愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

目の前からシェラが消えてしまったら

2012-01-20 23:36:42 | シェラとルイの日々

この冬、はじめての雪の中の今朝の散歩だった

☆みんながストレスを抱えてる
 シェラの散歩は、従来どおりの朝と夕方以外に不定期ながら夜にも出ているが、今週になって昼前にもいきたがるようになったという。そんなことは想定内。むしろ、もっと手間のかかる介護も覚悟をし、準備も整えている。

 たとえば、外へ出るときに使わざるをえないマンション内移動用のクレートにシェラが乗れなくなったらどうするか。わずか20センチほどの高さながら、もうすでにシェラは容易に乗れなくなっている。意を決したように前足をかけるのだが、うしろ足がうまく動かない。われわれが助けて乗せてやっているが、それさえもできなくなるのは時間の問題だろう。

 だが、いま、手間がかかっているのはシェラよりもむしろルイのほうである。ぼくはシェラとルイを一緒に散歩に連れ出すが、二匹一緒の散歩はとてもじゃないが家人の手には負えない。ぼくもルイのリードを作業用ベルトにクライミングで使うカラビナで固定して連れているくらいだ。


シェラの大好きな雪が間にあってくれたのがなによりもうれしい

 日頃、一日の大半をケージ内に閉じこめられていること自体、ルイにはかなりのストレスになっているであろうことは容易に推察できる。だから、夜、ぼくたちの食事が終わってシェラも寝室や玄関前の廊下で寝ているときなどを見計らい、リビングのドアを閉じてルイのお気に入りのぬいぐるみなどを使って遊んでやる。

 うっぷんを晴らすかのようにルイのパワーが爆発する。この相手がけっこう疲れる。ぼくが手を抜きはじめると、ルイの狂ったような疾走がはじまる。部屋の中を全力で走り出すのである。いい加減なところで止めてやらないと倒れてしまうのではないかと心配になる。とにかく、すごい運動量である。

☆ワルガキわんことのバトル 
 そんな程度で妥協をしれくれるルイではない。ルイを置き去りにしてシェラだけを散歩に連れていったりと、何か気に入らないことがあるとケージの中の床をオシッコまみれにしたり、ウンコでぐちゃぐちゃにしたりする。さすがにぼくにはあまりやらなくなったが、家人に対してはときたまこの嫌がらせを派手にやってのける。

 ケージの中に置いてあるメッシュつきのトイレのふたも器用にストッパーを外してシーツを引きずり出し、バラバラにしてしまう。昨夜、新しいトイレを買ってきたが、難なくストッパーを外して狼藉のかぎりをつくしていた。ストッパーにガムテープを貼ってもまたたくまにきれいに外している。


ルイにとってはじめての雪はシェラとの最後の雪になるだろう

 たしかに、ルイの元気と明るさにどれだけ助けてもらっているかわからない。だが、「いたずら」を通り越した「わるさ」が頻繁になり、それがどんどん凶悪化(?)してくると、さすがに辟易してしまう。
 一昨日の夕方、家人から舞い込んだメールは、「夕飯にお寿司をとってもいいですか?」という確認だった。シェラの様子、ルイとのバトルが生々しく(?)書かれていた。

 そのとき、ぼくは東京ドームホテルの43階で暮れなずむ都心の美しい夜景を横目にミーティングの最中だった。ぼくの場合は、家から外に出てしまえばシェラやルイから解放される。終日、彼らと一緒にいる家人の苦労がどれだけのものかはぼくも休日に経験している。
 
 それでも、シェラが目の前から消えてしまったら、ぼくたちはその喪失感に打ちのめされてしまうだろう。そんなとき、ワルガキのルイがぼくたちの慰めになってくれるはずだ。いまはストレスの元凶になっているルイの「わるさ」でさえ、笑顔で眺めてやれるに違いない。


別れの時間がほんの少しだけ延びてくれたみたいだね

2012-01-08 13:12:01 | シェラとルイの日々

「DOG DEPT GARDEN 玉川店」にて(7日昼)

☆夜の散歩もいかずにふたりで爆睡モード 
 昨夜、ぼくは早々と爆睡モードに入り、今朝、7時にシェラに起こされた。風呂へも入らず、着の身着のままベッドでシュラフをかぶって寝てしまったぼくの横でシェラも爆睡していたという。「(シェラが)死んでしまったのかと心配になったくらい」だったと家人から聞いた。だから、昨夜のシェラとの散歩はいかなかった。
 
 もし、朝までのどこかで催促されていたらぼくは跳び起きていただろう。じつはシェラの散歩のことが気になって、午前2時前に一度目が覚めていた。家人が連れていったかどうかをたしかめるためである。ぼくが起きてもシェラは熟睡しているので、これは家人が連れていってくれたのかと思ったほどだった。
  
 リビングのテーブルの上に家人の書置きがあった。シェラが熟睡しているので吐き気止めの薬を飲ませていない。もし、途中で散歩に出るようなことがあったら飲ませてやってほしいと錠剤がティッシュにくるんで置いてあった。つまり、散歩にはいっていないということである。

☆思いのほか減っていなかった体重 
 シェラはともかく、昨日のぼくは緊張の糸がプッツリと切れてしまいそうになっての爆睡だった。シェラの病院は今年はじめての訪問である。名前を呼ばれて診察室に入り、まずは院長先生に新年のご挨拶をしてからシェラを診察台に上げた。体重の数字を見て思わず顔がほころんだ。20.58キログラムは思いのほか体重が減っていないということである。
 前回が20.7台だった。先生も、「あまり変わりありませんね。ちゃんと食べられているからでしょう」と喜んでくださった。
 
 食事ができるのであれば、点滴は中断して薬で対応しましょうということになった。それでも、腰からうしろ足の衰えが進んでいるのを先生からも指摘された。
 とはいえ、なんというシェラの生命力であろうか。むろん、癌が治ったり、腎臓機能が恢復する見込みはない。それでも簡単に命の灯火を消そうとしない生命力の強靭さにぼくはただただうれしかった。


こいう時間をまだ失わずにすみそうだ(7日夜)

 別れの時間が少し延びただけではあるが、一分でも長く一緒にいられるのがいまは何よりもうれしい。健康体のときはそれが当たり前だった「一緒にいることのできる幸せ」を歓喜とともに感じている。
 まだ少し一緒にいられる。それだけですっかり有頂天になって、病院を出ると二子玉川のドッグカフェへ向かった。まさか、もう一度シェラと一緒にランチを食べにいかれるとは思ってもいなかった。むろん、シェラやルイも美味しいおやつにありつける。
 
☆犬好きたらしのシェラ 
 玉川高島屋S・Cガーデンアイランドにある「DOG DEPT GARDEN 玉川店」が目指すドッグカフェである。テラス席と店内の席の両方があるが、さすがにこの時期は店内をお願いした。幸いあまり混んでいない時間帯だったので待たずに座れた。
 シェラはむろんキャリーの中。テーブルと同じ目線になれるのでぼくたちもうれしい。床ではルイが店内のほかその犬と遊びたくてやたら動きまわる。


もうこのお店にはこられないと思っていたのでうれしい(7日昼)

 シェラとルイに、おから入りの挽肉でビーンズをサンドして焼き上げたという「ミートローフ」を頼み、ひとつずつ食べさせてやる。ルイはもちろんだが、シェラもすごい勢いで食べてくれた。このシェラの食欲こそがぼくたちの希望の灯である。
 ドッグカフェを出たところで、去年18歳のわんこを亡くしたというまだお若いご婦人に声をかけられた。シェラを「なんてかわいい子なんでしょう」と絶賛してくれた。この方としばしお話をして別れたが、シェラは犬好きのハートを掴む何かを持っているらしい。「犬好きたらし」とでもいいたいような……。
 
 夕方、家に帰る前に最近も一度いっている鶴間公園で散歩をさせた。歩けないはずのシェラが驚異の歩行を見せてくれた公園である。今回も芝生の広場をゆっくりだが、前回に負けず劣らずしっかりと歩いてくれた。
 シェラのロングリードをここではルイに譲り、ルイを走らせてやるが、やっぱりシェラへの「遊ぼう遊ぼう攻撃」を仕掛けようとするので油断できない。身体が大きくなっている分、力も強くなっているから弱る一方のシェラには危険きわまりない。


シェラと遊びたくても遊べないルイがかわいそうになる(7日夕方)

 「ルイ、こないで」と家人がシェラを抱いて防御する。気持ちはわかるが、ルイもかわいそうなのでシェラと離れてぼくがルイの相手をしてやった。シェラとルイを家に置いてから出かけた夕飯の買物のスーパーで、ルイのために外用の大小のボールやフリスビーを買ってやったのは、次に公園へ出かけたときに遊んでやろうと思ったからである。

☆ルイのことだって忘れてないよ 
 シェラにばかり目がいって、ついついルイの相手がおろそかにならないよう、ぼくたちはそれなりに気づかっているつもりだが、やっぱりおろそかになるときがある。だから、できるときにルイの相手をする。
 いまも、ぼくの部屋の椅子の上にルイはいる。パソコンに向かうぼくと椅子の背もたれの間、つまり、ぼくのお尻のところで寝ている。ぼくが座れるスペースは三分の一ほどだが、ルイの体温がぼくのまだ痛みが残る腰を暖めてくれる。


ルイをもっと遊んでやらないとな(7日夕方)

 今日のシェラは相変わらずの食欲である。たぶん、ストロイドの影響だろう。食べればそれだけ腎臓に負担をかけ、やっぱり命を削ることになる。だが、食べられないまま、食べられないから死期を迎えるのと、食べることでやっぱり死期を早めるのなら、後者が望ましいに決まっている。
 今夜、シェラにどんな美味しいものを食べさせてやろうか? それを家人と相談するのも、いまではささやかな幸せである。


待ちに待った休暇のはじまり

2011-12-29 12:40:35 | シェラとルイの日々
☆どうやら一緒に新しい年を迎えられるみたいだね
 仕事納めだった昨日、緊張の糸がプツリと切れてしまい、一度もこのブログを開かずに終わってしまった。シェラの朝の散歩、夜の様子などを思い出そうするが、あらかたは忘れている。瞼に去来するシェラやルイのいるシーンが、昨日のものなのか一昨日なのかそれ以前なのか判然としない。

 唯一、昨日の場面だとわかるのは、夜の点滴の投与の情景である。シェラもだいぶ慣れてきたし、ぼくたちの手際もよくなってスムーズにはじまり、終えることができる。点滴液はあと2日分残っているが、明日、今年最後の診察に出かけるので、病院が開く4日までは毎日自宅での点滴の投与となる。
 いまの情況を鑑みると、よほどの急変がないかぎりはどうやらシェラと一緒に元旦を迎えることができそうである。それだけでも喜びとしなくてはならない。


休日の朝の散歩はのんびりと気が向くままにやればいい(29日朝)

 今朝はいつもより2時間遅れの8時過ぎに散歩に出た。昨夜も遅くシェラから催促されて外へ出ているので今朝のシェラは黙って待っていてくれた。今朝の足取りはだいぶいいようだ。むろん、歩く距離は変わらないが、転びそうな危うさはないし、毎朝の二倍ほどの時間を外で過ごした。

 もっと動きたいのにほとんど動けない散歩につきあわざるをえないルイが気の毒になり、一度、家に戻ってシェラだけを入れ、再びルイとともに散歩に出た。およそ1時間、ルイと歩いた。遠回りをして駅まで歩き、再び別の遠回りルートで家に戻った。最初の散歩もまじえて2時間の散歩は、ケータイの万歩計機能によれば6500歩。思ったよりも少ないが、それでもぼくはけっこう疲れた。ルイのほうは帰ってからもケージの中でしばらくひとり遊びをしていた。やっぱり若いわんこは元気である。


シェラ抜きで散歩に行くとさすがのルイも緊張することが(29日朝)

☆あたたかい応援コメントに感謝!
 シェラは静かに寝ている。苦痛や、腎臓機能低下につきものの気持ちの悪さも鳴りを潜めているらしい。いま点滴以外に三種類の薬を飲んでいる。吸着剤(身体の毒素を吸い取る)、吐き気止め、そしてステロイドであるがそれらが奏功しているのだろう。
 ゆっくりと衰えていくのを阻止できないまでも、どうやら、ぼくたちの切実な願いである苦しさ、辛さの排除は果たされているようだ。

 シェラはいまだ「生きよう」という意志を失ってはいない。それをひしひしと感じるかぎり、ぼくたちもシェラの明日に希望をもっていられる。なんとかして共に最期の瞬間まで一緒に歩もうと思う。
 ここへきて、このブログに三件のコメントをいただいているのを先ほど知った。どれだけぼくたちの支えとなるかはかり知れない。心に響くお言葉にひたすら感謝している。返事は遅れるが、ご容赦願いたい。


前日と変わらないまま穏やかな時間がすぎていく(29日朝)

 今回いただいたコメントに介護用ハーネスの情報があった。ほんとうにありがたい。
 ぼくも何年も前から、もし、シェラの歩行が深刻になったら買ってやろうと思っていたハーネスを見に行くつもりでいた。このハーネスに関しては、いただいた情報もまじえてさっそく検証してシェラに買ってやりたいと思っている。 


驚きのシェラとルイの新たな関係

2011-12-26 23:27:50 | シェラとルイの日々
☆うしろ足の衰えが目立つ
 金曜日の祭日から3日間、ずっとシェラと一緒だった。もっとも、昨日は母の納骨で昼間の数時間、ぼくだけ留守にした。その間、家人ひとりではシェラも不安だろうし、家人はもっと不安がっていたので、せがれを呼んで一昨日からひと晩泊まりがけできてもらっていた。


動きの鈍いシェラとじゃれつく機会をうかがうワルガキのルイ(26日朝)

 今朝のシェラも、昨日の朝に続いて散歩にいこうというぼくの誘いに立ち上がろうとしなかった。自分の犬用ベッドで寝ているシェラの身体にハーネスを着け、痛くならないかと心配しながら起き上がらせた。ケージからルイを抱き上げ、シェラをうしろからゆっくりと促して玄関まで連れて出た。
 まだ自力で動ける力がシェラに残っているだけでも「よし」とするべきだろう。20センチほどの高さのクレートにも自分から乗り込んでくれた。

 歩く姿を見ていると、うしろ足の衰えが激しい。すっかり筋肉がおちて、ただでさえ細い脚がさらに細くなってしまった。ふつうに歩いていても、ときおりおぼつかなくよろけている。ルイがじゃれついて跳びかかればたちまち転んでしまうだろう。ルイは油断も隙もならないガキ犬である。そうならないように細心の注意を払いながらの散歩である。
 今朝はオシッコしか出なかった。たくさん食べているのにそれはないだろうと思う。家に戻ってから、「昼間、外へ連れ出してくれ」と家人に託した。


食べて寝る状態を維持しての延命(26日朝)

☆いつもぼくを探していてくれる
 昨日、カートに乗せてスーパーまでいくとき、カートは家人が押し、ぼくは悪ガキのルイを連れていた。右に左に、前に後ろにとめまぐるしく、しかも敏捷に動くルイの面倒をみるのは並大抵ではない。おとなしく歩けるようにしつけてやりたいが、いまやシェラが中心の生活になっているので平日は運動不足だし、部屋の中でも大半がケージに入れているので、ストレスがかなりたまっているはずである。こんなときにしつけるのはしのびない。
 もう少し、もう少しの辛抱だと心の中でルイにいいつづけている。シェラがいなくなったら、たくさん歩いてやるからな――そんな寂しい約束をしなくてはならないのが哀しい。
 
 「前を歩いてくれないかしら。シェラがあなたを探して落ち着かないから……」
 カートを押していた家人が振り向いていった。シェラはそういう子である。これを飼主への依存心が強いと見るか、従順と見る……。どちらにしても、ますます愛しくてならない。
 ぼくはルイを連れてシェラが乗ったカートの前を歩きながら、ときおり振り向いてシェラにほほ笑みかけた。それだけでシェラは安心できるのである。

☆シェラとルイの意外な距離
 夜、予定どおり2日ぶりに病院を訪ねた。体重は少し減っている。血液検査の結果、やっぱり若干数値が後退していた。しかし、どうやら先生が思っていたよりは踏みとどまっているらしい。これも衰えない食欲のおかげだろう。
 「食べて寝る」状態を維持して様子をみることになった。点滴も家でおこない、次回の病院は病院が年末年始の休みに入る前日の30日。なんとか年を越せそうである。
 
 帰り、簡単な買い物をするために駐車していたクルマの中のシェラとルイを見てぼくは驚いた。ルイがシェラにじゃれつかないようにふたりの席を離してある。シェラは後部座席にルイは運転席のとなりの助手席である。
 しかし、ルイは少しでもシェラのそばに近づきたくてコンソールボックスの上に座り、いつもうしろを見ている。クルマの中にシェラとルイを残し、家人とともに外へ出た。先にぼくが戻ると、ルイがシェラの耳の中を舐めているではないか。


いつの間にかこんな仲良しの関係になっていたとは(26日夜)

 かつて、シェラがむぎにやっていた行為である。いま、逆にシェラがルイに舐めさせている。しかも、自分のほうから頭をルイのほうに突き出し、気持ちよさそうにしているではないか。
 むぎのときは、まるで母犬が自分の子供を愛でているかのように見えたが、いまは、ルイという子犬が母犬に甘えているかのようである。どちらにしてもシェラは母犬の役割りだ。いつのまにか、シェラとルイはこれほど近しい関係を築いていた。ますます、今少しシェラを長生きさせてやりたいと思う。シェラのためのみならず、ルイのためにも……。
 しかし、もう時間はない。
 
 家での点滴3日目、シェラもぼくたちもだいぶ慣れてきた。
 

まだ衰えていない気力に望みをつなぐ

2011-12-21 21:26:22 | シェラとルイの日々
☆病院でふるえていたシェラ
 昨日のレポートである。
 平日の午後7時過ぎの動物病院の待合室には先客がひと組いるだけだった。可愛いシェルティーがふるえながら飼主の足許に座っていた。飼主さんの話では、この子はクルマが大嫌いなのだという。ときおり、病院の前を通るクルマが怖いのだそうだ。でも、怖いもの見たさでついのぞいてしまい、ふるえている。

 それを話を聞きながら足許にいるシェラを撫でてやろうとすると、シェラもかすかにふるえていた。そういえば、いましがたも病院へ入りたがらなかった。これまでシェラがそんな態度をしたことは一度もない。本来、弱虫わんこではあるがこれは異例だった。点滴が怖いのか、それともひと晩、この病院の狭いケージに閉じ込められて過ごした悪夢の記憶がよみがえったのか……。


 診察を終えた先生の説明によると、体重が落ちはじめているという。食べられなかった日が2、3日あったのだから当然だとも思うが、体重が減っていくのは危険の兆候らしい。たぶん、1キロほどの減少したようだ。
 一見、食欲は元に戻ったようではあるが、食事のあとのおやつなどをほしがらない。それでいて、ぼくたちが食べているものは以前以上にほしがる。これはひとえに家人がますます甘やかしているからだ。昨晩も、病院から帰ってからの夕飯で、鯒(こち)の刺身を全部シェラに取られたと嘆いている。むやみに食べ物をやるほうがいけないのだが、こんなときなので黙っていた。

☆今夜の散歩は一緒にいこう
 10時過ぎ、家人のところねにじり寄ったシェラが今夜もなんとなく落ち着かない風情を見せはじめた。もともと家人に甘えっぱなしのシェラではあるが、身体が衰えるのと比例して家人への依存がますます高くなった。夜の散歩も家人のところへいって、「外へいきたい」と訴える。「最後はお母さんじゃないとダメなのよね」と、家人はまんざらじゃないが、連れていくのはいつもぼくである。

 昨夜はルイも一緒に連れ出した。ふたりが一緒に散歩できるのも、そう長くないだろう。シェラにしてみればルイは鬱陶しい存在かもしれないが、ルイにしてみればお母さんわんこに出逢えたようでうれしくてならないのがわかるからだ。いつもケージに閉じ込めているルイにも、少しくらいはシェラとの楽しいひとときプレゼントしてやりたい。そう思って連れ出した。


 外でのルイのはしゃぎぶりは大変なものだった。油断するとシェラに跳びつき、じゃれようとするのは相変わらずだが、それ以外はシェラのマネをして、シェラがにおいを嗅いでいれば写真のように一緒に顔を突き出していた。心身ともに疲れるが、多頭飼いならではの喜びをもっと味わっていたいと痛切に思う。だから、シェラ、まだまだ元気でいてくれと心の中で祈った。

☆シェラがルイに見せた教育的指導
 そんなぼくの気持ちがシェラに通じたのであろう。家に戻ると、ビックリするようなことが目の前で起こった。シェラがルイにマウンティングをやろうとしたのである。
 ルイをすぐにケージに入れてしまうのがかわいそうで、しばらくソファーの上に乗せておいた。ルイは高いところが怖いので容易に降りることができない。したがって、シェラにじゃれつく心配はないからだ。

 ところが、昨夜はシェラがルイに寄ってきた。しかも、顔を近づけ互いににおいを嗅ぎあいながら仲良しぶりを見せてくれた。もう、すっかり仲間になったとぼくたちは目を細めて眺めた。ひとしきり顔を寄せ合ってからシェラが去ったあと、ぼくがルイを床におろし、転がしながら遊んでいると再びシェラが戻ってきた。そして、腰をかがめマウンティングのポーズをとったのである。


 むぎが生きているときにはしじゅうむぎにやっていた行為である。特に外出から家に戻るとよくやっていた。ぼくたちはこれを「シェラの教育的指導」と呼んでいた。シェラのマウンティングを見ていると、自分の支配性、優越性を示すというよりも、あたかも、外でのむぎの態度をたしなめているかのような、まさしく「教育的指導」のように見えたものだった。それをいま、ルイにもやろうとしている。ルイに対してのシェラの初めての教育的指導である。

 とはいえ、いまや身体の自由がきかないシェラにとって動きの早いルイにマウンティングを仕掛けるのはとうてい無理である。そんなことをしたらすぐにルイの逆襲にあって転がされるのがオチだ。しかし、シェラの最後の衝動も満たしてやりたい。
 ぼくはルイを押さえ込み、シェラのほうにルイのお尻を向けた。不完全ながらシェラはルイにのしかかり、自分の腰を振って見せた。何度かそうやって遊んだ。


☆気力だけは失っていないから
 今朝のシェラは、昨朝とは違って、ぼくが「さあ、散歩にいこう」と身体を撫でてやると、ゆっくりだが立ち上がり、ゆらゆらと玄関に向かってくれた。クレートへの出入りが次第にしんどくなっているのがわかるが、今のところは時間がかかるもののなんとか自力で乗り降りしてくれる。それもいつまで続いてくれるのだろうか。
 
 昨夜のシェラの気力にぼくたちはかすかな望みをつなぎながら年の瀬を迎える。