愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

悪ガキだった10年前のルイ

2021-07-09 13:32:00 | わが家のわんこたち

■怒らなかったシェラ
 昨日がむぎの命日だったから、久しぶりに昔の写真を見て、涙に暮れそうになった。幸せなんていつか終わりがくるんだと、あらためて知る。犬や猫たちとの生活は、ぼくにとって幸せそのものだったからだ。

 それにしても、デジタルカメラの時代になって、なんと写真の多いことか。印画紙に焼き込んだ写真をアルバムに貼っていた時代があったのさえ遠い昔のように思えてくる。やっぱり、ときどき整理しないと写真の海で溺れてしまう。

 悪ガキだった時代のルイ(写真上)の写真も出てきた。16歳の老犬だったシェラにルイが飛びつき、だからといってシェラは反撃せず、ルイはぼくに大目玉を食らっていた。
 いまにして思うと、ぼくに怒られながら涼しい顔でいるルイにぼくもかなり手こずった。

■ちょっとばかり寂しいかな
 こんな写真を見ると、いまでもぼくはシェラに、「ごめんよ、シェラ、こんな悪ガキを連れてきて」と詫びている。とにかく、ぼくが溺愛したシェラは、このころ、すでに首に末期のガンがあって、余命まで宣告されていた。

 限りある命だとわかっていただけに、とにかく、たくさんの写真を撮った。ルイと並んで歩かせていると、突然、ルイがシェラにとびついてこんな写真が残った。もう1枚、別の日の似たような写真がある。シェラが若かったら、ちゃんと反撃し、しっかしつけていただろうと思う。


 下の写真のむぎは、女の子だったこともあるが、とてもおとなしい子だったから、ルイのヤンチャぶりに、ぼくは何度も腹を立てたものだった。
 そのルイも来週で10歳になる。もうヤンチャはすっかり影をひそめてしまった。昔を思い返すと、ちょっとばかり寂しい。

カッパに染みついたにおい

2021-07-02 17:00:02 | わが家のわんこたち

 昨日につづき今朝もかなりの雨だった。だからといってルイの散歩をやめるわけにはいかない。なんせ、大事な排泄があるからだ。カッパを着せていたので身体のほうは濡れなかったが、頭から顔、それとお尻はびしょ濡れになってしまった。

 同じ時刻に散歩に出ていった同じマンションのシバイヌは、カッパを着せてもらっていなかった。すぐにずぶ濡れになってしまったろうが、わんこには毛皮があるから雨など怖るるに足りないのかもしれない。

 わが家でも先住犬のシェラやムギが若いころはカッパを着せないで雨のなかに出ていくことがあった。だが、帰ってからがたいへんだった。それと、乾くときに体臭がにおうことがあった。それがわかってカッパを着せるようになった。

 その彼女たちが使っていたカッパを捨てることができたのは去年だった。死んでしまって10年近くになるというのにいつまでも未練がましくしていては、彼女たちも浮かばれまいと思ったからだった。

 カッパにそれぞれ染みついたふたりのほのかなにおいはすっかり消えていた。もし、まだ残っていたらやっぱり捨てられなかったかもしれない。


幸せをもらったのはどちらだろう?

2015-11-19 21:04:08 | わが家のわんこたち
 facebookに紹介された写真のわんこにまつわる記事を読んだあと、涙があふれた。
 
 15歳のLibraちゃんというボクサー犬である。飼い主と15年間ずっと一緒に過ごし、病を得て15歳で旅立った。写真は、最後のドライブのときのものだという。
 きっと、ドライブが大好きだったのだろう。いく先々で楽しい思いをしてきたに違いない。この幸せに満ちた表情からどんな生涯を送ってきたかよくわかる。

 わが家のシェラもまた17年間、いつも一緒だった。シェラや、その4年後に家族に加わったむぎを一緒によそへ預けたり、家に置き去りにして旅に出たことは一度もない。
 名古屋での法事のときでさえ、ふたりをクルマに乗せて東名道を往復している。犬連れでやってきたぼくたちに親戚は呆れていた。

 わが家の旅はいつもキャンプだった。
 犬も一緒に泊まれる旅館やホテル、ペンションがあるのは知っていたが、利用したことはもとより、気持ちが動いたことなど一度もない。そんなところへ泊まったときのシェラのストレスがわかるだけに試してみようとさえ思わなかった。
 むぎのほうは、自分を守ってくれる母犬がわりのシェラがいればどこでも平気だったろうが……。
 
 ぼくも家人もわんこたちと楽しめるキャンプ以外の旅など考えたこともなかった。いつも幸せな旅立った。
「15年間沢山愛を注がれ過ごしてきたLibraちゃんは幸せな生涯だったのではないか」と記事は結ばれているが、むしろ、いつも一緒に過ごし、わんこたちから無償の愛をもらっていた飼主こそ幸せだったと思う。
 ぼくと家人はいまも、幸せな17年を共有してくれたシェラと14年をともに楽しませてくれたむぎに心から感謝している。

 今週末から、ぼくたちはルイと一緒に清里高原へキャンプに出かける。シェラやむぎと何度も泊まり、遊んだキャンプ場である。むぎを喪ってすぐ、シェラがむぎのにおいがついたわんこ用のベッドをひっかいてけんめいにむぎを探していたのもこのキャンプ場だった。
 シェラもむぎもいないいま、ぼくたちの「幸福ノート」にはルイが新たな1ページを綴ってくれる。

ワンパクとオテンバの違いはあるけど

2014-11-11 15:46:05 | わが家のわんこたち
■ シェラだってオテンバ娘だった
 ルイの変わらないワンパクぶりに閉口している。とりわけ女房は疲労困憊でヒステリーを起こしかねない。ルイはルイで痛めた足の状態が好転したから元に戻ったに過ぎないという感じである。
 ぼくの目には、それでもワンパクは最盛期は過ぎて終局に向かっているように見えるのだが、ルイと一緒の時間が多い女房は「ぜんぜん変わっていない」といいはる。

 昼間はほとんど寝ているという。それだけでも大人のわんこになった証である。しかし、ぼくが帰るとたちまちやんちゃぶりを発揮する。せがれが帰ってきたりするとさらにヒートアップしてしまう。仲間である家族が多ければ多いほどうれしいのだろう。
 スリッパをかすめ取っていったり、ぼくのカバンに首を突っ込んで中ものを手当たり次第ひっぱりだしてくわえて逃げる。あるはキッチンへ入り込んであれこれ獲物をあさる。ざっと、そんなところである。

 こんなとき、女房は、「シェラちゃんはそんな苦労がなかった」と嘆く。「そんなことはない。シェラだってかなりのオテンバ娘だったさ」とぼくがいっても信じようとしない。
 ルイと同じコーギーのむぎのほうは、たしかにそれはおとなしい娘だった。およそ悪さなどしたことがない。なんの苦労もなく育ち、ずっとシェラに張りついたまま12歳を迎え、あっけなく死んでいった。最期さえも手のかからない子だった。


■ 怖い顔した弱虫シェラ
 昨夜、たまたま小物入れの引き出しの奥からシェラの写真が出てきた。プリントの日付を見るとちょうどいまのルイと同じくらいの3歳半である。まだまだ怖い顔をしている。臆病だったから顔も険しくなっていたのだろう。そんな記憶はぼくにも女房にもない。ひたすらかわいいわんこの記憶でしかない。
 しかし、写真は正直である。
 「この顔じゃ、近所で嫌われてもしかたないな」
 いまさらながら、あらためてほかのわんこや飼主たちが逃げていった理由がよくわかる。ぼくたちの記憶にあるのは、晩年の穏やかな顔のシェラでしない。

 3歳時のシェラの写真にはもうひとつ、当時のシェラのオテンバぶりを物語る証拠が写っていた。首輪にぼくが取り付けた細引きの輪である。これはオテンバ娘を取り押さえるときに捕まえやすくするための輪だった。
 いまとなっては、シェラがどんなオテンバぶりを発揮していたのか具体的な記憶はない。ただ、若いころのシェラがとても女の子には思えないほど元気だったのはたしかだ。ルイほど悪さはしなかったと思うが……。

 写真の中のシェラの足元にいるのはシャム猫のファラ(♀)である。すでに15歳を過ぎている。シェラとまともにぶつかればひとたまりもないが、貫録でシェラを圧倒している。
 シェラは、この大好きな老猫にまったく頭が上がらなかった。いつ猫パンチが飛んでくるかわからないけど、くっついていたいからこうやってお尻だけ寄り添っているのである。

 こんな写真を見ると、ついついルイのためにも犬であれ猫であれ、仲間を飼ってやりたくなる。そうすれば、ワンパクぶりも少しは影をひそめるかもしれない。だが、もうぼくたちはルイさえも最後まで看取ってやれるかどうかさえわからない年齢である。
 「ごめんな、ルイ」と謝りながら、少々のワンパクぶりには目をつぶり、せいぜいかわいがってやるしかない。 


むぎの一周忌とルイの誕生日の夏

2012-07-19 22:27:44 | わが家のわんこたち

☆予定外のキャンプ 
 先の連休を利用して長野の八千穂高原へキャンプに出かけた。
 まったくの予定外のキャンプだった。梅雨の真っ最中だし、家人も土曜日に予定を入れていたので三連休をぼくは家でのんびりするつもりでいた。金曜日の午後になって17日にあるはずだった大事な社内会議がキャンセルになった。それなら17日に夏休みを取って二泊四日のキャンプができるじゃないか。すぐにインターネットで現地の天気を調べた。18日は雨の予報だったが15日から17日は理想的な夏のキャンプ日和である。つまり、快晴というよりは曇り混じりの晴れだからだ。

 早速、家人にメールを送った。
 同時に、以前、この三連休にキャンプを誘ってくれた家人の従姉夫婦にも声がけすることにした。従姉の旦那はことのほかむぎをかわいがってくれたし、むぎもとってもなついていた。はたして、従姉たちも17日をからめってもいかれるという返事がきた。

 ルイにとっては5月の連休に続き二度目のキャンプである。キャンプのために買った折りたたみのケージを装備リストから外した。今となってはよけいなものを買ってしまったものだ。
 たった一度のキャンプのためのケージとなった。いまのルイは、もう、そんなものは必要なくなったし、何よりもケージに入れないほど成長してしまった。


☆涙がとまらない 
 いつもは中央道の須玉経由でいく八千穂高原だが、今回は八王子ICで乗ってすぐ上野原までの渋滞に引っかかり、これを抜けるのに3時間かかるというので、八王子JCTから圏央道を使って関越道-上信越道経由でいくことに変更した。

 佐久ICからキャンプ場までの道はシェラやむぎの思い出にはあまり結びつかないというのに、いつしかぼくたちはシェラの最期の様子を思い出し、むぎの突然の死を思い出していた。

 今月8日はむぎの一周忌だった。1年経ったなど信じられないほどあの日のことは鮮明に記憶している。むぎの命日はむぎの思い出を語り合って過ごしたが、大きな悲しみに見舞われることはなかった。だが、キャンプ場へ向かうクルマの中でぼくたちはシェラとむぎの思い出に泣いた。あの子たちとの日々がどれほど幸せだったかをいまさらながらにしのんで悲しみを新たにしていた。

 いま向かっているキャンプ場も、家人は、もし、ぼくとふたりだけだったらいかれないはずだった。幸いにして家人の従姉夫婦がつきあってくれたので、「それなら気もまぎれるからいかれるかな」ということで決めたのである。

 5月、7月、そして、9月、10月のキャンプはいつもシェラとむぎが一緒に八千穂高原だった。ときには8月も何度かきている。ぼくたちがいちばんたくさん世話になっているキャンプ場であり、どこよりもシェラとむぎの思い出が詰まっていた。


☆むぎとシェラ、そして、ルイで明け暮れた 
 むぎが去年の7月に逝った直後、シェラを伴って訪れて以来である。あのときは、掲示板で知り合って9年の長いおつきあいになるわんこ連れキャンプ仲間のおふたりと従姉夫婦がむぎの追悼キャンプにつきあってくれた。
 正確なところ、あれは追悼キャンプではなかった。従姉夫婦もそうだが、ふたりの仲間は、ぼくたちを励ますために姫路と飯田から駆けつけてくれたのである。

 あのときのキャンプでぼくたちは、むぎを喪ったシェラの寂しさを知ることになる。キャンプのときにだけ使っていたわんこ用のベッドを、テントの中でシェラが引っかき、くわえて振り回していると家人に聞いた。
 家に戻ると、いつもむぎがいた場所のカーペットがシェラが引っかいたのだろう、激しくめくれているのを目にして息を呑んだ。どちらもむぎのにおいがついていたはずだった。あきらかに、シェラはむぎを探していたのである。

 7月の次は9月に清里のキャンプ場へ出かけた。例年なら11月と4月にしかいかないキャンプ場だった。ぼくたちとシェラだけの寂しいキャンプだった。ぼくたちはただただぼんやりとして長い一日を過ごした。
 翌月の10月にルイがやってきた。まもなく、シェラのガンが見つかり、キャンプどころではなくなった。そして、今年2月にシェラが死んでしまった。清里がシェラとの最後のキャンプになった。


☆いまはルイがいてくれる
 1歳を迎えたルイを連れてやってきたこの夏の八千穂高原を、ぼくはシェラやむぎの代わりにルイを連れて散歩した。渓流のほとり、巨木の下、駒出池の水辺……いく先々でぼくはルイにそこでかつてシェラやむぎがどうしていたかを話して聞かせた。
 最初は、ぼくの思い出のための散歩だった。もう、シェラもむぎもいないキャンプ場を、いまはルイが元気に走っている。やがて、そんな風景をぼくはなんの違和感もなく受け入れていた。

 何から何まで予定外のキャンプではあったが、幸い天気にも恵まれ、シェラやむぎの思い出にも浸ることができた。これからは、ルイとの楽しい思い出づくりに楽しみを見つけていきたいと思う。