愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

ボスとしてきみを護る

2011-09-30 12:59:33 | シェラの日々


☆楽しみなシェラの反応
 いよいよ明日からコーギーのパピィがやってくる。
 なにも知らないシェラ(上の写真は今朝のシェラ)は、われわれの愛情の独占状態にどっぷりひたっている。昨夜も夜中に引っ張り出されて、のんびりと散歩につきあわされた。
 
 ともかくは元気だ。涼しさを追い風にして、当分、元気でいてくれそうでホッとする。
 元気であるのはうれしいけど、どうも調子に乗りはじめているきらいが無きにしも非ずである。むぎに対して発揮してきた母性も必要なくなり、家族という群れの中で最下位の序列に甘んじて、もう序列を意識することなく、突然訪れた、はるか昔のようなチヤホヤの甘い環境にウハウハの二か月あまりを過ごしてきた。
 
 明日、パピィがきたからといって、われわれのシェラへの愛情が半減するわけではないけれど、きっと、シェラはなんらかのショックは受けるだろう。われわれにしてみれば、むぎがくる以前の2歳、3歳のころのワガママわんこに戻っていないのが唯一の安心材料である。
 シェラには気の毒ながら、パピィを迎えたシェラの反応に対して、ぼくも家人も不安半分、興味津々といったところだ。

☆ひとりでいる不安から
 むぎを喪ってから、家人はシェラを家にひとりで置いておくことに、ぼくからみたら必要以上にナーバスになってきた。夕飯の買物に出かけるのさえ回数を減らしている。「考えすぎだ」というぼくの意見には耳を貸そうともしない。

 家人の釈明によると、出かける仕度をしているだけで、それまで熟睡していたはずのシェラがのぞきにきて、そうとわかると玄関の前に仁王立ちになり、「置いていかれてなるものか!」とばかり身構えている。
 ときには、家人の制止を無視して、素早く玄関から飛び出し、マンション内の移動に使っている台車付きの箱(クレート)に飛び込んで動こうとしなかったことも何度かあったという。

 たしかに、聴覚の衰えが、ただでさえ弱虫な性格のシェラの不安をさらにかきたてる一助になっているのは想像に難くない。いままではむぎの「番犬の本能」がそれを補っていたのに、そのむぎがいなってしまった。
 シェラをひとりにして外出から戻ると、玄関前の廊下でうずくまっているようになったという。以前はむぎが番犬をやっていた場所である。シェラの場合は番犬化したのではなくて、ひとりでいるのが不安なので家人の帰りを待ちわびているだけなのだが……。

☆やっぱりボスは…… 
 ひとりになって緊張感がよみがえり、それがこのところのシェラの元気の源になっているのは間違いない。とすると、今度群れの仲間が増えることでどんな変化をしていくのだろう。ましてや、とりあえずは下位の序列のパピィである。
 留守番をするときに、自分のみならずこのパピィも護らなくてはならないという自覚が生じるのだろうか。
 
 イヌの本能とはいえ、それが老いたるシェラの負担にならぬように気をつけてやらなくてはならない。また、そう遠くない先々で、わんこ同士の序列をめぐって成長後のパピィとの静かなる(?)抗争が勃発するかもしれず、それがさらなる重い負担になるかもしれないので要注意である。
 
 群れのボスたるぼくとしては、新たな課題を背負い込んでしまうけど、でもな、シェラよ、ぼくはいつでも老いたるきみの保護者だぜ――常にそんなメッセージをシェラに発信し、実践していくつもりである。


その執拗さはなんだろう

2011-09-29 12:53:40 | シェラの日々


☆カラーからハーネスへ
 今朝はシェラにハーネ(胴輪)をつけて散歩に出かけた。このところ、やたらにカラー(首輪)を抜いてしまうからである。
 以前から、シェラもむぎもカラーを抜くテクには長けていた。それでもしかるべき理由がなければ抜いてしまうことはまずなかった。

 むぎの場合は、なんらかの理由でシェラのそばから離そうとすると即座に抜いてしまう。「やるな」と思う間もなく首をひと振りして抜くのである。カラーをギリギリまできつくしてあっても、彼らが抜く気になれば抜いてしまっていた。
  
 抜いたとしても逃げてしまうわけではなく、たいていはその場に立っているか、むぎだとシェラのそばへいくくらいである。
 むしろ、抜いてから不安そうにしていたから、それがいけないことだとわかっていたのだろう。衝動的に、あるいは、どうしてもぼくの意に従いたくないときだけまずはカラーを抜いて抵抗の意思表示をしていたわけだ。

 逃げ出すわけではなくてもノーリードになるからやっぱり危険きわまりないので、ふたりには念のためにそれぞれハーネスを用意してあった。ほとんど使ってこなかったが、今朝からシェラに装着して散歩することにした。

☆やっぱり危ない
 むぎがいなくなって以来、シェラの散歩のときのにおい嗅ぎがしつこくなってなかなか前へ進まない。ときには、とんでもない方角へ戻ってまでにおいを追いかける。 
 休日の時間の余裕があるときならまだしも、朝の出勤前のかぎられた時間の散歩だと、しかるべき距離を歩き、早いところ排泄を終えて家に戻ってほしい。それなのに、このところのシェラはひたすらにおいを嗅ぐことにしつこくて時間ばかり浪費する。
 「さあ、もういいだろう。先に行こうよ」とか、「もう帰ろう」とリードを引くと、首を振って簡単にカラーを抜いてしまう。
 
 このところ、夜中の散歩も増えた。昨夜も一昨夜もそうだった。
 突然、外へ出たいと騒ぐので、てっきり生理的な欲求だろうと急いで外へ連れて行くのだが、はたしてそうだったのかどうかこのところぼくは疑わしく思っている。
 オシッコは、まあ、当り前のようにやってくれるが、あとはひたすらあちらこちらのにおいを嗅いでいるだけである。しかもなかなか帰ろうとしない。
 「おまえ、においが嗅ぎたくて出てきたんだろう」
 あまりのしつこさに焦れて、ぼくがリードを引くと、ヒョイとカラーを抜いてしまう。

 夜中の散歩中、クルマが近づいてくるとヘッドランプの灯りをそちらへ向けて自分たちの位置を教えると、近づいてきたクルマもぼくの足許にシェラを見つけ、慌てて大きく避けてくれる場合もあるが、たいていはギリギリのところを速度も落とさずに走り抜けていくヘタクソなドライバーのほうが多い。
 こんなとき、シェラがカラーを抜き、何かのはずみで数歩動いてしまったら間違いなく跳ねられてしまう。

☆心ゆくまで嗅げばいい
 いったい、シェラはなにを探しているのだろうか。
 ただの老化から、におい嗅ぎがしつこくなっただけなのだろうか。道端のにおいを嗅ぐ行為は、たしかに以前から見られてはいたが、その執拗さは尋常ならざるものがある。何度となくここでも書いてきたが、もし、むぎを探しているとしたら不憫でならない。
 カラーを抜いたあと、悪びれもせずにぼくをじっと見据えるシェラの眼光にぼくは気圧されそうになる。明らかになんらかの意思をもった目である。
 
 今朝からハーネスに変えたのは、「シェラ、しつこくにおいを嗅ぐのはもうやめようよ」というぼくの気持とシェラの安全のためである。
 ただ、夜の散歩に引っ張り出されたら、このハーネスで、心ゆくまでにおいを嗅がせてやりたいと思っている。


気持ちが乗らない

2011-09-28 12:56:14 | 残されて

☆どうでもいいよ
 打ち寄せる波のように、むぎへの追慕が押し寄せ、また引いていく。そんな汀(みぎわ)を、いまだにぼくはふらふらとさまよっている。
 息絶えてしまったむぎを抱き上げたときの感触がなお空(から)の腕にしみついたままだ。荼毘に付す直前まで生前と変わらなかった柔らかな耳たぶが愛しい。
 ふとそんな思いにひたっているぼくの顔をのぞきこむシェラの表情が、「どうしたの?」と心配そうにしているかのように見えてしまうのがいささか情けない。

 まもなくコーギーのパピィがやってくる。家人と、ときおりだが、思い出したように話題にするが、少なくともぼくは指折り数えて待つ気持ちにはなれないでいる。連れてきたらそれなりに可愛いと思い、むろん、可愛がるだろうが、いまは気持ちが乗らないままだ。
  
 家人とせがれはふたりで激論の末に名前を決めたが、ぼくはこの名前にも乗れないでいる。といって反対する理由もない。正直にいうと、「どうでもいい」というあたりだろうか。
 何が気持ちのブレーキになっているかというと、先々のことを思い、その責任の時間的な長さと重さを痛感するからである。この子が順調に育ってくれたらぼくたちは80歳を迎えるだろう。そのころまで本当に面度を見てやれるのだろうかとの不安で滅入りそうになってくる。
 
 せがれにしてみれば、むぎばかりではなく、そう遠くない先のシェラの死も見据え、母親のペットロスを回避はできないまでも、可能なかぎり軽微におさめたいとの思いからこのパピィをネットで見つけ、勧めたのである。ぼくは彼に、「おれたちに何かあったら、おまえが面倒みろよ」と言い渡してある。
 不確かな担保ではあるけれど、それをきちんといっておかないとやはりぼくの鬱屈しそうになる気持ちはどうにも整理がつかないままでいるからだ。


☆叱る相手もいなくなり
 通勤の行き帰りや外出のおりに、散歩をしているコーギーにときたま出逢う。むぎが健在だったころは、よそのコーギーがいればむぎと比較をして、「やっぱりむぎのほうが可愛いな」などとひそかに思って悦に入っていたのだが、今週はコーギーを見るぼくの視点がまったく変わってしまった。
 あのパピィが成犬になったら、こんなコーギーになるのだろうか。大きさは? 毛並みは? 身体のフォルムは? 動作は? などと無意識のうちにパピィを重ねてしまっている。

 気持ちが乗っていないはずなのに、実はすっかりその気になっているじゃないかとはたと気づき、それなのに淀んだままでいるこの自分の心模様の実相が皆目わからなくなってしまった。

 このところうれしいのは、会社から帰ると、シェラが大喜びで飛び出してきてくれるようになったことである。涼しい季節を迎えて元気を取り戻してくれたようだ。ついこの間までは、耳が遠いということもあってぼくが帰ってきたのさえ知らずに眠っていたけど……。

 それにつけても思い出してしまう。あのころは、ぼくの帰宅を告げるために吠えながら家の中を走りまわるむぎがいた。シェラがぼくの顔を舐め、そのあとむぎにもひとしきり顔を舐めされてやると落ち着いたが、その前にまずは、「うるさい! 静かにしろ!」とむぎを諭すのが、ぼくの帰宅して最初の仕事だった。
 いまはぼくがうれしさとともに叱る相手もいない。
 
 静まり返った部屋の中で、無言で尾を振り、いつまででもぼくの顔を舐めてくれるシェラの出迎えにも慣れてきた。今度、パピィが加わり、やがてどんな帰宅のひとときに変わっていくのだろう。


身勝手なのはどちらだろうか

2011-09-27 12:52:58 | シェラの日々

☆久々の対面
 週明けから信じられないほどの涼しさである。昨日の朝は珍しくシェラがぼくのベッドの脇にきて寝ていた。イビキのすごさに早々と目が覚めてしまった。
 シェラが寝ていたのはむぎがいつも朝まで寝ていた場所だけど、ただの偶然だろう。ついついむぎを思い出してしまったけど……。

 散歩に出ると涼しさのおかげでシェラは元気いっぱいである。まだ元気だった半年前と同じくらいの距離……最近だと三倍ほどの距離を歩いて余裕を見せている。
 涼しさよりもっと信じられないのが昨朝のむぎネコの出現だった。とんでもない方角のエリアでニャンニャンと激しく鳴きながら追ってきたのである。

 久しぶりの対面だった。朝も夕方も夜中も長い間出てきていなかったので、どうしたのかと心配していた。家人があちこち聞いてまわり、数日前、近所の家のご主人から元気でいるとは教わっていたが、姿を見ないとやはり気になってならなかった。それがようやく確認できたのである。

☆わんこならなんでもよかった
 走って追いかけてきたむぎネコであったが、シェラの散歩がUターンする花壇の辺りで、三匹のわんこが鉢合わせになった。駐車場でシェラの様子を見守っていたむぎネコはたちまち向かいの花壇の中に走り込み、気配を消した。
 わんこ大好きなネコだけに、さて次にどうするのかとぼくは興味津々でむぎネコの動きを見ていた。三方のバラバラの方角へと散っていく三匹のわんこを前にむぎネコは明らかに迷っていた。


 当然、ぼくたちのあとをついてくるだろうと思っていた。ぼくたちに気づいて追いかけてきたのだから。「もう戻るぜ」とばかり、ぼくは舌を鳴らして呼んだ。だが、むぎネコは動かない。キョロキョロしたままである。
 いやがるシエラを引っ張って数メートル戻り、もう一度舌を鳴らして呼んでみた。その刹那、花壇の中から飛び出すとぼくらと反対のほうへいく別のわんこを追いかけていってしまった。振り向きもせずにだ。

 ネコの気ままさにぼくは苦笑せざるをえなかった。だからといってイヌの実直さのほうが好ましいというつもりはない。
 このネコを通してむぎを見ようとしていたぼくたちであったが、しばらく姿を見ない間にぼくたちのほうだってむぎの代わりを新たに手当てしている。
 そう、人間だって身勝手である。

 せめてもの釈明は、むぎネコが気になっている他家の奥さんから請われて家人がケータイの番号を交換し、ファンクラブのネットワークを広げていることだろうか。

 週末にはコーギーのパピィがやってくることだし、そんなやこんなで、身勝手な飼主のみならずむぎネコからも振りまわされてしまうシェラの負担をなるべく増やさないにようにくれぐれも気をつけたい。


水入らずで過ごした最後の週末

2011-09-25 21:38:38 | シェラの日々

☆どんな反応を見せるのか 
 むぎの死から三か月余り、涼しい陽気も手伝ってかシェラがどんどん元気になっている。むぎがいたときは、見張りはむぎに任せて気が抜けていたのに、このところ、顔つきまで変わってきた。
 そんなシェラと水入らずで過ごす最後の週末が終わった。今度の土曜日からは、新しいコーギーがわが家にやってくる。シェラの反応にぼくも家人も興味津々であり、また、不安も皆無ではない。
 
 むぎがきた当初の一週間ほどのシェラの戸惑いは尋常でなかったものの、吹っ切れたあとの母イヌとしての役割は目を見張るものがあった。ほんとうの母イヌでもここまでやるだろうかと思うほど、最後まで母イヌ役をまっとうした。
 それだけに、むぎの死後、近所に散歩に出るとあたりのにおいを嗅ぐ行動が激しくなったのは、シェラなりにむぎを探しているのではないかと思いたくなる。

☆シェラの母性本能に期待する 
 それはともかく、シェラの母性本能が健在であれば、むぎのときのような新しいパピィを拒否したり、ショックを受けたりはないだろうと期待している。
 問題は17歳に届こうとする年齢である。身体の自由だってだいぶ制約がある。彼女のメンタリティがどのように影響するか、やっぱり注意深く見守ってやらなくてはならない。
 
 先週末と今週末、二度も三連休があって、シェラはぼくたちの愛情を久々に独占して過ごした。そこへ新しい子が割り込んできたら、少しは打撃を受けるのではないかとぼくは気にしている。
 新しい子がきたら、ぼくはいままで以上にシェラと遊んでやろうと思っている。いつも自分にぼくの目が向いていると安心させてやりたい。

 
 いまも、シェラに顔を近づけていくと、ぼくの顔を舐めてくれる。疲れていたり眠かったりの機嫌の悪いときは、嫌がって低く唸ることがあるけど、決して牙を剥いたりしない。たとえ、唸ってもさらに顔を寄せると、ペロリとぼくの鼻くらいは舐めてくれる。

☆いつもシェラを見ていよう 
 涼しくなった今日、連休最後の日を横浜のセンター北にあるシェラの大好きなカフェへ出かけた。駐車場からカフェまで、シェラは脇目もふらずに歩いた。このお店でくれるわんこ用の大きなお菓子が目当てである。
 
 シェラと水入らずでここへくるのは最後だろう。ぼくたちにしてみると、ここにいるべきむぎがいない寂しさを、まもなくやってくる新しい子で補おうとしているのである。そんなことを漠然と思ってシェラを眺めていた。
 
 当分はパピィを抱いて連れてくることになるが、新しい子にばかり目がいってシェラの微妙な反応を見落とさないようにくれぐれも気をつけようと思っている。