愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

偶然? それともどこかで……

2014-03-26 19:37:24 | ルイとの日々

 日曜日、天気がよかったので散歩と昼飯をかねて深大寺まで出かけた。想像していたとおりなかなかの人出だった。おちおち歩いていられないので、蕎麦だけ食べて散歩はそこそこに移動したけど、門前で2組、3匹のコーギーと出逢った。

 いずれもわんこたちなりにそれぞれじゃれついて遊んだが、そのうちの1匹、二度目に逢った7歳の女の子の頭にルイと同じ白ウサギが刻まれていた。
 「きっとどこかでつながっているんでしょう」と飼い主たちはお互いに感無量だった。




*写真=赤い服を着ているのが深大寺で出逢った女の子。
      次が女の子のうさぎマーク。
      下段がルイのうさぎマーク。

とうちゃん、遊ぼうよ!

2014-03-20 18:55:32 | ルイとの日々

■ いたずらに翻弄される毎日
 今朝、出勤のしたくを終えて出かけようとしていると、ルイから激しい攻撃を受けた。ぼくが履いているスリッパを狙って攻撃をしかけてくるのである。
 毎朝、ぼくのカバンのショルダーベルトに噛みつき、「とうちゃん、行くな!」とばかり唸って抵抗するルイをリビングから玄関まで廊下を引きずっていくのが日課になってはいるが、朝からのスリッパ強奪攻撃ははじめてだった。

 3歳の誕生日を4か月後にひかえ、このところ目に見えておとなくしなっている。3歳はわんこにとって子供から大人への変わり目らしいからルイの変化も自然のなりゆきである。
 われわれが70歳を間近にして体力が急激に落ちている頃合いだけに、エネルギッシュなルイがおとなしくなってくれるのを女房は大歓迎でいる。だが、ぼくはもう少しの間、やっぱりこのまま元気でいてれたほうがうれしい。

 毎日、ルイのいたずらに翻弄されて、たしかに疲れるが、どれだけ元気づけられているかはかりしれない。こちらの気を引くために突然テーブルの上の何かをくわえてかっぱらい、すばしこく逃げまわるのを、ぼくと女房は口では怒りながら、笑顔で追いかけまわす日々である。


■ やっぱりルイがいてくれるから
 そんなルイの姿を見ていると、死んだシェラの遺言を忠実に実行しているかのように思えてならない。以前、このブログでも書いたが、シェラは死ぬ2日前、ぼくたちが留守にした30分ほどの間にルイのいるケージの脇に寄り添い、何事かルイに託している(とぼくたちは信じている)。きっと、「わたしが死んだあと、お父さんやお母さんを元気づけてあげてね」と……。

 むぎが死んだ悲しみに勝てずに同じコーギーのルイを迎えたのが3年前。ルイがきてから半年ほどでシェラまで旅立ってしまった。それでもルイがいてくれるおかげで、ぼくたちはペットロスに陥らず、ギリギリのところで踏みとどまることができた。

 とはいえ、少しでも油断すれば、ルイはキッチンへ入り込んで野菜だろうとゴミだろうと手当たり次第何かをくわえてくる。玄関から靴を、風呂場から洗面器を、ぼくのカバンに顔を突っ込んで書類を……と、とにかく毎日ルイのいたずらにふりまわされている。それもシェラの遺言を忠実に守っていると思えるから本気で怒ることもできない。なによりもこのいたずらが突然なくなってしまったら、ただただ寂しくてならないだろう。


■ たがいにせつない朝の別れ
 昨夜、ソファーに寝転んでiPad miniをのぞいていたとき、ルイがお気に入りのおもちゃをくわえてきて「さあ、とうちゃん、遊ぼうぜ!」と迫ってきたが、面倒なので手にしていたiPadで何枚か写真を撮ってお茶を濁し、そのまま寝てしまった。
 そんな調子で今週はたっぷり遊んでやっていない。昨夜も気がつくとおもちゃを放り出し、意気消沈した風情でぼくの足元で寝そべっていた。どうやらその不満が今朝まで尾を引いていたらしい。

 朝のスリッパ強奪攻撃は玄関まで続いた。毎朝、どんなにぼくを引き止めても、ぼくが玄関で靴を履いてしまえばルイは奥へ引っ込んでしまい、いくら呼んでも決して見送りにきてくれない。今朝も同じだった。靴を履いて振り向くともうルイの姿はそこになかった。
 でも、それでいい。背後の悲しげな鳴き声を振り払って出かけていく自信なんてないからだ。幸い、明日から三連休、たっぷり遊んでやろうと思っている。




ルイもうんざりの今年の大雪

2014-03-07 23:53:43 | ルイとの日々

■子供と犬は雪が大好き
 冬ごもりしていた虫たちが這い出してくるという啓蟄が昨日だったが、風も大気も凍えるようで、陽気はまだ真冬である。今日も都心では雪が降った。一時的とはいえ、場所によっては本格的な降り方だったようだ。東京がこれだから、相変わらず北国の雪の被害が報じられている。

 ひと月前の2月8日(土)の東京は45年ぶりの大雪だった。たしかに近年、これだけの降雪は記憶にない。45年前の大雪ははっきり憶えている。社会人2年目で、当時は武蔵境に近い田無市のはずれのアパートに住んでいた。いま考えると都心の会社からよくぞ家に帰り着けたものだ。
 大雪の記憶は、もう一度、昭和20年代のはじめの光景が鮮明だ。まだ物心ついたばかりのころ、むろんはじめての大雪である。子供心にとってもうれしかった。

 2月8日の雪は、ルイにとってはじめての雪ではないが、去年よりもたくさんの雪なので喜び方も尋常ではなかった。犬は喜びの歌そのものである。シェラも雪となるとおおいにはしゃぎまわったから、雪が降らない年はシェラのためにわざわざ雪を求めて八ヶ岳方面まで出かけていったくらいだった。ルイにそこまでやってやる気力はいまのぼくにはない。
 
 雪を前にしてのはしゃぎ方を見ていると、ルイはまだまだ子供だと思う。雪が降って子供と犬が大喜びする光景を見ていて、思い出したのが北海道出身の仕事の先輩の言葉だった。北大を卒業して、東京の一流出版社を定年まで勤め上げたSさんである。
「雪の中の小学校までの往復の辛さは言葉にできません。雪が美しい、雪に憧れるなどという言葉を聞くと殺意さえ覚えるほどです。雪はわたしたちにとって怨嗟の対象以外の何物でもなかったのですよ」
 ぼくは相槌を打つことすらできず、ただ、うなずいて話を聞いていた。


■ラッセルなんて疲れるからね
 たしかに、雪国の方々にとっては大雪に犬が喜んでいるなどという間の抜けた話は聞きたくもないだろう。こんな雪が何日も降り続き、ついには人の背丈を越えるほど積もっていけば、犬ですらうんざりし、おびえて外へ出たがらないだろう。
 8日の雪がまだかなり残っているというのにさらに1週間後に降った大雪にはぼくもうんざりしていた。東京にこんなに雪が降った記憶はない。
 
 うんざりしていたのはぼくだけではなく、ルイも同じだったらしい。8日のときは大喜びしていたというのに、二度目の雪にはもう興奮などせず、いやいや散歩に出かけた。一週間前は自分の身体が雪にもぐってもラッセルして走っていたが、二度目では人間の踏み跡をたどって積もった雪の中へ飛び込むような愚は繰り返そうとしなかった。無理やり入れようとしても、「おいら、疲れたくないんだよ」といわんばかりに新雪への突撃を拒否してすぐ戻ってくる。

 異常気象ですっかり様子がおかしくなっているこの冬だったが、そろそろ春の兆しも濃くなっているのが幸いである。もう、雪はたくさんだから、早く暖かくなって気持ちのいい陽気を迎えたい。
 ルイも7月で3歳を迎える。相変わらずのワンパクぶりで、毎日ぼくと女房は振り回されているが、少しずつ子供を脱皮している様子がみてとれる。春の到来とともにルイが多少は落ち着いてくれるのではないかと期待してもいる。ともあれ、春はもうすぐだ。