愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

はじめての夏は山中湖から湘南の海へ

2012-05-29 23:48:25 | わが家のわんこたち

☆あのころのいたたまれないほどの辛さ
 土曜日、クルマで山中湖へ遊びにいった。翌日の日曜日はクルマを湘南へ走らせ、葉山の海岸で遊んだ。どちらも、高速道路を使えばわが家からは遠からず、近からずの適度な距離にある。そしてどちらも、まだシェラとむぎが健在で元気だったころは、四季をとおして足繁く通った思い出の場所である。

 久しぶりの山中湖だった。むぎを亡くして一度だけシェラときた記憶がかすかにある。まだルイがいなかったはずだから去年の初秋だろう。ぼくたちは寂しさのどん底にあったし、シェラもまた元気なく歩いている姿がほろ苦く思い出される。そこにいるはずのむぎがいないのが不思議に思える……まだそんな気持ちから脱けきれないでいるさなかだった。

 やがて、ルイがきて少しにぎやかになり、むぎのいない空白をルイが埋めはじめたとたんシェラのガンが発覚してぼくたちはまた新たな覚悟を強いられた。山中湖や湘南の辻堂海岸、江ノ島などへ遊びにいこうなどという気はまったくおきなかった。ただひたすらその日その日を息をひそめるようにして送っていた。シェラとの残り少ない日々がいたたまれないほど辛く思えるときがあった。

☆ルイとははじめての山中湖へ
 シェラがいなくなってしまっても、山中湖や湘南の海岸へ足を伸ばそうという気はなかなか戻ってこない。近場でさえシェラやむぎのビジョンが濃密でそこへいくのに勇気を必要としたほどだった。そこに立っただけで夥しい情景が湧き上がってきて哀しみに流されてしまいそうになる。だが、それでもぼくたちは、少しずつひとつひとつの場所にまつわる哀しみを克服してきた。むろん、まだたくさんの思い出の場所が残ってはいるけれど……。

 土曜日は山中湖を克服した。たかだか1年足らずのご無沙汰である。何も変わっていないだろうとタカをくくっていたが、やっぱりそこかしこに変化があった。山中湖の南岸に沿って延びる森林公園を歩きながら、隣接するボートハウスで飼われていた二匹の犬がいなくなっているのに気づいた。
 檻の中からシェラの姿を見て吠えていた白い大きな犬がいない。檻そのものが跡形もなく消えていた。ほかのボートハウスの店先にいた日本犬の姿もない。彼らもシェラやむぎと前後して天国へと旅立ってしまったのだろう。


 ルイとともに静かな浜辺を歩いていると目の前に大型バスがやってきた。水際にしばらく停まっていたと思うまもなく、湖水へと入っていくではないか。背面に「水陸両用」の文字が見える。いつのまにかこんなバスが営業をはじめていたらしい。バスはやがて水に浮き、お尻のあたりに白波を立てて湖水の中央へと去っていった。


 ルイにとってのはじめての山中湖である。先月末のキャンプのときの木崎湖では湖水へ入って泳いだが、この日は午前中に家の風呂場で洗ってやったばかり(写真=上)なので水の中へは入れないように湖水へ近づけなかった。

☆シェラといったはじめての海
 日曜日は湘南へクルマを走らせた。いつもいっていた辻堂海岸は無意識のうちに避けていた。シェラやむぎと辻堂海岸の次に親しんだ江ノ島を目指したが、海岸通まであふれたクルマの列を見て躊躇なくあきらめた。

 シェラやむぎとはあまりいったことのない葉山へ向かった。葉山はぼくが子供のころに親しんだ海だけに愛着もひとしおである。だが、アクセスの易さと駐車場の関係でシェラやむぎとは辻堂海岸ばかりにいった。
 この日、目指した海岸にはハマヒルガオが群生していた。江ノ島から鎌倉材木座あたりにかけての混雑が嘘のように静かな海岸だった。ルイにとってははじめての海である。


 シェラがわが家にやってきてまもないころ、大磯に近い海岸へクルマではじめて連れていったことがある。まだ赤ん坊わんこに過ぎなかったこのときのシェラは、往きに車酔いに苦しみ、海岸では元気いっぱいに走って何度も波をかぶり、好奇心から海水を飲み、砂を食べた。
 帰りは再びの車酔いに喉の渇きも加わってなおさら辛そうにして家人の膝でへばっていた。翌日から呆れるほど何日もウンコに黒い砂が混じった。

☆次は海水浴の準備をしていこう
 4年後、むぎが家族の一員になったころの辻堂海岸は、わが家の庭のように慣れ親しんでいた。当時、若いころのシェラはいまのルイ同様、いつもぼくを追いかけていた。そこへむぎが加わると、ぼくを追いかけるシェラをむぎが必死になって追いかけることになり、それは楽しい遊びを満喫することができた。

 ちょっと目を離した隙にカラスがトートバッグの中から弁当を持ち去ってしまったことがある。ぼくが逃げるカラスを追いかけ、石を投げて威嚇したりして以来、ふだんでもシェラはカラスを敵視し、散歩の途中でカラスと逢うと吠えかけ、あるいは走っていって追い払うのをやめなかった。
 そんなことを思い出しながら、はじめての海に戸惑うルイをぼくは目を細めて眺めていた。






 
 ルイはシェラのような大胆さも見せず、寄せくる波には用心深く対していた。
 次に海へいくときには、ぼくもいっしょに水遊びができる準備をし、海水に濡れたルイの身体を洗い落としてやれるだけの真水も用意しようと思った。やっぱりわんこ用のライフジャケットと細引きを準備しなくてはならないだろう。ついでに調子が悪くなった防水機能付きのカメラも新たに買い替えるとしよう。
 ちょっとわくわくする。



ルイの週末の寂しいはじまり

2012-05-26 23:05:04 | ルイとの日々

☆待ちくたびれて…… 
 「お父さんの帰りずっとまっていたのよね。もう待ちくたびれちゃったわよね」
 木曜日のことである。会社の後輩と飲む約束があり、話がはずんで家に帰り着いたのは午前12時近かった。飛び出してくるかと思ったルイはリビングで気怠そうに寝そべっていた。
 「ずっとおとなしくしていたのよ。ちょっといたずらしたくらい。お父さんがいないといい子なんだから……。ほら、ルイちゃん、待っていたお父さんが帰ってきたじゃない」
 家人に促されてルイがゆっくりと足下にやってきた。もう、「遊ぼう!」と催促する気力はないようだった。

 「しつけ教室に入れなくてよかった」
 家人がしみじみという。果たしてその判断が正しいかどうかはわからないが、ルイは大きな図体ながら家人に抱かれておとなしくぼくを見ている。手を伸ばせばその手をペロリと舐め、顔を近づけるとすぐに舐めてくれる。文字どおり「待ちくたびれた」という風情が濃厚なルイである。まだ1歳にならない幼犬なのだからこんなものなのだろう。


☆ぼくの部屋へやってきた 
 風呂から出て自分の部屋でパソコンに向かってメールのチェックをしていると、足下に何か違和感を感じる。「おや?」と思ってのぞくとデスクの下にルイが入り込み、何かおもちゃになるものはないかと首を突っ込んでいた。どうやらぼくを追いかけてきたらしい。いつも部屋へは入れないようにしているものの、ぼくが油断したときに何度か入り込んでいるくらいで、堂々とやってきたのはこれがはじめてだった。

 しばらくぼくの足下にいて、やがて、部屋を出ていったルイが玄関からぼくの靴をくわえてリビングのほうへと走り去るうしろ姿がみえた。放っておくわけにはいかない。すぐに追いかける。こうなるとルイの「遊ぼうぜ!」のスイッチが入ってしまうのは時間の問題である。いや、すでに入ってしまったかもしれない。時刻はすでに午前1時近い。とんでもない話である。
 だが、幸いにしてリビングには家人がいた。ぼくだとひたすらすばしこく逃げ回るルイだが、家人が手を伸ばすとくわえていたぼくの靴をあっさり渡した。家人には従順である。


☆疲れはてて迎えた金曜日 
 そして金曜日――。
 会社から早く帰ろうと思っていたのに、結局、いつもどおりの午後8時近くなってしまった。それでもルイは喜んでぼくを迎えてくれた。今夜こそ遊んでもらえると思ったのだろう。
 たしかに、ぼくもそのつもりだった。昨夜遊べなかった分まで遊んでやろうと思ってオフィスで一日を過ごして帰路についた。もう少しばかり早く帰るつもりが遅くなったが、ルイと遊ぶのを楽しみにしている気持ちに変わりはなかった。
 
 だが、この日は家人の仕事が遅くなり、ぼくが帰って着替えをすませるとすぐに外食のために出かけた。むろん、ルイもクルマに乗せていった。近所のファミレスで食事を終えると、ルイを遊んでやらなくてはとの思いからそそくさと家に戻った。
 
 それなのに、戻ったとたん、一週間分の疲れがぼくに襲いかかった。今週はとりわけ忙しい一週間だった。ファミレスから帰ったあと、形だけルイを遊んでやったものの、すぐに寝室に入り、ベッドに横になって眠ってしまった。ルイが起こしにきたのはうっすらと知っていたが、着の身着のまま朝まで深く眠った。風呂へも入らず、顔も洗わず、歯も磨かずに……。
 何度かぼくを起こしにいって無駄だとわかったあとのルイはリビングでずっとおとなしくしていたという。かわいそうなことをしてしまった。


ずっと一緒にいられたらいいのに

2012-05-23 22:10:04 | ルイとの日々

とーちゃん、おいらを置いていかないでくれ!

☆同じ騒ぎを繰り返すわが家の朝 
 毎朝、ぼくが会社へ出かけるためにリビングから玄関へ向かうとき、わが家では決まってひと波乱ある。それまで、ぼくの動きから目を離さなかったルイが、ぼくがカバンを手にしたとたん反応する。玄関へ続く廊下へ一目散で向かい、ぼくを見上げながら先に立っていそいそと走るのである。

 「ルイちゃん、ダメよ。お父さんは会社なの。カイシャ! ルイちゃんはいかれないの!」
 背後から家人の声が追いかけてくる。毎朝、同じセリフで……。
 しかし、ルイはすでに玄関の扉の前に陣取り、ぼくが扉を開けたら一緒に飛び出そうと身構えている。
 「ルイ、一緒に会社へいこうか?」
 ぼくは、家人が出しておいてくれた靴を履きながらルイに語りかける。これもまた毎朝同じセリフである。それを聞いて見上げるルイが大きくうなずく……はずはないのだが、こうして毎朝、玄関までルイがぼくを追いかけてくるのを楽しんでいる。

 とはいえ、ぐずぐずしているわけにはいかず、ルイを家人のほうに追いやり、家人に捕まったルイを、「さあ、ルイ、一緒にいこうか」などと挑発し、家人の、「もう早くいってよ!」という悲痛な叫びに促されて外へ出る。閉めたばかりのドアをすぐに開けて、「ルイ、じゃあな」とからかうぼくをルイの必死な顔が見つめ、「もういい加減にして!」と家人の怒号がとぶ。
 
 こういうときのルイは決して吠えない。家人の手を振りほどこうとして少しばかり抵抗する程度だ。もう、ぼくと一緒にいかれないのはわかっているだろう。
 かくして、ぼくは駅へと向かう。歩きながらいつも思う。いったい、いつまでこんなにぎやかな騒ぎをルイが演じてくれるのだろうか……と。そう長い先までは望めまい。だからこそ、現在(いま)を大切にして日々の朝を迎えたいと思う。


放せ! オレはトーちゃんと一緒にいくんだ!

☆わんこ連れで出勤したいもんだ 
 シェラもむぎも、朝、ぼくが出かけるときは、いくら声をかけても知らん顔だった。ルイくらいの年齢のときのシェラがどうだったかは記憶にない。むぎはいつもシェラのそばにいたから幼犬のころもぼくを追ってはくれなかったはずだ。

 ただ、いまにして思うと、むぎは死ぬ直前に何回か、出かけるぼくを玄関まできて見送ってくれた。むろん、ルイのように「一緒にいくよ」などという意思は見せなかったが、家人のうしろで静かにぼくを見上げていた。
 「むぎ、おまえは可愛いなぁ」
 ぼくは満足し、そういってむぎに手を振り、ドアを開けて出かけたのを克明に憶えている。

 ルイとの朝の情景をfacebookで紹介したとき、それを読んだ会社の犬好きの若いスタッフが、「会社へ連れてくればいいじゃないですか」などと、できもしないことコメントで書き込んでくれた。そりゃ、オフィスへ同行できればしているさと思うが、日本ではあまり聞いたことがない。

 かつて、日本のとある情報産業企業へ転職した知り合いの女性が、「頭にきちゃう。わたしの仕事って社長室のブルドッグの世話なんですよ」とボヤいていたが、これはオーナー社長だからであって、社員に犬連れの出勤を許している会社が果たして日本にあるのかどうか……。


テメー、こうなったら噛みついてやる!

☆日本では望むべくない穏やかな共生関係 
 アメリカなどでは、たしかに、犬連れでオフィスへ出勤できる会社もあると聞く。クルマでの出勤が当たり前の国なら犬連れもあり得るだろうし、当然、犬の側にも相応のしつけがされているのだろう。

 欧米の犬はしつけが行き届いているという人がいるが、さて、そのあたりはどうなのだろうか? 全部が全部しつけがなされているとは思わない。ベルリン、パリ、アムステルダムで、ぼくはしつけのできていない飼主を見てきた。排泄物を平気で置き去りにして立ち去る飼主である。あんな連中が飼っている犬のしつけが行き届いているとはとうてい思えない。むろん、これは犬の責任ではなく、飼主の人間性の問題なのだが……。

 20年来のつきあいになる、ぼくが懇意にしているタイの出版社の編集長は会社へ奥さんとトイプードルを連れていく。奥さんも同じ会社の別の雑誌の編集長だから「(奥さんを)連れていく」という言い方は当たらない。
 わんこのほうは、自宅は週末だけで、あとはずっと会社にいる。なぜなら、夫婦そろってウィークデイの大半は会社で寝泊まりしながら仕事をしているからである。しかも、ほかの社員たちが交代でわんこの散歩をはじめエサやりなどの世話もしてくれるそうだ。

 こうなると会社ぐるみ家族のようでなんともほほえましい。しかも、犬を核としているとは、なんていい関係だろうと思う。この会社の人々同士には、たしかに家族のような親しさを感じることができる。
 しかし、これは微笑みの国タイだからこそ成立するおだやかな人間関係であって、世知辛い方向へと突き進む日本では、現在はもちろん、未来においてもあり得ない美しい風景に思えてしまう。

マッチョなルイが怖くなってきた

2012-05-22 21:36:59 | ルイとの日々

パワーがついてきたので遊びのときも圧倒されそうになる

☆いつのまにか筋肉わんこに
 ほぼ毎朝、散歩の途中に出逢うココアと今朝も途中ですれ違った。同じマンションのココアはたしか10歳のお爺ちゃん、気品のあるとてもおとなしい子だ。このマンションに引っ越した当時小学生だったココアの家のお姉ちゃんが、シェラを気に入ってくれて、たぶんシェラに似たわんこということで飼いはじめたのがこのシェルティーのココアだろうと思う。

 以前はお姉ちゃんと散歩していたが、お姉ちゃんも勉強が忙しくなって毎回とはいかず、いまや社会人になってさらにそんな時間がなくなってしまったらしい。
 朝はいつもきれいなママに連れられて、夜や休日はカッコいいパパと一緒にココアは散歩している。お姉ちゃんもすっかりきれいな娘さんに成長して、にこやかに挨拶されるとドキドキしてしまうほどだ。そんなやさしい家族に囲まれてココアもさぞや幸せに違いない。

 今朝、ココアのママに跳びついて撫でてもらったとき、「わ、筋肉質」といわれたルイだが、このところ、たしかにどんどんマッチョなわんこになっている。
 シェラのガンが発覚して以来、シェラの体力の衰えとは逆にルイは成長を遂げていった。本来ならサークルから出してやってもいいはずなのに、シェラに跳びつかないようにとシェラが亡くなるまで家にいる大半をサークルに閉じこめてしまった。


大きな男の子だけど決して牙を剥いたり吠えたりしないという(日曜日の公園で)

☆格闘じみた遊びが原因か?
 サークルの天井は開けてあったので、ことあるごとにサークルのウォールにつかまってピョンピョン跳んでいたため、結果的に下半身が鍛えられた。お尻から下半身のあたりの筋肉は見るからにムキムキで惚れぼれするほどになりつつあった。
 そんな矢先にシェラが死んで、ようやくサークルから解放されたルイは、ぼくが会社から帰って興奮すると狂ったように部屋の中を疾走するようになった。息切れするまでダッシュをする。運動量が必要なコーギーとしては、朝夕の散歩だけでは運動不足をきたすという説明もできるが、ぼくの目には、これまでサークルに閉じこめられてきた鬱憤をはらすためのダッシュに思えてならなかった。
 
 最近はぼくとの毎晩の格闘じみた遊びを通じて下半身のみならず上半身も鍛えられてきた。先週の金曜日の夜にはそうして遊んでいる最中にロープのおもちゃがルイの右目にヒットして、土曜日に医者へ連れていった。幸い眼球に傷はついておらず、痛み止めの注射を打って、目薬を5日分もらってきた。

 土曜日と日曜日はルイも用心して遊んでいたが、懲りない性格はすぐに烈しい遊びを復活させた。今週はむしろ目を痛めたころ以上に気合が入りはじめている。それに伴って日に日に筋力がついていくのが実感できる。それだけに遊ばせていて、ときどき、「怖い」と思うことがある。ぼく自身、2か月ほど前にルイの頭突きが右目に決まり、いまだに飛蚊症が治まらず、視力も低下したままである。いまの勢いで衝突していたらもっと深刻な状態になっていたかもしれない。


まだ1歳のシェパードだが、さすがにルイもちょっとビビったかな?(日曜日の公園で)

☆若さとつきあうのも楽じゃない
 今週になって、とりわけジャンプ力に目を見張る進歩がある。遊びにジャンプの要素を加えたからではあるが、ルイ自身、「跳ぶ快感」に目覚めたきらいがある。日々高さが上がっていく。
 どんな遊びかと方いうと、ぼくが床にぺたんと座って両脚を伸ばし、おもちゃを左右に振ってルイの突進を誘うのである。床に置いた足を跳び越えるだけだったが、最近はその足の一本を上にして――ちょうどハードルのようにしてルイの跳躍に跳躍させる。いきなり足を上げるので反射神経も養うことができるだろうし、少しはぼく自身の運動にもなる。


ジャンプ力がアップしたので油断するとケガも

 だが、そろそろこんなインドアでのトレーニングは限界に近づいている。もっとちゃんと、しかも安全にやるためにはアウトドアへ出なくてはならないだろう。
 とはいえ、アウトドアでのトレーニングは週末しかやってやれない。いまが成長期だし、しつけもかねて遊びを通じてもっと鍛えてやりたいという思いはあるものの、はたしてマッチョなわんこにしてしまっていいものなのかとの疑問も捨てきれない。

 気にしすぎかもしれないが、ルイをマッチョわんこにしてしまうと、調子こいて気のいいココアを蹴散らしたり、ぼくに楯突いたりするようになるのではないかと心配している。いまのところ、自分より大きなわんこに逢っても攻撃的な態度はとらないでフレンドリーに接しているが、なんせルイには衰えたシェラを転ばした前科がある。
 こちらが年取ってから若い元気なわんこを飼うというのも苦労である。



悪魔の呪縛を小悪魔が解き放ってくれた

2012-05-18 23:59:06 | ルイとの日々

☆いつもそばにいてほしいけど 
 昨夜、ルイを遊んでやりながら床に寝ころんで「死んだふり」をしたらすぐに爆睡モードに陥ってしまった。今週は気骨の折れる仕事が続き、体力よりも気疲れで消耗した。
 爆睡直前にルイを抱きしめて……というより、眠くなったので遊ぶ相手をするのが面倒で、無理やり羽交い締めにしたからだろう、ぼくが寝てしまったあと、ルイが起こしにくることはなかった。
 
 どのくらい爆睡していたのか、顔のすぐ脇でガチャガチャと耳障りな音が聞こえて目が覚めた。ルイが目の前で豚皮のガムを熱心に噛んでいた。音ばかりか、においもきついが、起きたのを悟られたりしたら、また「遊ぼうよ!」とちょっかいをかけてくるから、音とにおいをガマンして眠りに戻った。

 毎朝、ルイは玄関の扉の前までやってきて、会社へ出かけるぼくに、「一緒にいくぅ!」とけんめいにアピールする。そんなルイを家人のほうへ追いやり、「じゃあなぁ~! なるべく早くかえってくるからなぁ~」と手を振る。ルイは、「そ、そんなぁ」という顔で家人の腕をふりほどこうともがく。その隙にぼくは外へ出てドアを閉める。かくして、毎朝、ぼくは後ろ髪を引かれる思いで会社へ向かう。
 ささやかな幸せを実感する瞬間である。


☆悪魔はたしかに実在する 
 そんなつましくも満たされた日常とは対蹠的なあやうい生き様を送る人間に、今週、ぼくはいっとき打ちひしがれた。不快きわまりない体験だった。
 翌日になっても不快感は消えず、いたたまれなくなって、前日(5/15)のことをツイッターに次のように記した。
 
いろいろな女性を見てきたけれど、昨日、久々に会った、かつて何度か飲食をともにしたこともある、まだ若いこのひとの言動は唖然とするほど欺瞞に満ちていた。マスクの上に並ぶふたつの瞳に宿る邪悪な光はとうてい人間のものとは思えず、悪魔のそれでしかない。悪魔はたしかに実在する。

 
 彼女の求めに応じ、何度か夜の時間を割いて食事をしながら職場での深刻な悩みを聞いた。「なんとかしてやらなくては……」と、ずっと気にかけてきたが、それらのすべてが上司を追い落とすための虚言であり、裏側で行っている犯罪行為の発覚を隠蔽するための偽りの演出だったのが露見した。


☆ちょっとの違いが大きいよね
 それでもぼくはにわかには信じられず、まだどこかで彼女の潔白を信じたい気持ちを捨てきれずにいた。しかし、彼女はぼくまでもが不正行為をおこなっていると明言したのである。たちまち躊躇は消え、ぼくは彼女を刑事告訴する方針に同意した。
 平然と虚言を弄するときの悪魔ならではの邪(よこしま)なふたつの目は、彼女がマスクで顔の大半を隠しているだけにいっそうおぞましく際立つ。

 ツイッターは、去年の4月に開設してまだ100ツイートを越えたばかり、たいして更新していなかったが、無念さを吐き出すにはちょうどいいツールだった。
 しかし、怒りぶつけたからといって気が晴れるはずもない。悪魔と化したとはいえ、早晩、若い女性を犯罪者として司直の手にゆだねる決断の後味の悪さがいつまでも尾を引いている。
 
 家に帰り、無邪気な小悪魔のルイと遊んでようやく悪魔の呪縛から解き放たれる。この子がいてくれてよかったとしみじみ思う。 
 悪魔と小悪魔――表記のちょっとした違いだけど、存在の実態は正反対である。