序を叩きこむのは至難の業だ。
 シェラ、一緒にがんばろうな!


今日、母が死んだ

2011-11-26 21:29:24 | 日記
☆手の記憶を遺して逝った母 

    Aujourd'hui, maman est morte.
          ――Albert Camus『L'etranger』
   
      今日、ママンが死んだ。
           ――アルベール・カミュ『異邦人』

 
 ぼくの2011年は死のリフレインのなかにある。3月の東日本大震災で多くの人々の死を間接的であれ目の当たりにした。7月にむぎが逝き、ついひと月前には母の妹の叔母を送った。
 そして、今日、母が死んだ――Aujourd'hui, maman est morte.
 
 10月の誕生日で90を迎えたばかりの母だった。
 午前0時06分、死に目には会えなかったが、搬送された病院で夕方までは一緒に時間を過ごしている。長い間、母の手を握ることができた。長い指のきれいな手だった。ぼくが悪戯っぽく強弱のリズムで握ると、苦しい息の下から同じ動作で応じてくれた。
 90の老母と66の愚息の最後の親子の遊びだった。24歳だった母がみどり児のぼくの小さな手を握り、同じように遊んでくれたことがあったかもしれない。
   
 夜、末の妹からのケータイで、「今夜危ない」という報せを受け、クルマで東名道を横浜町田インターを入ったところで、弟から、「いま、心臓が止まった」と連絡が入った。
 ぼく以外の三人の弟妹たちは、死に目に立ち会ってくれた。もうそれだけでじゅうぶんだった。90という母の年齢から、いつ、訃報が舞い込んでもおかしくないと常日頃から臍を固めていた。最期の別れにはじゅうぶんすぎる時間を、運命は与えてくれた。
 
☆死のリフレインに満ちて 
 急に老いを深めたシェラにかまけているうちにむぎの不調を見落として呆気なくむぎを喪い、いままた、悪性腫瘍に魅入られたシェラよりも先に動脈瘤で突如として老母を彼岸へと送る羽目になった。ぼくの2011年は、やっぱり死の色が濃厚な年である。 
 シェラを人間の年齢に換算したら母の90歳には届かないまでも80も半ばの年齢であるという。やはり、限りある時間が残り少なくなっている現実を直視し、覚悟を決めている。

 母の動脈瘤の破裂から心臓が停止するプロセスが実に珍しいために、病院から「医学の発展のために」と、解剖を乞われた。即答できずに迷う弟や妹たちを説得して、解剖を承諾した。死してのち社会の役に立つと、母は喜んでくれるはずである。死してなお医学の進歩に役立つ母をぼくたちも誇りに思う。
 
 明日、解剖後に納棺し、明後日に荼毘に付す。母の遺言により、通夜、告別式といった葬祭の類は一切排し、家族だけでひっそりと送ることになっている。「死に顔なんか家族以外の誰にも見られたくない」という母の強烈な遺志を継いでの「家族葬」である。わが母ながらあっぱれだ。 

☆生きようという意志はあれども


 今日、シェラを病院へ連れていった。腫瘍の状態をチェックしていただくためだった。投与しているステロイドの副作用で、シェラは四六時中、食べ物を欲しがっている。悲痛なまでの姿である。対応する家人もほとほと疲れ果て、電話でお医者さんに相談したところ、「連れてきてください」ということになった。
 腫瘍の様子はほとんど変化がない。この上は、腫瘍を小さくさせる効果を狙うことから一段目標を下げてシェラの負担を楽にするための薬に切り替えることにした。
 
 ものを食べる、水を飲むという行為には、いまのところ支障がないようだが、気道を圧迫しはじめたのか、暑いころのように呼吸が荒くなり、ときとして、ヒューヒューという異音も混じりはじめた。
 毛艶は決して老犬のそれではない。顔も崩れていない。だが、足腰は確実に衰えを増している。しかも、足早に……。
 
 いまはまだ「生きよう」とする意志を捨ててはいない。それだけが支えである。
 昨日、臨終を数時間後に控えた老母が、腹部の痛みに耐えながら、「まだ、あと10年は生きないと!」と繰り返し呟いていた。「生きよう」という意志だけで生命の灯が消えないほど現実は甘くない。それでも、遺される者にはどれだけ心強いかはかりしれない。
 
 愛するものをまとめて喪う年――これもまた憂き世の現実である。


晩秋の休日はかくして暮れた

2011-11-23 22:31:14 | シェラとルイの日々

☆シェラの異常な食欲に悲鳴を上げる 
 シェラの食欲がさらに激しさを増している。われわれが食事をしている脇へきて、何か欲しいと催促する。催促の相手は家人であり、ぼくのところへはこない。
 「シェラちゃん、もういい加減にして!」
 なんとかなだめていた家人だが、そのうち声が悲痛な色を帯びはじめる。
 
 この異常な食欲はステロイドの副作用だろうが、シェラが家人にすがっていく背景には、ぼくの制止もきかずに、餌以外の食物を与え続けてきた家人の責任でもある。通常の餌が終わると「おやつ」なる食べ物を当然のごとく与え、われわれの食事中も、家であろうと、一緒に入ったドッグカフェであろうと、自分の食べ物の一部を与えてきた。
 「犬は食べることしか楽しみがないのだから可哀そう」という呆れ果てた論理ゆえの愚行である。いま、シェラに責め立てられているのも、いわば自業自得でしかない。
 
 そうやってシェラもむぎも太らせてしまった。以前飼っていた猫たちも、いっとき、獣医も驚くほど太らせた経緯がある。だが、不思議なことに猫たちはやがて自ら食事制限を行い、正常な身体に戻っていた。

 このままいけば、シェラはまた肥満体に戻るだろう。ただでさえ衰えた四肢が、思い身体を支えきれなくなるのは明白だ。それは家人もわかっている。だからこそ、悲痛な叫びをシェラに浴びせているのだ。いまでさえ20キロ余の体重のシェラである。さらに重くなって歩けなくなったら、非力な家人ひとりではどうにも世話ができなくなる。

☆やっぱりルイを迎えたのは無謀だったけど 
 後先のことも考えずにルイを迎えたことがいかに無謀だったかも家人にはようやくわかりはじめたようだ。夕方の散歩にルイまで彼女では手がまわらず、ルイには可哀そうなことをしている。身体もできてきたことだし、そろそろ夜の散歩に連れていってやらなくてはならない。

 ルイの散歩にシェラの深夜のトイレ散歩――これらはぼくの負担となる。自分の健康のためと割り切ってやるつもりではあるが、ここで消耗する時間が惜しい。しかし、そういっている余裕などない。やっぱり、ぼくがやるしかないのである。


 今日は、午前中、彼女のリクエストでホームセンターへ買いものに出かけ、そのあと、近所のアウトレットモールへまわってランチをすませた。シェラとルイを連れて食事のできる場所は限られている。
 食事のあと、モールにあるペットショップで家人が買いものをするのを待って(上の写真はそのときのもの)から、隣の公園の広場まで歩き、しばしルイを遊ばせた。休日しかルイにはまともな散歩をやってやれないのである。しかし、それはシェラの負担となる。帰りはシェラを家人が押してきたバギーカートに入れてモールへ戻った。それでもシェラとしてはよく歩いた。

☆そうだ、一緒に写真を撮ろう
 モール内のケーキ屋のテラス席でコーヒーを飲みながら散歩の疲れを癒し、そのあと、暮れていく晩秋の空に追われるようにして帰路についた。
 エネルギーが有り余っていたルイもさすがに疲れて、コーヒーを飲む間、ぼくの膝の上で眠そうにしていた。そりゃそうだろう、いつも昼間は寝て過ごしているのだから。
 
 ケーキ屋のテラス席でぼくはふと気づいたことがあった。これまで何千カットものシェラのシャンを撮ってはきたが、いつも自分が撮る側にあって、ふたりで写した写真は一枚もなかった。シェラばかりではない。むぎとの写真だった同じである。
 
 カメラを自分で操作しながら、シェラとの写真を何枚か撮った。シャッターチャンスなど偶然に依存するしかない。シェラに顔を近づけ、伸ばした腕の先で手にするカメラのシャッターを押すだけである。
 写真を撮るのは好きだが、自分が撮られるのが大嫌いだったが、これからはシェラやルイと一緒の写真は撮りためておこうと思う。誰のためでもない、自分のために。
 
 かくしてぼくの「勤労感謝の日」は終わった。呆気ない一日だった。


手がかかるだけ愛しさが募る

2011-11-21 22:23:07 | がんばれ、シェラ!

☆見なくなった白いわんこ 
 相変わらずのシェラの食欲である。原因は、どうやらステロイドの副作用らしい。欲しがるままに食べ物を与えていれば、当然、太らせてしまう。この年齢でまた太らせてしまえば、寿命を劇的に縮めてしまいかねない。心を鬼にしてでも肥満から守ってやるべきだ。
 老化が原因の食欲――つまり、食べたことを忘れて、また欲しがっているわけではないらしいというだけでもホッとする。
 
 この春まで、散歩のときに会っていた老犬の姿が、夏ごろからぱったり途絶えた。朝は二十代の娘さんが、夕方は奥さんが散歩をさせていた。
 散歩といっても、ほとんど歩けず、また、歩いてもまっすぐに歩けないので、よく、娘さんが押してやっている姿を目にしていたものだ。家人が奥さんから聞いた話によると、歩こうとするとぐるぐるまわってしまってしまうそうだ。
 
 年齢はシェラと同じ16歳、同じ雑種だが毛並は白く、身体の大きさも似たようなものだった。違いといえば、シェラがやや太り気味なのに引き換え、シロ(本当の名前は知らない)は正しくスレンダーだった。
 妙に親しみが湧く子で、会うたびに、「がんばろうね」と無言のエールを送っていた。

☆短い生涯だからなおさらに 
 夕方、家人がシロの家の奥さんと、何か月ぶりかで会ってシロの消息を訊ねたところ、やっぱり亡くなっていた。9月だったそうだ。散歩で出会わなくなったのはむぎが旅発つ前だから、きっと、もう外へ出ることもできなくなって、家の中で臥せっていたのだろう。

 奥さんからもシロが亡くなるまで娘さんの部屋で過ごしていたと聞かされたという。シロが死んでしまったとき、娘さんの慟哭があまりに激しいので、どうにかなってしまうのではないかと心配したほどったという。
 老いて、身体の自由がきかなくなったあとも世話をすれば、想いはなおさら深まる。黄泉への旅発ちを見送ったあとの悲しみもまた深い。
 
 この夏以来、とんと消息が伝わってこない姫路にいるキャンプ仲間の愛犬・柴犬のサクラが気になる。やはり、シェラと同じ16歳、目がほとんど見えていないし、耳も聞こえていない。皮膚のアレルギーに、サクラも飼主も苦しんでいた。
  
 シロの娘さんもサクラの友人も、それぞれに苦労を背負いこみながら、苦労すればするほどに愛しさを募らせているのがよくわかる。わんこの限られた短い生涯を思うと、その終わりが近づく辛さを振り払うためにも想いを深めてしまうだろう。
 ぼくもまた、「きみと出逢えて幸せだったよ」と繰り返し語りかけながら、シェラの残り少ない日々をともに歩んでいきたい。