愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

もう気持ちを切り替えていこう

2011-10-31 23:25:59 | 残されて



☆ルイはむぎの代理わんこ

 今日で10月が終わる。むぎを喪ってまもなく4か月、ルイを迎えてひと月なる。
 むぎを送ってもう4か月になるのかとの思いと、ルイとの生活はまだひと月しか経っていないのかという矛盾するふたつの感覚が去来する。

 10月は特別な月だった。特別な月にしようとも思って日々過ごしてきた。
 ルイのおかげで楽しい毎日が戻ってきた。パピィゆえのシモの世話に追いまくられる毎日だが、まったく苦痛を感じない。ルイのやることはなんでも可愛い。
 だからといって、むぎを忘れたわけではない。日々成長するルイを見ながら、むぎとの共通点を探し、むぎに思いを馳せてきた。むぎの死から9日後に生まれたルイを、ぼくたちは無理やりむぎの生まれ変わりだと思い込んできた。

 ルイには気の毒だし、可哀そうだし、迷惑だろうが、ルイはむぎの代理のわんこである。むぎの魂がわが家に戻りたくてルイに宿り、必然的に還ってきたきたと信じることにしている。だからというわけではないが、いまだに、ルイを「むぎ」と呼んでしまうことがしばしばである。
 性別も違うし、性格も別、Wコーギーという犬種以外、実は共通点などどこにもないというのに……。



☆ここへ書くことで悲しみを吐き出そう

 このブログは、むぎが健在のときに開設し、ぼくの都合でしばらく中断していたが、むぎの死をきっかけに再開した。以来、毎日のように悲しみの思いの丈を文章にして吐き出すことでぼくはかろうじて立ち直ってきた。いい歳をしてみっともないとか、女々しいジジイだとかの批判を覚悟しつつ、そのときそのときの自分の心模様を綴ってきた。

 多くの方々がアクセスしてくださったのがどれだけ励みになり、救われたかはかりしれない。非難や揶揄のコメントは覚悟の上だったが、一件だけというのが驚きだった。その方の動機を思うとかえって痛々しくて同情してしまった。
 数こそ少なかったが、あたたかいコメントはどれも的確にぼくを癒してくれた。ほんとうにありがたかった。世の中、捨てたもんじゃないと思う。

 この10月を迎えるにあたり、ぼくはひとつの試みを思い立った。エントリーを毎日更新し、とことんむぎを偲んで吐き出し切って未練を振り払おうと……。
 はたして毎日の更新ができるほどの材料があるかどうかわからないし、エントリーを書く時間が割けるとはかぎらなかったが、できるところまでやって気持ちを一新しようと思ったのである。



☆すべてを吐き出しきれるなら

 なんとか目標を達成できた。
 こんなブログでも毎日たくさんの方々に訪問いただき、それが原動力になった続けてこれたのはいうまでもない。
 ランキングに参加はしているが、ここでの順位などどうでもいい。せっかく書いたブログである。たくさんの未見の方が読んでくださるというだけでうれしかった。それ以上でもそれ以下でもないし、あるいはそれ以外の何かがあるわけでもない。

 むぎのいない喪失感が10月のブログの連続更新で癒えたわけではない。そんな単純なものではなかった。
 だからといってブログを続ける意欲が萎えてしまったわけでもない。これからもシェラの老いと向き合って無理をせずにエントリーの更新を続けていきたい。
 11月からは気持ちを切り替えるつもりではあるが、やっぱりむぎへの哀惜を簡単には捨てられないだろう。悲しみは容易に吐きだし切れるものではないとよくわかった。きっと、時間が希釈してくれるだろう。これからは、ルイを抱いてむぎを偲び、悲しみを振り払っていこうと思う。

 だが、シェラが健在であるかぎり、やっぱりぼくたちはシェラを大切にしていく。この子は、わが家の宝物なのだから。そして、ともに残り少ない時間をゆったりとした気持ちで過ごしていきたい。
 それが11月を迎えるにあたって得たぼくの「気持ちの切り替え」の答えである。


クルマのない休日にシェラも不満顔

2011-10-30 21:43:53 | シェラの日々
☆シェラの老いにばかり目を奪われて 


昨日は徒歩でモスバーガーへ連れていった

 クルマの調子が悪いので修理に出したため、この週末は足を奪われてどこへもいかれなかった。今日はルイの最後のワクチン接種があり、せがれにクルマを出してもらって出かけた。やっぱりクルマがない生活は不便であるし、どうにも物足りない。
 
 昨日もシェラが出かけようと呼びにきた。休みの日はクルマでどこかへいくものだと思っているからだ。
 家人は仕事で出ていたので、しかたなく、近所のモスバーガーまで歩いて連れていった。近所でわんこ連れでも入れるテラス席付きの店というと徒歩10分足らずのモスバーガーか15分ほどのところにあるスターバックスになる。


テラス席ならどこであろうとゴキゲンなシェラ(昨日のモスバーガーにて)

 去年はシェラとむぎを連れてスタバへも何度かいっている。たいてい家人が出かけているときだった。
 「シェラちゃん、よく歩けたわね」
 スタバまで歩いたと聞いた家人がよくそんな反応をしていたものだ。あのころは、「むぎは歩けて当たり前」だった。むしろ、シェラの足のほうが弱りはじめていた。

☆むぎとふたりで歩いた道 

 今日の昼、わんこたちを置いて近所の蕎麦屋まで歩いて出かけた。いつもならクルマで向かう距離である。
 「去年の春は、夜、この辺りまでむぎを連れて散歩にきたのになぁ」
 歩きながら、家人とそんな会話を交わしていた。
 むぎのダイエットとぼくの健康のために、夜、ぼくはむぎを連れて30分ほど散歩していた。むぎも元気によく歩いた。歩くというより、小走りについてきた。「さすが、使役犬だな」と感心するほどだった。

 夏がきて暑くなってしまったので夜の散歩はやめてしまったが、夏が終わり、秋から冬に入ってくるころからむぎのスタミナも落ちはじめていた。シェラとの散歩を嫌がりはしなかったが、出る前後の玄関の内外でぼくを待つほんの短い間も腹這いになって休んでいた。
 ある日突然シェラの足取りが危うくなって、いつもの散歩ルートをシェラが拒否し、近所の狭い範囲だけを歩くようになった。しかも、ゆっくりと、ひたすらそこかしこのにおいを嗅ぐ散歩である。

☆なんとも辛かった食事制限 

 当然、むぎの運動量も減った。そのために太ったわけではないだろうが、時期を一にしてデブ・コギ指数(おデブのコーギー)が増した。
 家人も必死で痩せさせようとしたが、容易に結果が出てこなかった。むしろ、食べるものを制限しなくてはならないことをずっと愚痴ってきた。同じおやつでもむぎには極端に少なくするのが辛いというわけである。
 あるいは、腎結石予防のためにタンパク質の摂取に配慮する必要があり、当然、食べさせることのできないものが多々ある。これはぼくも辛かった。


むぎはいつもこの場所で自主的に番犬をやっていた

 むぎが死んだとき、「ああ、こんなことになるなら、もっといろいろなものをたくさん食べさせてやればよかった」と家人は詮方ない嘆きを何度となく繰り返したものだった。
 家人は、犬であれ猫であれ、太らせてしまう傾向にある。よけいなおやつを与えるのをぼくが止めると、「だって、食べることしかこの子たちの楽しみはないじゃないの」と恨めしそうに反論する。

 シェラもいまでこそデブ犬ではなくなったが、これは単に年をとって太らなくなっただけのことで、いまもって食事のあとにはおやつが出てくる。昼間にもおやつタイムがあり、これはわんこの食事が一日二回ではかわいそうだからという理由らしい。

☆置いていかないで! 

 夕方、わんこたちにご飯を与えたあと、家人とふたりでシェラの散歩に出かけた。もう暗くなっていたのでルイは抱いて行った。
 こうして近所を家人も交えて散歩にいくのは滅多にない。休日はいつもクルマで出かけてきたからだ。いつもは休日の夕方は近所ではなく、出先の公園での散歩と決まっている。むろん、それも行き当たりばったりではない。行きつけの公園が数か所のあり、週代わりで出かけている。


クルマがないので夕方の散歩は近所ですませる

 散歩が終わってから、わんこを家に置いて徒歩でスーパーへ出かけた。スーパーの中にあるマクドナルドでコーヒーでも飲もうと思ったからだった。
 ルイはケージの中とはいえ、休日の夕方にわんこたちを家に置いていくのが気がかりではあったが、シェラが悪さをするわけではなし、ただ、シェラが不安に感じるだけであろうが……。

 買物と15分ほどのコーヒータイムを終えて戻ると、案の定、シェラは玄関の前の廊下で寝ていた。むろん、耳が遠いからすぐには気づかない。ケージの中でおとなしくしていたルイが、たちまちケージの中の床でオシッコをした。ぼくの気を引こうとしているのだろう。

 その始末をしている最中、シェラがぼくに向かって激しく吠え続けた。クルマでどこかへ行こうといっているのだろうか。あるいは、なぜ自分を置いてママとふたりで行ってしまったのかと抗議しているのか。
 シェラの真剣な吠え方を見ると、どうもその両方を訴えているように思えてならない。


茂みの中で動けないむぎネコのピンチ

2011-10-29 03:13:23 | むぎネコ
☆リードが枝に絡んで動けない


雨に濡れながら餌にかぶりつく

 4日前の事件である。
 夕方、所用があって家人にケータイをした。用件がすむと、彼女は、「いまね、ジョジョネコ(最近、わが家では「むぎネコ」をそんなふうに呼んでいる)が大変だったのよ」と目の前で展開した状況を一気にまくしたてた。
 
 整理すると以下のようになる。
 誰かがむぎネコに鈴のついた可愛いカラーとリードをつけた。そのリードがいつもむぎネコが潜んでいるキンメツゲの茂みの中で枝に絡まり、動きがとれなくなった。
 どういう経緯で見つかったのかは知らないが、家人が外出から戻ると、数人のむぎネコのシンパたあちが集まって大騒ぎをしていた。家人を見つけたひとりがことの顛末を告げ、どうしようかとさらに(?)騒ぎになった。
 
 結局、ひとりがマンションの防災センターから借りてきて持っていたハサミを使って、絡まったリードを切ってむぎネコを助けたのだが、家人がくるまでリードを切る決断ができずにいたらしい。家人からの「パニックになってしまうから切ったほうがいい」との言葉でようやくむぎネコは自由になった。
 かつて、わが家でもダダという白黒の妖艶なにゃんこがテレビの背後のコードに絡まってパニックになり、夜、医者へ連れていって手当てしてもらったことがある。そういえば、この子もシェラの散歩についてきたものだ。


茂みの中からカメラにじゃれつくむぎネコ(切られたリードを下げている)

☆やっぱりシェラが好きなのか
 この事件の前に見かけていたむぎネコはしごく元気だった。
 朝、三日に上げず茂みから現れて散歩につきあっていた。家人は、「あの子はシェラが大好きだから」というが、どうも、わんこならだれでもいいと思えるフシもある。
 シェラの散歩についてきて、また、茂みに戻ったあと、別のわんこがくると、「ニャンニャン……」いいながら現れ、またそのわんこを追いかけていく。ただ、ほかのわんこだと、シェラのときと違って、すぐに戻ってくる。
 
 だれが野良のむぎネコにカラーやリードをつけたのかはおおよその見当がつく。木の枝に絡んだリードを切ってしまったので、その報告に家人がいくと、その人は憮然として「オレは知らないよ」と答えたそうだが……。
 昨日の朝もむぎネコは可愛いカラーを首に、短くなったリードを下げたまま、シェラにまとわりついてきた。もっとも、にゃんこ好きなはずのシェラではあるが、このむぎネコのなれなれしさには苛立っている。


シェラが出たあとのクレートに首を突っ込んで入ろうとしていたこともある

 もしかしたら、むぎネコは家人のいうとおり、やっぱりシェラが好きなのかもしれないと思うこともある。一度はシェラのクレートに入り込んでいたし、先月の別の日には、入り込もうとしている場面もカメラに収めた。
 近所にたくさんのシンパを持ち、有り余るほどの餌をもらっているらしく、最近はすっかり太っている。ぼくもこいつの顔を見ると思わず笑みがこぼれる。そんな安らぎを与えてくれる不思議な可愛さを備えたネコだ。

 シェラのことが大好きと思わせてくれるだけでなんとも愛(う)いヤツである。


老いと折り合ってゆっくり生きていこうな

2011-10-28 12:58:52 | シェラの日々
☆あれ、よろけてるじゃないか

 シェラの歩き方が復活したと喜んだのもつかの間、今朝の散歩で何度かよろけているのを確認した。
 散歩の後半だったから、疲れが出ただけかもしれない。何度か危なっかしい歩き方で転びそうにはならなかったが、たしかによろけている。
 思わず、てんかんと疑われている症状が出て、痙攣しながら倒れてしまうのではないかと息を呑んだ。歩きながら即座にぼくの反対側のルイを抱き上げていた。
 
 幸いにして今日のところは、転びも、倒れもせずに無事にクレートまでたどり着いてくれた。クレートにも自分で乗っていった。
 わずか、15分ほどの散歩だったが、全行程400メートルほどの距離を歩く負担が、いまのシェラには決して軽くないのかもしれない。むぎのときもそうだったが、歩かせすぎないように気をつけてやらなくてはならないのだろう。
 

危ないから近寄るな!(9月27日撮影)

 近所だけの散歩とはいえ、往路で力を出し切ってしまうと復路が辛くなる。余裕を持って戻り、もし、余力があればごく近所ですませてやるべきなのだと痛感した。
 もうひとつが、足場の問題もある。砂利が敷き詰めらていたり、凹凸があったり、草地で足をとられやすかったりすると萎えかけている足への負担は何倍にもなっているだろう。本来ならそういう場所は避けてやりたいのだが、なぜかわんこたちはそんな場所ほど好きらしい。

☆まずはコブをなんとかしよう

 シェラの右足のつけ根から関節上部にかけて大きなコブがあり、それが歩行の障害になっているのもわかっている。
 それ以上に深刻なのが喉にある大きなコブである。医師の診たてによると、これ以上肥大すると血流を妨げたり、神経にも影響するかもしれず、食べ物が口から胃へとスムーズに運べなくなるかもしれない。どちらのコブも下の写真で確認できる。
 先のてんかん騒ぎで先送りになっていたが、明日、診察を受けて、これらのコブを小さくするために飲み薬で対処するつもりでいる。


身体のあちこちに痛々しいほどに多数のコブがある

 老犬になると体中にコブができやすいとは聞いていたが、いまのシェラのコブはかなり深刻になりつつある。
 喉と足のコブをまずはなんとかしてやりたい。それに伴って、お腹や背中のコブも小さくなってくれるといいのだが……。
 見た目はそれほど感じないけど、触ってみるとこのコブで痛々しいほどの老体である。
 シェラにかぎらず、老犬は皆、なんらかの老化現象に苛まれている。それらは等しく、飼主にしかわからない哀しみといえるだろう。
 
 わが家の場合、若いルイがいるだけになおさらシェラの姿が辛く見える。ルイからシェラの元気を引き出してもらおうなどとあまり思わず、シェラのペースでゆったりと老いに折り合っていかせてやりたい。
 少しでも油断すると、相変わらず歩きながらルイがシェラに跳びかかる。リードの長さの調整だけでは十分ではない。ぼくのほうのリード捌きも気をつけてやりたいし、早晩、別々に散歩させる算段をしたい。

 帰り道、秋の朝の陽を浴びてゆっくりと歩くシェラがいっそう愛しくて、「無理するなよ!」と思わず声をかけていた。
 

噛み殺されても仕方ない

2011-10-27 22:48:23 | シェラとルイの日々
☆シェラの足が復活した!



 「シェラちゃん、ちゃんと歩けるようになってますね」
 今朝、同じマンションのわんこ仲間の奥さんからそういわれ、なるほどと気づいた。一時期に比べると、シェラの足取りがかなりしっかりしてきた。夏のころは、なんとも危なっかしい歩き方だった。身近のぼくらが見えなくなっていても他人様の目にはきちんと映っているようだ。
 シェラの歩く足取りの復活が「ルイ効果」だったらうれしいかぎりである。
 
 ルイの本格的な散歩は今日で3日目、仔犬の特権でご近所の方々になかなかの人気者となっている。ルイの姿を見つけると、朝のわんこ散歩の方々が笑顔で集まってくれる。わんこたちも新米の赤ん坊わんこに興味津々でにおいを嗅ぎにくる。
 しかし、すぐ横でシェラがにらんでいるから気の弱いわんこは遠慮しているし、気の強いわんことなると、シェラとのトラブルを避けてあちらの飼主さんがルイに近づけないようにしている。

 ルイのほうはチヤホヤされるから有頂天になってみんなに愛嬌を振りまく。シェラはそれをじっと眺めていて、ルイが離れていくと唸り、一定の距離が開くと烈しく吠える。ルイがよその人に連れ去られるのを心配しているように見えるのだが、本当のところはわからない。

 シェラとルイの関係のその後だが、シェラがルイをわが家に置くことには承知したらしいが、仲間として認めたかどうかはまだはっきりしない。とはいえ、日を追って変化の兆しを見せているのはたしかである。

☆シェラが根負けするかもしれない

 ぼくの住んでいるマンションは、構内でわんこを歩かせて移動することを禁じている。抱いて連れ出すか、カートやクレートなどに入れて運ばなくてはならない。わが家で使っているのはクレートを台車にビスで固定したものであり、別々に買い求めて自作した。もう10年使っている。

 このクレートに、ルイがシェラと一緒に入りたがるので昨日から入れてみた。むぎが中へ入るのを拒みはしなかったが、いざ、入れてみると予想どおり嫌がって吠えた。
 ルイがなにかちょっかいをかけているわけではないが、身体が密着しているのを嫌っているらしい。ルイはシェラの背中のほうに追いやられておとなしくしているのに吠えられたままである。
 


 クレートから出て歩きはじめると、喜んでしつこく跳びついてくるルイにシェラはあまり反応しなくなった。いわば、やりたいようにやらせている。
 上の写真のように、地位の低いわんこが上位のわんこの背中に前足をかけるなどという行為は、わんこ社会では噛み殺されても仕方のない狼藉である。老いたとはいえ、いまのシェラならまだ簡単にやってのけることができる。

 怒りもせずにルイの無作法ぶりを容認して歩いているから「仲間として認めた」と思いたいところだが、それはどうやら早計らしい。帰りのクレートの中では、次の写真のようにシェラがルイをまとめて叱っている。


 
 きっとルイはパピィの特権で許され、シェラが躾けているといったあたりではないだろうか。ただ、シェラにいくら怒られてもルイはぜんぜんめげないし、怖がりもしない。
 これもまたパピィの特権だろうか? いずれシェラが根負けしてしまうような気がしてならない。

 とはいえ、こんなルイの傍若無人ぶりがシェラの萎えかけていた足を復活させてくれたのならおおいに喜ぶべきだろう。